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Tweets -はてしないたわごと- Archive

ケハイ

影

今日は初めてお会いする比較的年代の近い町内の方に事務所にお越しいただいてちょろっとお話をしていたのだが、そこにたまたま居合わせた人がきて、また話が広がって…。

最近そんなことがだんだんよく起こるようになった。
だから楽しい。
今日は屋外作業。資材を積んで現場に到着寸前に突然の豪雨。
全身びしょ濡れになってしまったがたまにはそういうのも楽しい。

何が起こるかわからぬ今日に不安を感じるのでなく、
偶然の重なりを楽しもうではないか。
予期しないものに囲まれていると、
心の底から泣いて、笑えるのだ。
たとえばおもわずうれしくって抱きついてしまいたいのだ。

そういうものはリアルで偶然が原則。
メールでにこにこマークの絵文字をつけて送るときや決められたことをただこなしているときは大抵真顔でしょう。
だから仕事で偶然では困るけれど、それ以外は偶然がいい。

ひとや自然の気配を感じながら、偶然をたのしむ。
田舎のおっさんたちのように。
明日の祭りもゆるゆると、楽しもう。
って、もう朝だ。
こういうイベントの準備なんかは朝8時集合でという田舎の集合時間は若者にはちょっぴり苦しい。

朝6時集合のこともあるし、贅沢は言ってられませんが。

Today, young people who lives in ogo-cho came to my office. It was the first time to talk with. After a while, a friends came into my office when we are talking.
This kind of fortuitous encounters have been alarmingly frequent recently. I’m really glad to make a wider circle of friends.
And yet I don’t like things by design — I’m a designer, though. I want to enjoy things by accident.

yasufuku

connecting the dots

やればやるだけ確かに腕はどこまでも良くなって高効率にこなすことができるのだけど、それだけじゃあいけない気がするのだ。だからあのころの線をなぞってみたりしたのだが、そんなことじゃない。

基本のフローが固まって来た頃にそれをまた疑って、変幻自在であること。
いろいろいじくっているうちに繋がり得なかった点と点が素敵な関係性を持ち始めるかもしれないから。
マラッカ行きバス
The more you experience ,the better you draw. Something about it just doesn’t sit right with me.

Keep changing. The dots will somehow connect in your future.

Listening In The Rain

雨の日の軒
雨の日は晴れの曲派かあめの曲派かという話になった。
cottでは雨の日は断然あめの曲だ。晴れの音を聞いても結局下界は雨なのだ。
古民家なので外の音はよく聞こえるし、空気の質も内外であまり変わらない。晴れの曲はどうあっても不自然なのだ。

風景をシャットアウトするのでなく、そこにそっと周囲に耳を傾けて寄り添っていること。
突き抜ける程の青空も好きだが、
じめじめしとしと降り止まぬ雨の音を聴くアンビエントなひとときは仕事もはかどる。
デザインは周囲の音を聞くところから。梅雨。

それは室内に限った話かというと、そうでもなく、
話を外出先にしても雨は悪くないと思う。
例えば雨の日の軒下なんかはとてもおもしろい。建物の軒下が雨という境界によって晴れの日よりも建築空間に近づく。そこに駆け込むひと、待つ人、ぼんやりと考え事をしながら一服するひと、喫茶店でコーヒーをおかわりする人。雨という境界に阻まれ、空間につつまれている安心感を再認識しているのか、こころなしか時間がゆっくり進む。(もちろんそんなこと言ってられない人も多いだろうが。)

そんなふうに、雨のとき特有の風景や心理状態なんてものもすごく楽しいなと思うのだ。
自然の力で人の動きが変わる。そんな人の都合を押し通せないひとときを愛したいものだ。

Which do you usually listen to sunny tunes or rainy tunes on a rainny day? Rainny numbers are playing at cott.

Traditional Japanese old houses have a good ventilation, so we can hear the sound of outside. It is natural for us not to listen to the sunny tunes on a rainny day.

Speaking of which, desinging begins from listening to the sound of the outside.

Original Sources

蜂の巣
たとえばハニカム構造を知っているデザイナーは多いとして、
ハニカム(=蜂の巣)そのものをじっくり見たくなってしまうのです。

発想の源はできるだけプリミティブなところに。
大前提がいとも簡単にに覆される時代だからよりいっそう。

There are many designers who knows honeycomb structure.
When I knew it, I had no choice but to observe honeycomb itself.

A lot of design systems are based on the natural world.
That’s why I work here close to laws of nature.

yasufuku

おくりびと

何人を迎え、何人を送って来たのだろう。

つぎのいのちを迎えるのは
神のみぞ知る、といきたいところだが、そういうわけにもいかなかったりする。
だけど神になろうとしてはイケナイ。
埃をかぶった古民家の梁

キンタロウかいっ

I’m sure that the house have hosted quite a few people. But now, an elderly man lives in here alone. I wonder when the next resident will live in.

