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ことばについて

近頃ブログの更新が気まぐれになってきてしまっている。ブログに挙げるからには何かしらのまとまりのあるテキストなどにしないといけないが、Tweetsと重なるところもあり腰が重くなっているのが一応の理由だろうか。

あとは言葉に対してある種の限界なんてものも感じていたりする。

言葉の力の過信。

言葉には力があることは確かだが、力がない。いや、正確には力があると過信しすぎて使う人が多い。

制御可能、自由自在かと皆思い込んでいるが、実はそうでもなくて、言葉はひとり歩きする。
たとえば意見が合わないように見えるとき、実は意見が合っていないのではなく、単に言葉の使い方が食い違っているだけ、というケースは少なくない。新規プロジェクトの会議等で話の方向性が困難を極め、結局突き詰めていけば言葉の定義の議論になっていたという経験がある人もいるのではないだろうか。

「自然」ということばひとつとっても文化圏ごとにコンクリートが自然から取れる材料でつくるものであるという観点から自然であるという解釈もあれば、人間が植林して人工的に湖をつくった公園が自然であるという解釈もあるし、それこそターザンの住んでいるような所が自然だという解釈もある。その大前提が違っていると話が噛み合ないのは当然の話だ。
さらに言葉は「価値感」含んで扱われることもある。たとえば「自然食品」だとか「自然に触れよう、親しもう」というフレーズにおける「自然」という言葉は「よいもの」という価値観を含んで扱われているのは某解剖学者の指摘されるとおり。

つまり言葉は思っているより複雑で、ある文章を読んだときに捉え方はひとつでなく、それぞれ頭の中にある解釈のイメージは違っているという前提で考えたい。
哲学書などでよく行われる論述では「あの人はこの書籍でこう言った」的な引用がしばしば行われるが、その引用が原文を書いた人の意図しない意味で使われて、それがさらに発展した概念になっていることもよくある。少し前からデザイン業界で言われだしたギブソンの「アフォーダンス」という概念などもそうだ。論述の文章でさえもそうなのだから、日常的に使われる言葉についての捉え方が様々なのは想像に難くない。

だったら言葉は力が無いのかというとそうではない。それを介すことで円滑なコミュニケーションを可能にしているのだから。それに、解釈はさまざまということは、想像力をかきたててくれるということ。

力を持つ言葉

人の心を動かすものは別にいいことや理想論ではない。
いいことや理想を考えて言うことは誰だってできる。
そこに人の気配が加わることで初めてそれが力を持つ。

断片的な現象の長い蓄積の中から断片的なものを意図的に取り出すことは少しの時間さえあれば容易なこと。だけどそれを並べたところでそれが力を持つかどうかは別問題だ。
たぶんあえて考えて言葉にしたものよりも、経験の中からふっと浮かんだものの方が強かったりする。

そんな風にナチュラルでいようと思うので書こうとして書こうとするのは仕事以外ではやめておく。別にいいことを言うつもりはないけれど「なんとなくそうだな」、なんてことの中に身を置いておく。

何だって理由づけはできる。
そんなもの置いといて、何かを可能にするのは本気と覚悟。
変な理由裏付けはあれどもそれをつらつら述べるつもりはなくて
気持ちとか意志とかそういう不定形なものでぶつかる。人間だもの。

自身のルーツに近いところで各々の能力をうまく生かすためのあれこれを探る。
来年初旬あたりにはある程度の環境整備ができている予定なので
同士を集めるアクションをぼちぼち進めていきたいと思う。
生命力

強いことばを持つおすすめ書籍

「言葉」ということで思い出したが、『風の旅人』という雑誌を学生時代からずっと読んでいて、2003年の創刊号から全て棚に並んでいる。

事物の本質を突く鋭さを持った少しお難い随筆に、頭を後ろからどつかれたようなインパクトのある写真群。切り口が秀逸で、数多くの有名作家も寄稿されていたりとなかなか読み応えがある。

