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Way of Working -cottのお仕事- Archive

Fantasy

いつでもどこでも仕事ができるという幻想

いつでもどこでも仕事ができるよねというのは自分にとってはまだ幻想である。1年間海外ノマドをしておいていきなり何を言うのかと思うかもしれないが、今回のそれは10年間、神戸という拠点に根ざしcottとしてデザインの仕事を続けてこなければ、成し得なかったものだ。海外で何の仕事をしていたかと言うと、「アレをいつものアノ感じで頼みます」というので通じてしまうような、もはや顔を合わせずやれてしまう定期的案件がほとんどである。(正確に言えば、現地に納品する新しい案件などもしていたのだが、それは少なくイレギュラーなのでとりあえず数えないでおく。)直接顔を合わせずに新規案件を受けると満足に仕事を遂行できない恐れがあると考え、すべての新規案件は断ると予告し、話が来ても断った。そうすることでその他の時間を目一杯デザイン行脚にあてることができた。つまり自分がノマドスタイルで仕事をできたのはクライアントのおかげであり積み重ねてきた信頼関係があってこそだった。

定期の仕事とはいえ成果品の納品以外にサポートは必要なので、体制を整備しておき、仕事時間にしている日本時間の平日9時から18時の間は事務所の電話にかけても携帯電話にかけても誰かが出られるようにしたし、ファックスもe-Mailで届くようにした。仕事量は日本で通常営業している時の半分ほどだっただろうか。もし頼まれたことをこなしてお金を稼ぐことが仕事であると言うのなら、いつでもどこでも仕事をするということは実現したと言って良いだろう。収入面でも少なくとも、ノマドワークでよくイメージされるクラウドソーシングによる仕事やバスキングなどに比べて十分稼いだだろうと思う。ただ、自分にとってはこれでは仕事をしているとは言いがたかった。なぜなら自分にとっての仕事はそれだけのものではないからだ。自分の仕事の一番の喜びは、クライアントと膝を突き合わせてああでもないこうでもないというプロセスを踏みながら、新しいかたちや、関係性を生み出していくことにあり、それが欠けているのであれば仕事と呼ぶのに不十分だった。(もちろん定期案件にその要素が無いわけではく、定期案件だから面白くないというわけでない。ただ、膝を突き合わせる場面は新規案件に比べて減る傾向がある。)そのプロセスを外注すれば新たな案件自体をこなしていくことはできるのだが、そこは外注してしまえば自分にとっては仕事でなくなってしまう。そのように、自分にとっては「いつでもどこでもお金を稼ぐ」は実現できるが「いつでもどこでも仕事をする」は幻想だったのだ。

拠点があると出会いが増え、楽しくなる

帰ってきて半年以上が経ち、ようやく新しいプロジェクトが増えてきて実感しているのは、特定の場所に自分がいるということの大切さだ。よく考えてみると仕事中誰とも顔を合わせず会話をしない日はほどんどない。たとえ1日デスクワークをしている日だとしても、たまたまコンビニで知り合いと出会ったり、電話で連絡事項を伝えると、たまたま近くにいるからと寄って下さったりと、案外いろいろあるものだ。たまたま街中で出会うことだったり、プロジェクトで直接顔を合わせることだったり、食事ついでに仕事の相談をすることだったりが仕事に繋がったりと、日常を暮らす中での偶発的なコミュニケーションもとても重要なのだ。ノマドワーク中もそういう出会いはあるが、いつもの日本のチームと仕事をしている限り、ほとんどの偶発的な出会いは仕事に繋がらない。知り合いがいない街で仕事をするためには、よっぽど自分を売り込まないといけないが、それにはその街でやるんだという意思と相応の労力が必要で、偶発的とは言いがたいしそもそもノマド的なスタイルから少し離れる。拠点があると、売り込みをせずともいい仕事をするとそれがまた繋がりやすい。そしてそういう出会いがまた仕事を面白くしていく。古くさいかもしれないが、仕事は人と一緒に、人のためにするもので直接顔を合わせることはとても大事というか、好きなのだ。

