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Treehouse Blog of cott

ギャル&子供神輿プロジェクト

淡河八幡宮秋季例大祭
ギャル神輿プロジェクト

時間

10:00 集合
10:00〜12:00 太鼓、神輿練り
12:00〜12:30 浦安の舞
12:30〜13:30 昼休憩
13:30〜16:00 御旅神事
16:00 終了

申込み

子供神輿のみ参加可能です。参加資格は幼稚園〜小学校3年生ぐらいまで。申込みは不要。当日は第一部10時まで、第二部13時半までに淡河八幡宮境内にお集まり下さい。ただし、人数が定員を大幅に上回る場合、交代制となりますので譲り合ってね。

注意事項

ちいさなこども神輿とはいえ重いので、なめてかかると大けがをします。坂道や狭い道もあり、危険な所もあります。
サンダルやミュール等、足下が不安定な靴では参加することができません。
小学生未満のお子様にはできるだけ親御さんがついてあげて下さい。
怪我にだけ注意ができたら、皆で地域の祭りを楽しもう。

人と農村とグラフィックデザインと

淡河人物名鑑
今日はひとつのライフワークをご紹介。
町内の同世代の若者を集めて名鑑を作っている。

まちづくり研究会の視察研修のレジュメにオマケとして添付。
理論で攻めて共感させるのでなく、切り口を変えて視覚的に訴える。繋がりを示す。

JAの帽子なのに無駄にモデル並みの写りをする奴がいたり、酔っぱらって調子に乗ってわけわからんことを書く奴がいたり。。
何より感じるのは、やっぱり人を相手にすると面白いということ。ひとまず目標は総人口の1/10である300人。
ほとんど夜にBBQがてら撮ったので白バックですが、ほんとは豊かな各地の風景バックにして昼に撮りたい。

AGAIN & AGAIN

ラフデザイン
某コンペで相当悔しい思いをした。そこでいただいたご意見をもとに夜な夜な案をブラッシュアップをしました。(上画像は黒ペンで書いた初期ラフの一部分。ブラッシュアップ案は都合上、いまここでは載せられないので代わりに。)

世に出ることはなくともブラッシュアップする習慣の始まりは学生の頃。その当時、毎週先生方にアドバイスをいただきながら設計を進め、最後に諸先生方の前でプレゼンテーションをするという授業があった。先生方も大変熱心で、昼から3時間の授業が倍以上も長引いていつの間にか外は真っ暗ということもざらだった。私は特に優等生でもなかったので、その熱気の渦の中からはじき出されて最終的にしょうもない案を提出することもあった。そのたびにそんなしょうもない案のいいところをうまく引き出し、悪い所も的確に指導してくれる先生方の器量の大きさに感動しながらいつも反省していた。その先生方の偉大な言葉はたくさんあったのだが、その中でもひときわぐっと来たことこそが「課題を提出したときよりももっと大事なのは、それをどこまでリライトしてくるかだ」ということだった。きっとそのときの情けない心情の中まで届いた唯一の光だったのだろう。

それから競争した結果、負けてしまった案などは世に出る訳じゃなくとも、できるだけリライトすることを心がけるようになったのだ。だめならだめで、放ったらかさずにものにする。(もちろん仕事でそれが世に出るようになると、そんなことしてられないし、ブラッシュアップされきったものを提示するのが責任なのでそんなことはあり得ないですが。)

そんなこんなで今日はこうやって外の目に触れるオープンなフィールドでフェアに競い合い、ああだこうだとオープンに意見を戦わせる場を継続して設けることの大切さをまた改めて実感している。もっとこの輪を広げた告知が近々できそうですので楽しみにしていて下さい。

ご協力いただいた諸先輩方、本当にありがとうございました。お眼鏡に叶うような、いや、お眼鏡を割ってしまうようなものを作れるよう精進しますので、これからも厳しいながらもあたたかいお言葉をいただけましたら幸いです。
そして同志たち。今後ともどうぞよろしくお願いします。

今日のブログは自分のデザインは駄目でもっとすごい奴らが山ほどいると公言するようなものなのでここに載せるのはどうかと思ったが、この気持ちを大事にさらに進んでいけたらということでここに今の想いを記しておくことにした。

今年はたくさん悔しい想いをしている。そして次に繋げるために決意を新たにする。

さあ明日は東京。

Yasufuku

On The Road

潔くて気持ちいい看板。
潔い看板
壁面緑化とアノニマスに潜むモダニズム
過去に潜むモダニズム
力の及ばぬところを知り、鬼を感じて生きること
鬼の食卓
@石川県小松市

