Home > Tweets -はてしないたわごと-

Tweets -はてしないたわごと- Archive

触れられる距離

世間は成人式。まだ4年程しか経っていないのに遥か昔のことのように感じるのは4年間でそれだけいろいろ経験できたということでしょうか。

そんな華々しい新成人たちの日常への帰路にお邪魔してきました。

少し逢えただけで なんともいえないあたたかい気分にさせてくれる人たちがいます

そんな人達がいるって本当にステキなことで本当に感謝すべきことだなあとまた改めて。

どんなに顔の見えない情報によるコミュニケーションが進んだとしても、人と人が目の前に対峙し合うコミュニケーションは廃れないでしょう。

いやいや、信頼性の最も高い新聞というメディアの存続が世界中で危ぶまれるほど情報技術が進歩してしまった時代だからこそ触れられる距離にいるということ そこに”ある”ということ それが他の何にも代えられないことをまた認識させてくれると思います。

ふたりの影

Power of Fire

ツリーハウスの冬といえば鍋

そういえば新年早々ツリーハウスで高校時代の友人と鍋をしましたよ〜。冬の花火もなかなか乙なものです。やっぱり最高です。

解体まであと2月余り。

それまでおもいっきり使ってやりたいと思います。ストーブもおいているので寒さはしのげました。みなさんもぜひ利用してくれたら嬉しいです。

火で暖を取り、火で調理し、火であかりをとる。その火が空間に中心をつくりだし、人がそれを囲んで集う。

今や全てがわざわざ電気エネルギーに変換されてしまっていますが,これこそ正しい風景なんじゃないかなんて思っています。電気に変換され中心を失った空間は人の集う理由を少しずつ奪いそれが空間の心地よさを失い、人の心すら疲弊させるひとつの要素だったりもするのではないかと。

かの巨匠建築家ルイスカーンのThe roomという概念にも中心を定める火という概念が出てきたりN=シュルツの空間論にも定位というキーワードが出てくる。

人間は環境の中にあって己自身を定位し、環境と己自身を同一化することができる時に、あるいは端的に人間が環境を有意味なものとして経験する時にはじめて住うのである。したがって、「住まい」とは単なるシェルター以上のものである。つまり生活が生起する空間とは文字どおり場所にほかならないということである。場所とは独自の性格を有する空間である。古代からゲニウス・ロキもしくは「場所の霊(スピリット)は、人間が直面し、日常生活において折り合いを付けなければならない具体的な現実として認知されてきた。建築することは、このゲニウス・ロキを目に見えるように視覚化することであり、建築家の務めは有意味な場所をつくり出すことであり、そうすることによって建築家は人間が住うことを助けるのである。