ぐるっと回って行き着いた理想の創作環境

ただ、新たなインプットをやめるつもりはない。新しいものを作る冒険をするために、新しいものに直接触れる冒険をするのだ。拠点ありきで、期間をしぼったノマド。自分の中での理想的な創作環境はそういう感じだなと、わざわざ文字にしなくても当たり前のようにみんながやっていることかもしれところに、ぐるっと回って行き着いた。
淡河の風景
この時期、明るい時間に帰れたなら、
ちょっと進路変更して農道を経由する。
この写真の撮影場所の字は空山と言うが、名付け親を讃えたくなる。
ぐるっと回ることは好きだ。
たとえ同じ結論に行き着いたとしても、そっちの方が楽しいのだ。

棚卸し

cottの最近の紙媒体のデザイン
これまでつくったものをひとつずつファイルに入れていったり、余裕がある時にはポートフォリオを更新したりしながら、定期的に自身の仕事を振り返ることをいつからか「仕事の棚卸し」と呼んでいる。いつどのようにそう呼び始めたのかは思い出せず、そもそもそういう言葉があったりするのか定かでないが、とてもイメージしやすい呼び方だと思っている。今宵はデザインの仕事が落ち着き、明日から農繁期休業ということで、その仕事の棚卸しをしていた。というのも、アメリカ大陸をデザイン行脚していた頃と、そのしばらく前の分を合算してみると、丸2,3年分もの仕事を棚卸しできていなかったのだ。何事においても反省して次に生かすことは当然とても大切だが、それを怠っていたのだから最悪である。

反省といえば、いつも納品が完了するかしないかの時に思うことはたくさんある。例えばもう0.05mm文字を太らせておきたかったとか、色数を抑えたかったとか、撮影の構図にもっと空を入れておきたかったとか。何なら校正を重ねすぎて提案した時のコンセプトがもはや消えてしまってるけどなぁと思うことだってある。そんなふうに毎回小さな反省をしたらそのままあるいは同時進行で次の仕事に向かう。大きな反省をしている時間はない。そしてそれを繰り返しているからか手応えを感じられず、自分も仕事に慣れてしまって、ちょっとずつこなすようになってきたのかなぁと思っていた。しかし、全部並べて改めてこうやってみて見ると、そうではないなと思い直すことができた。それぞれの仕事で手抜きをせず、きちんと考え抜いていたのだ。

例えばこの仕事は制約がきつくて何もクリエイティブなことができなかったなぁという仕事を見てみると、その制約の中をうまくくぐり抜けた上でクリエイティビティが見えるし、最後まできちんとコンセプトを通せたなという仕事はもちろん、超特急納期、あるいは激安の予算のため突貫で仕上げざるを得なかった仕事だって、よくここまで仕上げたなと思わず感心してしまった。月日を経て、いい意味で客観的に見られるようになったのだろうか。

いやいや感心している場合ではない。今いる位置を再確認して再起動だ。次の棚卸しはもう少し短いスパンで予定をしつつ、引き続き、手を抜かず、気を引き締めていきたい。

知識と体験

夏、食卓には色鮮やかな野菜が並ぶようになりました。

夏といえばかんかん照りの太陽のもと、ざるいっぱいのとれたて野菜を水路で冷やしておいて、冷えたところをそのままかじるジブリアニメのワンシーンが真っ先に頭をよぎります。たぶん100回は見ました。
恥ずかしながらこんな田舎で生まれ育っておきながらとれたてとうもろこしを生で食べたのはごく最近で、
皮をめくったときの一粒一粒の輝き、ぷりっとしてみずみずしい実、やさしい甘さは実際に体験してみた人にしかわかりません。頭では知っていても驚きがあるのが、わざわざ現地に足を運んでとれたてを味わう体験の素晴らしさだと思います。神戸市北区大沢町はわがまち淡河町にも隣接していて、アウトレットから最寄りの農園だと1km程度ですので、ついでに買い物にも行けるのも素敵。

広報をお手伝いさせていただいたとうもろこし狩り、オススメです。ホンモノのとうもろこしを味わってみてください。
大沢町のとうもろこし狩り
大沢町のとうもろこし狩り詳細

