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Treehouse Blog of cott

ブログシステムメンテナンスのお知らせ

7月8日午前1時~9時までブログシステムのメンテナンスを行います。
それに伴い、トップページ以外のブログコンテンツが表示されなくなりますが、ご理解のほど、よろしくおねがい致します。

今日のヒットワードは「Mod-Rewrite」
WEB専門用語ですが、「ちょっとモッドリライトしとくわ。」てなふうに
なんだか口に出して言ってみたいぐらい響きがとてもかっこいい。

追記:メンテナンス終了しました。

TRANSITION

昨年の淡河そら祭りぶりに触れる苫編み(とまあみ)。
苫編みワークショップ
苫編みとは農村地域に古くより伝わる百姓の業。

苫を瓦屋根の上にかぶせることで瓦への日射を防ぎ、屋根面から室内への伝導熱および内壁よりの放射熱を低減させる。瓦の劣化にも効果的。言うなれば草のちょっとしたカーテンウォールのようなもの。

夏涼しいというのは日本家屋にとっては極めて重要で以下のようにも言われている。
「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。」吉田兼好『徒然草』
えらく単純な文であるが、それが逆に昔の人の経験則のようなものにしっかりと裏付けられているような実感のこもった印象を受けさせる。もちろん鎌倉時代の冷暖房のない家の場合であるが。
さて室内温度はどれくらい下がるだろうか。

たぶん冬はわらを外して肥料にでもしてまた来年もとまとまするのでしょう。
基準法的には瓦屋根に草が乗っているようなもので、いつでも取り外せるから防火上問題なしという解釈でよいのでしょう。
棟には真っ赤なダリアを植えたいそうだが…

しかしながら伝統的な価値を現代に変換していくために楽しみながらでもいろいろ試していくことは大事。
瓦屋根の上に茅葺き屋根

う〜んいい風景だ。
くさかんむり相良邸にて。

くさかんむりの苫が今年度も動き出しました。

↓去年のくさかんむりWORKSのひとつ。画像たっぷりなので苫葺きがイメージしやすいはず。
神戸市埋蔵文化財センターその道の達人に学ぶ体験講座「竪穴住居をつくろう」

今日のアート

こんなところにこんなものが
駅でアート
2席あけて仲良く並んで座ってたら
間にやってきたおばちゃんが思わず話しかけてこられました。
アートってそんなコミュニケーションをもたらしうるのがおもしろい。

電車待ちの間しばらく観察していたところ、誰もブロッコリーをのけて自分が座ろうとまではしませんでした。

自分が座りたいけど人さまのものかもしれないという葛藤。

よくみれば彫刻にも見紛うほどの量感と質感で
もはや立派な緑のオブジェと化していました。

摩訶不思議な連鎖で
どこかで自分の意図しない物語が生まれています。
そんな物語の種をたくさんまきたいですね。

どこかの買い物帰りのおばちゃんに感謝

stay tuned

今日はちょっとした電子機器礼讃。

2010年3月15日よりウェブブラウザでラジオを聴けるサービス「radiko」の試験配信がスタートした。ノイズも全く気になるレベルではなく、快適。今のところ、東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、大阪府、京都府、兵庫県、奈良県限定だそうだが、配信局もエリアも拡大してくれればうれしい。ラジオのメディアとしての力が見直されそうだ。
日本では白黒テレビよりも約30年前、1924年頃に登場した音の出るメディアの起源であり、情報技術の起源。洗濯機、冷蔵庫、蓄音機よりも前に登場し、現在の東芝より発表された当時は革命に近い出来事だったのではと思う。戦時にはさぞ活躍したことだろう。ラジオを聞く習慣がない人も、興味があればぜひ聞いてみてほしい。

