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2016-03

What we can do for Local Identities

普段農村で活動しているから、よっぽど自分の街が好きなのだろうと思われているかもしれないが、好きなのは自分のまちばかりでない。日本、あるいは世界のいろんなところを行脚し、地方都市独自の人や文化に触れるのが好きで、学生の頃から折りをみてさまざまなまちへ出掛ける。

この2月3月も西へ東へとうろうろしていたのだが、近年、地方に行って、美しいなと思うような光景は少なくなって来た。その中でグラフィックデザイン業界の人間として特に目に余ると感じるものが、看板の大きさやまぶしさである。(3年前、訪中の際にもそのことは書いたが)日本の地方でも看板は無駄にでかい。その理由の1つとして車での行動が基本だという点が考えられるだろう。車はスピードが速く、店に入ってもらうためには看板が十分遠くから認知でき、営業中であることを伝えなければならないため、規制にひっかからない範囲で看板はでかければでかいほど良いと思われているかもしれない。特に地方のチェーン店は本当、遠慮がない。

看板のデザインはグラフィックデザイナーたちの職能のひとつであり、看板を立てたい依頼主の依頼に基づいて主にその表面をしつらえる。すでに形やサイズが決まっていて、その中に絵を入れてほしいとの依頼も多い。その際にはクライアントはその絵だけを望んでいるため、その形やサイズに対して提案することは無駄な労力、あるいは失礼にあたることすらあるだろう。ただ、それでも他の選択肢を提示することを頭に入れておくことはできる。

他の選択肢というと、例えば遠くから認識できるのは店の名前でなくても良いはずだ。散髪屋であれば別に店名の大きな看板でなくとも例の赤青白のポールさえあれば良い。もしかすると、あえて小さい看板の店の方がうまそうに見えるかもしれない。カーナビ等の情報端末が進化し、巨大看板がなくとも希望に近い店に到達できる時代もそう遠くはないだろう。果たしてその大きさで良いのか、今その電飾は必要なのか。

そんな余分かもしれない提案から少しでも「まちらしい風景」について思いを巡らせてもらえれば良いなと思う。まちの風景とコミュニケーション(モノとコト)に資するためにできること、引き続き考えていきたい。
そこに暮らす人たちが自分たちのまちを誇れるように。
離島のホテルからの眺め

Enjoy Creation

春の芽吹きとともに制作環境が整ってきて、
早速近所の青年たちとポッドキャスト配信をしてみたりと創作意欲も芽吹きの春。
(デザイン関係ではなく、地元の若者たちがローカルネタをコメディタッチに発信する番組ですが、興味あればぜひ。無邪気な僕らのファンキーラジオ
無邪気な僕らのファンキーラジオのiTunesの画面

新たな拠点で自身もつくりながら、日々の中の「つくる」を広げていければ。
いつでもなんでもどこでも、「つくる」を楽しむcottの9年目、スタート。

cott蔵オフィス外観
気候も良くなって来たので外に椅子を置いたら、早速居眠りしそうだ。

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