Foie gras in a Donburi

先日、地域の道の駅の店頭に飾る大きな幕を制作させていただきました。
その際には職人や工場によってムラがあるので、それらをしっかり監理し、
良い状態にして、お客様に届けています。
もちろんそれは当たり前のことですが、
大事なのはその際に良い状態での使われ方を伝えることです。
フォワグラがどんぶりの器で出て来たらどうでしょう。
料理も盛り付け次第で食欲が変わるのと同じように、
どんなに良いものも、使われ方が悪いと悪く見えてしまったりするものです。

たとえば職人さんから染めあがってきた生地がシワだらけのこともあるので、
受け取った生地のシワをのばし、竹を切り、加工し、おもりを制作し、現地で取り付けて、完成です。
(竹は、耐久性や加工性に優れた日本に昔からある真竹を、水を吸わなくなる秋や冬に切って、乾燥させ、油を抜き、日光に晒して耐久性を持たせます。自然界にあるマテリアルに近い場所にあることもcottの大事にしているところです。)
店頭幕にアイロン掛け
竹切り
竹の油抜き
振動ドリルで束石に穴あけ
店頭幕を設置
取り付けるとひと安心してしまいますが、そこからが大事。
現地を通りがけに見ながら、不便はないか、うまく使われているか、チェックします。
目に届く範囲の仕事の大きなメリットです。

たまに、ビジュアル作成のみの依頼もあり、もちろん喜んでお受けしていますが、
素材の選定や製造現場とのやりとり、品質管理、などもありますので、
納品までおねがい頂いた方が、お互い安心です。

また、店頭幕は店の顔。顔が劣化していると与える印象はあまりよくないので、店頭幕は素材にこだわって損はないと思います。うちでは紫外線による劣化に強い、顔料染め両面染め抜き(手染め)をオススメさせていただくことが多いです。

熱を持って

今日はのれんや看板など、ショップツール一式を作らせていただいた、「つけそばと深夜食堂 房’s(ボーズ)」さんがプレオープン。
房's外観
看板工事
ショップオープン前はもちろんながら
目標のオープン日に向かって店主の方も、デザイン担当も、工事担当もえっさほいさ、
少しずつそれぞれの担当のものがかたちになってきて、お店が出来上がっていきます。
独立開業という場合、オーナーにはもちろん熱が入りますし、
その熱に我々もひっぱられながら仕事を進めます。
例えるのなら、学生時代の文化祭の前日のような、
デザイン演習課題提出前日のような熱気。

オープニングに携わるお仕事は、そんな熱気が味わえる楽しさがあります。
Thank you, your support is my reason for designing.

肝心のラーメンは、コシのある太めのちぢれ麺が濃厚だしのスープに絡み付いて、近隣では食べられない味。
山陽自動車道の三木小野ICすぐ、遅くまで営業されていますので、近くを通られる際はぜひ一度ご賞味を。ど深夜にひとりでも通えそうなので太陽とともに暮らしたいけどどうしても夜にずれ込む、そんな田舎のデザイン事務所にはおすすめです。(席数が少ないため、お時間に余裕の無い方はご予約されるとベター。正式な営業は10/2のAM11時からです。)
房'sのつけめん
房'sショップカード
(3/29追記:営業時間が22時までに変更となったようです。)

節目に花を添える

友人の結婚式に行ってきました。
光栄ながら、ツール一式のデザインを担当。
結婚式
wedding tool
ミラーケントPP加工面
アラベールスノーホワイト情報面
印刷業者のことばで言うのなら
「アラベールスノーホワイトとミラーケントPP張りの合紙+トムソン加工」
を新婦の手加工で。
他の必要なツールもなるべく同じ紙に面付けして、あとは加工方法をレクチャーして、
小ロットだからこそ、感謝を込めて、手加工してもらいました。
ちょっと横着されたみたいですけど。笑
全部業者に任せて同じかたちにピシッと仕上げてもらうのに比べ、費用も1/3程度で済みました。
印刷はそもそも同じ意匠を大量に流通させるためのもの。
そう考えてみると、目的によっては機械での加工がすべてではないと分かるでしょう。

