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Treehouse Blog of cott

とんど

少し前の話ですがとんど焼きをしました。

とんど焼き

火のチカラで体の芯からあたたまり、また

こうやってみんなで火を囲んでぼうっと火を見つめながら過ごすことで

ココロの秦からもあたたまりますね

とんど焼き

あの日から15年

傷痕もほとんどみられなくなり、あれからまちもすっかり変わりました

朝から消防団の訓練で祈りをささげてきました

明日もまたいつもの1日でしょう

だけど決して忘れない、生かされている感謝を。

ハイチも心配ですね。

Flash Back

淡河のまちづくりについての打ち合わせをしていて久しぶりにツリーハウスについて説明する機会があった

もう海馬の奥に埋もれてしまっているのではと感じるほど近頃口にしていないことが口からすべり落ちるようにでてきたことは私にとっても少しばかり驚きであった

こういうのをフラッシュバックというのでしょうか

そらと猫

それにしても寛平さんめちゃくちゃ格好いい。ばりばり働いたらご褒美として還暦を境にマラソンとはいかずとも、自転車ぐらいで地球縦断はしてみたいものです。

触れられる距離

世間は成人式。まだ4年程しか経っていないのに遥か昔のことのように感じるのは4年間でそれだけいろいろ経験できたということでしょうか。

そんな華々しい新成人たちの日常への帰路にお邪魔してきました。

少し逢えただけで なんともいえないあたたかい気分にさせてくれる人たちがいます

そんな人達がいるって本当にステキなことで本当に感謝すべきことだなあとまた改めて。

どんなに顔の見えない情報によるコミュニケーションが進んだとしても、人と人が目の前に対峙し合うコミュニケーションは廃れないでしょう。

いやいや、信頼性の最も高い新聞というメディアの存続が世界中で危ぶまれるほど情報技術が進歩してしまった時代だからこそ触れられる距離にいるということ そこに”ある”ということ それが他の何にも代えられないことをまた認識させてくれると思います。

ふたりの影

KEEP CHANGING

最近のブログ記事を見返していて、ツリーハウスの様子がわかるような写真がないなと思い、アップします。

ツリーハウス内観

cottのツリーハウス内観 壁を見る

ツリーハウス内観 ベランダ側を見る

ツリーハウス外観 池方向から見る

ツリーハウス外観 ハンモックには人

ツリーハウス外観 東側より見る

ツリーハウス外観 夜景

ツリーハウス外観 夜景 池方向より

いつもそこにあるのであまり気にかけていなかったのですが、純粋な気持ちで本気で取り組んだものを振り返るとやっぱり原点回帰ができます。

何かがシフト、変化することは非常に感慨深いことです。かわらないと生まれない、前に進めない。かわりつづけること。

Power of Fire

ツリーハウスの冬といえば鍋

そういえば新年早々ツリーハウスで高校時代の友人と鍋をしましたよ〜。冬の花火もなかなか乙なものです。やっぱり最高です。

解体まであと2月余り。

それまでおもいっきり使ってやりたいと思います。ストーブもおいているので寒さはしのげました。みなさんもぜひ利用してくれたら嬉しいです。

火で暖を取り、火で調理し、火であかりをとる。その火が空間に中心をつくりだし、人がそれを囲んで集う。

今や全てがわざわざ電気エネルギーに変換されてしまっていますが,これこそ正しい風景なんじゃないかなんて思っています。電気に変換され中心を失った空間は人の集う理由を少しずつ奪いそれが空間の心地よさを失い、人の心すら疲弊させるひとつの要素だったりもするのではないかと。

かの巨匠建築家ルイスカーンのThe roomという概念にも中心を定める火という概念が出てきたりN=シュルツの空間論にも定位というキーワードが出てくる。

人間は環境の中にあって己自身を定位し、環境と己自身を同一化することができる時に、あるいは端的に人間が環境を有意味なものとして経験する時にはじめて住うのである。したがって、「住まい」とは単なるシェルター以上のものである。つまり生活が生起する空間とは文字どおり場所にほかならないということである。場所とは独自の性格を有する空間である。古代からゲニウス・ロキもしくは「場所の霊(スピリット)は、人間が直面し、日常生活において折り合いを付けなければならない具体的な現実として認知されてきた。建築することは、このゲニウス・ロキを目に見えるように視覚化することであり、建築家の務めは有意味な場所をつくり出すことであり、そうすることによって建築家は人間が住うことを助けるのである。

『ゲニウス・ロキ』クリスチャン・ノルベルグ=シュルツ 住まいの図書館出版局

CREATIVE OF NEWYEAR

あけましておめでとうございます。

今年は年賀状にオリジナルCDをつけてみました。

タイトルは”Adagio (アダージョ)”

