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2012-01

Viewpoint

茅の葺き替え
茅の葺き替え
築330年のN家住宅葺き替え現場へ。どうやらここのお父さんと遠い親戚だそうで、1時間程話し込んでしまった。

そんな達者な元大工のお父さん。このお父さんの何がすごいってこれだけの大きさの屋根を葺く茅に加えて、販売すると屋根の工事費を賄える量の茅を毎年刈り続けたのだ。つまり現代において一切お金をかけずに茅葺き屋根を葺き替えているのだ。いまどき田舎にもなかなかこういう親父はいない。それもそのはず。モットーは「自力更生」だそう。しっかり胸に刻もう。
皺と年輪
賞もたくさんお持ちの優秀な大工さんだけあって、ご自身で山から切り出した松の板目の美しさについて語ってくれる。どちらにもたくさんの味わい深い皺が刻まれている。
茅葺き
文化財の茅葺き
しかもほかにも二棟の文化財。
葺き替え担当は初の淡河の現場を大事にしたいと意気込んでおられる淡河茅葺き屋根保存会 くさかんむりさん。
親方の相良さん曰く、一緒に作業をしていると、野良歌が体のどこかしらから響いてくるそう。いまは歌えるひともそうはいない、棟上げの歌もご存知だそうで、竣工したらそれを聞くのが楽しみだ。実に達者なN家12代目将軍でした。

「そんな撮りよったらフイルムがもったいないがな。」
「いやいや、これはデジタルなんですよ。パソコンの画面で見て確認するからフイルムはいらんのですよ。」
「あーわしゃそんなもんようわからんわ。」
だそう。
また写真を持って伺おう。
永福家住宅葺き替え現場

右を見れば左は見えないし、左を見れば右は見えない。
ぐるっと見回してこそ見える景色もある。
景色がどんどん流れていくものだからぐるぐるぐると見回す人が多い中で、一点を見つめるひとたちがいる。
一点を見つめる強さや美しさに日々触れていよう。

古民家オフィス始動

更新が少し滞っていましたが、やっと事務所にインターネットが開通。ちょっと改造するまでの当面は土間で仕事。

その地区の一等地にある由緒正しき家なのにも関わらず、こまめに覗きにきてくれたり、ふとん持ってきて住み込まんかいと言って下さる地元の方もいて、ここはとてもあたたかいところです。ですが、人が入って来やすいようにいろいろ開け放していたら真っ昼間なのに3℃で、とてもさむいです。
古民家の家紋

こちら、入居当時のキッチン。流しはお手製の石造り。奥様が長年使われていただけあって、大変使い勝手が良いです。
私には少し低く、若干腰にきますが、、

そしてトタンをかぶってはいますが、茅葺きです。
トタンの下の茅葺き

仕事の依頼等でなくとも大丈夫ですので、お気軽にお越し下さい。
平日9時〜18時まで、いつでもWELCOMEです。縁側によく日のあたるお昼頃がおすすめ。
くわしいアクセスはCONTACTよりご覧下さい。

Idle Talk About Photograph

独立当初からほぼ丸4年間。いつもお世話になっている飲食店へ出張撮影に行ってきました。たまには都会に出没しています。だいたいこんな感じでセットを組んでから微調整していきます。(この写真はまだセッティング途中。。)
スタジオ設営中
普段あまり意識されないのが普通だと思いますが、ものを見るアングル、ものの質感や色、背景などによって、ものの見え方は常に変化しています。例えば金属など、いろんな光の反射が起こりますよね。それを読み取るのはとても大切で、撮影のときに「撮影対象物の皆の頭にある共通イメージ」のディテールがどうなっているか、基本を抑えておかなくてはなりません。慣れてくれば日常生活においても、どの角度から見たときに、どこの部分にどの光がどこからどのように入射しているかが見え、どういう光を当てるとそのものらしい絵が撮れるのかがわかるようになってきます。別のものを撮影するとき、アングルを変えるときなど、何かをちょっと変えるだけでもセッティングをいろいろいじっているのはそのためなのです。

