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2011-04

豊助饅頭

豊助饅頭
先日D&DEPARTMENT OSAKAのNIPPON VISION4に持参した淡河町の名物豊助饅頭。超薄皮のこしあんは1882年から120年以上守り育み続けられてきたスタイル。
木の皮をはいだだけという簡素なつくりにもかかわらず、ひとつひとつ異なった表情を見せ、風味を閉じ込めるエコロジーな包み。
そして一個60円という価格もまた魅力的。

地域の産物をPRするのは全国各地に散らばる地デザイナーたちの義務。そして全国各地から年に一度、地域の商品とそれにまつわるデザインを展示、プレゼンなんてやってみたら楽しいかも。

ことばについて

近頃ブログの更新が気まぐれになってきてしまっている。ブログに挙げるからには何かしらのまとまりのあるテキストなどにしないといけないが、Tweetsと重なるところもあり腰が重くなっているのが一応の理由だろうか。

あとは言葉に対してある種の限界なんてものも感じていたりする。

言葉の力の過信。

言葉には力があることは確かだが、力がない。いや、正確には力があると過信しすぎて使う人が多い。

制御可能、自由自在かと皆思い込んでいるが、実はそうでもなくて、言葉はひとり歩きする。
たとえば意見が合わないように見えるとき、実は意見が合っていないのではなく、単に言葉の使い方が食い違っているだけ、というケースは少なくない。新規プロジェクトの会議等で話の方向性が困難を極め、結局突き詰めていけば言葉の定義の議論になっていたという経験がある人もいるのではないだろうか。

「自然」ということばひとつとっても文化圏ごとにコンクリートが自然から取れる材料でつくるものであるという観点から自然であるという解釈もあれば、人間が植林して人工的に湖をつくった公園が自然であるという解釈もあるし、それこそターザンの住んでいるような所が自然だという解釈もある。その大前提が違っていると話が噛み合ないのは当然の話だ。
さらに言葉は「価値感」含んで扱われることもある。たとえば「自然食品」だとか「自然に触れよう、親しもう」というフレーズにおける「自然」という言葉は「よいもの」という価値観を含んで扱われているのは某解剖学者の指摘されるとおり。

つまり言葉は思っているより複雑で、ある文章を読んだときに捉え方はひとつでなく、それぞれ頭の中にある解釈のイメージは違っているという前提で考えたい。
哲学書などでよく行われる論述では「あの人はこの書籍でこう言った」的な引用がしばしば行われるが、その引用が原文を書いた人の意図しない意味で使われて、それがさらに発展した概念になっていることもよくある。少し前からデザイン業界で言われだしたギブソンの「アフォーダンス」という概念などもそうだ。論述の文章でさえもそうなのだから、日常的に使われる言葉についての捉え方が様々なのは想像に難くない。

だったら言葉は力が無いのかというとそうではない。それを介すことで円滑なコミュニケーションを可能にしているのだから。それに、解釈はさまざまということは、想像力をかきたててくれるということ。

力を持つ言葉

人の心を動かすものは別にいいことや理想論ではない。
いいことや理想を考えて言うことは誰だってできる。
そこに人の気配が加わることで初めてそれが力を持つ。

断片的な現象の長い蓄積の中から断片的なものを意図的に取り出すことは少しの時間さえあれば容易なこと。だけどそれを並べたところでそれが力を持つかどうかは別問題だ。
たぶんあえて考えて言葉にしたものよりも、経験の中からふっと浮かんだものの方が強かったりする。

そんな風にナチュラルでいようと思うので書こうとして書こうとするのは仕事以外ではやめておく。別にいいことを言うつもりはないけれど「なんとなくそうだな」、なんてことの中に身を置いておく。

何だって理由づけはできる。
そんなもの置いといて、何かを可能にするのは本気と覚悟。
変な理由裏付けはあれどもそれをつらつら述べるつもりはなくて
気持ちとか意志とかそういう不定形なものでぶつかる。人間だもの。