Adagioとは、音楽用語で”ゆっくりとした速度で,静かに”といったことを意味します。

今年は少しゆっくりとした速度で一歩ずつ,満足のいくクオリティのものを作っていきたいなと思いこのタイトルにしました。ゆっくりとした速度といっても、ゆっくりものを作ってということではなく、集中する時は集中してスピーディーに。そこに全体を見回して考えられる余裕を忘れないということです。がむしゃらでなく確実に。最近やっと制作物のクオリティが発想の時点でより具体的に想像できるようになり、スピーディーがつクオリティの高いものをあげられるようになってきた(と思う。笑)cottのプロとしてのステップアップ。

もちろんこの年賀状も満足いく仕上がりになっています。

cottオリジナル年賀CD

cottオリジナル年賀CD 宛名面

曲も少しゆっくりめの落ち着いたものをセレクトしました。

日常に落ちたたくさんの音(気付き)を少しでも多く感じてもらえたらとの意図でinstを多く盛り込み、”歌”のみでなく”音”を楽しめるものにしています。ジャンルはオールジャンル、若干アンビエント寄り。和製のものが多いのでマニアックな選曲ではありますが、おそらく万人になじみやすいかとは思います。

めまぐるしく過ぎ行く毎日の中にそっととけ込ませてもらえたら幸いです。

これからメッセージをいれて明日送るので年賀状を送ってくれた友人の皆様、お楽しみに〜

ありがた迷惑にならないことを祈ります。

また、私的利用の範囲を超えるため仕事関係の方はCD付きではございません。あしからず。

来年もプライベート用はCD付きにしようか

今年の反響と、来た年賀状の枚数とその時のアイデア次第でしょうか。

THANX

大掃除をしました

ぱたぱたぱた

とんとんとん

キュッキュッキュッ

シュッシュッ

ガラガラガラ

ゴトゴトゴト

ドン

一年間おつかれさま

来年もよろしく

大掃除は積もった塵を拭き取りながら

積もり積もった感謝の気持ちや思い出たちと共に

さぁ〜 身辺整理 心辺整理

今日は火事がありました。幸い燃え広がることもなく駆けつけた時にはほぼ鎮火していました。

風が強く乾燥しているのでもし何か燃やされる場合等は十分に注意して下さいね。

都市の片鱗

多くの方々に支えられてまた1年この仕事を続けられました。

今年もまたいろんな出逢いがありました。

大学いって賢い頭持っておもろない会社に就職してお陀仏するぐらいならギター片手にホームレスをする方がましだ

何するにもマニュアル、how toにしばられて、はじめっから凝り固まった中にあるなんて御免だ

悟ったフリしてぱりっとしたスーツ着て利口そうに座ってる奴いたら椅子をひっくり返してやる

あの賢人がこう言うからこうするなんて御免だ

右向け右で右ばっか向いてんじゃねえよ

目が覚めて辺り一面火の海ならとりあえずタバコに火をつけて狼煙をあげろ

死ぬ気で行けよ 死なないから

そんな気持ちにさせてくれる友人がいます

地位や権力という鎧をつけてる者に丸腰で 体はって自分の旗をかかげてどんくさくても正面からつきっきるエネルギーにはいつも頭が下がります

そんな出逢いに感謝しながら、また気持ちを入れ替えていきたいと思います。

いよいよ除夜の鐘が鳴っています。木製天板の古びた机でペンを持ちながら過ごすこととします。

では来年もさらに素晴らしい年にしましょう。

来年もどうぞよろしくお願いします。

兵庫高校同窓会

STORIES SHOULD BE PROTECTED

ご無沙汰な更新ですが,近頃は例えば「井の中の蛙大海を知る」といった慣用句をもじったコトバで形容できそうな日々を送っています。ちまちまといろいろ制作しています。

というわけで、Merry X’mas from KOBE

冬は闇に照らすの光が素敵でやけに感傷的になります。

一歩ずつ 一歩ずつ

目に見えるものは流動的であるべきで、そこに宿る物語を大切にしたいと思った年の瀬

昨日今日で御用納めの方も多くおられることでしょう。おつかれさまでした。

消防の方も本日から年末警戒です。火の元と呑みすぎには気をつけて!

収穫

下の写真は何の植物かお分かりですか?

そばの実

そばの収穫

答えは蕎麦でした。

この黒い実を粉にして水と一緒に練ればおいしい十割そばになりますよ〜

cafeぽてと

cafeぽてとロゴ

ささっとロゴをつくってみたり。

特定非営利活動法人ひやしんす 喫茶 cafe ぽてと

人との関わりの中でそれぞれが自分の生き甲斐や存在意義を発見して巣立って行く場所です。

お昼のお弁当やその他ランチは安いですし、有名シェフ直伝のお菓子やケーキもおいしいです。

神戸電鉄三田線 大池駅前郵便局の裏にある駅から徒歩約20秒のビルの三階です。

火曜〜土曜 10:00〜16:00 営業しています。

ぜひお立ち寄り下さい。

今は見づらいホームページですが、近々リニューアルさせていただきます。

人に囲まれて一緒に何かをして

いつの間にか笑っている

人との関わりの中でみんなが少しずつでも自己存在意義を認識して巣立って行って

またただいまを言いにかえってこられる場所がある。

(児谷さん日下部さん、またあいましょう!)

