Treehouse Blog of cott
農村における誌面の効用
- 2011-09-29 (木)
- Tweets -はてしないたわごと-
いつもお会いするたびに、原発や有機農法などの情報が掲載された誌面の汚いコピー数枚が折り曲げられたものをくれるおっちゃんが町内にいる。自身で情報を取捨選択し、ちょっとしたZINEのようなものを編み上げる。ある意味編集者である。それは私が欲しい情報かということは置いておいて。
私は普段仕事に関係のある資料以外では綺麗な印刷物をできるだけ刷り上がった状態のままストックしていて、他はゴミ箱行き。そのおっちゃんのZINEは例外なのでそのおっちゃん用ファイルを作って大切にしまっている。そのおっちゃんにもらわなければ確実にゴミ箱行きである。いやいや、ちゃんと読んでます、感謝していますということが言いたいのです。
また、あるおっちゃんは、私が頑張って作ったチラシをひととおり説明させていただきながら読まれた後は、目の前で小さく畳んでポケットにしまってしまう。特別な意図のない限り小さく畳むということは、仕事柄私の中ではゴミ箱行きに近いことを意味するものなのでそれを目の前でやってのけられるのはある意味事件なのだ。もちろんそれを目の当たりにしても顔の筋肉をひとつも動かさないぐらいの経験値は獲得しているし、そもそも自分が作ったものにはあまり執着しないので一向に構わないのだが。
しかしそれらの一連のことについてよく考えてみると農村の皆は情報の欲しい部分をうまくつかみとる術に長けている気がする。その人にとってレイアウトのデザインなんてなんでもない。比較的文字をよく読んで、消費を喚起する派手な様相や綺麗な見た目に惑わされず、自分に必要な情報を選び、再編集する。(どちらかといえば今風のシンプルで綺麗とされるレイアウトよりも、スーパーのチラシのような直感的に消費を喚起する派手なものの方が効果があるだろう。)
かいかぶりすぎかもしれないが。
ただ、「知っていること」は美ではないのである。
その紙は通り過ぎて火を焚くときなどの種になる。
近頃は両面ともに印刷されたチラシばかりなので子供が落書きする様子が見られないのが少々寂しい。
それはきっとそういうことなんだろう。
本当に見つめるべきは他にあるということ。
そういうことを思いながらグラフィックデザイナーとしては、それでも枠の中でじたばたする他ないのだけれど。
いや、しかし時には、それ以外の業も見せつつ、田舎のオッサンに変身しつつ、少し枠の外でもじたばたしてみようぞ。
Yasufuku
ギャル&子供神輿プロジェクト
- 2011-09-25 (日)
- OGOGOGO! -地域活性への道-
時間
10:00 集合
10:00〜12:00 太鼓、神輿練り
12:00〜12:30 浦安の舞
12:30〜13:30 昼休憩
13:30〜16:00 御旅神事
16:00 終了
申込み
子供神輿のみ参加可能です。参加資格は幼稚園〜小学校3年生ぐらいまで。申込みは不要。当日は第一部10時まで、第二部13時半までに淡河八幡宮境内にお集まり下さい。ただし、人数が定員を大幅に上回る場合、交代制となりますので譲り合ってね。
注意事項
ちいさなこども神輿とはいえ重いので、なめてかかると大けがをします。坂道や狭い道もあり、危険な所もあります。
サンダルやミュール等、足下が不安定な靴では参加することができません。
小学生未満のお子様にはできるだけ親御さんがついてあげて下さい。
怪我にだけ注意ができたら、皆で地域の祭りを楽しもう。
人と農村とグラフィックデザインと
- 2011-09-25 (日)
- OGOGOGO! -地域活性への道-
AGAIN & AGAIN
- 2011-09-15 (木)
- Anecdote about Design -業界の小話-
某コンペで相当悔しい思いをした。そこでいただいたご意見をもとに夜な夜な案をブラッシュアップをしました。(上画像は黒ペンで書いた初期ラフの一部分。ブラッシュアップ案は都合上、いまここでは載せられないので代わりに。)
世に出ることはなくともブラッシュアップする習慣の始まりは学生の頃。その当時、毎週先生方にアドバイスをいただきながら設計を進め、最後に諸先生方の前でプレゼンテーションをするという授業があった。先生方も大変熱心で、昼から3時間の授業が倍以上も長引いていつの間にか外は真っ暗ということもざらだった。私は特に優等生でもなかったので、その熱気の渦の中からはじき出されて最終的にしょうもない案を提出することもあった。そのたびにそんなしょうもない案のいいところをうまく引き出し、悪い所も的確に指導してくれる先生方の器量の大きさに感動しながらいつも反省していた。その先生方の偉大な言葉はたくさんあったのだが、その中でもひときわぐっと来たことこそが「課題を提出したときよりももっと大事なのは、それをどこまでリライトしてくるかだ」ということだった。きっとそのときの情けない心情の中まで届いた唯一の光だったのだろう。
