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Treehouse Blog of cott

田舎ゆえの

今日は田舎であるが故のお仕事にいってきました。種をまいて苗をそだてます。

作業風景
軽トラ軍団

私が事務所を構えるこの村では、しばらく前までそれぞれの家で田を耕して苗を育てて苗を植えてしていました。近年、農業就労人口の減少などの原因に より、田んぼを持つ家の負担は増え、どうしても改革をせまられずを得ない状況になりました。そこで営農組合のとった方針は、みんなでみんなの田んぼを管理 しようということでした。大きな機械を導入することで、各家庭の設備投資費をおさえ、大きな機械を田んぼに入らせるために必要な導線を確保するために、耕 地整理を行いました。その方針に同意せず、その家で全て行う方もいますが、ひとつひとつ手で植えるといったいわゆる土着的な風景は失われていきました。

その風景が失われていることに関して嫌悪感を抱いていました。ここに今日初めてその共同作業に参加して来たのですが、なかなかいいものでした。土着 的な風景を欲するのは外部からこの風景を見るもののたんなるエゴであり、その風景をつくるものとしては、各家庭でゆっくりと農作業する良さもありますが、 村の皆で農作業を行う場は、ただの農作業がコミュニティーの場として成立していました。久しぶりに会ったおじさんも、おばさんも私を知らない人も私を暖か く迎え入れてくださいました。まるで祭りのような空間がそこにはありました。

3,40人程度の人がいたのですが、私と同世代かそれ以下の人は3人しかいませんでした。私の頃には全校生が150人だった小学校も60人程度に 減ってきているので、農業に従事する人口はさらに減っていき、他から来た人間を受け入れるなどの改革をせまられるでしょう。田舎で育った方は、少しでもそ の田舎の風景を頭にめぐらせてほしいと思います。

村の風景

この調子で世界のこのような風景も失われて行くでしょう。しかし効率性を追求したためなくなってしまった風景とは必ずしも豊かなものでなくなるとい うわけではありませんでした。それは単なる外部から見たエゴであり、それを言うのならそこで一度農業に参加してみてください。生産の現場は豊かです。

大学時代の設計演習ではここは豊かな空間だから、ここに椅子とテーブルおおいたからコミュニティが発生する、ここに木を植えたから自然との共存をは かっているなどといった机上の空論が繰り広げられましたが、現場に居合わせて時間をすごしてみないことには何もなく、空間にできることはあまりない、と感 じ、人間のより豊かな生活を目指す空間デザインの本質は別のところにあるのではと感じました。

村の皆様方、今日はおつかれさまでした。

展示会

5月末に東京で展示会します。

卒業設計における優秀者を全国の大学から選抜で募り、『第31回 学生設計優秀作品展 ー建築・都市・環境ー』という題でグループ展を行います。場 所はお茶の水にある明治大学駿河台校舎アカデミーコモンで、期間は5月27日(TUE)〜5月30日(SUN)。時間は10:00〜20:00(最終日 は〜15:00)。毎年恒例で比較的建築では有名な展示会で、学部と修士両方の卒業設計作品が全国の52校94学科で、選抜されて展示されるので比較的お もしろいと思います。入場も無料ですので、お時間ある方は是非お越し下さい。このわが事務所、ツリーハウスをプレゼンしてきますのでどうぞ応援よろしくお 願いします。

くわしくはレモン画翠ホームページhttp://www.lemon.co.jp/を ご覧いただくか、cottまでお問い合わせください。25日〜31日まで東京にいますので、東京にいらっしゃる方はぜひこの機会にでも お会いしましょう。

ついでにcottのチラシでもばらまいてこよっと♪

レモン展

おそくなりましたが

起立!点呼!新妻忠志!鎌田希来!新庄彩香!小澤麗!太田宏美!柴尾あゆみ!菅原佑平!二川孝!山田晶子!岩倉ゆり!香川剛輝!辻友樹!河野哲也! 中野富昭!竹田由佳!吉田奈央!八木康彰!久米貴大!溝口秦大!仲井!宇津木健!小杉雄太!森えりか!片倉ひろき!松田咲紀!嶌本千咲子!瀧波美佳 !大西健太!畑圭介!福永あすか!友田由貴!松田家一同!安福家一同!近所の柳生さん!山口さん!矢木さん!尾上さん!