また、被災地の現状について編集長のブログで報告されているので参照されたし。
http://kazetabi.weblogs.jp/blog/2011/03/post-f9e5.html

他には、一癖はあるものの写真家の藤原新也氏の鋭い言及も、なかなか好きでよく読んでいる。彼はWEBマガジンを創刊するそうで、社会言語をより健全な姿に戻すための「足」を確保する試みだそうだ。
http://www.fujiwarashinya.com/wm_intro.html
http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php

あとは、太郎さんの『強く生きる言葉』や『自分の中に毒を持て』、パウロコエーリョの『アルケミスト』なんてものもおすすめ。興味があればぜひ。

なお、GW期間の営業については、カレンダー通り4/29~5/1、5/3〜5/5を休業日とさせていただきます。

安福

cott 7days 7Graphics

cott 7days 7Graphics終了。

ブログでなんとなく始めてさりげなく終わるこの企画。仕事時間以外を使って1日1回手を動かして1週間まるまるグラフィックのことを考える。条件はW1:H√2の画面として気持ちのいいもの考える。できるだけ違う方面から考える。頭の中とアウトプットを結びつけるためのちょっとした訓練みたいなもの。1日10分だけでも考える。たかが10分。時間がないのは言い訳にはならない。

収穫はあったと思う。ただ、グラフィックのことばかり考えていると頭がなんだか頭のギアがグラフィックにぐっと入りすぎてしまっているようで、文字など他の媒体でアウトプットすることを忘れがちになる。温泉にでもつかって、一旦ギアをニュートラルに戻してまた入れよう。

そうそう。事務所から10分程度、さらに北の方に車を走らせるとありました。
三木のツリーハウス
ツリーハウス。
高さも4m強と、そこそこ。意匠的におもしろいところはありませんが、アノニマスなこういった試みはとても嬉しい。

安福

そうだ棚、作ろう。

新事務所を着工しようと思ったけどなんだか天候も安定しないし基礎コンクリートを打つのにも左官にも気温が低いので延期。自分の事務所なのでのんびり構想を練りましょう。ということで本日は倉庫の木材をひっぱり出してきて什器から制作。
まずは簡単な設計図をもとに板を切断。角の処理もしっかりと。
木材を加工
木目にはご存知の通り方向があって、それぞれの方向に対して強度だったり加工性の違いがあります。紙でもT目、Y目と言いますよね。
のこぎりの進みやすい方向。溝の掘りやすい方向。割れないようにするためののこ刃の方向。刃の回転の早さと進める強さ。

鑿(のみ)で余分な繊維が割れないようにするためのひと手間。のこ刃の厚み分を計算して板を三等分する難しさ。
棚ひとつでもつくってみるとそんな大工の苦労がよくわかる。建築学を学ぶ方は木でも鉄でもコンクリートでもいいので是非、生の素材を扱ってみて下さい。
うまく溝が切れてはまるとこんなかんじ。この溝幅の許容誤差は樹種や溝の深さ、長さにもよりますがこの場合で +0.8mm〜 -0.2mmぐらい。これが一発ではまると気持ちがいい。ちなみにやすりがけと、木の質感を生かした塗装なら組み立て前にしておくのがオススメ。
棚の組み立て
これに隠し釘を打てば完成。
棚完成
見物客:じいちゃん、ばあちゃん、いっちゃん(近所の犬)、ミュー(猫)、テン(イタチ科テン属。とってもかわいい小動物。)、必ず原付で登場するお隣のおっちゃん。
本当、いろんなものに囲まれています。感謝。
田舎でやってると自分だけで完結するようなことがあまりないので特に予定のない休日も充実。
予測不可能な部分を許容できる方は、こんな田舎でもやってけるでしょう。逆にそれが許容できなければやってくのは難しいですが。

そうだお茶、しよう。

デザイナーの道具

好きです。
コピックでラフを。
コピック。

去年末の神戸デザイナーズ忘年会で「デザイナーの道具を持参せよ」という課題があったのですが、かさばるので持参しなかったものその1。ちょっとしたラフだったりパースを短時間で数多く描くときに力を発揮。100色ぐらいあるのでカラフルで、眺めているだけでも楽しい。

