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Treehouse Blog of cott

ニッポンの夏

カメラを背負って事務所から自転車で坂を下ること約30秒。近所のまつり、勝雄天神祭へ。

勝雄天神祭

f1.8/55mmの新しいレンズで試し撮り。

新しい、といってもオートフォーカスもくそもない数十年前のねじ込み式マニュアルレンズですが。

レンズの明るさに感動。しかしピント、合わず…。要練習。

夜の撮影やハコでのライブなどで役立ってくれそうです。

これから3台体制で気合い入れてこうと思います。

ヨーデル食べ放題、生で初めて聞きました!

いなかっぺクリエーティブチーム結成

11月1日開催予定の淡河そら祭り広報用チラシを作成。

いなかっぺクリエーティブチーム

みんなの得意分野をあわせてできたいなかっぺクリエーティブチームによる制作もまちに負けていません。スタッフが増えたみたいで楽しかったです。農村では多くの役割を兼任せざるを得ないことが多いが、その分やりがいがあるというものである。

淡河そら祭りチラシサンプル

仮完成ですが、まだ詳細が確定してないのであまり書いてある文字は信用しないでください。笑

また詳しくお伝えします。

そら祭り公式ホームページ

こころ動かすひと

事務所へフェアトレードのコーヒーを売るお姉さんがやってきてコーヒーを購入。

フェアトレードのコーヒー

表情にやさしさがあふれ、いきいきした、素敵なお姉さんでした。

少し顔を合わせただけで人をあたたかい気持ちにさせる。

そんな人がこうやって途上国支援のために東奔西走しながら資金を集めている。

3秒で即購入を決めました。

デザイナーなんかであるよりも、そんなまっすぐで全身から優しさや生き方がにじみ出るような人でありたいなぁと思わさせてくれました。

ただの募金でなく物品を購入しているので募金という感覚にならないのがいい。

ウガンダでいろいろと肌で感じてきてまたぜひ私たちに伝えて下さいね。

最近あまり遊びで街にでないので募金していませんでした。

まぁそれにあまり自責を感じてはいないのですが。例えば打ち合わせに遅れそうですごく急いでいるときに○○ちゃんの心臓手術のためにご協力をと言われたところで立ち止まらないし、だからといってもしあなたが心臓病になったら急いでいるといういる理由で見捨てられてもいいのかという質問をされたところで、見捨てられない方がいいと答えるしかない。世の中のその種の質問全てに付き合えるはずがないので。

ひとりの先進国の心臓病の幼い命を救う額で途上国の命をいくつ救うことができるだろうかという愚かな費用対効果をなんとなく計算してみるなんてこともしない。いのちは等価であると普通に考えれば、そんな額で心臓病のひとりのいのちを救うくらいなら途上国のいのちを多く救うべきだという結論になるが、いのちの価値を論じること、比べることなどできない。なぜなら人はみないのちを持ち、それを失うからだ。あいつは死ぬべきだと多数決で殺されてはひとたまりもない。人間の価値を比較することは人間にはできない。

ただし、信号待ちやゆっくり歩いているときなどではそれが倫理に反したものでないと判断できる限り何であろうとほぼ必ず募金する。ただし、極めて小額だが。

金額ではなく若者が募金をする姿に意味がある。

人は常識や習慣といったものに自分たちで思っている以上に縛られているので、通常、何か行動を起こす時にその行動が正常である指針を認識してから行動する。若者により顕著な傾向だろう。

だからこうやってお金を募金することが正常だとそこに居合わせた人に示すのだ。

そんなことを考えて募金する人など、ただのおかしな人かもしれないが。

それ以外は、顔の見える相手にはよく募金する。

物乞いにはこっそりお金もあげてきた。

それが目の前で具体的にどう役に立つか見えるからだ。

具体的に途上国で自分の寄付金が具体的に○○くんの予防接種に使われたなど、どうなったかわかれば支援ももう少し増えるのではないのでしょうか?