それから競争した結果、負けてしまった案などは世に出る訳じゃなくとも、できるだけリライトすることを心がけるようになったのだ。だめならだめで、放ったらかさずにものにする。(もちろん仕事でそれが世に出るようになると、そんなことしてられないし、ブラッシュアップされきったものを提示するのが責任なのでそんなことはあり得ないですが。)
そんなこんなで今日はこうやって外の目に触れるオープンなフィールドでフェアに競い合い、ああだこうだとオープンに意見を戦わせる場を継続して設けることの大切さをまた改めて実感している。もっとこの輪を広げた告知が近々できそうですので楽しみにしていて下さい。
ご協力いただいた諸先輩方、本当にありがとうございました。お眼鏡に叶うような、いや、お眼鏡を割ってしまうようなものを作れるよう精進しますので、これからも厳しいながらもあたたかいお言葉をいただけましたら幸いです。
そして同志たち。今後ともどうぞよろしくお願いします。
今日のブログは自分のデザインは駄目でもっとすごい奴らが山ほどいると公言するようなものなのでここに載せるのはどうかと思ったが、この気持ちを大事にさらに進んでいけたらということでここに今の想いを記しておくことにした。
今年はたくさん悔しい想いをしている。そして次に繋げるために決意を新たにする。
さあ明日は東京。
Yasufuku
On The Road
- 2011-09-08 (木)
- Tweets -はてしないたわごと-
潔くて気持ちいい看板。
壁面緑化とアノニマスに潜むモダニズム
力の及ばぬところを知り、鬼を感じて生きること
@石川県小松市
空から見れば、美しき島国。だけれど情報が集中し、多くの人が生きるのは東京。しばらくを電脳世界で過ごしていると、そらから眺める日本にはっとした。そういうわけで、地方なのだ。
これからもいろいろ美しい地を歩きたい。そして育みたい。
あと5年ぐらいは黙っておこうと思いつつ、黙っておかせてくれない仲間たち。積み上がる今。いつの間にやら巨大なプロッターやポストスクリプトプリンタが居座っている。ずいぶん事務所が狭くなった。まだたったの3年半ぽっちだという驚き。ちょっとした節目に、ちいさく乾杯をする。
自休自足2011秋号
- 2011-08-29 (月)
- cott News -コットよりお知らせ-
自然を感じながらの暮らしを提案するライフスタイルマガジン「自休自足」にcottツリーハウスのことが掲載されています。
当事務所のライフスタイルにご興味いただきお問い合わせ頂くこともあるのですが、そういった暮らしに近いところにスポットの当たった内容となっています。
ご興味ございます方是非、お手に取ってご覧下さい。9月3日発売。全国の書店にてご覧頂けます。
Masking!
- 2011-08-28 (日)
- Rocal Design Life -農村デザインの日常-
モトコー
- 2011-08-23 (火)
- Design Trial -デザイン研究-
元町駅から西側、神戸駅まで連なる元町高架通商店街。通称モトコー。高校時代、学校帰りや休みの日によく立ち寄った。青春を育んでくれた商店街だ。
高校生の財布にも優しい激安品。明らかに高級ブランドのパチもの。怪しげな置物。汚いながら激ウマの中華。散髪屋。本、レコード。売っていないものなんてないのではなかろうかというぐらい、何だって売っている。観光客に勧めるのは北野やハーバーランド、南京町などのいわゆるTHE KOBE的な場所だが、モトコーの醸し出す特有の怪しさも神戸の人にとっては神戸らしいと感じるB面的存在かもしれない。
そんな世話になった商店街がロゴマークを募集していたので半日ほどさいて応募してみた。審査員が誰か分からず自由に作ったために駄目だったのだが、自分と商店街の思い出をなぞりながら、楽しく制作できたので、よし。
111010 追記
当選案を見たが、「B面の審査基準は難しい。」とだけ言っておこう。
軽トラBAR Straw Wings・改
- 2011-08-21 (日)
- Design Trial -デザイン研究-
美の寿命
- 2011-08-19 (金)
- Anecdote about Design -業界の小話-
先日、80~90年代の女優やアイドルの写真集を100冊程譲り受けた。「そんなエロ本ばっかりどないすんねや」と言われたが、これも一応資料だ。すべて本棚に収める前に一応チェックしたのだが、そのうち装丁が魅力的だと思ったものは90年代の2冊。どちらも鈴木成一デザイン室だった。(ちなみに撮影は篠山紀信氏のものと宮澤正明氏のもの。)何十年も先に残るデザインを追求していくことばかりがデザインとも思わないが、15年先ですら廃れない感性でものをつくることの難しさを感じた日常のひとこま。