『ゲニウス・ロキ』クリスチャン・ノルベルグ=シュルツ 住まいの図書館出版局

THANX

大掃除をしました

ぱたぱたぱた

とんとんとん

キュッキュッキュッ

シュッシュッ

ガラガラガラ

ゴトゴトゴト

ドン

一年間おつかれさま

来年もよろしく

大掃除は積もった塵を拭き取りながら

積もり積もった感謝の気持ちや思い出たちと共に

さぁ〜 身辺整理 心辺整理

今日は火事がありました。幸い燃え広がることもなく駆けつけた時にはほぼ鎮火していました。

風が強く乾燥しているのでもし何か燃やされる場合等は十分に注意して下さいね。

都市の片鱗

多くの方々に支えられてまた1年この仕事を続けられました。

今年もまたいろんな出逢いがありました。

大学いって賢い頭持っておもろない会社に就職してお陀仏するぐらいならギター片手にホームレスをする方がましだ

何するにもマニュアル、how toにしばられて、はじめっから凝り固まった中にあるなんて御免だ

悟ったフリしてぱりっとしたスーツ着て利口そうに座ってる奴いたら椅子をひっくり返してやる

あの賢人がこう言うからこうするなんて御免だ

右向け右で右ばっか向いてんじゃねえよ

目が覚めて辺り一面火の海ならとりあえずタバコに火をつけて狼煙をあげろ

死ぬ気で行けよ 死なないから

そんな気持ちにさせてくれる友人がいます

地位や権力という鎧をつけてる者に丸腰で 体はって自分の旗をかかげてどんくさくても正面からつきっきるエネルギーにはいつも頭が下がります

そんな出逢いに感謝しながら、また気持ちを入れ替えていきたいと思います。

いよいよ除夜の鐘が鳴っています。木製天板の古びた机でペンを持ちながら過ごすこととします。

では来年もさらに素晴らしい年にしましょう。

来年もどうぞよろしくお願いします。

兵庫高校同窓会

STORIES SHOULD BE PROTECTED

ご無沙汰な更新ですが,近頃は例えば「井の中の蛙大海を知る」といった慣用句をもじったコトバで形容できそうな日々を送っています。ちまちまといろいろ制作しています。

というわけで、Merry X’mas from KOBE

冬は闇に照らすの光が素敵でやけに感傷的になります。

一歩ずつ 一歩ずつ

目に見えるものは流動的であるべきで、そこに宿る物語を大切にしたいと思った年の瀬

昨日今日で御用納めの方も多くおられることでしょう。おつかれさまでした。

消防の方も本日から年末警戒です。火の元と呑みすぎには気をつけて!