昔からラジオが好きで、雑音と格闘しながらチューニングを必死に合わせて夜更かしをして聞いていたのが懐かしい。学校で話題にのぼるのはめっきり流行の音楽やファッション、芸能人などテレビベースの話で、ラジオは一切話題にされない。
誰にも邪魔されない。ささやかなひとりの時間。
家でこっそり聞きながら、空想にふけった。
好きな音楽がかかりそうな瞬間を見計らって録音ボタンを押して、テープやMDで繰り返し聞いた。
どうしても聞けない時間の番組は、予約をして通学中に聞いた。

友人といつものお決まりの場所に隠れてタバコを吸っていた昼休みでもなく、
ちょっと背伸びをして原付を乗り回して徹夜麻雀に向かっていた夜でもなく、
アルバイトに精を出していた放課後でもなく、
私にとってはそんなゆったりとした時間が
たとえば尾崎豊で言う「自由になれた気がした十五の夜」だったのかもしれない。

大学に入り、一人暮らしをはじめてから家にいる時間が少なくなり、いつの間にか聞かなくなった。
家にいない4年間のうちに音楽プレーヤーも進化し、mp3プレーヤーで好きな音楽を好きな順番に並べて聞くようになって、ラジオを再生するオーディオ機器は倉庫へお蔵入り。さらにラジオからは離れていた。

mp3プレーヤーでは当然のことながら自分の持ってない曲でいい曲は知り得ない。そんな閉鎖性が好きでなかった。
そんなときの朗報。インターネットでいつも聞いていた局のラジオが聞ける。
かなり嬉しい出来事だった。

そんな青春時代に聞いたものは今の自分を形成する一部になってるのだろうかなんて思いながら
坂本教授の渋い声と音楽を耳のお供にデスクに向かう、蒸し暑い夜。
職人と山
口でなく背中で語るために。

梅雨と図書館

神戸市立中央図書館へ。
某資格試験の勉強をしにいった以来なので約2年ぶり。

そのときは純粋に勉強だけでじっくり本たちとたわむれてなかったからなのか
もっと昔だったのではという印象。

つい安藤忠雄の連戦連敗がサイン入りでないか確認してしまったり
篠山紀信の写真集で市立図書館的に大丈夫な露出度はどこまでかチェックをしてしまったりと
適度に娯楽要素があるので息がつまらず

朝から晩まで缶詰めで勉強する人。
本が集まったときに醸し出す独特のにおい。
静かな空間に響く腰につけたキーケースと共に揺れる鈴の音。
ただの暇つぶしにふらっときてやったぜ感全開の家ばきでロビーにて堂々と新聞を読むおやじ。

皆それだけが目的でないにしても、これだけ人が活字を求めて集まる空間ってなかなかいいもんだ。
図書館を初めに考えた人は最高だ。

なんてどうでもいいようなことを思いながら
特に何も借りるつもりはなかったけど
わざわざカード作って
ここぞとばかりにデザイン素材集を大人借り。

必要なときに棚に置いてあってさっと取り出せなければイラッとしてしまうほうで、
いつも本にしてもCDにしてもほしくなったら即決で買ってしまうたちなのだが
借りようという気になったのは
たまにはみんなで共有する財産を求めてわざわざ1時間近くかけて図書館へ足を運ぶのもいいものだなんて思わせられたから。

結局図書館で見つけてどうしても手元にほしくなった一冊だけはすでにアマゾンでぽちっといってしまいましたが。
カスタマイズしたデスクトップ
気分転換にWinのほうのデスクトップまわりを変えてみました。PCアイコンとゴミ箱アイコンをもう少し大きくする方法が知りたいです。
ではでは、明日も図書館で朝から真面目に勉強するひとたちに負けぬよう、もうひとふんばり。。

sound of silence

いつも音楽を流して仕事をし、車で移動し、休息する。
毎日24時間のうち半分以上の時間を音楽と共に過ごすのだが、
時には音楽を聴かないこともある。

静寂を聞く。

実はそれは静寂ではなくて
実はいろんな音がある。

シャーシャー、シュー、ジージージー、ドドドドド、ゴォー、ヒュー、ガガガガガ、ウォーーーン、ポリポリポリ、カチャ、ギイー、ジュル、シャッ、カサカサカサ、…….