本当にこんなにも大勢の方々に手を貸していただいたおかげで成立したこの事務所です。いまさらで失礼しましたが、心から感謝。ほんとうにまわりの環 境に恵まれていて、まわりに生かされていることを痛感した夢のような半年でした。ありがとうございましたでは足りませんね。どうやってお礼しようかしら。

これからもいろんな方に関わって頂けることを願って。

集合写真

屋根を

今日は屋根の修復。

修理

屋根が吹き飛べば、またちょっと頑丈にして屋根をつければいい。すきま風が気になったら隙間をなくせばいい。穴があいたらまた埋めればいい。住人が 増えたら広くすれば良い。住まいは住まい手の要求に応じてカタチをかえていくべき。これは住まい手が自らの手を汚してつくったからこそできること。ハウス メーカーや建築家に「超完成形!」と言わんばかりの住宅を提示されたらちょっと壁紙を変えるのでさえ気が引けてしまう。そしていつの間にか日本の住宅は世 界的に見ても異例なほどモノにあふれる。中に住む人間の要求だけが変わって空間自体は何もかわらないから。

人って変わってく。しかもかなりの早さで。だからこそこの長い進化の歴史の中で食物連鎖の頂点に立つことができたのではないのだろうか。別に不完全 でもいい。かっこ悪くてもいい。みんなで心あるものをつくろう。そもそも人間なんて不完全なものなのだから。

心地良い水辺

今日は良い天気だったので、ツリーハウスにおこったちっさな変化をレポート。ツリーハウスの2本のホストツリーにもちいさな新緑の葉っぱが芽吹いて きました。そして冬はかなり乏しかった池の水が田植えの時期に備えて増えてあがってきています。

水面とツリーハウス

ベランダから釣りもできます☆実はブラックバスがつれます。

中からの眺め

大仕事

今日はcott初の大仕事である店舗の内装制作ってことで商品の納品を完了してきました。場所は京都衣笠の立命館大学の近くです。設計施工を自分で やってしまう個人事業主っていったい…。と思いながらも商品は無事完成して一安心です。cottの担当は、杉板の壁、2パーツに分かれたハイカウン ター、パーテーション、の3点です。床と壁は左官屋さんにやってもらいました。

wall by cott
wall by cott 2

施主の足立さんも喜んでいただいたみたいで、徹夜で木材と必死に格闘した甲斐がありました。彼はとても元気がよくてフレンドリーだけど、大学卒業し て事業をはじめちゃった先輩です。これからもよろしくおねがいします。商品に少しでも不備があったらすぐに飛んでいくのでいつでも言ってくださいね!不備 はなくても「もーちょっとこうしたい」だとか「こうしたらどうか」とか使っていく上でのご相談とかもいつでもどうぞ☆

ハコは完成したけど、これは単なるはじまりで、本当に大事なのはこれからです。お互いがんばりましょうね!

お店と足立さん

ちなみに、ビフォアーはこんなかんじでした。うん。がんばった!

before

実り豊かな春

犬も猫も、みんなだいすきな春がやってきました。今日はツリーハウス付近の自然の営みを写真でレポートします。

つくし
オオイヌノフグリ
近所の犬
猫
菜の花
菜の花の花びら

自己紹介

cott

(※2016年2月移転に伴い画像は削除しました)
そういえば、自己紹介を忘れてました。デザイン事務所cott代表の安福友祐です。写真のツリーハウスを 事務所にして名刺、フライヤー、広告、ポスターなどの制作、本の装丁、映像制作、ウェブ制作、小規模店舗のトータルプランニングから施工まで、出張 VJなどの業務をやっています。単なる相談でも構わないので何でもおっしゃってください。つくることの喜びを感じてもらうことがcott -create on the tree-の目的ですので、仕事の依頼の話でなくても構いません。

cottは「create on the tree」の頭文字を取った造語で、木の上に総合デザイン事務所を構えたことを意味しています。余分なものをそぎ落とし、人間が豊かに生きるにあたって本 質的に必要であるものを抽出していくものづくりを目標に掲げています。それに少しでも近づくために、現代にある余分なものを落とした環境でデザインすると いう意味で、ツリーハウスというカタチをとっています。