ちなみに他の方は素敵なメジャーだったり、こだわりのブランドの手帳、キーケースなどとそれらにまつわるウンチクを持参されていました。コピーライターの方が小学生向け辞書を持ってこられていたのはおもしろかった。

HAPPY NEW YEAR 2011

新年明けましておめでとうございます。
今年はひとつずつ丁寧に積み重ね。ますますクリエーティブな一年にしたい。
本年もお付き合いのほど、よろしくお願いします。

さて、いつも年末年始は南西に向かうが、今年は北東へ。過去最大級の機材量でカウントダウンイベント参戦。白の世界で過ごす年の瀬もなかなか味わい深いものとなりました。
DJ

VJ風景雪と犬

囲炉裏ですき焼き

囲炉裏を囲んで

犬と雪と風景と。

若さについて

楽しんで仕事してる人って総じて見た目も若い人が多い。
もちろん実際よりも老けて見える人もいるが、そういう人はこれから歳を積み重ねてもほとんど変わらぬ風貌で、そのうち若く見えるようになる。(私はそちらのタイプだと勝手に信じている。笑)
センスが若いというのも重要だがむしろ
日々、よく笑って泣いて楽しんでる人というのが大事なポイントだ

現実的な話をするのなら
人が外見から年齢を推測するとき、顔のしわとやたるみ、髪の薄さなどの顔の部分でで無意識のうちに判断しているだろうが、楽しんで仕事をされている人はそれが出にくい。
お肌のたるみがとかを気にされる奥様方なども多いが、原因は筋肉の衰えなので
朝鏡を見てああまたシワがと気にして高い美容液でケアしなきゃというよりは
「最近笑ってるかな」
と自分に問うてみるとどうだろう。

おまけによく食べてよく寝れば
最高のスキンケアだ。

単純な話が、よく笑えばいいのだ。それだけ。

なんて、全くクリエーティブには関係のないことをJAGDA大阪企画展「BODY WORK 5」にて思っていた。(Nさん、写真拝借しました。一応、無断転載禁止で↓。)
JAGDA大阪企画展BODY WORK 5
神戸組も負けないよう、ときに反発もしあいながら、盛り上げていきましょう。
受賞作品一覧はこちら。
http://osaka.jagda.org/bodywork/bodywork2010.html

すぐそばにある美しさ

緑の軽トラに映える紅葉
秋の石峯寺

ああ、今日も思わず寄ってしまった。
秋の農村の夕方はいちいちドラマチックに映る。

落ち葉の舞う曲がり道に差し込む木漏れ日
道の脇にござを引いて干してある黒豆が光を反射して輝く様子
落ち葉の絨毯が一面に広がりはじめる山への入り口
傾いた太陽のつくりだすカメラを構えた青年の長い影

あか あお き みどり。
退廃へ向かう前に燃える情熱の美。
それぞれが朽ちる前にちからいっぱいに萌える瞬間。

そんな瞬間が美しいのはきっと人も植物も同じこと。
茅葺きクラシックコンサートを梁の上で聴く
茅葺きクラシックコンサートの様子
↑茅葺きクラシックコンサートの様子

農村万歳。

芸術の秋

淡河の茅葺きオーナー平井真人展へ。
平井真人展2010

淡河のアーティストによる茅葺き屋根の下の展覧会「書ー中西賀子 器ー十場天伸」展へ。
中西賀子と十場天伸展

その帰り道。鮮やかな色に引き寄せられ、思わず石峯寺(シャクブジ)に寄り道。
石峯寺

他にもピアノコンサートに行ったりと自営業を始めて以来、最も優雅に暮らしている気がします。(ちゃんと仕事はしています。賢い時間の使い方をやっと覚えてきたのでしょう。)

