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Way of Working -cottのお仕事- Archive

撮影前には

前々回(9/28)の記事に載せたイベントDMのメインビジュアル撮影シーンの様子。たまには仕事ぶりを。
撮るものにもよりますが、基本的にはノートパソコンにケーブルを繋いでその場で確認しながら撮影をすすめます。(下の写真は片付け後なので繋がっていませんが。。)
事前に持参したイメージに近づけるためにセッティング。
または、特急制作のときはその場でラフを描いていろいろ動かしてみたりしつつ、イメージのつくりこみ。

その場でやってくれというときは実物を前にしていて、すぐにクライアントさんの確認をとれるので考えやすいのですが、臨機応変に対応しなければならない分、とりあえず車に積んでおく機材量が多くて大変。
撮影
cottの出張撮影機材
何をどんなふうに撮りたいかによって機材量が大きく変わります。
ですので、特急制作のときはできるだけイメージをふくらませてからご相談いただければ嬉しいです。特急でない時、つまり通常はまず撮りたい絵を事前に打ち合わせて明確にしてからの撮影ですのでまずご相談というかたちでOKです。制作クオリティのことを考えるとできれば特急ということでもそのようにしたいのですが、状況によって融通は効かせています。

出張だけでなく、事務所のほうの広い納屋がひととおり片付いたので、ちょっとした記念写真やプロフィール写真などにご利用いただける簡易の写真スタジオもしています。※当面は高度なライティングのモノ、人などには未対応です。
cott簡易スタジオ

とはいえ、一歩外に出るだけで抜群のロケーションなので、外での撮影こそオススメ。

Brushes

筆
今は時代も進んで、パソコンの画面に直接ペンで、書けます。
そのときに使う道具がペンタブレット、通称タブレット、またはペンタブと呼ばれるもの。
鉛筆風の線だったり水彩風の線だったりも筆圧に応じた太さで自由自在。
ほぼ手描きに近い感覚をデジタルで処理できます。
デジタル処理だと一度書いた線の色やかたちを自由に変えられたりして便利なので
cottでも適材適所でお世話になっていたりしますが、
だけどそれでもやっぱりペンタブレットは筆や鉛筆に取って代わり得ないなと思います。

筆を洗いながら今日書いた線について振り返ることだったり
絵の具の粘り気から欲しい絵に必要な粘度にするために必要な水の量を察知する感覚だったり、
それぞれの筆についた絵の具が語る物語だったり、
柄の長さ、細さ。毛の材質、つき方。使う顔料の成分。紙による色の定着具合の違い。

モンドリアンのパソコンではささっと書けてしまうような絵も
あれだけ分厚くキャンバスに塗り重ねられているから意味があるように思うのです。

他のどんな分野でもひとの手に触れる日常空間にアウトプットされるものは、
制作過程においても純粋な身体感覚に基づいたほうが、
消えないモノの近くにいられるように思うのです。

今日のヴァナキュラーに対峙して

今日はちょっとした仕事の話。

先日、田舎の仕事をご依頼いただいた。
お金は十二分に積んでくれるが、たとえば田舎の土壁でつくられた家の壁にクロスを貼ってくれという類の仕事。しかもその土壁はそんじょそこらの土壁とは一線を画すほどいい壁だったとする。たとえば。

本当にそこに住んでいる実感からすれば田舎の家は実際には寒くて使いづらい部分があるので、田舎の家が建て売り住宅のような家ばかりになっていくことはごく自然なこと。それが今日のヴァナキュラーの現実だ。
だけどいくら自然なこととはいえ、文明の利器がやってきて古き知恵や知識にふたをしてしまうには「時代の流れだから仕方ない」のひとことでどうしても済ませられないのです。
塗り重ねていくのならいいのですが。

あなたにぜひ頼みたいと依頼してくれている分、どうしても相手の希望に添えるよう努力したい。田舎だからよりいっそう。だけどそんなことよりもどうしてもそれはもったいないというか、そこにあるモノガタリが歪んでしまうという気持ちが先行してしまって、農村が農村の美しさを保持している所以だったりも含めてまっすぐ全て正直にお話しさせてもらいました。 

代案を提示してみたものの、もっといい代案は考えられなかったものかとか、ノスタルジカルに基づいている判断であると思われはしなかっただろうかとか、それはそもそもノスタルジカルであるということなのかとか、考えると辛さが残る。