撮影道具紹介

今日は撮影の道具を少し紹介しましょう。
まず今回の撮影で一番活躍した秘密兵器はこちら。何かわかりますか?
湯気発生機
正解は湯気発生機。つくられた湯気です。でも嘘ではありません。実際にあったか料理のできたては湯気を発生させているのですから。料理が完成したその瞬間にバシッと一発で撮れればいいのですが、なかなかそういうわけにもいかないため、こういう道具を使います。こういう道具は写真用に売っていることはあまりないので、自分たちで情報を入手しつつ、試行錯誤していかねばなりません。それがまたおもしろかったりするのです。
写真の基本的な考えとしては現実をそのまま写すというよりも、少し大げさに写します。というのも、脳はある程度風景やものごとを誇張して記憶しています。色に関しての誇張された記憶を記憶色といいます。
演出は脳内にある記憶や経験に近づけてやるためにもある程度必要だったりするのです。フィルムも多くはそう作られています。もちろん、そのままの色で撮れるようなフィルムもあります。

近頃はシャッターさえ押せば、誰でもある程度の写真が撮れる時代。だからこそこういうことはしっかりと押さえておかないと。

これは電源部。
ジェネレーター
ストロボのバッテリーで、ジェネレーターといいます。通称ゼネ。瞬間に大量の電気をチャージし、一気に放出する撮影に使います。大光量の発光ができるようになります。

そんなこんなでデザイン事務所の割にいろんな撮影機材がそろうcottですが、その中でも特にお気に入りの機材はこちら。
スタジオデラックス
スタジオデラックス。通称スタデラ。入射光式露出計です。スタジオ撮影では使えないくせに、スタジオデラックス。適正露出といって、簡単に言えば綺麗な写真を撮るためのシャッタースピードと絞りを測ることができるものですが、デジタルでバシバシ撮ってその場で確認できる今の時代、ほとんど使わなくなりました。ですが、露出計のついていないマニュアルカメラでは必須アイテムです。半世紀以上前からいま現行で発売されているものまで基本的には設計が変わらず、電池不要のエコ仕様。
そして何よりこのデザインがなんともお気に入りなのです。首から下げておきたい。

写真からデザインまで、それなりに頑張っています。

こちら、お遊びで撮影してみた手帳。
手帳

陰翳を宿す

昨年末の話。
自宅から車で1,2分のところに寺がある。山の方に向かって少し坂を登り、一番奥にある建物が寺だ。村中の家が見渡せ、一休さんの話に出てくるようなTHE寺とも言うべき寺である。以前私がその寺を訪れたのはおそらく20年近く前だったと思う。
そこで除夜の鐘をついてきた。

鐘を撞くといっても撞くだけの人はいない。何をするかと言えば、甘酒を飲んで鐘を何度かつけば後は特に何もしない。灯りと言えばお寺の蛍光灯が少しついているのと、たき火のあかりぐらい。そんな暗闇の中で火を囲い、温かい甘酒をすすりながら年末年始の談笑。何でもない話だ。火のぼうっとした薄明かりで暗闇の中に皆の顔が赤く浮き上がる。人々は代わる代わる鐘の前に向かい、大きくふりかぶって鐘を打ち鳴らす。皆、その闇に広がる鐘の残響音に聴き入る。
永春寺で除夜の鐘を撞く
普段は人も歩いていないような夜中にただ人が集まって、108回目の鐘の音を聞けばいそいそと帰路につく。今思えばあの感じは今の時代には非常に希有で、子供の頃に体験していればひとつの心象風景となっているだろうと思う。残念ながら、私は子供の頃に除夜の鐘を撞きに来たことがないのでその記憶はない。確認はしていないが、おそらく「夜更かしが許される唯一の日に起きておこうとしたが、普段慣れていないためどうしても眠ってしまい、年が変わって起こされて、眠い目をこすりながら家で神様に挨拶をし、またすぐに眠った」というパターンを毎年繰り返していたはずだ。というのも、お寺での他のイベントはよく覚えている。いや、正確に言えばイベントの内容は覚えていない。紙芝居、人形劇の内容は一切覚えていないが、お寺の本堂の広い空間に響く音や奥まった部屋の薄暗さ、裏庭のすこし肌にまとまりつくようなじめっとした感覚やそこから一望できる村の風景の爽快さなどは感覚として焼き付いていた。除夜の鐘の残響音と暗闇の中で、風景が走馬灯のように脳内を駆け巡った。

日本人が大切にし続けてきた風景の生まれ方。

こうして直接的出来事としては覚えていないが、なぜか音や匂い、肌に感じる感覚として心の中に焼き付いている。所謂心象風景というものだろう。経験から心の中に広がる淡い風景。それはきっと日本人が大切にし続けてきた風景だったのだろう。詩的で、曖昧で、朧げで、はかなげで、日本的で美しい。昨今のように陰翳を消すのでなく、陰翳を愛でることで日本古来の感覚が磨かれてきた。自然に親しみ、その場所特有の湿気の多さや季節の移り変わりを認め、巧みに生活と自身の感覚の中に取り込んだ。

