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Tweets -はてしないたわごと- Archive

STORIES SHOULD BE PROTECTED

ご無沙汰な更新ですが,近頃は例えば「井の中の蛙大海を知る」といった慣用句をもじったコトバで形容できそうな日々を送っています。ちまちまといろいろ制作しています。

というわけで、Merry X’mas from KOBE

冬は闇に照らすの光が素敵でやけに感傷的になります。

一歩ずつ 一歩ずつ

目に見えるものは流動的であるべきで、そこに宿る物語を大切にしたいと思った年の瀬

昨日今日で御用納めの方も多くおられることでしょう。おつかれさまでした。

消防の方も本日から年末警戒です。火の元と呑みすぎには気をつけて!

桃源郷

出張先でひとり、景気付けとして人力屋台のラーメンを食べた。

おっちゃんは慣れた手つきで、かつひとつひとつ丁寧に

秘伝のラーメンをこしらえていく。

儲かりは決してしないけれどもひっそりとやってるのがいいんだと

苦笑いを浮かべながらどこか得意げに話す。

その話し方や雰囲気にはたくさんの苦労に耐え抜いて来たからこそ

醸し出せる優しさがにじみ出ていた。

十年以上もこうやって5時間かけて仕込んだスープをひっさげ

毎日重い屋台をひいて1キロ以上の道を深夜、早朝に往復して

メニューひとつその身ひとつでこれが俺だって構える。

寒空の下、誇らしげにお客さんからもらったビール片手にどこか控えめで雄弁に語る姿を見て

まだまだ日本も捨てたモンじゃあないと思った。

屋台は味以上に、人柄だ。

それは決して公の場に出て行列ができてはならないし

全く人が寄り付かなくなってもいけない。

苦労を笑い飛ばしてみんなの桃源郷をつくりだす。退廃しきった心を迎え,優しくただそこにいてくれる。

職こそは違えど,おそらく目指す所はそんなおっちゃんなんだなろうなと思った。

自分はまだまだひよっこだ。汚いけれど、手の汗と涙がしみこんだ、愛着ある屋台が構えられるのはいつの日のことだろうか。

今日も今ごろおっちゃんは誰かの心を癒していることでしょう。

また逢いにいこう。

明日は茅葺きシンポジウム。「都市と農村の協働する茅葺き民家」について話を伺ってきます。

愛すべき無駄を

建築は機能的な実証を経て極めて合理的に成り立つものだが

はたからみたら全く無意味であるように見えることがすごく大切な意味を持っていたりする

はたから見たら全く無意味であるが

そこには物語がある

労力がある

それが生み出されるにはある程度の時間が必要である

そんなものがたくさんあればあるほどはたから見た人も当事者ほどではないにしろそれを豊かと感じる
そこからこの空間は豊かであるという認識に至る

豊かであるといっても、建築家にとって豊かであるという認識は無意味である

もっと下等な価値で空間を認識するのが普通であり、住宅ばかりを設計しているのにもっと高尚な空間認識を強要し、空間の形態ばかりを追求する建築家 はあまり好まない

機能や形状至上主義、そこには落とし穴がある

小さな共同体で共通に認識されるものがたくさん可視化された環境で毎日を過ごすこと

これこそ自らの存在証明の証しであり幸福感ではなかろうか

そんなものを多く含んだ、そして多く含む可能性をはらんだ家をつくりたいと思う

その輪は単なる家の中で留まるのでなく。

そんなものを多く含んだ、もう少し大きな共同体、すなわち文化をつくりたい

そのためには建築のカタチ以外にも多くの考えるべきことがある

ある共同体のみで認知される一定のルールをうまく操作して共同体の在り方をうまくデザインしなければならないし、関係性をうまくひもといていく必要 がある

それは図面や模型とにらめっこしているだけの普通のやり方ではできないし、

それが可能かと言えばあやしいかもしれない

だが、それを気に留めているか留めていないかでもかなりの差が生じると思う

幸い、クライアントさんにもめぐまれて、カタチ以上の部分にも踏み込ませていただいているし、ゼロではない

つまり、やってみること

Try Before you think.