とはいえ、一朝一夕で成る城を建てるような話でなく、
もっと息長く実践していくべき重要なテーマだろうかと思います。

伝統とかにメスを入れるっていうことはやっぱりそういうことだと思うのです。
大きなものに真っ正面から立ち向かうにはエネルギーが必要ですね。
今枝工務店ロゴ
田舎の仕事もたとえばこういうグラフィックスだと明快なんですが、物質を扱いだすと難しいものです。物質感。大事にしたい。

そんなふうに可能であるときは、できるだけ客観的にもっとよりよいかたちというか、それがもっと生きられる方法はないのか、というところからご提案させていただいています。しなくて良いときはしなくて良い。まちもいなかも関係ナシ。ご相談だけでもお気軽にどうぞ。

そうそう。
ツバメが巣をつくりはじめたので、ひとまず常に開放しているダイニング、閉めていますが、鍵は開けていますのでお気軽にどうぞ。
それにしても、うまいこと草や土を運んできて固め、どこにでも家を作るその様はまさに左官職人。マリの世界遺産、泥のモスクを彷彿させる。

みどりがきれいな季節になってきました。
(と、いうわけで…ということでもないのですが)事務所まわりでデザインソースを採集し、伝統的な柄や季節柄を用いた商品を展開する作業所の会報リニューアルに。ロゴも一緒にリニューアル。採集から配布まで1〜2日というタイムリーさもこれを採用した理由のひとつ。
伝統文様の大多数のモチーフは自然の中にあり。
マクロからミクロへ ミクロからマクロへ
森羅万象この世界はまことにフラクタルである
つながるつうしんつむぐ
そういえば、ひさびさにブログにWORKS載せた。

yy

社会性を笠に着るでなく

近頃は「地域」や「デザイン」というキーワードが流布している。当事務所も農村礼讃の姿勢からその系に思われがちかもしれないが、「地域」だったり「コミュニティ」、「環境」、「震災」などの所謂「ソーシャル」なキーワードでデザインをぼかすつもりはない。ソーシャルに対することは当然ながら大切で、デザインにおいて最も考えられるべき問題のひとつ。ただ一方で、最もらしいキーワードを楯にするでなく、おもしろいものはおもしろい、そうでないものはそうでない、というフィールドでも勝負したい。デザイナーという職能として向かい合うべき所はしっかり向き合い、業界の質の向上に寄与したいということ。ローカルがゆえにデザインにおける幅広い領域をカバーせざるを得ない分、少し足をひっぱっているところもあるかもしれないが、ひとつひとつ、丁寧にデザインに向き合い続けること。地域でデザインを発信していくことが「逃げ」ではなく、「攻め」という姿勢と捉えてもらえるためにも、日々「いいもの」に関わり、淡々といい仕事をすること。これからの時代、地方に時代が有意味にシフトしていくためには、それがネットワーク技術の恩恵を受けて地方でデザインに携わる者の務めであるべき。今日はそれをあえて書いたが、本当はモノで語らないと。まだまだ精進。

cott事務所
収入をほとんどデザインの道具につぎこんで、やれることが広がって、スタッフが入って、古民家事務所になって、人がたくさん尋ねてくれるようになって、言葉にしたらあっという間だけれど、ふと思い返せばとても感慨深い。
ここからが本当のスタート。

そういうわけで、質の高い仕事をキープし続けることを誓い、cottもいざ5年目へ。
yasufuku

追記
5年目の最初の仕事はこれでした。中学校に張られる横断幕。光栄。(ただし、画像はボツ案。。)
淡河っ子応援団提案書
新メンバーのカンザワ氏も頑張ってくれています。
ローカルの仕事は、想像力をふくらませる語り口で。

あと、お知らせです。
現在、事務スペースは完成しているのですが、休日に暇をみてコミュニティスペースの工事をしています。
いつも懇意にさせていただいている皆様には簡単にご案内させていだだきましたが、
コミュニティスペース完成次第、正式にオープンのご案内をさせていただきますのでしばらくオマチ下さい。
また、以前の住所宛でも郵便物は届きますのでご安心を。電話等はそのままです。