集合写真

また、このツリーハウスは素人たち50名程度の手で約半年の工期を経て完成しました。人間を包む私的空間に「プロセス」を組み込んで、より豊かに生 きる空間を作ることはできないかという大学卒業にあたっての試みでした。この試みは無事終了し、主観的ではありますが、私の中に確実にある豊かであるとい う実感が、豊かに生きられる空間であることを帰納的に証明しました。この試みの中の実感は一時的なものにすぎないのかをさらに確かめるべく、ここでもっと 時を過ごすことにしたというのもここを事務所にした動機でもあります。

小難しくなってしまいましたが、木々や動物に囲まれながらつくる喜びをかみしめながら自然の一部としての人間として純粋に生きていきたいとはじめた 事務所です。私も難しいことを考えはしますが、そんなに堅苦しい人間ではないので、お気軽にぜひ一度、訪れてみてくださいね。

文化の発信基地となり、連鎖により人類の幸福に貢献すること願って。

ツリーハウスブログはじめます☆

ツリーハウス

ツリーハウスブログはじめました。

内容は、来てくれた人の写真を撮ってご紹介がてらアップしていきたいと思います。大阪の某古着屋、カカ○カのブログのパクリではないです。他にもふ と気付いたことや、田舎のささいな出来事など、自由気ままにあっぷしていきます。楽しい感じにしていければと思いますのでどうぞお付き合いくださいね。

From R to L, L to R

右から左。
左から右。
なんともなしに風景は過ぎ去ってゆく。

左の真っ暗なトンネルからでてきたさっきの車は
ぼくの車と同じ進行方向を向いてどこまで同じ方角を目指すのだろう。
スピードが早くて追いつけそうになくても
その先の信号機につかまったらまた追いつけたりするのは
どこか人生における節目や分岐点のようなものに似ているようで
なんだかおもしろいななんてちょっと思ってみただけだけど
まぁそんなことはどうだっていい。

もうかなり昔の話だが
当時の私の人生の進路を変えてしまうほどまでに
衝撃的な出来事が起きた。
そのまましばらくふさぎこんだ。
そこまでは仕方のない話だと片付けた。

時は流れ、ふと気付いた。
季節の変わり目にいつの間にか
クーラーのスイッチを入れなくなっていたみたいに
少しずつきみを思うことが少なくなっていた。
時は無常で残酷だった。
というよりは時が変える人の心が怖かったという方が正しいかもしれない。
きみを思うことが少なくなったと思うたびにあんなに一緒だったのにと自分を呪った。

もちろん今はそうは思わない。
全く思わないといっちゃ嘘になるけれど
歳を重ねて僕は
何かを得るためには何かを捨てることが必要なことを学んだ。
得ることと失うこと。
楽しいことと苦しいこと生きること死ぬこと。
全てには裏が存在し
表と裏で一体をなしている。

そんなの当たり前のことなんだけれど
それを意識して言葉に出せるか出せないかの差は絶望的なまでに大きい。

エーテル

甘い蜜の香りに誘われて窓の向こうの森の中に迷い込んだ
きみはとりつかれたように闇の奥へと消えていった
ぼくはきみを見失った

太陽の下にいるときはこの影が僕から離れることがないのと同じように
ぼくは全てのものと離れられなかった
離れようと思っていること自体が
離れられない何よりの証拠だった
それはまた 時は止められないことをも示していた

きみをこの視界から見失ってから、どうしようもないぐらいに迷っていた
いつの間にか光を失っていた
必死に光を探した
どんなに探しても見当たらなかった
ある時 光を探すのをやめて 静かに目を閉じた
それは僕なりの死ぬ覚悟だったのかもしれない

そうすれば、真っ暗闇の中でも進んで行けるようになっていた
毎日は果てしない旅の道中にあった
迷っているかいないかを決めるのは自分だった
もう光を見失わなかった

ぼくはときおりこうやって言葉を吐き出す
そうしないと今にも何かに潰されてしまいそうでこわくて
その何かが何なのかを表す言葉をぼくは知らない
だがその何かは確実に存在した
それはいろもかたちもなくて
この世をつなぎとめる
まるでエーテルのような存在
なんとなくだけれどそれがなくなってしまえばぼく昔憎んでいたそれもなくなってしまう
なんだかんだでぼくにはその目に見えない何かが必要だった