そういえば最近写真を撮る回数が減った。編集すること前提で撮るからだろうが、今までは数打ちゃ当たる野次馬的な撮り方だったのが、状況を見て数枚のイメージを決めてからさっと撮るようになった。カメラを触り始めて日はまだまだ浅いし、シャッターを切った回数だって、数十万回と数えるほどだろうけど、そのものの良さをそのままに伝えるためのアングル選びやレンズの選択、露出設定なんてものが少しは見えてきたかな、という気がします。

写真の善し悪しは機材や技術じゃないのでそこはなんとも言えませんが、少しは安定してきたかなということです。

新事務所構想も徐々に詰まってきています。まちの人が見れば「かっこいい。」近所のおっちゃんが見れば「ごっついことしょんな〜。」というようなものを作ろうとしています。そこにある素材でまた違った表情をどう出せるでしょうか。

秋も深まってきました。今度の休みはすぐそこの丹生山(タンジョウサン)に登ろうと思います。
神戸の山でも六甲山は人が多いと思うので、丹生山。いかがでしょう。山田町側から登るなら三宮より車かバスで20分です。

追記
知り合いがピースなイベントをするそうです。
———————————————————
KOBE SANTA WALK 2010  12/19(日) 13:00START

今年で2回目を迎える神戸サンタウォーク。
サンタの格好で神戸・三宮を練り歩くピースなイベントです。
昨年はいろいろなメディアに取り上げられ、多いに盛り上がりました。

もともと英国エジンバラなどでチャリティーイベントとして
毎年開催されているこのイベント。
神戸でも収益金の一部をチャリティーとして寄付致します。

僕自身も前回初めて体験したのですが、
サンタ姿を見た街の人達は、みな笑顔!子供たちは大喜び!
大人も子供も、とてもあったかい気持ちになります。

サンタの衣装もデコレーションしたり、自分好みにカスタマイズOK!
最後に集合写真を撮影予定なので、みなさん各々で目立って下さい。

お申し込み方法や詳しい内容は、下記のホームページよりご確認下さい。
http://www.santawalk.jp/

表現をする者ならば

六甲の展望台内観
最近はアートが社会の中で広く認知され、様々なところでイベントなりが開催されたりしている。それは結構なことだと思うが、それと同時にそれらが軽んじられているようにも思う。何でも表現として認められるようになって、すぐにアーティスト気取りができる。how to本がそろう世の中で、それらを組み合わせることで見た感じ自分のオリジナリティの表現をすることは平易だ。
アートだ音楽だハッピーだ愛だ自由だなどと叫んで始めたアートギャラリーを併設したカフェは度がすぎると少しうさんくさい気がしてどうも近寄りがたい。アミューズメント性以外に何を追求したか見えない屋外展示の作品なども多い。本来、アートは啓蒙思想に近いものであってほしいのだが、ここまでくると、どうも消費物になり下がっているような気がしてしまう。

デジタル時代が起こす質の低下

例えば写真の話が分かりやすい。デジタルになって誰でも気兼ねなくシャッターを押せるようになったもんだから、誰だって写真が表現だと言えばそこですでにアーティストだったりするわけだ。作品と言えるほどのつくりこみなんて到底していないのに作品と呼んでいたり。

(ふらふらしながらシャッターを押してそれを作品だと言ってしまうのは、私の生き方こそ作品だから私の見たものを集めたアルバムを見てくれと言っているようなもので、小学生の自由研究や絵日記との違いを見出しづらい。それが強い表現欲と意思に駆り立てられて、極めて意図的にそうしているのならアートとして成立するとも思うが。要は気持ちの問題である。
生きるためという事務的な動機による表現は、「例えば旅をしながら写真を撮りたい」ではなく「こういう絵がこういうことろで必要とされているからここに旅をするという」動機がまるで逆の発想である。真面目に写真表現自体を追求してそれを生業として暮らすことを考える者でさえ、それほど力をかけている。)

