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Treehouse Blog of cott

エーテル

甘い蜜の香りに誘われて窓の向こうの森の中に迷い込んだ
きみはとりつかれたように闇の奥へと消えていった
ぼくはきみを見失った

太陽の下にいるときはこの影が僕から離れることがないのと同じように
ぼくは全てのものと離れられなかった
離れようと思っていること自体が
離れられない何よりの証拠だった
それはまた 時は止められないことをも示していた

きみをこの視界から見失ってから、どうしようもないぐらいに迷っていた
いつの間にか光を失っていた
必死に光を探した
どんなに探しても見当たらなかった
ある時 光を探すのをやめて 静かに目を閉じた
それは僕なりの死ぬ覚悟だったのかもしれない

そうすれば、真っ暗闇の中でも進んで行けるようになっていた
毎日は果てしない旅の道中にあった
迷っているかいないかを決めるのは自分だった
もう光を見失わなかった

ぼくはときおりこうやって言葉を吐き出す
そうしないと今にも何かに潰されてしまいそうでこわくて
その何かが何なのかを表す言葉をぼくは知らない
だがその何かは確実に存在した
それはいろもかたちもなくて
この世をつなぎとめる
まるでエーテルのような存在
なんとなくだけれどそれがなくなってしまえばぼく昔憎んでいたそれもなくなってしまう
なんだかんだでぼくにはその目に見えない何かが必要だった

STARS

そーいや、しばらく前やけど流れ星を見た。
友人に流星群が来ていることを電話で聞いたので
作業を一旦中断して午前3時ぐらいやったかな
ひとり、学校の一番暗そうな場所を探して
階段に寝転んでぼんやりとしばらく佇んでいた
それでも照明が明るくて見えへんのやろなーと思いきや、
かなり明るく輝く光の筋が空を舞った。
それから身構えて空を見上げたんやけど、そのとき見えたのはそのたった一度きりだった。

こんなにも遠くはなれたところにあんなにも明るく輝く光が届くなんて。
そして何より感動が届くなんて。
結局一度しか見られなかったけど、その一度で十分だった。

きっと流星群ってぐらいやから、ほんまにいっぱいの星が流れとって、
そのごく一部のとびっきり明るいのんか、地球に近いのが俺の目に届いてて、
しかもそれは何年も前の光で。

星って見逃してたり見えなかったりすることが山ほどあって、
それはきっと俺らの日常と一緒でなんだか素敵ねんよな。

その見逃しているものが少しずつ見えるようになってきたら
とてもやさしい気持ちになれそう。
目先のことばっかにイライラせず、
今対峙している目先のことを大切にして。

これからもがんばろう。
星はいろんなことを教えてくれた

_______________________________________________
コインランドリーでひととおりの仕事を終えたきみは椅子に置いてあった文庫本を読みだした
そこで営まれる日常はなぜかとてもドラマチックで
とてもうらやましかった
子供と遊ぶきみの目はいつも輝いていて
その瞳の先にあるのが僕だったらなと
ちっちゃな子供に情けないけど嫉妬してたことを思い出すよ

きみは時々くすんだ瞳をした
そのくすんだひとみには何が映るのか知りたくてのぞきこんだら
きみはいぶかしげな顔をして
ふと思い出したように
ぼくらがつくりだした幻の中に
真実があってもいいと言った
会話は ただそれだけだった

ある日 夢を見た
なぜだか現実にあった出来事のようにリアルで
いまでも何だか心の中でふわふわと浮いているかのような感覚がした。
いつ止むともしれない雨のなかに佇むきみはなぜかとてもまぶしくみえて
眠れない夜にはいつもなぜだかそんな光景が瞼の裏を横切ってく
雨のしずくが木々をゆらすそのリズムが耳の奥の方からきこえてくる

そんなとき僕は少年時代によく登った山へいき
一風変わったマスターベーションをする
だれもいない山の峠にある滝の中で何も纏わないで水に体を預けて
混沌と静寂の中で
宇宙と交信するんだ

雨が降り出しても何も気にならなかった
数時間ものあいだ
雨に打たれていた
どれくらいの時が経ったんだろう

ぼくは井の中の蛙だった
どこまでも深い意識の奥底に閉じこめたまま深い記憶の海の大海原で ただただ流されていた。

ある日 私は目覚めた
秩序立った世界からふらりと抜け出して いつの間にか自由を手にしていた。
赤ん坊が初めて目を見開いてこの世界の空間の広がりを知るときのそれとは違って、まるで食わず嫌いの椎茸がいつの間にか毎日口にしても苦じゃなくなっているみたいに。
つまりはある日突然じゃないもので、
もしかしたら自分を掘り起こす過程の中で自分の中にある無意識が意識化していたのかもしれないし、あるいはその逆で、
意識が無意識化して意識がシンプルになって、意識を惑わすものがなくなったからよく見えるようになったのかもしれない。

いずれにせよ、私はここに立っていた。

全てのものを軽蔑していた
ある日その全てを見たいと思った
全てを見ずして軽蔑など人間の権利にはありえなかった
私は神でないことを知っていた
全てを見ようと動いた
見ようとすればするほどそれは増幅していった
どんなに見ようとしても小さな人間には不可能であることを悟った
全ての存在を否定できなかった
肯定するしかなかった

いつのまにか昔軽蔑してばかりだった全てを愛するようになっていた
認めることで初めて愛することを知った

なにしたってこの身滅ぶときに世界は思った以上にかわらない
だったらおもいっきり叫んでやるんだ
もう止まらない
この想い 誰にもとめさせない
時は止まらないし止めさせやしない