当たり前ながら時代や文脈で美しいとされる価値は変わる。
(その中でも女性のヌードは大抵の文脈において美しい、神聖であるとされるが、その美しいとされる姿は変わる。ここ25年を見てもエロティシズムを感じる様の違いが多く垣間見られたのだから。自然や所謂神に近いものが美しいとされる考えが最も普遍的だ。)
デザイナーという職業として大切な感覚というか最低限持ち合わせておくべき感覚はどちらかと言えば「いま、美しく見えるということ」であるが、そこで終わらせることなく恒久的な美しさも追求したいと思うことも大切であるはずだ。特に、それが100年先も使われうるCIなどは流行に甘んじてばかりいられない。
そこで、美の寿命ということを考えてみた。
今この目の前にあるものは今このエリアでどの程度美しいと思われていて、このままのかたちであれば美しいと思われるのが何年なのだろう。来年には、再来年には…。X軸に時間、Y軸に美をおいてそれらを時間について微積分してみたら新しい評価軸ができるのでは。それを、「いま、この媒体はどの程度の美しさを求められるべきだからどういうふうにデザインし、XX曲線型のどういう数値を表すようにしました。」というようにプレゼンテーションに生かしていく。
なんていう研究者的妄想。また美大にでも行く機会があればそんな研究をしてみたい。(興味あれば誰か挑戦してみては。)その前に美を量るという無謀な課題があるし、数字、理性だけで解ける分野でもないので、あまり論点を広げすぎると最後はぐるぐるしてしまいそうですが。
そんなことを考えつつも、美を判断する感覚にできるだけ敏感であるために、美術や風土はできるだけいろんなものを見ておくのだ。もちろん、ただ単に美しいと多くの人が感じるものをつくることがデザインでもないが。
今日も旅をしよう。
Y
DAWN
- 2011-08-14 (日)
- Spring of Words -こぼれおちることば-
2011年8月14日(日)
03:57
盆。丸い月がこうこうといつもより少しだけ涼しい夜をやさしく照らしている。
この灯りにまぎれて、ご先祖様たちが縁側でわいわいおしゃべりしているように思える。
私は所謂無宗教人間だが、頭の中で霊的な世界が踊っているなら大丈夫。
安心して夜は灯りを落とそう。
まぶしい朝日を拝むために。
丸い月をとりまくエピソードといえば
誰もが小さな頃、
いつまでもついてくる満月に
追いつこうとしてみたことがあると思う。
だがそれを今も追いかけてる人を知らない。
追いかけても追いかけてもいっこうに届かないことを知り、
あわよくばいつか追い付いて蹴飛ばしてやろうと
淡い期待を抱くことがいつの間にかなくなった
大人になってわたしたちは、満月はいつも見守ってくれているだけのもので、
蹴り飛ばすことなんて到底次元が違う話だと知っている。
だったらせめてできるだけ丁寧にいよう。
正しいとされることで
それを知らないこどもを 責め立てることなく、
立派なことで 自分自身を囲い込むでなく、
自身に潜む 一抹のファンタジーを取り出して
せっかくの機会だから ぷぅ〜っと息を吹き込んで
ふくらませてやろうではないか。
yasufuku
受難者
- 2011-08-13 (土)
- Tweets -はてしないたわごと-
近頃日本の地方都市のあちこちでアナログテレビの山を目にする。
文字どおり、ちょっとした山である。海と言ってもいい。
建築もそうだが、そのものの寿命と言うよりも社会構造の変化で急に不要になったものたちは大変多い。(住宅の平均寿命 – アメリカ約44年、イギリス約75年、日本約26年。『国土交通省建築白書 1996』)近頃は原発もそれに近いだろう。
日本の社会が向かうアポリアを示唆する風景をまるのまんま垣間見たかのような感覚。
そしてそれを日本の片隅の景色として処理し、日常戻るときに感じる違和感。夢から覚めたときに似たあきらめのようなものを感じる瞬間である。
なぜ維持しようとする者、やさしいこころの持ち主は、いつも受難者となるのか。どうにもその種の問題は複雑で、それを紐解く論理は学者にでも聞いてくれと思うのだが、ひとつの単純理論で応急処置するのならば、たとえば大数の法則をあてはめてみよう。個人レベルではどうしようもない大数の法則が作用し、多くのあきらめが発生する。電車で1人の老人に席は譲れても、10人には譲れない。やさしい人ほどそれに対して心を痛めるが、いつもいつも痛めてはいられないから防衛機能が働くのは仕方のないことだ。うまく働かせられなければ闇の牢に捕まる。
農村は小さな流れで動く経済活動、社会活動がベースにあり、そういった世の諸問題が個人レベルで管轄可能なところが多い。そこに大数の法則による甘い汁をむやみに吸わせないで欲しい。日本はもちろん、世界レベルの話でもある。
yasufuku
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