Your wastes are not wastes for me.

愛すべき無駄を。

北野坂

ややこしいこと言いましたが

要するに、どんなあほなことでも自分にとって意味あるんやったらそれでええやんということ

デジタルとアナログの狭間

久しぶりに平行定規さんを引っ張り出してきて朝まで格闘。

新しいものばっかに飛びついても、いまやっていることの基本にあるものを忘れないようにしたい。

寝る間を惜しんで没頭して手を動かしながら考えたあとはいつもそう思うが、画面ばっかり見て切羽詰まっているときはなかなかそこまで思えないことが多いのだが。

デジタルツールを駆使して仕事をしているものの、やっぱりアナログ人間だし、みんなそうあるべきでしょう。

平行定規

昨日は事務所に侵入者が。

その正体は…

蝶の模様

蝶の美しい模様

美しい羽の蝶々さんでした。

田舎で事務所をやっているとこういうアナログな自然の予測不可能な要素がひとつの楽しみでもあります。

蝶

ちょっとそこまで

竹を取りに行って先日流しそうめんをしてみました。

その竹を今度はひたすら割いています。何に使われるかはお楽しみで。

どこにでもある竹

果たしてここには何もないのか、何でもあるのか、どちらでもないのか。

我が輩は猫である

まぁその答えは人それぞれでしょう。

今日は小中高と一緒に通った友人がお盆の帰省ということで突然遊びにきてくれました。5年ぶりとかでしょうか?それだけ久しぶりでも少人数の自然に囲まれた学校で幼少期を共にした淡河の友人たちは昔とあまり変わらず、気軽に話せる人たちです。あまり変わらない…いやいや、お綺麗になられていました。たまたまブログを発見してくれて見てくれているみたいで、嬉しい限りです。研究に就職活動に、がんばって!

さぁさぁ皆に負けじと、今夜もひと踏ん張り!なんだか歯車がまたひとつ噛み合った感覚。

花

PENTAX K20D, 1/20, F5.6, 10mm, ISO400, MF, smc PENTAX-DA FISH-EYE 10-17mmF3.5-4.5ED

cott RURAL CULTURE DESIGN LAB.

光の濡れ具合と、散らかり具合が美しく見えたので…笑

GR DIGITAL, 1/10, f/2.4, 5.9mm, ISO-AUTO, AWB, GR LENS

グラフィック、ウェブ、写真、映像、建築、いろんなものがここから生まれます。cottツリーハウスデザイン研究所。農村文化発信基地。OGOGOGO PROJECT事務局。cott DESIGN LAB.。はい休憩おわり〜

ART LIFE

昔所属していたアートイベント団体の人たちと久しぶりに会ってきた。

いなかスイッチという雑誌の表紙に載っていたり(サインをもらう)

PHaT PHOTOという写真誌の特集に載っていたり

地方新聞に載っていたりと

いろんな道の先端に立って活躍されているようで非常に嬉しく思います。

久しぶりに若いアートのエキスたちに刺激を受けたので余裕ができたら

越後妻有アートトリエンナーレ 大地の芸術祭2009にふらっといこうかという気分。もしくはインドに?笑

「人間は自然に内包される」

まさにそのとおりだと思います。

行ったら、彫刻とかインスタレーションがやりたくなってしまいそうなのが怖い…。笑

闇に浮かぶ光

PENTAX K100D, 1/15, f/1.8, 55mm, ISO400, MF, Surper-Takumar 55mm f/1.8

最近買った数十年前のすべてマニュアルで露出を合わせるねじ込み式単焦点レンズですが、なんだか不思議な映り方をしてくれます。あるはずのないものが見えるレンズ。フィルターのせいなのか…?