未来はいまこの手のなかに
ぎゅっとこころで握りしめて
もう離さない

この宝石箱だけはこの身が滅びようとも渡さない

シンガポール雑記

今はシンガポールの図書館。気持ち悪いぐらい快適。
シンガポール。人は優しくマナーが良い。
街全体は綺麗に整備され、住宅、静かで快適な鉄道、バス、町中にはプール、テニスコート、競技場、バスケットコート、他、余暇を十分に消化することのできる施設が街の至る所に存在する。
また、さまざまな人種、宗教が混在する。
治安も比較的良い。
ここは、東洋、いや西洋が求めた楽園なのか。
しかし私はなぜか、まるで巨人が作った模型の中で人間達がままごとをさせられているように感じた。人々は快適な裕福な生活を、このマレー半島の先端に位置するこの島で得た。しかしどうもしっくりこない。

タイやラオス、カンボジアの田舎の方の本当意味でのの自然と共にある生活の方が、物の豊かさではなくて生活の豊かさという観点では勝っているように感じた。同じく島国である日本とも似ているが、やはり違う。その違いはどこからくる?

思うに、ひとつは島の大きさ。
ひとつは、宗教、人種の混在。

日本はすべてが近代都市風ではない。広いから、まだ田舎の方ではまた違った生活がある。しかし、シンガポールは淡路島程の大きさであり、多くの移民がそこにやってくる。その島は一つの国として独立し、島中が発達する。近代化の波はシンガポールという一つの小さな島国を覆い尽くした。
そしてこれほど様々な宗教、民族が混在している国もなかなか類をみることもできないだろう。他にもきっと様々な要因があるのだろうが、いまのところそういう解だ。

シンガポールはマーライオン。近年は、近代建築もおもしろいものが建っている。だがそれだけ?
マーライオンの前で、思い思いのポーズでただポートレート写真だけを撮っていく人々。撮って、ぷらっとして、はいさよなら。(その様子がとても滑稽で、そういったところに着眼した写真集も2007年に瀧本幹也SITESEEINGというタイトルで発売。有名写真家にしては着眼がありきたりであまり面白いものではないが。梅佳代的ユーモアもなければ、ページを繰るごとのドキドキもあまりない。)

これが観光地というものだろうか。巨人達の模型の中でうごめく人々。
人々は決められたルートを歩き、目玉とされるものたちを満喫したらはい、さよなら。
皆ハードの面を求め、ソフトの面などには気にも留めない。
先進国のにおいを持った、ただの観光客ばかりだった。

私にはシンガポールの石畳の照り返しはまぶしすぎた。
マーライオンが、水を吐き続けている仕草が空虚に見えた。

要するにシンガポールは今回の旅のテーマとは外れるってことした。各国の情勢に関して自分が無知なだけでした。(シンガポールが嫌いという意味では書いていないのでご容赦を。)

でもまぁ、ついにこの旅も終わりです。今夜の24時15分の便で北京を経由して日本へ向かいます。

旅の軌跡
日本→北京→バンコク→チェンマイ→パーイ→チェンコーン→フェイサイ→名も無き街→ルアンパバーン→バンビエン→ビエンチャン→フエ→ホイアン →ニャチャン→ホーチミン→プノンペン→シェムリアップ→バンコク→アユタヤをミスってサラブリって田舎→バンコク→バタワース→ペナン→クアラルンプール→マラッカ→ジョホールバル→シンガポール。
動きました。我ながら。

どこがよかったかというありきたりな質問に素直に答えるならば、ラオスとタイの北部の田舎ももちろん良かったのだが意外にもカンボジアが一番良かった。

近隣諸国の中では最も貧しい国で、つい最近(30年ぐらい前?)まで内戦があって、暗い歴史、明るさを取り戻しつつある現在。現在も残る地雷が生々しくその事実を物語る。

その一方で人が結構良くて、(もちろんマネーマネーもあるけど)子供たちが素直でかわいらしく、バイクタクシーの親父も気さく。田舎の方は自然とともにある人々の暮らしぶりがものすごく美しい。

そのギャップに非常に感じることが多かったのがカンボジアという国だった。

インド動物記

インドおよびネパールへ。

インド人は先進国と違い、すごく人間らしい生活をしていて、まさに動物として生きているというか、街中の建物を飛び回る猿など禽獣たちと人間がまったく同じに見えた。
みんなが自分勝手で鬱陶しいぐらいなのだが、それは自然なことで、まるのまんま、本能がまま生きていてそれでも社会が成り立っている。

ちょっと道を聞いたら親切にも間町中を案内してくれて、最後に法外なお金を要求する人。
手を出せと言われて差し出すといきなりハンドマッサージをされて10ルピーでどう?とか言い出してなかなか手を放さない人。
小さな子供によるいきなりのルピー、マネー、攻撃。
早朝、日の出と同時刻に見える神秘的な太陽を感謝して拝み、沐浴する人々。
電車でちょっと愛想を振りまけば、やたらバナナ、リンゴ、カレーみたいなおやつ、とてつもなく甘いお菓子を振舞ってくれ、何か芸をやれやれとの視線で凝視してくる家族。
駅でうずくまって痙攣している人を見てみぬふりの我々を含む人々。
怪我や無くなった腕を見せて金を出せというおじいさん。
ヤギの首切り。もがくヤギ。真っ赤な大量の血。ある意味日本の方がよっぽど残酷な風景。
1時間か30分ほど前にいた寺であったテロ。
24時間火が尽きない火葬場。
死の現場がこれほどまで近くにある。

人が動物として、人間らしくいられる。
影も光もまるごとそのまんま。全ての存在を受け入れてくれる肯定感のようなものがあって、きっとまた訪れてしまうのでしょう。

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