This movie was shot at the ceremony for the completion of Kayabuki roof. The song elderly man singing is Kintaro.

ワガママ息子とガンコ親父

今日は農村のリアルな話をひとつ。

上の世代が幅をきかせて下の世代が言うことを聞く。そうやってさまざまなものが受け継がれてきた。しかしそれが破綻をきたしている。あくまで、うちの地域で暮らす実感に基づいての話だが。

長年、少人数の中で一緒に過ごしてきた横の糸はある程度堅固に保たれているが、近頃は縦の糸がどうも弱い。どうにかその縦の糸をつないでやりたいのだが、下が上を嫌がって、上が下を嫌がる。上にどやされれば、下はミサイルをボタンひとつで発射するかのように、出て行くという究極の選択肢を容易に出せる。上も下のことを思ってそれを望むケースも多くある。私自身も万が一、何か重大なへまをしでかしてバツが悪くなったら何が何でもこの地域に食らいつく自信は正直あまりなかったりする。(もちろんここで仕事するにあたってそういった細かな配慮をすることは責任なので、日々細心の注意を払っている。)その傾向は特に仕事をするようになって、中途半端に力がついた私たちの世代において顕著だ。

誤解を恐れず言ってしまえば、そんなふうに農村地域の若い世代がひと世代、ふた世代前よりもわがままなのは事実だ。それに対して上の世代が優しくなりすぎているのも事実。選択肢が広がれば広がるほど、世界の均質化が進めば進むほど、農村のこれまでどおりの受け継がれ方が適さなくなるのは間違いない。

だが、それはもう止められない。自分はその恩恵に預かって比較的理想的なスタイルで仕事をしているので選択肢が広がることは何も悪いこととは思わないし、ありがたい。だが、その自己実現と血縁の呪縛の狭間でたくさんの同世代が迷っていたりするのを目の当たりにしている。仕事終わり、事務所にふらっとやってきて相談会が夜な夜な繰り広げられることもしばしばだ。

そこではさまざまな選択肢を提示しながらも、その選択肢にできるだけ地域であることを含ませてやる、というのが私個人での現状でのスタンスだ。あとは自然に知り合えるようなゆるやかな場づくり。私自身が伝統行事に積極的に参加することで同世代にも来てもらいやすくするのもそのひとつ。新たな場をさらに設けるのもそのひとつ。
あとは、たとえばそのような血にある程度固執し続けても破綻しない仕組みと同時に、受け継ぐのに相応しい心構えの者へともつなぐ新しい窓口を小さくでも開いていくことだと思っている。

June

この時期、田んぼに水が張りだす。
そっけない街灯の光がゆらゆらと水面に映る。
闇の中にこだまするカエルの声をBGMに、車の窓を全開にして、すこし湿気を含んだ初夏のかぜを受ける。
おまけに上を見上げれば煌めく光の粒。

深夜に疲れて帰宅したときに感じるそのひとときに、今日いちばんの安堵を感じる。
昨日はさらにホタルまで出迎えてくれた。今年初観測。
淡河のホタル
(写真中央下〜右下の光のスジがソレです)

ホタルといえば、蛍雪の功とはよく言ったもの。
白い壁紙の勉強部屋であかあかとした蛍光灯の光で勉強するのでなく、
電気代がもったいなくて、電気をつけさせてくれないほど貧乏でもいいからホタルの光で勉強したい。

苦労は買ってでも…というわけではない。
ほしくないものを与えられたっていらない。
手に入れようがなくてもどうしてもほしいものは自分の手で必ずつかみとる。
戦うのならがけっぷち。
決闘するなら巌流島でないと。

たぶんその状況に興奮しているところもあるのでしょう。
ほら、なんとなくクレーンゲームをやってなかなかとれなくて
持ち前の負けず嫌いを発揮して景品ゲットするまで2000円もかかったときだったり、
それほどほしくなかったものも苦労して手に入れたらなんだかいとおしいような気になるでしょう。
ずっとほしかったって錯覚かもしれないけどそれはそれでいいと思うのだ。

本気で心の底から欲しいものなんて、ほんのひとにぎりだけ。
それをぎゅっと握っていられたらそれでいいのだ。
夕方の駅のホーム
すっかり日が長くなりました。

さあまた明日もがんばろう。

y.y.

obediently

みんな持ってるコンパクトデジタルカメラ。通称コンデジ。
世帯普及率は2012年で75%を超えるそうだ。
今使っているものも長い。3年ぐらいの付き合いだろうか。
夏も近いし、ということで新調してみた。