白インキ

近頃は、はまるはまる。白インキ。
白は何にでも良く合うのだが、特に黒い紙や少し赤みがかったクラフト紙と相性が良い。

白と言えば、普通は紙が白い前提で普通は表現されますが、色紙にもともと付いた色を最大限に生かしたいときなどはは白いインクを使います。普通のプリンタで塗らずに表現していた箇所に逆に塗ります。

地色に白を引いても白に紙の質感が重なってまたおもしろい。
(質感を出したくない時はオペークインキと呼ばれる種類のものや、二度刷りなどで対応しますが、せっかくなので特別な意図のない限りは少し透けるインキで紙を生かして楽しんでみたいものです。)

どれーにしよう。
base botany ポストカード
base botany ポストカード
縦長のものは1色刷り。横長のものは2色刷り。

左下の、白地にピンクと茶色地にピンクの色は実は同じ色で、目の錯覚なのです。(本当はピンクでなくて、蛍光オレンジのインキを使う予定ですが。ひとまずピンクでプレビュー。)

これを明度対比といいます。どうみたって白地にピンクの方が沈んで見えますよね。これはどんなに修行を積まれた方でも感覚的にはそう見えます。人間の目ほど信用できないものはありません。
周りが明るいと、自分が暗く見える。まわりが暗いと自分が明るく見える。
人間の感覚は常に周りと比べて自分を認識しているのです。

余談ですが、相対性の話。これは知覚の話でなくてもきっとそうだと思います。

みんなが一生懸命徹夜して学校に泊まり込んで制作に勤しんでいるデザイン系の大学では寝る間も惜しんで一生懸命にやっていた。しかし卒業してアルバイト生活になると、やろうと思ってもなかなか腰が重い。毎日明日でいいやと先延ばしにしてしまう。どんな環境でも芯を持っていたいものですが、実際はなかなか難しかったりする。そんなふうにひとはまわりとの関係性の中で生かされる相対的な生き物なのだから、これをやろうというとき、周りの環境をつくっていくのもひとつかもしれませんね。cottで言うならば、どんなに田舎でも、研究職的にデザインを追求していく世界に身を置くための環境整備を少しずつ。

また、図を白で描くことにはそれ以外にも意味があるような気がしています。
普段何も感じない白について意識する。
ということは一般的に我々が使う白い紙に黒いペンで絵を描いているとき、黒い絵を書いていると同時に黒いペンを使って白い紙の白で絵を書いていることをも意識してみる。そんな意識に訴える効果が白インキにあるのではと思います。

白い紙ベースのレイアウトで白の伝える意味をより考える。
そんな美的感覚向上を図るという意味でも白インキは素敵なもの。白で印刷できる廉価なプリンタが欲しいところ。

たとえば実家暮らしから一人暮らしになったときに母のありがたさを感じるのと同じように、普段意識しない事象について意識してみること。
そんな、色と人間のはなし。
18,9のときにとったカラーコーディネーター1級が、ここにきてじわじわやくにたちはじめている。

安福

Source of Creative

友人から写メールが届きました。
茅葺き屋根とふれあう月間 神戸電鉄車中吊り広告
それが日常になじんで使われるシーンを目にするのが一番嬉しい瞬間。

プレゼントの延長。それがcottのクリエーティブの原点。

場を読み取る

久々に夜の心斎橋へ。CLUB DROPにてVJをしてきました。
場の空気を読んで映像をMIXし、空間を演出します。
単に雰囲気で映像を流すのでなく、映像を光と捉えて闇をどのように照らすかを考える。
溶け込みすぎず、でしゃばりすぎず。
そういう意味では建築に近いところがあるかもしれません。
GET vol.2
写真のDJがオーガナイザーのgenちゃん。いつもありがとう。
VOCALは美少女図鑑からyokoちゃん。また聞かしてね〜。
おつかれさまでした。
アニソンは予想外。ばっちり対応できるように次はもうちょっと機材持っていこうか。VJも機材の沼に注意です。

今週土曜も営業しています。

PROGRAMINGなう

昨日からひたすらいろんなプログラミング言語およびソフトと格闘し続けている。
(XAMPPでつまづき、エラーが多いという噂を見つけたのでMAMPに変更し、さくっとEclipseが入ったと思いきや、Pleiadesでつまづき、ApacheとMySQLが動いてもう問題ないだろうと思ったらphpmyadminのパスワードがわからなくなり入れず、ターミナルでもがくもしまいにはデータベース自体にアクセスできなくなり大文字小文字の問題でループにはまり、それでもなんとかDrupalにこぎつけたがやはり今日もPHPにつまづく…。)