写真はインドブッダガヤにあるニランジャナスクールという孤児院のまわりの風景。

ブッダガヤの風景

話がそれたが、言いたかったのはデザイナーとしてつくったものがどうとかではなく、その姿勢、立ち居振る舞いから心動かす人でありたいなと思わされたという話。

事務所がいい香りに包まれています。

こんな日は穏やかに。

青柳拓次

“たであい”

furniture just-sized series 001 「swelling wall」

cottの棚

15mmのラワンランバーコアにて制作。やわらかいし軽いので加工性がよく、部材同士の接合部も施工次第でしっかりと収まります。

厚さによっては強度もあり、ビスもきくため、構造の補助として角材をいれなくても剛性を保ってくれるので比較的に直感的に設計したものを補助材なしでそのまま立ち上げやすい材料でもあります。

仕上げに10倍程度のかなり希釈した白色系の水性ペンキを塗るとラワンベニヤの赤みが消えてシナベニヤのような表情になり、上質感が出て、木目もうまく生かした風合いに仕上げます。

ひとつずつ

ラワンランバーコアという材料で姫路の住宅で秋〜冬頃開催予定の家具デザインワークショップの検討も兼ねた棚作り。

cottの家具試作品制作

撮影は立命館大学大学院都市空間デザイン研究室のエースの中榮氏。よく研究室で夜を共にした仲です。また皆つれて流しそうめんでも楽しみにいらしてー!

cottの家具

今回は私がいつもするように木を切りっぱなしで仕上げず、丁寧に消しゴムで鉛筆跡を消したり丁寧なやすりがけ、隠し釘、端部の処理、仕上げの塗装と、少しの手間が重なってよいものができました。小さな積み重ねが全体の仕上がりを大きく左右しますね。

日々と同じように積み重ねです。

こうやって設計者が素材の手触りや加工方法などを知ることで、職人との理解が深まり、さらに良いものがつくれるのではないでしょうか。

板からの切り出し方

無駄にならないように材料の大きさや板の目の方向、のこぎりの刃の厚さ、切る順序を考えて一枚板からどのように切り出すかを考えたりします。

板の目に逆らって丸鋸で切れば切断面がささくれること、鑿(ノミ)は板の両面からしないと表面が割れること、ビスを打つ順番を考えないとビスが打てなくなること、釘の種類と特性、板の勝ち負けによる板の一枚一枚のサイズや端部の加工による見え方の違いなど、パソコンと紙に向かって設計ばかりしていると今まで意識したことがなかったことに気付きます。

素材を知らずに設計する前に、一度棚をつくってみればいい。

設計を志す学生たちにそんなことの積み重ねで家が成り立っていることにぜひ気付いてほしいので、今回は姫路の住宅で2年前のツリーハウスイベントとは反対に、主に設計に興味がある学生向けに壁塗りや家具づくりなどのワークショップイベント開催しますので、また告知します。学校では学べないこと、提供します。楽しみにしていて下さい。

まぁ本当は学校教育でそういう試みをぜひ取り入れて実務と設計教育にある隙間を埋めてほしいと思うのですが、なかなか行われていないのが実情ですね。

いくら技術が進歩しても実体のある人間が、実体のある家に住まう限り、素材や職人技術と遊離して設計はなし得ることはないのではないでしょうか。職人がすべてロボットに変わる時代がきてしまうなら別かもしれませんが、個人的にはそんな時代はきてほしくないものです。

それとまた別に来年3月、cottのツリーハウスも規模縮小して基礎を除去し、純粋なツリーハウスとしてあの場所に存続させます。こちらは特に建築を学んでいようがいまいが関係なくみんなが楽しめるようなイベントにしようと思っています。自然に囲まれて体いっぱいに動かしてみんなでひとつのかたちあるものをつくることに興味ある方、2007年のツリーハウス合宿をもう一度味わいたい方も、ぜひご参加下さい!