A letter to …

手紙を送る

手紙を書いた。

と、いっても用事のついでに、さっとメモを添えた程度だが。

粗雑なつくりだとしてもやはり手書きはいい。

よっぽど有名なデザイナーによるDMなんかよりも、人を動かすもの。

メールや印刷物、同じかたちの複製品ばかりの時代だからこそ、より、伝わる。

その字をまじまじと見ていると、書いているときの感情まで伝わってくるかのようだ。

これは今後も機械なんかに替われないし、替わらせない。

見た目がどうこうという話ではなく、本質はどこにあるかを見極めたい。

なかよし夫婦

PENTAX K20D, 1/90, f/5.6, 300mm, Auto-ISO(400), MF, smc PENTAX-F 100-300mm f/4.5-5.6

事務所から外を見れば車のアンテナに仲良し夫婦が2匹。

背景が綺麗な緑の田んぼのおかげでより鳥たちが引き立ってくれる。

まちで仕事をしていないからこそわざわざ出かけなくても撮れる日常の一枚。

記憶

写真の整理をしていたら6年前のスケッチがでてきた。

いまの自分はこのときの自分の意志に勝っているだろうかなんてありきたりのことを考える。

そんなひょんなことがきっかけで突然頭の中の黒い世界を白字でゴシック体の文字がつぎつぎと巡る。

ときどきやってくるこういった瞬間をストックしたくなる衝動はどこからやってくるのだろうか。

ストックしたところで死ぬまでその意味を悟ることは例えば確率にして1%にも満たないだろうと思うのに。結局その根源的衝動に従うことで無意識への探求の過程を自身で楽しんでいるのだろうか。

いずれにせよ、こういったものをまとめてまた自主制作をしてみようと思う。

昔のスケッチ

昔のスケッチ

記憶ーーーそれは水のようにあいまいでつかみどころがなく静かで、何かの要素が重なって時に暴力的に変化する。

日々暮らす毎日が透明化している

目の前を横切るものがいまここになく映像のようにつかみどころがない遥かむこうの世界であるようで

しまいには目の前に存在するもの全てが自身とは無関係であるような感覚にしばしば襲われる

果たしてそれを疎外感と呼ぶのが適当であるかは私には分からない

そんなことをひたすら難解な文字を並べ立てて論じるのは白い口ひげを蓄えたどこかの哲学者に任せておいて

いますぐ都心のビルの屋上から大きな筆で

空を真っ黒に塗りつぶして目を閉じ飛び降りる

闇に支配された静寂の世界をゆっくりと沈んでいく

暗闇から伸びる細く伸びるうっすらと光を纏った白い糸をするするとたぐり寄せる

その先にうっすらと見えてきた強い光を見る

何もかもを放り投げて必死に足をばたつかせて

(〜以下略)

またそのうち映像になるか絵になるか写真になるか文字のままなのかいろんな分野が合体するのかはわかりませんが、まとめて発表するので続きはお楽しみということで。

以下、ファッションデザイナーの友人の受け売りですが、

商業戦略にやられて右向け右で石ころさえ宝石に見える頭にさようならを

協調性は適当にやっていればだれでも身につけられる

意思はよろしくやってるだけではそうはいかない。

ニッポンの夏

カメラを背負って事務所から自転車で坂を下ること約30秒。近所のまつり、勝雄天神祭へ。

勝雄天神祭

f1.8/55mmの新しいレンズで試し撮り。

新しい、といってもオートフォーカスもくそもない数十年前のねじ込み式マニュアルレンズですが。

レンズの明るさに感動。しかしピント、合わず…。要練習。

夜の撮影やハコでのライブなどで役立ってくれそうです。

これから3台体制で気合い入れてこうと思います。

ヨーデル食べ放題、生で初めて聞きました!