それは効率がよくないことぐらい重々に承知している。だけどそれはいいものをつくるために無意味なことではない。プロセスを深く理解することは必ず次の発想段階から生きてくる。その早さが許されるならばその効率のよい専門分化したエリアのみで働く人の2倍も3倍も集中して必死に働けばいい。
プログラム
某エディタで某プログラムを開いた絵がとても美しい。
構文的にプログラムが美しいかどうかということはよく言われることだが、
これも時々見せてくれるプログラムの美しさ。

今週は来客はそこそこいるけど自分から出かけなかった。
なかなかの根暗週間…。さて、映像準備にとりかかります。週明けには抜け出そう。
今週は土日ともに営業します。

girly

広い田舎の静かな事務所で夜明けも近くなる頃、おっさんひとりガーリーさを追求。
萌友の手仕事展
ぶりぶりにガーリーなものでなければ意外に得意かもしれない…

友人がアップした花火大会の動画を見て我に返る。そうか、そういえば夏だった。夏らしいことをしているはずなのにそうは感じないのは、花火と浴衣という別格級な気がする夏の風物詩を楽しんでいないからだろうか。
エコを叫ぶのなら花火大会なぞすべきでない。なぜするかというならば、それ以上の理由があり、物語があるから。そのせいでいくつもの矛盾が生じるこの世はどうしようもなく美しい。

話が少しそれるかもしれないがついでに田舎とエコについて。
田舎は基本的にエコだが、そこに大量消費、大量生産の考え方に基づいたものが流入すれば、ひとえに田舎はエコでなくなる。なぜならば田舎の生活は基本的に経済的であることを第一とした生活の知恵に基づいて構成され、身近に手に入ったり安かったりするものをブリコラージュすることで身の回りの環境を構築するからである。


「そこらにある簡単に手に入るもの=自然素材」で身の回りを構築していた

結果としてみれば究極のエコ。地域に根ざした建築形態およびそれらを含む風景。


「そこらにある簡単に手に入るもの=自然素材および大型ショッピングセンターなどで安価に手に入るもの」で身の回りの環境を構築する

たとえば、田舎の祭りなどでは何も考えず使い捨てトレーなどを大量に使い、大量に廃棄されるのが常であり、そんなにエコではない。建築形態およびそれらを含む風景に統一感がなくなる。

つまり昔の田舎は今の価値観にあてはめて言うならば結果的にエコで、今の田舎は結果的にそんなにエコじゃない。
エコという言葉をわざわざ口に出すこともない。昔からそこにいる人の姿勢は変わってないのに社会の仕組みによって結果が変わる。そんな現代社会のパラドックス。

だから実はエコだとか古き良きのみで田舎に飛びつくのは少し違うかも。関係性に魅力を感じてほしいのだが。田舎にはエコよりもエロです。笑

酒たばこ音楽エロは万国共通言語。
珈琲飲んでぼちぼちかえろう。

nouvelle cuisine of DESIGN

やっぱり素材がいいと、過度に手を加えなくともいいものができますね。
がまぐち展
まだまだ暫定板なのに思わずアップしてしまった…
またちゃんと掲載します。

農村での暮らし方

農業法人淡河の里チラシ
今日は撮影。
上の画像はボツ案ですが「日本の農業は明るい!」
この人たちを見てると、本当にそう思うんです。

都市では既に発掘された魅力がたくさんあり、それらを消費して生きる者には非常に魅力的である。

消費する魅力が少ない農村ではそれを嘆くのでなく

魅力を自分たちで発掘すること自体に魅力があるんだろうな、なんて思いました。

プチ近畿旅行

この二日間京都→大阪→奈良→滋賀と近畿を小回りしていろんな人に会いました
京都は制作した映像の上映に
大阪は写真撮影に
奈良滋賀は所用で
仕事かそうでないかに関わらずたくさんの会いたい人に出会えた素敵な出張となりました
この喜びを味わうために普段はひきこもって寝る間も惜しんで制作にしてるんだなぁとまた改めて。

また楽しい出張のために制作に勤しみます。

海鮮たっぷりのサラダ

おいしそうな写真が撮れました。

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