目を瞑れば闇の中からふつふつと湧き出てくる。そういう故郷の心を宿らせた風景はその土地の文脈を継いでいくための仕組みとしても重要な役割を果たしてきたのだろう。日に日に農村地域の生活に潜在する哲学に感服する日々。そういった闇や湿気を愛でる作法は今の日本にどれほど残っているのだろう。この場所にそれがまだまだ残っていたのは私にとっても新たな発見となった。というのも、うちの集落の全世帯が同じ宗教で(近年は一部違う家もあるそう)、その寺の檀家さんだそうだ。まだそういうものがかたちのみならず、思想として残っているのだ。そういうところを考えると、まだ新規住民が入って融和するというのも少し難しいところもあるかもしれないが、ひとまずその議論は今は置いておこう。

陰翳を自身の中に。

もちろんそのような日本人が生きてきた風景をむやみに肯定するつもりはないが、私個人としてはその地域の文化コードを引き継いでいくという意味で大切にしたいと誓った年明けだった。きっとそれは論理で語る高尚な方法論よりも優れたものであり続けうると思っている。コミュニケーションの対流を生み出すために、頭を使うのではなく、寄り添うのだ。ひとまず寺子屋などと呼ばれていた頃のように、もっと生活の身近な所に取り込みたいと思った。陰翳を礼讃しているだけでなく、陰翳を日々に宿そうと思った。年始に和尚様の奥様と少しお話させていただいた際、お寺にはいつでもぼ~っとしにきてほしいとのことだったので後日ぼ〜っとしに行った。そうすると、ご丁寧に寺中の所蔵している歴史的なものから建物まで全てご案内いただき、おまけにお茶までよばれてしまった。
今度、月一回細々と開催している写経の会に混ぜてもらうことにした。次はぼ〜っとできるのだろうか。(いま写経に来られている村の方々は饒舌な方ばかりだそうで…。)

座禅や写経、精進料理などが流行っているようだが、観光でなく、できるだけ日常として体験して欲しい。
ぼ〜っとしている時間を優雅と捉えるか、退屈と捉えるか。(決してスローライフという意味ではない。)
そんなところにいろんな問題をほどく結び目があるような気がしている。

淡河町勝雄の風景
神戸ルミナリエ
神戸イルミナージュ

余談だが、神戸市中央区では「神戸ルミナリエ」、神戸市北区のフルーツフラワーパークでは「神戸イルミナージュ」なるイベントが開催されているが、「ヤミナリエ」なんてものをお寺でしてみたいな、なんて思っている。
yasufuku
永春寺からの風景

つながる辰

あけましておめでとうございます。

cott 2012

これまでcottは、地域内また地域外に関係性を広げながら地道に活動してきましたが、これからはコミュニケーションが対流する場を積極的につくっていくことを考えています。そのため年始より茅葺き屋根の古民家に事務所を移すことにしました。また、事務所を地元のまちづくり研究会とシェアすることで、より地域に根ざしたコミュニケーションの対流づくりに寄与していきたいと考えています。年始から春にかけて少しずつ手を入れていきます。環境が整い次第また改めてご案内させていただきますので、ぜひお気軽にお立ち寄り下さい。

cott 2012

事務所を移して心機一転。5本の線を引けばつながる2012年。線には色がなく、上画像のとおり光の加減で見えなくなります。できるだけ自然に、隠れた線を引きたいとの意図です。ある方より「じいちゃんからこれ何にも書いてへんぞ〜といって渡された」との話を伺い、しめしめ。そこでは引いてある線の存在が消えています。主張をするでなく、そこに根付きながらじわじわとなじんでいこうと思います。デザインという武器は、攻めるためでなく、守るために使っていけたらといつも思っています。(もちろんどんな武器もそうですが。)

ふと裏をめくってみれば「たつ」という文字。
cott 2012

拠点をベースに、これまでつながったモノガタリをこっそりつなぎます。

デジタルツールに囲まれながらも、宛名とメッセージはまだまだ手描き。年賀状の目的は、印刷物のデザインの可能性を訴えることでなく、お世話になった方々へ感謝の気持ちを伝えることですからね。

では、茅葺き新事務所ともども、今年もcottをよろしくお願い致します。

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