われわれの職業柄、撮った画像は後でなんとでも加工できるため、
できるだけ特殊なデジタルエフェクトがかけられていない、生のままのデータをこれまで撮ってきた。
エフェクトをかけたものをかける前の状態に戻すのは至難の技なのだ。
だが、折角なので使うことないだろうなと思った
トイカメラモードだったりミニチュアモードも
○○風はきらいだとか、本城直樹さんが消費されているとかぶつくさ言わず、
意外に楽しいものだなと、素直に受け入れてみることにした。
(ひとまず開封後1時間ほど楽しんだ)
cott事務所

実は小さいデジカメはおそらくこれで8代目。
小さいとすぐになくすので小さいのも考えものなのだ。
つまり半数は、なくした。

もう半数は、時代に取り残された。
5年もすれば時代遅れになってしまうので恐ろしい。
カメラ付き携帯にその機能を凌駕されてなくなってしまうかもしれない。

今回のものは水中でも撮影できるので無くす確率が上がるが、
自分がコンデジに求める必要十分な機能が備わっているため小回りがききそうだ。
末永いお付き合いをお願いしたいと思う。
夕焼け

ツムテンカク準備中
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ツムテンカク

yasufuku

Strawberry with U

いちご

ありきたりなはなしだが、
好きな誰かと一緒に食べるものが
いちばんおいしいなぁ。

それが
もらいもので、畑で採れたてを洗わずにそのままだったりすると
もっとおいしいなぁ。

うん。おいしい。

ばあちゃんの味

たまごもち
あまいあまいたまごもち。
香川の祖母がおやつにといつも石油ストーブにアルミホイルをしいて、やいてくれた。
こどもたちはみな大好物。
事務所でたまたまもちをつく機会がありまして、初めて自分の手でつくった。
結果、まさにばあちゃんの味に。大成功。
インターネットに載らない味を受け継いでいくこと。
業や空気や知恵も一緒に、心に火を移すこと。
つばめの巣
つばめが減っているという先日のNHK NEWSをものともせず、
玄関にはうちのよりも上手な巣ぅしょってやと近所の奥様もお褒めの一品が工事中。
ツバメが減少 生息状況を全国調査

三ツ星をめぐる価値観

例えば三ツ星(の評価を受けた老舗)の味を 守ってさえいけばいいと考える日本人と 三ツ星の味はどんどん新しいことをしていかなければ 守ってはいけないと考えるアメリカ人。 その差は絶望的なまでに大きい。
さっき歯医者さんで世間話をしていたら
奥さん帰国子女でした。
日本に来ての印象を
実感のこもった語り口で。

文化とか伝統について、そういう切り口もあるのだな。と。

yy

Spring Has Come

先日カンザワも書いてくれましたが、出会いと別れの春。たくさんの新たな門出のお知らせに胸が躍る春です。みなさま、どんな一歩を踏み出しますか。今年度はどんな一年にしますか。
5年目を迎えたcottは、4年間耕した土にようやくタネを撒くことができそうです。それに少しずつ水をやって、丁寧に育てていければと思っています。ぜひその水やりに関わってもらえたら嬉しく思います。
そして、春のたくさんの決断、想いに触発されて、cottのテーマでなく、個人的な今年度のテーマをたててみました。「後悔ないよう、楽しくやろう。ご一緒に。」が今年度のテーマ。つまらんことをうだうだ言ってないで、自然に自分も楽しく、少しずつそこに関わっていければと思います。やる前にうだうだと頭の中でブレーキをひくのをやめて、人の輪が広がることで出る良さをポジティブなエネルギーに変換していきます。

そしてぼちぼちあったかくなってきたのでカンザワも毎度毎度言ってるように、ぜひお気軽に遊びに来ちゃって下さい。特に目的がなくともふらっと来て自然に親しむも良し。デザインの作業環境を偵察しにくるもよし。自然はもちろん、人の心も本当にいいところですよ。
この地域に潜むデザインはこちらですよー、と声高に言われている部分はないのですが、
どこにでもその要素を発見することができます。
デザインは本来黙っていてこそで、デザインに浸りたい人が祭り上げるものではないのでそれでいいのです。

そして何より無条件に気持ちがいい。
朝日が差す頃に深呼吸してすぅ〜っと入ってくる空気。そうしながらふと見上げると広がる空。
少し個人的精神論が入りますが、ここだったらいろんな枠から飛び出して、どこまでも自由な気がするのです。
もちろん枠の中から飛び出すことは、ときにリタイアを意味することになるので注意がいるのですが。

で、近頃画像はほぼ事務所改修写真か仕事写真ぐらいで画像ネタがないので、今日はカンザワ氏のなかなかの昔に書いた作品をご紹介。
テングイラスト塾大賞受賞作品
左下の大賞のイラストが受賞作。素敵なイラストはイラストなんですが、問題はその掲載コーナー。
知る人ぞ知る、私もチェックしていた某ファッション雑誌の隠れた名コーナーです。

ということでまたお会いされた際にでもつっこんであげて下さい。

そうそう。春には事務所前の畦にたくさんのつくしが生えるそうです。

Yasufuku

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