料金別納マークの位置を間違えたのはご愛嬌。
ちゃんと届くしたぶん誰も気付いてないのでOKてことにしてもらいましょう。
プライベートのお仕事はチェック体制が貧弱で。。

誰かの人生の大きな節目に、小さく花を添えられる喜びをかみしめて。
yasufuku

That’s Worth Working For

メイン機材を梅田のサービスセンターへごっそり持ち込んで点検してもらってきました。
cottのレンズラインナップ
撮影後には必ず掃除をしている、とは言うものの限界があります。
良好なイメージを切り取り続けるためには、長い間たまった疲労を定期的に癒す必要があるわけですね。
業務に支障ない範囲で一部入院させることにしました。
次は人間のメンテもせねば。

これだけの道具を持ち歩いているとカメラマンと勘違いされるのですが、
基本的にデザイン事務所にカメラマンはいません。
(写真の理論をよく知っている人は必要です。)
例外はありますがプロジェクトごとに
設定したイメージを得意とする外部のカメラマンと連携を取って、
イメージを共有し、スケジュールを立てて、撮影に臨むものなのですが、
うちでよくあるのが次のパターン。

いまから写真撮りにきてんか〜
えっ、いまからですか!
すっ、すぐいきます〜
バタバタバタ〜

今度寺の集まりがあってな、写真撮りにきてんか。
あんたの持っとるやつで構へんさかいな。
ええカメラもっとんやさかいいけるやろいな〜
はっはっは〜
は、はい、わかりました!

明日とか、いまからではとてもじゃないけどカメラマンを手配できませんし、
ご指名いただいても私はカメラマンじゃなくて、別のカメラマンに依頼するか
集合写真などであればそれに適した機材レンタルしたいんですけど。
写真はボタンおすだけのもんではないんですよ〜。
とは、とても言えません。

それがシャッターの度に経費がかかるフィルムだとそういうことは起こりにくかったと思うのですが、画面ですぐ確認できて、それが気軽にモバイル機器に転送できたりと、大衆に「画像」というものが身近になったために、仕事の画像とプライベートの画像の境がよくわからなくなっているのでしょう。加えて、PCをまるで魔法のように使って印刷物を自由自在にアウトプットする様子を見られていれば、なおさら画像に関わることは何でもオチャノコサイサイだと思われるに違いない。つまりアナログな人にとって、それがどんなふうなプロセスを経てどんな価値が生み出されるものなのか、つまりどこで仕事(=お金)が発生するのかがよくわからなくなって、そういうやりとりが頻繁に起こるのです。

ただ、そんなコッチ側の話はどうでもよくて、個人の付き合いベースで物事が進む地域に暮らす者として、よっぽどのことでない限りは快く応じています。そうしていると助けてくれますし。
ただ、何かかたちになるときに「少しでもより良いものを」と思うのはものづくりに携わる人間の性が曲者でして、頼まれ事の度にそれに適した道具を導入して、いい仕事をするとまた頼まれて…といったやりとりを繰り返しているうちに、いつの間にか機材はプロカメラマンと言っても遜色ないほどにふくれあがってしまったわけです。。あ、言いたいのは愚痴ではなく、それもおもしろいでしょうということ。たとえば極端な話をすると、その多くが一瞬で捨てられてしまうチラシに比べて、それが50年100年200年と各家庭の上の間に飾られると思うとガンバッテしまいますよね。どんな仕事よりも必要とされている感はあるので、頑張ってしまい、それを楽しんでいるのです。維持費がかかって仕方ないのですが、その分他で人一倍働けばええやと。仕事のために仕事をしているわけではないだろうから、仕事のでかい小さいよりも、意味のある仕事を丁寧にするのです。

旅をするように、求められることに応じて変わっていくかたち。
地元の方々の暮らし方と同じようにそんなかたちの変わり方をゆるやかに許容しながら、
無理のないよう、楽しめる範囲でやってみようと思っています。
cott撮影の様子
上の写真は「普段撮ってばっかりで自分の写真ないんちゃうん」
とお気遣いをいただいたもの。田舎ならではの心遣いにほっこりです。
ヤスフク