空から見れば、美しき島国。だけれど情報が集中し、多くの人が生きるのは東京。しばらくを電脳世界で過ごしていると、そらから眺める日本にはっとした。そういうわけで、地方なのだ。
これからもいろいろ美しい地を歩きたい。そして育みたい。
空から眺める日本
あと5年ぐらいは黙っておこうと思いつつ、黙っておかせてくれない仲間たち。積み上がる今。いつの間にやら巨大なプロッターやポストスクリプトプリンタが居座っている。ずいぶん事務所が狭くなった。まだたったの3年半ぽっちだという驚き。ちょっとした節目に、ちいさく乾杯をする。

自休自足2011秋号

自然を感じながらの暮らしを提案するライフスタイルマガジン「自休自足」にcottツリーハウスのことが掲載されています。
当事務所のライフスタイルにご興味いただきお問い合わせ頂くこともあるのですが、そういった暮らしに近いところにスポットの当たった内容となっています。
ご興味ございます方是非、お手に取ってご覧下さい。9月3日発売。全国の書店にてご覧頂けます。

Masking!

営業車ペイント中
OFF DAYはIllustratorのTさんと一緒にPainting。
立体に描く円は難しいけれど、平面を扱うことが圧倒的に多いけれど、
その感覚は持っておきたい。

9.27 追記
car cott
休日利用で日々更新。ゆるり、ゆるり。

モトコー

モトコー
元町駅から西側、神戸駅まで連なる元町高架通商店街。通称モトコー。高校時代、学校帰りや休みの日によく立ち寄った。青春を育んでくれた商店街だ。
高校生の財布にも優しい激安品。明らかに高級ブランドのパチもの。怪しげな置物。汚いながら激ウマの中華。散髪屋。本、レコード。売っていないものなんてないのではなかろうかというぐらい、何だって売っている。観光客に勧めるのは北野やハーバーランド、南京町などのいわゆるTHE KOBE的な場所だが、モトコーの醸し出す特有の怪しさも神戸の人にとっては神戸らしいと感じるB面的存在かもしれない。

そんな世話になった商店街がロゴマークを募集していたので半日ほどさいて応募してみた。審査員が誰か分からず自由に作ったために駄目だったのだが、自分と商店街の思い出をなぞりながら、楽しく制作できたので、よし。

元町高架通商店街ロゴ 応募案
一応文字は全て手描きから起こすオリジナル。

111010 追記
当選案を見たが、「B面の審査基準は難しい。」とだけ言っておこう。

軽トラBAR Straw Wings・改

「ゆるやかな場をつくる」ということへの興味からのトライアル。くさかんむりによりかなりの改良が加えられ、今年も出動。さすがの職人クオリティー。みんなでさらに改良を重ねましょう。アイデアをください。目標はカウンターや椅子も含め、ユニットを組んでトラックに固定するのに5分以内。現地到着後営業開始まで5分以内。
軽トラBAR 茅葺き屋根CLOSE時
軽トラBAR 茅葺き屋根OPEN時
軽トラBAR 茅葺き屋根営業時
小雨だったのですが、屋根の下は全く問題なしでした。渋谷のスクランブル交差点で信号待ちしてみたい。
今回1番人気だったメニューは、パーマカルチャーセンタージャパンの設楽さんとのコラボレーションで実現した、「生絞りグレープフルーツ酵素ジュースを使ったグレイハウンド」でした。

美の寿命

先日、80~90年代の女優やアイドルの写真集を100冊程譲り受けた。「そんなエロ本ばっかりどないすんねや」と言われたが、これも一応資料だ。すべて本棚に収める前に一応チェックしたのだが、そのうち装丁が魅力的だと思ったものは90年代の2冊。どちらも鈴木成一デザイン室だった。(ちなみに撮影は篠山紀信氏のものと宮澤正明氏のもの。)何十年も先に残るデザインを追求していくことばかりがデザインとも思わないが、15年先ですら廃れない感性でものをつくることの難しさを感じた日常のひとこま。

当たり前ながら時代や文脈で美しいとされる価値は変わる。
(その中でも女性のヌードは大抵の文脈において美しい、神聖であるとされるが、その美しいとされる姿は変わる。ここ25年を見てもエロティシズムを感じる様の違いが多く垣間見られたのだから。自然や所謂神に近いものが美しいとされる考えが最も普遍的だ。)