自身のルーツに近いところで各々の能力をうまく生かすためのあれこれを探る。
来年初旬あたりにはある程度の環境整備ができている予定なので
同士を集めるアクションをぼちぼち進めていきたいと思う。
生命力

強いことばを持つおすすめ書籍

「言葉」ということで思い出したが、『風の旅人』という雑誌を学生時代からずっと読んでいて、2003年の創刊号から全て棚に並んでいる。

事物の本質を突く鋭さを持った少しお難い随筆に、頭を後ろからどつかれたようなインパクトのある写真群。切り口が秀逸で、数多くの有名作家も寄稿されていたりとなかなか読み応えがある。

また、被災地の現状について編集長のブログで報告されているので参照されたし。
http://kazetabi.weblogs.jp/blog/2011/03/post-f9e5.html

他には、一癖はあるものの写真家の藤原新也氏の鋭い言及も、なかなか好きでよく読んでいる。彼はWEBマガジンを創刊するそうで、社会言語をより健全な姿に戻すための「足」を確保する試みだそうだ。
http://www.fujiwarashinya.com/wm_intro.html
http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php

あとは、太郎さんの『強く生きる言葉』や『自分の中に毒を持て』、パウロコエーリョの『アルケミスト』なんてものもおすすめ。興味があればぜひ。

なお、GW期間の営業については、カレンダー通り4/29~5/1、5/3〜5/5を休業日とさせていただきます。

安福

北神合同情報誌『ほくほく』創刊号

北神合同情報誌『ほくほく』
DATE: 2011.04
CATEGORY: Graphic Design
FORMAT: A4版両観音開き8ページ
CL: 神戸市北区役所
ED: HATADA Noriko / YASUFUKU Yusuke
AD/D: YASUFUKU Yusuke
CW: 北神合同情報誌編集委員会
NOTE: 神戸市北区北神地区の合同情報誌創刊号。北神地区の各家庭に配布することで地域を知り、地域内の対流促進を目指す。また地域に愛着を持ってもらい、各々が地域外の人に案内するガイドラインにしてほしいとの思いから発刊。まずは北神地区の魅力の基本的なものをざくっと拾う。北神戸の戸を開くというコピーと両観音開きの誌面で北神地区の入門誌ということを表した。次回以降は地元住民で編集するからこそ得られる、しかも地元住民でもなかなか知らないニッチな情報に切り込んでいく予定。
役場や一部店舗、cott事務所などで入手可。中面をご覧になられたい方はぜひお手に取ってご覧いただきたい。

神戸といえば港のイメージが先行するが、実は面積で言えば圧倒的に山。
港から山を越えたところにある北神地区は豊かな土地の資源に恵まれ、
目、耳、鼻、口、手。五感で感じられる場所がたくさん。
北神を拓くということは
自然界にいる八百万の神の戸を開くこと。
そこにリアルな神戸の姿を垣間見よう。

農村に浮かぶ極楽浄土

寄り添って
燃えるように咲き
ひらひらと
舞う

ひらひらと舞う光の粒を見ていると
空中に光が浮かぶその瞬間に
命をかける意志を感じて
毎年少しはっとする
淡河の夜桜
淡河の夜桜
少し前の話になるが、淡河町内の夜桜を撮影してきた。夜、車で暗い田舎道を走ると突然極楽浄土ではないかと思う程の光を放つ夫婦桜が浮かび上がる。個人のお宅に咲く桜だが、毎年約20機もの投光器を使って趣味でライトアップをされているのだ。この季節、この場所限定のコミュニティも見られた。被災地にもそろそろ彩りを添えてくれていることと思う。
あるものを切り取ってクローズアップするという観点からすれば、ライトアップも編集だ。純粋な田舎のおっちゃんの編集が嬉しい。

我々の日常の中で燃えるように咲き、はかなく散る桜。仮に、桜を見たときに感じる「美しい」=「はかない」と定義してみるのならそれを美しいと思うのは、時間が変えてしまう全てに対する無常観。そして自身の行く末を投影した像に対する畏怖の念。そう捉えてみると、花見は東洋の文化だと合点。感動は量的なエネルギーでなく、瞬間に燃やすエネルギーより。

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