STARS

そーいや、しばらく前やけど流れ星を見た。
友人に流星群が来ていることを電話で聞いたので
作業を一旦中断して午前3時ぐらいやったかな
ひとり、学校の一番暗そうな場所を探して
階段に寝転んでぼんやりとしばらく佇んでいた
それでも照明が明るくて見えへんのやろなーと思いきや、
かなり明るく輝く光の筋が空を舞った。
それから身構えて空を見上げたんやけど、そのとき見えたのはそのたった一度きりだった。

こんなにも遠くはなれたところにあんなにも明るく輝く光が届くなんて。
そして何より感動が届くなんて。
結局一度しか見られなかったけど、その一度で十分だった。

きっと流星群ってぐらいやから、ほんまにいっぱいの星が流れとって、
そのごく一部のとびっきり明るいのんか、地球に近いのが俺の目に届いてて、
しかもそれは何年も前の光で。

星って見逃してたり見えなかったりすることが山ほどあって、
それはきっと俺らの日常と一緒でなんだか素敵ねんよな。

その見逃しているものが少しずつ見えるようになってきたら
とてもやさしい気持ちになれそう。
目先のことばっかにイライラせず、
今対峙している目先のことを大切にして。

これからもがんばろう。
星はいろんなことを教えてくれた

_______________________________________________
コインランドリーでひととおりの仕事を終えたきみは椅子に置いてあった文庫本を読みだした
そこで営まれる日常はなぜかとてもドラマチックで
とてもうらやましかった
子供と遊ぶきみの目はいつも輝いていて
その瞳の先にあるのが僕だったらなと
ちっちゃな子供に情けないけど嫉妬してたことを思い出すよ

きみは時々くすんだ瞳をした
そのくすんだひとみには何が映るのか知りたくてのぞきこんだら
きみはいぶかしげな顔をして
ふと思い出したように
ぼくらがつくりだした幻の中に
真実があってもいいと言った
会話は ただそれだけだった

ある日 夢を見た
なぜだか現実にあった出来事のようにリアルで
いまでも何だか心の中でふわふわと浮いているかのような感覚がした。
いつ止むともしれない雨のなかに佇むきみはなぜかとてもまぶしくみえて
眠れない夜にはいつもなぜだかそんな光景が瞼の裏を横切ってく
雨のしずくが木々をゆらすそのリズムが耳の奥の方からきこえてくる

そんなとき僕は少年時代によく登った山へいき
一風変わったマスターベーションをする
だれもいない山の峠にある滝の中で何も纏わないで水に体を預けて
混沌と静寂の中で
宇宙と交信するんだ

雨が降り出しても何も気にならなかった
数時間ものあいだ
雨に打たれていた
どれくらいの時が経ったんだろう

ぼくは井の中の蛙だった
どこまでも深い意識の奥底に閉じこめたまま深い記憶の海の大海原で ただただ流されていた。

ある日 私は目覚めた
秩序立った世界からふらりと抜け出して いつの間にか自由を手にしていた。
赤ん坊が初めて目を見開いてこの世界の空間の広がりを知るときのそれとは違って、まるで食わず嫌いの椎茸がいつの間にか毎日口にしても苦じゃなくなっているみたいに。
つまりはある日突然じゃないもので、
もしかしたら自分を掘り起こす過程の中で自分の中にある無意識が意識化していたのかもしれないし、あるいはその逆で、
意識が無意識化して意識がシンプルになって、意識を惑わすものがなくなったからよく見えるようになったのかもしれない。

いずれにせよ、私はここに立っていた。

全てのものを軽蔑していた
ある日その全てを見たいと思った
全てを見ずして軽蔑など人間の権利にはありえなかった
私は神でないことを知っていた
全てを見ようと動いた
見ようとすればするほどそれは増幅していった
どんなに見ようとしても小さな人間には不可能であることを悟った
全ての存在を否定できなかった
肯定するしかなかった

いつのまにか昔軽蔑してばかりだった全てを愛するようになっていた
認めることで初めて愛することを知った

なにしたってこの身滅ぶときに世界は思った以上にかわらない
だったらおもいっきり叫んでやるんだ
もう止まらない
この想い 誰にもとめさせない
時は止まらないし止めさせやしない

未来はいまこの手のなかに
ぎゅっとこころで握りしめて
もう離さない

この宝石箱だけはこの身が滅びようとも渡さない

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