環境観察

お客様がメニューを見て悩んで、店員が注文を聞いて、
どのような体験をして、どのように帰っていくか
という一連の様子を近くでこっそり聞いてきました。
冨紗家堺東店
冨紗家堺東店 忘年会新年会メニュー
こっそりお店に伺ってお客様を実際に体験してみたり、お客様観察などはなるべくするようにしていて、実際にどう使われているか、近くで見て体験してみることは大切。作ったものがイイ感じの配置で置かれていたり、すてきなキャッチコピーが使われていたりと、お客様自身が発見を見出して、作った時に意図した使われ方と異なった使われ方をしていたりと新たな発見をすることも。むしろ意図されてないものの生まれ方を考えて、余白を残してデザインすることの方が大切ではないかとすら思う。

例えばフチなしのデザインを渡したのが、いつの間にか家庭用プリンターでコピーされて、ひと回り小さくなってフチありで刷られていたりすると印刷業という枠にはまった専門家からすると気になるが、お客様と店員さんにはそれほど気にはならないところだったりする。
環境観察を通じてそんなことよりもむしろ大切なものが見えてくるのだ。それがデザインと単なる印刷、出版業との思考の違いかと。

チラシ一枚の依頼なんかも、店の全体像あるいはまちの全体像、あるいは世界の全容を把握しながら取り組むのは我々の職域での責任です。
今日もあなたがお店で楽しい食事をしている時に、
近くでこっそり耳をそばだてて話を聞いてる人がいるかもしれませんね…

Custom Made

近所の出身校が140周年ということで、垂れ幕を納品してきました。
そういえば私のときは120周年。
なつかしい。
神戸市立淡河小学校

デザインを起こす前に、まずは掲示場所を取り巻く環境のリサーチから。
デザインは用意された紙の中に絵を描く作業ではなく、周辺の環境を読み取ることが本当に大切。これはどのデザイン分野においても例外なくです。
実際に絵を描く作業よりも、むしろその作業のほうが時間かかると言っても過言ではないかと。

垂れ幕といえば風景や様相に大きく関わってくるもの。
(とは言うものの、地方の風景の中にはちゃちゃっと作った看板なり垂れ幕なりが溢れていて、それを味ということもできるのかもしれませんが、 昨今は本当に中途半端なものが多い。パソコンでつくるので書体そのものはそれなりに洗練されていたりするけれど、文字以外がどうにもこうにもおかしかったり、どこもかしこも同じような書体で没個性だったり…。この種の問題は制作側の意識もそうだが、そもそも地方で求められるものの多くがレディメイドの発想だったりすることにも起因するだろう。そこまで求められておらず、レディメイドだろうが、オーダーメイドであろうが、なんとなくそれっぽくなれば必要十分なのである。いくら制作側の意識が高くとも、100%の労力が求められて見積もられた仕事に対して制作サイドが身を削り、毎回300%の労力を注ぎ込み、それが100%であると思い込まれてしまうのも、300%であることを押し売りするのもきっと長続きはせず、お互いにいい関係性ではない。現実的には求められた100%に対して120%以上を目安にというところで落ち着いている。このあたりの問題はcottのAnnual Reportで改めて掘り下げる予定なのでひとまず置いておく。)
そんな風景の一部を担うデザインこそ、大切にしたくて、レディメイドをなんとなくうまく組み合わせてできた無国籍なものでなく、オーダーメイドの発想で「らしい」風景に寄与することを実践していたいものです。

そういうわけで、こういった対象物のアイデンティに関わるものは特に、文字をイチから起こしています。(諸条件が許せばですが。。)今回はあえてラフスケッチから起こした手描きの微妙な線の揺れや傾き、曲がりなどが醸し出すアナログ感をそのまま残し、親しみやすいように作ってみました。遠目で見てもわからないけれど、ちょっとした隠し味。
学校に必要な文字としてのバランスの良さ、視認性や可読性に配慮しつつも、オリジナリティを持ったものに。アクセントの緑の半円がシンボルツリーであるカイズカイブキや周囲の山とよくマッチしてくれたのではと。
淡河小学校外観
レタリング作業