電子機器の音、虫の音、鳥の声、雫の音、雨がいろんなものに当たって出るいろんな音。車の音、風が木の葉っぱをこする音。鉛筆が紙をこする音、頭をかく音、皮膚と皮膚のこすれる音、椅子がきしむ音、書類をめくる音。

普通に生活していれば、本当の無音と出会う機会はそうはない。

我々が普段出会う無は大抵何もないことを意味しているのではない
それを勝手に無であると認識しているだけである

無であると思っていたものの行間を読み取る

そうすればもう治らないと思っていた目の霞みが晴れて
目をいくら凝らして見ようとしても見えなかったものが
不思議とよく見えてくるようになった
暗闇に目が霞む
そうやってジョンケージの4’33″のようなことを思わせる、湿った空気と梅雨のAMBIENT TIME。

染み付いたもの

「ことしもうアライグマ2匹捕まえたでな。ほんまかわいい顔しとんねんけど、農協持って行ったら裏のガス室連れてってレンジでチンやわ。かわいそうに。」
「せやけどもともとおったアライグマからしたら迷惑な話やなあ。もともとそこに住んどったのに人間が開発してなぁ。」
「ほんまや。そんなもん先住んどったもんからしたら迷惑な話やで。」
「そらインディアンといっしょや。」
「普天間と一緒やな。」
「わっはっはー。」
農作業
農村地域の体にしみついた文化コードから生まれる会話って面白いもんです。
自然を守ろうって過剰な意識がなくても自然とそういう哲学が身に染み付いています。
それがその場所に寄り添って生きるってことなんでしょう。

金土日と、楽しくなりそうです。準備準備。

ぼけ入門

ぼけつっこみのぼけではありません。
そっちの方は芸人の弟に任しておいて、今日は写真のごく普通かつごく基本だけれども初心者がはまりがちな話。

主体を際立たせたいときには焦点距離を長く、被写体に近寄り、絞りを開くことで、被写界深度を浅くして主体以外をぼかします。
PENTAX K-7
K100D 1/15 f1.4 ISO400 FA50mmf1.4
焦点距離50mmf1.4のレンズで50センチぐらいまで近寄るとAPS-CサイズのCCDでだいたいピントの合う範囲が3センチ前後。
夜、後ろに電飾があったりすると背景がきらきらして綺麗です。
絞り開く?焦点距離長く?シャッタースピード早く?被写体近寄る?被写界深度浅く?
なんだかどっちやねんという単語が並ぶのでわかりにくいでしょうが、それは撮影時の設定とそうすることでカメラがどう動くかという過程まで話すからわかりにくいのであって、
撮影者の動き自体は「f小さくして設定して、近寄ってズームで撮ったらぼける。」
と撮りはじめればとすぐに体が覚えます。過程は慣れてから知りたくなったら知るという程度のもので構わないでしょう。(プロを目指さないのなら)

ちなみにみなさんお持ちのコンパクトデジカメや携帯電話でぼけにくいのはレンズが小さく暗いのでf値をあまり小さく設定できないため、そしてCCDが小さく焦点距離があまりとれないため。やっぱりぼかしたい場合は焦点距離とかf値とかは気にせずマクロ撮影(チューリップマーク)モードでおもいっきり近づいて撮ればぼけてくれます。デジタル一眼レフでもCCDが大きい高価なモデルほど同じ画角を実現するための焦点距離は長く、ぼけの度合いが大きかったりします。

ぼけを本格的に楽しみたいのなら一眼レフで。
「一眼」とは撮影用の光学系とファインダー用の光学系が一系統であることを意味し、「レフ」とはミラーのレフレックス=反射を利用していることを意味。
撮り始めればおもしろいですよ~。ただし機材の沼に注意。きりがないのではまりすぎないように。
悪い例。↓
cottの写真スタジオ
近所にあるのは田んぼばかりでスタジオがなくて不便なことがあるので事務所にちょっとしたスタジオをこしらえました。あまり大きな設備ではないけれど、人物の全身まで十分いけそう。
ライティング調整中
これも制作物の幅を広げ、クオリティをあげるための必要経費。
只今ライティング調整中。
写真家ですか?いえいえ田舎の便利なおっさんです