社会構造的に見てアートはとても生産性が低い行為で、それで飯を食おうとするならばそれなりの覚悟と努力と金と理解が必要だ。(旅をしながら写真を撮るなんて悠長な話ではそれこそとても生産性が低い。)アートという分野はそれほどに社会の需要に対して飽和している。

命の炎を燃やせ。

岡本太郎風に言えばそういう言い方になるだろうか。ほんまもんのアーティストは予想以上に魂削って作品を生み出している。居心地の良いところで肯定しあっているようでは、先は見えない。否定も取り入れながら旅をしないと。
もちろん表現の自由はあるんだけれど、それで社会の役割の一部を担おうと思うのなら話は違う。アーティストが増えるのは嬉しいが、名乗るのならばそれなりに腹をくくって作品に魂が乗り移るほどに製作に勤しんでもらいたい。

な〜んて、数日前の茅葺き屋根の下の4人の美術家漫談にて思った。
アートは至高のものだというような言い方になったが、まあ他の仕事だって魂削るのは同じこと。つまり今日の話を要約すると、何にしても一生懸命が心を打つということ。
ふまじめ ときどき くそまじめ。
さあさ、朝から気合い入れてこう。
六甲の展望台

VW

ワーゲン
発注まで15分ほどのボランティアの仕事ですが、友人に旗が届いたようです。
黒のボディーに赤がよく映えています。
何より身近な人から頼りにされるのが一番ですね。

たまには

今日は事務所でグラフィックデザイン担当ブレーンのKENTA SHIBANO氏と推敲を重ねています。
KENTA SHIBANO
KENTA SHIBANO氏のサイト
ALPHALISM

久々にポスターってことでテンションあがってます。
どんなかんじのポスターかというと,,,
cottのポスター
ぼかしフィルター。
神戸市内のいろんなところに張られてからのお楽しみ。

事務所の散らかり具合。体をいたわることを知らないこの感じ。
たまにはいいですね。学生時代を思い出します。
いいものができそうな予感。

SOUNDSCAPE

先日、イベントそら祭り京都2010の手伝いに行ってきたのですが、
いらないというので眠っているのももったいないと思い、ライブアート作品たちをいただいてきました。

事務所の外に飾ってみたけど、ますます怪しい雰囲気で近づきがたくなっているような…
中に飾る方が良いでしょうか。
そら祭り京都ライブアート作品
こんな風に直感で自由に絵を描きたいです。
時間ができたら無心で絵を描こうと思いはじめてはや3年ぐらい経つだろうか。
ちゃんと時間をつくろう。

ああでもない
こうでもないと
理論尽くめでぶつぶつ言いながら
ものづくりに燃える人に見えるけど
それは仕事のスイッチが入っているときの話で
実はなんやかんや
非生産的でくだらない話をしているのが一番好き。
はい。田舎のおっさんです。

近頃プライベートでシャッターの回数が減ったのはそういうわけなのだ。
シャッターを押したいと思う瞬間が減ったわけじゃなくて
シャッターを押すのももったいないと思うほどに貴重だと思う瞬間が増えただけ。

京都のサウンドスケープアドバイザーさんと知り合う。
京都タワー展望室におけるサウンドプロデュースなどをされていてとてもやさしい音を生み出す方。

草や風の音、虫の声、人の活気、の中を吹き抜ける風のようなきもちのよい時間でした。

謙虚に寄り添うように、ゆったり一歩ずつ、だけれど軸をきっちり据えてひとつひとつ丁寧に制作されている姿が
仕事とうまくリンクをしていてとても豊かな生き方をされているなあと共感しました。
サウンドスケープの基本は日々を取り囲む音に意識を向けること。
そんな姿勢が日々を丁寧に、豊かに生きる上での基本になっているんだろう。

ドビュッシーをドビュちゃんと呼ぶところに愛を感じました。ドビュちゃん好きに悪い人はいません。笑
茅葺き屋根とばっちりリンクするサウンドです。

サウンドスケープ

小松正史
http://www.nekomatsu.net/

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