桃源郷

出張先でひとり、景気付けとして人力屋台のラーメンを食べた。

おっちゃんは慣れた手つきで、かつひとつひとつ丁寧に

秘伝のラーメンをこしらえていく。

儲かりは決してしないけれどもひっそりとやってるのがいいんだと

苦笑いを浮かべながらどこか得意げに話す。

その話し方や雰囲気にはたくさんの苦労に耐え抜いて来たからこそ

醸し出せる優しさがにじみ出ていた。

十年以上もこうやって5時間かけて仕込んだスープをひっさげ

毎日重い屋台をひいて1キロ以上の道を深夜、早朝に往復して

メニューひとつその身ひとつでこれが俺だって構える。

寒空の下、誇らしげにお客さんからもらったビール片手にどこか控えめで雄弁に語る姿を見て

まだまだ日本も捨てたモンじゃあないと思った。

屋台は味以上に、人柄だ。

それは決して公の場に出て行列ができてはならないし

全く人が寄り付かなくなってもいけない。

苦労を笑い飛ばしてみんなの桃源郷をつくりだす。退廃しきった心を迎え,優しくただそこにいてくれる。

職こそは違えど,おそらく目指す所はそんなおっちゃんなんだなろうなと思った。

自分はまだまだひよっこだ。汚いけれど、手の汗と涙がしみこんだ、愛着ある屋台が構えられるのはいつの日のことだろうか。

今日も今ごろおっちゃんは誰かの心を癒していることでしょう。

また逢いにいこう。

明日は茅葺きシンポジウム。「都市と農村の協働する茅葺き民家」について話を伺ってきます。

愛すべき無駄を

建築は機能的な実証を経て極めて合理的に成り立つものだが

はたからみたら全く無意味であるように見えることがすごく大切な意味を持っていたりする

はたから見たら全く無意味であるが

そこには物語がある

労力がある

それが生み出されるにはある程度の時間が必要である

そんなものがたくさんあればあるほどはたから見た人も当事者ほどではないにしろそれを豊かと感じる
そこからこの空間は豊かであるという認識に至る

豊かであるといっても、建築家にとって豊かであるという認識は無意味である

もっと下等な価値で空間を認識するのが普通であり、住宅ばかりを設計しているのにもっと高尚な空間認識を強要し、空間の形態ばかりを追求する建築家 はあまり好まない

機能や形状至上主義、そこには落とし穴がある

小さな共同体で共通に認識されるものがたくさん可視化された環境で毎日を過ごすこと

これこそ自らの存在証明の証しであり幸福感ではなかろうか

そんなものを多く含んだ、そして多く含む可能性をはらんだ家をつくりたいと思う

その輪は単なる家の中で留まるのでなく。

そんなものを多く含んだ、もう少し大きな共同体、すなわち文化をつくりたい

そのためには建築のカタチ以外にも多くの考えるべきことがある

ある共同体のみで認知される一定のルールをうまく操作して共同体の在り方をうまくデザインしなければならないし、関係性をうまくひもといていく必要 がある

それは図面や模型とにらめっこしているだけの普通のやり方ではできないし、

それが可能かと言えばあやしいかもしれない

だが、それを気に留めているか留めていないかでもかなりの差が生じると思う

幸い、クライアントさんにもめぐまれて、カタチ以上の部分にも踏み込ませていただいているし、ゼロではない

つまり、やってみること

Try Before you think.

Your wastes are not wastes for me.

愛すべき無駄を。

北野坂

ややこしいこと言いましたが

要するに、どんなあほなことでも自分にとって意味あるんやったらそれでええやんということ

デジタルとアナログの狭間

久しぶりに平行定規さんを引っ張り出してきて朝まで格闘。

新しいものばっかに飛びついても、いまやっていることの基本にあるものを忘れないようにしたい。

寝る間を惜しんで没頭して手を動かしながら考えたあとはいつもそう思うが、画面ばっかり見て切羽詰まっているときはなかなかそこまで思えないことが多いのだが。

デジタルツールを駆使して仕事をしているものの、やっぱりアナログ人間だし、みんなそうあるべきでしょう。

平行定規

昨日は事務所に侵入者が。

その正体は…

蝶の模様

蝶の美しい模様

美しい羽の蝶々さんでした。

田舎で事務所をやっているとこういうアナログな自然の予測不可能な要素がひとつの楽しみでもあります。

蝶

ちょっとそこまで

竹を取りに行って先日流しそうめんをしてみました。

その竹を今度はひたすら割いています。何に使われるかはお楽しみで。

どこにでもある竹

果たしてここには何もないのか、何でもあるのか、どちらでもないのか。

我が輩は猫である

まぁその答えは人それぞれでしょう。

今日は小中高と一緒に通った友人がお盆の帰省ということで突然遊びにきてくれました。5年ぶりとかでしょうか?それだけ久しぶりでも少人数の自然に囲まれた学校で幼少期を共にした淡河の友人たちは昔とあまり変わらず、気軽に話せる人たちです。あまり変わらない…いやいや、お綺麗になられていました。たまたまブログを発見してくれて見てくれているみたいで、嬉しい限りです。研究に就職活動に、がんばって!

さぁさぁ皆に負けじと、今夜もひと踏ん張り!なんだか歯車がまたひとつ噛み合った感覚。

花

PENTAX K20D, 1/20, F5.6, 10mm, ISO400, MF, smc PENTAX-DA FISH-EYE 10-17mmF3.5-4.5ED

cott RURAL CULTURE DESIGN LAB.

光の濡れ具合と、散らかり具合が美しく見えたので…笑

GR DIGITAL, 1/10, f/2.4, 5.9mm, ISO-AUTO, AWB, GR LENS

グラフィック、ウェブ、写真、映像、建築、いろんなものがここから生まれます。cottツリーハウスデザイン研究所。農村文化発信基地。OGOGOGO PROJECT事務局。cott DESIGN LAB.。はい休憩おわり〜

ART LIFE

昔所属していたアートイベント団体の人たちと久しぶりに会ってきた。

いなかスイッチという雑誌の表紙に載っていたり(サインをもらう)