昨今の業界のワークフローは基本的に最終のアウトプットがほぼ完全にデジタライズドされてしまったが、
人の頭が考える以上、ものの作られ方は基本的に手からはじまるのです。

「世界」は「各々の脳が認識するもの」であり、
「ものづくり」とはすなわち「人の頭で認識されるものをつくること」であって、世界の一部の装いをしつらえること。
われわれの頭の中で認識する世界には、完全な直線は存在していても、現実には存在しませんからね。画面上で作業を進めたとしても、プリントアウトして常に感覚に基づいて補正することは大切で、コンピューターで数値をそろえることにとらわれてはいけません。
…ちょっとウンチクっぽくなってしまいましたが、要するに、正確に「そう」であるよりも、「そういうふうに」見えることがだいじなわけです。(ただし、「そういうふうに見える」が大数の法則による平均をとれば「そう」に近似することもよくある。だからきっとグラフィックデザインには文系も理系も必要なのでしょうね。)

OKONOMIYAKI

okonomiyaki

I often cook okonomiyaki to welcome foreigners. It’s easy to cook. First, mix the base which is usually just flour, egg, cabbage. Next, grill them on an iron plate with some foods you like. I like party surrounding the plate on a table.

ただ広報範囲を広げればいいってものではありませんが、あなたのお店の商品が、実は国際的にも受けるものだったりするのですよ。ローカルの魅力はグローバルな視点で、より浮き立ちます。

白い箱

木の下に座るカップル
海辺の夕日とカップル
スタジオcottでブライダルの前撮り
久しぶりにブライダルの撮影。
スタジオ撮り+思い出の地を3箇所巡るツアーで、8:00から動き出して、24時まわっての帰宅。
さすがにハードだったが、それでも炎天下の中、丸一日の農作業に比べるとましだったかな。
チーム一同、おつかれさまでした!

そして今回使ったスタジオ前の風景、つまり、モデルさんが撮影されながら目にする風景はこちら。
農村風景と新郎新婦
今回は時間がおしててできませんでしたが、スタジオでお固いショットを撮った後は、そのまま緑の中に繰り出して撮影をしたくなってしまうほどのロケーション。人なんか絶対歩いてません。
田んぼも見えますね。さすが、農業用倉庫を間借りしたスタジオ。
どうでしょう。この広大に広がるフィールドがクリエイティブな気持ちをかき立てませんか。

ホワイトキューブをどこにでも持ち歩ける時代。白い箱であり続けながらも、いろんな所を旅させて、ただ白く塗った箱でなく、いろんな色が加法混色して、生まれる白い箱をつくってみたいと思うのです。例えばの話。

白の100も黒の100も現実世界にはありえなくて、
とかいいながら、
太さのない線や完全な直線のことを延々と語るのも好きだったりする。例えばの話。

光を当てる所作

茅葺き屋根の軒先
軒先のテクスチャーの荒々しさ。立体感。闇に沈んでゆくこの感じ。
本当にほれぼれする。普遍的な美しさすら感じてしまうほどに。

いまは昔をそのまま生かすことは難しい。
ならば、ある者はそこに潜む何かを読み取る。
ある者は読み取ったソレを、適切に照らし、伝える。
ある者はそれを受け取る。
ある者はそれを反芻し、暮らしの中に生かす。

その一連の伝達の中で私たちの出番は適切に伝わるように照らすとき。
昔がライトアップされるのもいいが、
たとえば闇を無下に照らすような
「ハレ」と「ケ」の「ケ」にフォーカスしてしまうような
変なライトアップがされないよう、
照らしすぎない、照らさないことも含めてちゃんと考えられる。
そんなふうに責務を果たしたいものだ。

ちゃんと陰翳を殺さぬよう、決して近道を通ろうとせず、
これまでの文脈を受け継いできた方々と同じように真面目にやるだけ。
それが農村でいま、そういうものに関わりながらこの仕事を営む者の努めだと考えている。

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