こころ動かすひと

事務所へフェアトレードのコーヒーを売るお姉さんがやってきてコーヒーを購入。

フェアトレードのコーヒー

表情にやさしさがあふれ、いきいきした、素敵なお姉さんでした。

少し顔を合わせただけで人をあたたかい気持ちにさせる。

そんな人がこうやって途上国支援のために東奔西走しながら資金を集めている。

3秒で即購入を決めました。

デザイナーなんかであるよりも、そんなまっすぐで全身から優しさや生き方がにじみ出るような人でありたいなぁと思わさせてくれました。

ただの募金でなく物品を購入しているので募金という感覚にならないのがいい。

ウガンダでいろいろと肌で感じてきてまたぜひ私たちに伝えて下さいね。

最近あまり遊びで街にでないので募金していませんでした。

まぁそれにあまり自責を感じてはいないのですが。例えば打ち合わせに遅れそうですごく急いでいるときに○○ちゃんの心臓手術のためにご協力をと言われたところで立ち止まらないし、だからといってもしあなたが心臓病になったら急いでいるといういる理由で見捨てられてもいいのかという質問をされたところで、見捨てられない方がいいと答えるしかない。世の中のその種の質問全てに付き合えるはずがないので。

ひとりの先進国の心臓病の幼い命を救う額で途上国の命をいくつ救うことができるだろうかという愚かな費用対効果をなんとなく計算してみるなんてこともしない。いのちは等価であると普通に考えれば、そんな額で心臓病のひとりのいのちを救うくらいなら途上国のいのちを多く救うべきだという結論になるが、いのちの価値を論じること、比べることなどできない。なぜなら人はみないのちを持ち、それを失うからだ。あいつは死ぬべきだと多数決で殺されてはひとたまりもない。人間の価値を比較することは人間にはできない。

ただし、信号待ちやゆっくり歩いているときなどではそれが倫理に反したものでないと判断できる限り何であろうとほぼ必ず募金する。ただし、極めて小額だが。

金額ではなく若者が募金をする姿に意味がある。

人は常識や習慣といったものに自分たちで思っている以上に縛られているので、通常、何か行動を起こす時にその行動が正常である指針を認識してから行動する。若者により顕著な傾向だろう。

だからこうやってお金を募金することが正常だとそこに居合わせた人に示すのだ。

そんなことを考えて募金する人など、ただのおかしな人かもしれないが。

それ以外は、顔の見える相手にはよく募金する。

物乞いにはこっそりお金もあげてきた。

それが目の前で具体的にどう役に立つか見えるからだ。

具体的に途上国で自分の寄付金が具体的に○○くんの予防接種に使われたなど、どうなったかわかれば支援ももう少し増えるのではないのでしょうか?

写真はインドブッダガヤにあるニランジャナスクールという孤児院のまわりの風景。

ブッダガヤの風景

話がそれたが、言いたかったのはデザイナーとしてつくったものがどうとかではなく、その姿勢、立ち居振る舞いから心動かす人でありたいなと思わされたという話。

事務所がいい香りに包まれています。

こんな日は穏やかに。

青柳拓次

“たであい”

霧晴れて

雨上がり

きっと延期だと思いつつも京都からの帰路で徐々に雨上がり、今年も中学校にあつまってソフトボール大会。

淡河中学校にてソフトボール大会

1年間でここでしか顔を合わせない人もいますが、とてもいい世代間交流の場です。

いつでもどこでもな時代において薄れ行く、こういう共同体に属しているという感覚は、今後の時代をつくる鍵となるのでは。

昼下がりにはこれでもかというぐらい快晴。

筋肉痛とひねった足が痛い。

緑と青時々赤

まちとむらを繋ぐ活動をするにあたって最近考えていること。

それぞれ自分の生まれ育った環境に感謝し、還元していくこと。
まず一番身近にあるものを大切にすること。

その意味で沖縄に移住してゆっくり暮らすなどということはあまり快く思わない。
もちろんそれが悪いというわけではなく、なんだかまるで逃げているようだから。

ただそうやっても生活が成り立つ。

そういう意味では非常に豊かになったなぁと感ぜざるを得ない。

身近な環境をいかに意識させ

いかに豊かさを感じさせ
モチベートさせるか
いかに豊かなコミュニケーションを誘発させるか
いかにさりげなく無意識に訴えるメッセージを込めるか

デザインはそこらに訴えるチカラを持つ。

そういえばこないだホタルも発見。

さ〜仕事仕事!

今日の音楽はしっとりな気分です。

ogurusu norihide

“modern”

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