農都ふれあい隊2010

田植え体験
芋植え体験
今日は農都ふれあい隊。淡河町の区長や営農組合の役員総出でお出迎え。
皆様、素足で田んぼへ。まちでは味わえない感触にいろんな声が飛び交う。

こういうイベントを開催して思うのは、やっぱり子供はこうやって自然とともに育つべきだなあと。
田舎のおもしろさを味わってほしいと思いながら、もしかしたら開催する側の方がそう思っているのかもしれません。
猫の爪とぎ
爪とぎを中断してカメラ目線サービスをするミューちゃんの図。
猫だって自然の中でたくましく育ちたいのです。

話は変わって、10月1週目の日曜日には淡河八幡神社にて古くから続く秋祭りがあります。
宮司さんと話をしてたのですが、いつも使う神輿2台の他にも子供神輿が2台使わずじまいであるそうです。と、いうわけで神輿の担ぎ手を淡河町外からも募集します。(まだ詳細はこれからつめてみますが、女性と小学生にはあまり出番がないので、だいたい小学校1~3年ぐらいの子供神輿と、だいたい中学生~25歳以下女子によるギャル神輿で考えています。)
神様や人が乗る神輿ではないので気軽にで大丈夫。田舎の祭りを味わいたい方、必見です。
淡河八幡祭り
この行列に神輿かついでついていきたい方、ぜひお声をおかけ下さい。

OGO RUINED PORTLAITS

最近個人的にやってみたいこと。
村の各地の「ああ、もう誰にも見向きされないんだろうな」、というほどに廃れた場所にて若者ポートレートシリーズ。モデル募集。交通費支給。メイク、スタイリング、報酬などについては応相談。
蔦と錆の倉庫
よくわからない蛇口
そしてその完成した作品群を村の文化祭に出品しておじさんたちに「この子らわしに紹介してくれへんこ?」とせがまれる。自治会長さんからは「どの子か嫁にもろて子供生ませ。5万円(自治会よりの祝い金)あげるさかい。」と言われる。
それが受けたらおじちゃん、おばちゃん編。
そして神戸美少女図鑑など海側の神戸に殴り込み。デザイン都市は海側の神戸だけに握らせない。

麦

田んぼとドラえもん
ああ、ヴァナキュラー。(称賛)

人々に愛されるまち

しばらく前に訪れた尾道。
好きな街のひとつ。

海と丘に生まれた風土ゆえだからだろうか。
行けば瀬戸内海に浮かんでいる島のひとつのようで、実は本州にあって。

国鉄の高架をくぐればそこはすぐに上り坂。
実際はそうではなかったとは思うが、たとえば国鉄ができたからといって「できたらしいよー」「へぇ~そーなんじゃー」という程度なものと感じるほどにおおらかなまちの表情を感じた。それはあくまでも主観で、訪れたその当時の心情を少なからず反映しているのかもしれないが。
しかし客観的に見てもおおらかに変化を受け入れながら空家の活用など先駆的な試みも行われつつ、独自のものも愛されて残っているのだろうなと憶測できるような残り方をしているものが多くあった。
開けているような、閉じているような。
建築のでき方と斜面の関係もおもしろい。
尾道の風景
何かにつまづいたり、どうしようもないほどの空虚な気持ちになったときなどにふらっと立ち寄るのがオススメである。その街のおおらかさがじんわりと心のわだかまりを溶かしてくれると思う。
猫をおいかけて路地に迷い込みたい、と思わせてくれる街である。
きっと好きな人も多いのではなかろうか。
愛されるものはきまって美しい。
尾道のまち
なぜ今さらかというと、このまちにご縁があったから、とでもいっておこうか。
またふらっと遊びにいけたらと思う。

変わる風景

昨日の、いろんな意味でおもしろかった光景

ら~めんと鳥

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