家具製作もご相談に応じますよー。

cottの机

だいぶ前ですが、廃材で机もつくってみました。

まじわる

きのうミュージシャンのむぎと神戸大学大学院農学研究科地域連携センターでまつりの話を聞いてもらいにいってきました。中身はいずれまたお伝えしますが、いろんな研究や論理に基づいたアイデアがざっくざくと。どうやらやろうとしていることの実現は近いようです。その帰り茅葺き職人相良氏にたまたま会って話をしてました。

相良氏の蔵書で発見したのが淡河の由来。尾をお互いにくっつけ合う/交尾するという意味の言葉をアイヌ語でo-u-kotといい、それがオウゴとなったそうです。淡河川と僧尾川が交わる地点ということでしょう。交わるってまた素敵な由来。先進的なものと歴史的なものが交わり、人と人が交わり、人と自然が交わり、まちと農村が交わり、感性と感性が交わる。少し想像するだけでぐるぐると渦巻く気の流れが見えます。地形も歴史も人も、まだまだ探るとおもしろいものがありそうです。次は淡河温泉や農村舞台、戦国時代の話についての文献にでもあたってみようか。

淡河の仲間たち

さぁさぁ、役者はそろいました。なんたってまつりやろって言ったらこんだけ力強い若者がすぐ集まったんですもの。まだまだ魅力的な人はたくさんいますよ!

裏神戸から神戸と言わず、日本のエポックメイキング狙いますよ〜

明日は丸山茂樹氏とむぎとツリーハウスで打ち合わせです。お客さんも遊びにきてくれます。

いろのはなし

使ってみると意外に役立つカラーイメージスケール。

カラーイメージスケールをもとに決める配色

ヒアリングからデザインの方向性が決まったらその方向から、配色検討を行い、希望するイメージに近づける際のセオリーとなる配色の傾向を探る。あとは見せ方としてあえて外したいならばセオリーから外れれば良い。

デザインは実はセンスや発想とかではなくそうやって論理的に捉えるところが大きい。センスがないから絵が描けないからデザインをあきらめるというのは、絶対音感がないから音楽の仕事をあきらめるというようなもの。

さりげなくカラーコーディネーター1級ですから任せて下さい。なーんつって。笑

Today’s DISC

Rovo

“NUOU”

農村空間再考

田舎にある実家のインテリアがダサいのは

広いゆえに生活環境が変化して不要になったものを置いておけ、それが再度不調和な場面で使われること、

農村に住まう人は機能と価格ばかりを優先して商品を購入すること、あるものをなんでもかんでも利用すること

などに起因するだろう。

その地にあるものをなんでもかんでも利用してブリコラージュ(その場所にあるものでつくること)していた時代はその中に美しさがあったが、

産業革命以降、安価で機能的で手軽な下手に西洋趣味のプラスチック製品やハリボテ製品がばかりが近所の大型量販店にも出回るものだから、それらがブリコラージュを構成する要素になってしまってうまく調和がとれなくなっているのではなかろうか。

農村地域の空間も、もう一歩踏み込んで考えてつくられるべき時代なのかもしれない。

次に田舎に帰った時はその空間について少し考えてみてはどうか。

いらないものは何か

何が部屋を不調和にしているか

この空間の良いところはどこか

日本空間はもともと繊細な空間のつくられ方をしているのでその良いところをうまく生かしてやるといい。

こうやって要素を絞って配置するとがらっと印象も変わる。(ちなみにこの部屋はcott打ち合わせスペース兼宴会場で、奥に見える扉の先が仕事場だ。ツリーハウス合宿もこの部屋に最大10名程度が集った。縁側で水浴びをしたのがなつかしい。)