デザイナーという職業として大切な感覚というか最低限持ち合わせておくべき感覚はどちらかと言えば「いま、美しく見えるということ」であるが、そこで終わらせることなく恒久的な美しさも追求したいと思うことも大切であるはずだ。特に、それが100年先も使われうるCIなどは流行に甘んじてばかりいられない。

そこで、美の寿命ということを考えてみた。
今この目の前にあるものは今このエリアでどの程度美しいと思われていて、このままのかたちであれば美しいと思われるのが何年なのだろう。来年には、再来年には…。X軸に時間、Y軸に美をおいてそれらを時間について微積分してみたら新しい評価軸ができるのでは。それを、「いま、この媒体はどの程度の美しさを求められるべきだからどういうふうにデザインし、XX曲線型のどういう数値を表すようにしました。」というようにプレゼンテーションに生かしていく。
なんていう研究者的妄想。また美大にでも行く機会があればそんな研究をしてみたい。(興味あれば誰か挑戦してみては。)その前に美を量るという無謀な課題があるし、数字、理性だけで解ける分野でもないので、あまり論点を広げすぎると最後はぐるぐるしてしまいそうですが。

そんなことを考えつつも、美を判断する感覚にできるだけ敏感であるために、美術や風土はできるだけいろんなものを見ておくのだ。もちろん、ただ単に美しいと多くの人が感じるものをつくることがデザインでもないが。
今日も旅をしよう。
シンガポールの風景
ペナン島より
山と橋と人間と
カンボジアの遺跡
Y

DAWN

夜明け

2011年8月14日(日)
03:57

盆。丸い月がこうこうといつもより少しだけ涼しい夜をやさしく照らしている。
この灯りにまぎれて、ご先祖様たちが縁側でわいわいおしゃべりしているように思える。
私は所謂無宗教人間だが、頭の中で霊的な世界が踊っているなら大丈夫。
安心して夜は灯りを落とそう。
まぶしい朝日を拝むために。

丸い月をとりまくエピソードといえば
誰もが小さな頃、
いつまでもついてくる満月に
追いつこうとしてみたことがあると思う。

だがそれを今も追いかけてる人を知らない。
追いかけても追いかけてもいっこうに届かないことを知り、
あわよくばいつか追い付いて蹴飛ばしてやろうと
淡い期待を抱くことがいつの間にかなくなった

大人になってわたしたちは、満月はいつも見守ってくれているだけのもので、
蹴り飛ばすことなんて到底次元が違う話だと知っている。
だったらせめてできるだけ丁寧にいよう。

正しいとされることで
それを知らないこどもを 責め立てることなく、
立派なことで 自分自身を囲い込むでなく、
自身に潜む 一抹のファンタジーを取り出して
せっかくの機会だから ぷぅ〜っと息を吹き込んで
ふくらませてやろうではないか。

yasufuku

受難者

アナログテレビの山
近頃日本の地方都市のあちこちでアナログテレビの山を目にする。
文字どおり、ちょっとした山である。海と言ってもいい。
建築もそうだが、そのものの寿命と言うよりも社会構造の変化で急に不要になったものたちは大変多い。(住宅の平均寿命 – アメリカ約44年、イギリス約75年、日本約26年。『国土交通省建築白書 1996』)近頃は原発もそれに近いだろう。

日本の社会が向かうアポリアを示唆する風景をまるのまんま垣間見たかのような感覚。
そしてそれを日本の片隅の景色として処理し、日常戻るときに感じる違和感。夢から覚めたときに似たあきらめのようなものを感じる瞬間である。

なぜ維持しようとする者、やさしいこころの持ち主は、いつも受難者となるのか。どうにもその種の問題は複雑で、それを紐解く論理は学者にでも聞いてくれと思うのだが、ひとつの単純理論で応急処置するのならば、たとえば大数の法則をあてはめてみよう。個人レベルではどうしようもない大数の法則が作用し、多くのあきらめが発生する。電車で1人の老人に席は譲れても、10人には譲れない。やさしい人ほどそれに対して心を痛めるが、いつもいつも痛めてはいられないから防衛機能が働くのは仕方のないことだ。うまく働かせられなければ闇の牢に捕まる。

農村は小さな流れで動く経済活動、社会活動がベースにあり、そういった世の諸問題が個人レベルで管轄可能なところが多い。そこに大数の法則による甘い汁をむやみに吸わせないで欲しい。日本はもちろん、世界レベルの話でもある。

yasufuku

a summer

サメット島の海岸
看板
旅
– These photos taken with Holga 120 CFN

ききとること。耳を澄ますこと。
めいっぱいに広げた両手がやっと胸の前に近づいてきた。

yasufuku

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