そんな場所を生み出せる素晴らしさをひしひしと感じています。

デザイナーには決して生み出せないものがあります。

でも本当に大切なものです。

本当に大切なものは目に見えず、耳に聞こえず。

越人は越に安んじ、楚人は楚に安んず

どの分野においても現場は豊かです。

淡河そら祭り OGOGOGO!

11月1日淡河そら祭りの写真が届きました。また落ち着いたら映像も編集してお届けしたいと思います。

淡河そら祭り 原初の風景
茅葺き屋根のティピ
淡河そら祭り 婦人会のたこ焼き
婦人会のお母様方
淡河そら祭り 地元の若者たち
地元の若者たち
淡河そら祭り 竹食器に入ったおでん
竹食器に入ったおでん
淡河そら祭り ウエチマサシとナカノユメ
茅葺きのステージから広がる音
淡河そら祭り 裏神戸コレクション
裏神戸コレクション
淡河そら祭りの雰囲気

去る11月1日。朝6時。天候はハレ。

正午。淡河という舞台装置の演出ではないかと思うぐらいきっちりスタート時間に申し合わせたように雨。(祭り終了後、きっちり止む)

自然と人は共にあることを思い出せと言わんばかりの雨。もともと湖だった水に縁の深い淡河らしいといえば淡河らしい。

元来雨は農村地域では歓迎すべきものであり、そのおかげで秋の豊作が得られる。農耕の神でもある天神様もお喜びになったのだろうか。

水の粒はまるで雨宿りをする人同士をつなぐ装置であるかのように、会場全体を包み込む。

綺麗なグラウンドが水浸しになり、ひとが東奔西走し、屋根を見つけて雨宿りするために集まり、溝を切って場所をつくっている様子はまるで 湖が干上がり地面が現れ川ができ人が住まい始め、といった古来に演じられた壮大な淡河創世記がこの短い時間の中で演じられているかのようでした。

具体的にどんなお祭だったかは、稚拙な言葉で語るとこぼれ落ちてしまいそうなので多くは語りませんが、ひとつだけ。

それはきっとその場所で、その時間を共有した人にのみにわかる。

“説明する”祭りじゃなくて、”感じる”祭りになったのではと思っています。

つい先日この活動を今後に繋げていくために反省会が行われました。

いろいろと運営上の反省点はたくさん挙がりましたが、これもすべてひっくるめてしまうと結局、こうやってたくさんの方に集まっていただいて、世代間の渦、文化の渦が創り出せたのではないか。半年間愛すべきメンバーとああだこうだと言いながら、やってよかったなぁというところに集約します。

誰一人欠けてはならないお祭でした。本当にありがとう。今後ともどうぞよろしく。ということでまた次回もお楽しみに!

淡河そら祭りの風景

淡河そら祭りの朝

All photographs are taken by Kenji

またひとつ歳を重ねました。またいろいろ新しく動きはじめましたが、自分を囲んでくれる全てへの感謝を忘れず等身大に精一杯一歩ずつ着実にいけたらなと思います。

桃源郷

出張先でひとり、景気付けとして人力屋台のラーメンを食べた。

おっちゃんは慣れた手つきで、かつひとつひとつ丁寧に

秘伝のラーメンをこしらえていく。

儲かりは決してしないけれどもひっそりとやってるのがいいんだと

苦笑いを浮かべながらどこか得意げに話す。

その話し方や雰囲気にはたくさんの苦労に耐え抜いて来たからこそ

醸し出せる優しさがにじみ出ていた。

十年以上もこうやって5時間かけて仕込んだスープをひっさげ

毎日重い屋台をひいて1キロ以上の道を深夜、早朝に往復して

メニューひとつその身ひとつでこれが俺だって構える。

寒空の下、誇らしげにお客さんからもらったビール片手にどこか控えめで雄弁に語る姿を見て

まだまだ日本も捨てたモンじゃあないと思った。

屋台は味以上に、人柄だ。

それは決して公の場に出て行列ができてはならないし

全く人が寄り付かなくなってもいけない。

苦労を笑い飛ばしてみんなの桃源郷をつくりだす。退廃しきった心を迎え,優しくただそこにいてくれる。

職こそは違えど,おそらく目指す所はそんなおっちゃんなんだなろうなと思った。

自分はまだまだひよっこだ。汚いけれど、手の汗と涙がしみこんだ、愛着ある屋台が構えられるのはいつの日のことだろうか。

今日も今ごろおっちゃんは誰かの心を癒していることでしょう。

また逢いにいこう。

明日は茅葺きシンポジウム。「都市と農村の協働する茅葺き民家」について話を伺ってきます。

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