田舎のインテリア

こんな楽しさを知って若者が新しい感性を持って地域に帰ってきて地域活動の担い手になってくれたらと思う。今度開催しようとしている祭りもそんなところに主眼がある。

そこに農業以外の産業を用意しようと奮闘していますので。

こうやって生活空間に手を加えることと、日常を愛することは近いものではないか。もともとそうやって知恵をしぼって生きてきたのだ。

そんな中で、新建築住宅特集を読んでいたら半農半Xという考え方を発見しました。どうやら京都府綾部市では素敵な試みが多くなされているようです。

半農半X提唱者 塩見直紀さんホームページ

NPO法人 里山ねっと・あやべ

縁側で流しそうめんイベントでもしようか。

TODAY’S DISC

Rei Harakami

“ゆうげ selected re-mix & re-arrangement works/2”

すみませんが

システムメンテナンスのため、現在ブログ休止中です。近日再開予定ですので末永くおつきあいいただけましたら幸いです。

都市の風景

cott 安福友祐

霧晴れて

雨上がり

きっと延期だと思いつつも京都からの帰路で徐々に雨上がり、今年も中学校にあつまってソフトボール大会。

淡河中学校にてソフトボール大会

1年間でここでしか顔を合わせない人もいますが、とてもいい世代間交流の場です。

いつでもどこでもな時代において薄れ行く、こういう共同体に属しているという感覚は、今後の時代をつくる鍵となるのでは。

昼下がりにはこれでもかというぐらい快晴。

筋肉痛とひねった足が痛い。

緑と青時々赤

まちとむらを繋ぐ活動をするにあたって最近考えていること。

それぞれ自分の生まれ育った環境に感謝し、還元していくこと。
まず一番身近にあるものを大切にすること。

その意味で沖縄に移住してゆっくり暮らすなどということはあまり快く思わない。
もちろんそれが悪いというわけではなく、なんだかまるで逃げているようだから。

ただそうやっても生活が成り立つ。

そういう意味では非常に豊かになったなぁと感ぜざるを得ない。

身近な環境をいかに意識させ

いかに豊かさを感じさせ
モチベートさせるか
いかに豊かなコミュニケーションを誘発させるか
いかにさりげなく無意識に訴えるメッセージを込めるか

デザインはそこらに訴えるチカラを持つ。

そういえばこないだホタルも発見。

さ〜仕事仕事!

今日の音楽はしっとりな気分です。

ogurusu norihide

“modern”

ニッポンの夏

淡河かやぶき屋根保存会くさかんむり代表の相良育弥氏宅にて。

肉を焼きながらそうめん流して縁側に座り、スイカを食らう。

そうめん流し

これぞ、ニッポンの夏。

縄文部屋でくつろぐ

相良氏の縄文部屋には土器や不思議なチカラを発していそうな石のそばに本やCD、レコードがずらり。最新のmacにターンテーブル。英語が飛び交い、女性の職人も。田舎に歓迎されるべき新しい感性がありました。

今日の一枚

FreeTEMPO

“Oriental Quaint”

みんなでまつりと今後の淡河について考えていると、だんだんと輪が広がってきてより一層おもしろくなってきました。

田植え終了

山田錦という主に酒に使われる品種の田植えが終わりました。

平均年齢50歳ぐらいの中に混じって田舎独特の話題など、分からないこともたくさんありつつもやっていますが、みなさん気さくでとてもリラックスして楽しませてもらっています。終わってからみんなで若干飲まされ過ぎましたが、そんなのも含めて集団営農は楽しいです。

こんなところも田植え。

田植え

こんなところに変わったデザインを発見。

農村で発見するデザイン

建築空間としての内外のつながりをああだこうだと論じるのは専門家に任しておいて、外に出よう。もののかたちも大事ですが、それ以上に大切なこと、見えているでしょうか。

田舎にいるといい意味でも悪い意味でも街で多く論じられる話題に関して、そんなことどうでもいいではないかという視点が身につきます。

Today’s DISC

Takagi Masakatsu

“Tai Rei Tei Rio”

今日は仕事終えてから茅葺き職人の相良さん宅で流しそうめんと焼き鳥PARTYです!

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