- 2017-03-30 (木) 8:39
活性化と言ってもいまいちしっくりと来ない。活性化と言えば住民が文字通りまちを興すのに積極的に取り組み、観光で訪れる人が多くなり、住民も増え、子供も増え、というような図などを思い描くが、それらは、必ずしも必要なことではない。地域ごとに活性化スタイルはそれぞれだ。
例えば観光を推進するとして成功するとしよう。地元の仕事が増え、人口も増える。産業的には豊かだが、生活が脅かされることだってある。生活空間に観光客が流入して、地元の方が警戒し、顔の見える関係が薄れたり。その村のビジョンを共有し、正常に代謝し続けられる、循環可能なむらを目指したい。
豊かさというのは個人の希望や都合が何でもまかり通ることではない。
個人の都合がなんでもまかり通るようになることが社会活動の目的ではない。
社会の基本原理は世の中を豊かにすること。風景と人の心を豊かにすること。
それを念頭に置いて地域についてそれぞれ考えてみたい。
村と共同する地域活性は難しい。村の人が自分の地域活性のことを考えることは、ある意味体にしみついたものを言語化するようなもので、バットのスイングの仕方を言葉だけで説明するようなものだ。これまで意識していなかったことをひとつひとつ意識していくこと。それには時間がかかり、不器用にしかできず、そう簡単なことでもないことを理解していただきたい。
田舎で自営業をするのも、常に回りに敬意を示し続けた上で、何か変わったことをするときはメディアや行政からの太鼓判を得ることで周囲の信頼を獲得したりと、とにかく息の長い話だ。
それでもやっぱり魅力的なんだよなあ。
ひとつひとつ、村の人たちと一緒にときほぐしていこう。そしていつかはバットのスイングを言葉だけでなく体を使って新しい住民の人たちと一緒にスイングしたいものだ。
農村地域に対してクリエーティブには何が可能か。 by cott