PHaT PHOTOという写真誌の特集に載っていたり

地方新聞に載っていたりと

いろんな道の先端に立って活躍されているようで非常に嬉しく思います。

久しぶりに若いアートのエキスたちに刺激を受けたので余裕ができたら

越後妻有アートトリエンナーレ 大地の芸術祭2009にふらっといこうかという気分。もしくはインドに?笑

「人間は自然に内包される」

まさにそのとおりだと思います。

行ったら、彫刻とかインスタレーションがやりたくなってしまいそうなのが怖い…。笑

闇に浮かぶ光

PENTAX K100D, 1/15, f/1.8, 55mm, ISO400, MF, Surper-Takumar 55mm f/1.8

最近買った数十年前のすべてマニュアルで露出を合わせるねじ込み式単焦点レンズですが、なんだか不思議な映り方をしてくれます。あるはずのないものが見えるレンズ。フィルターのせいなのか…?

A letter to …

手紙を送る

手紙を書いた。

と、いっても用事のついでに、さっとメモを添えた程度だが。

粗雑なつくりだとしてもやはり手書きはいい。

よっぽど有名なデザイナーによるDMなんかよりも、人を動かすもの。

メールや印刷物、同じかたちの複製品ばかりの時代だからこそ、より、伝わる。

その字をまじまじと見ていると、書いているときの感情まで伝わってくるかのようだ。

これは今後も機械なんかに替われないし、替わらせない。

見た目がどうこうという話ではなく、本質はどこにあるかを見極めたい。

なかよし夫婦

PENTAX K20D, 1/90, f/5.6, 300mm, Auto-ISO(400), MF, smc PENTAX-F 100-300mm f/4.5-5.6

事務所から外を見れば車のアンテナに仲良し夫婦が2匹。

背景が綺麗な緑の田んぼのおかげでより鳥たちが引き立ってくれる。

まちで仕事をしていないからこそわざわざ出かけなくても撮れる日常の一枚。

記憶

写真の整理をしていたら6年前のスケッチがでてきた。

いまの自分はこのときの自分の意志に勝っているだろうかなんてありきたりのことを考える。

そんなひょんなことがきっかけで突然頭の中の黒い世界を白字でゴシック体の文字がつぎつぎと巡る。

ときどきやってくるこういった瞬間をストックしたくなる衝動はどこからやってくるのだろうか。

ストックしたところで死ぬまでその意味を悟ることは例えば確率にして1%にも満たないだろうと思うのに。結局その根源的衝動に従うことで無意識への探求の過程を自身で楽しんでいるのだろうか。

いずれにせよ、こういったものをまとめてまた自主制作をしてみようと思う。

昔のスケッチ

昔のスケッチ

記憶ーーーそれは水のようにあいまいでつかみどころがなく静かで、何かの要素が重なって時に暴力的に変化する。

日々暮らす毎日が透明化している

目の前を横切るものがいまここになく映像のようにつかみどころがない遥かむこうの世界であるようで

しまいには目の前に存在するもの全てが自身とは無関係であるような感覚にしばしば襲われる

果たしてそれを疎外感と呼ぶのが適当であるかは私には分からない

そんなことをひたすら難解な文字を並べ立てて論じるのは白い口ひげを蓄えたどこかの哲学者に任せておいて

いますぐ都心のビルの屋上から大きな筆で

空を真っ黒に塗りつぶして目を閉じ飛び降りる

闇に支配された静寂の世界をゆっくりと沈んでいく

暗闇から伸びる細く伸びるうっすらと光を纏った白い糸をするするとたぐり寄せる

その先にうっすらと見えてきた強い光を見る

何もかもを放り投げて必死に足をばたつかせて

(〜以下略)

またそのうち映像になるか絵になるか写真になるか文字のままなのかいろんな分野が合体するのかはわかりませんが、まとめて発表するので続きはお楽しみということで。

以下、ファッションデザイナーの友人の受け売りですが、

商業戦略にやられて右向け右で石ころさえ宝石に見える頭にさようならを

協調性は適当にやっていればだれでも身につけられる

意思はよろしくやってるだけではそうはいかない。

ホーム > Tweets -はてしないたわごと-

Recent Articles
Backnumber

Return to page top