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Treehouse Blog of cott

ムラのあれこれ

ギャル神輿が終わり、今年の太鼓の担ぎ手や歌い手などをしていた同世代と二次会。
ムラの制度についての話になった。
伝統を守るべきか、祭りを続けるべきか
新しさをどこまで受け入れるべきか、古きを生かすべきか
古い考えの人に感謝をするか、排除をするか
豊かなムラはどんな村か、
これからどういうムラであればいいか、

同級生の1/5ほどが集まって
そんな話が意外に熱くできたのは、きっと皆当事者だからだろう。

伝統も受け入れる必要もないが、古い考えに何も言わず従う必要のある地区が未だ残っている。そういうものがはびこっている地区は若い者には生活しづらい。別に若造の意見が通ることを期待していないし、希望しないが、バックグラウンドが知れた者同士、話ぐらいは聞いてくれてもよいのではないか。それで回っていたのは世代間交流の場がさらに多かったから。そういう場として祭りが必要だと判断する脳味噌ぐらい若造にもある。

また、ムラの良さは少なからずテーマコミュニティのみによって成立しない。
農村は自分以外の他を尊重し、関係性を編集しながら濃密に関わって生きられるところ。
自分と異質なものを寛容に受け入れるおおらかな心が必要で、
自身を優れているとする驕りと他の上に立とうとする慢心を持つ者が気持ちよく生きられる「夢の国」ではないのだ。

いろいろ話の次元が上下左右していたのだけれど、まとめるとそういうことだったのだろう。
そういう意識を共有できて嬉しい。そしてたまに集まって飲んだときに話す機会があればまた話そう。
そうやって感覚を補正する。

どこまでも自然でいる。
最近は播州弁がよく出るようになってきたことが楽しい。

来年はうちの村も当番やさかいに太鼓かかなあかんねやわ〜。
あれほんま重たいからごっつ肩痛なるねん。
淡河八幡宮秋季例大祭 御旅神事
いちばんうしろで顔ひとつ飛び出たじいさんがポイント。
がいよ見えるとこおってやねや。

巫女さん

淡河八幡宮御旅神事

淡河八幡宮秋季例大祭 ギャル神輿

ギャル神輿
10/3読売新聞朝刊 神戸新聞朝刊に載ってたようですが、先日の淡河八幡宮秋季例大祭で初お披露目のギャル神輿。
江戸時代から続くまつりに華やかに彩りを添えてくれました!

さてさて、明日からY氏が出勤。

チームが広がるのは、やはり楽しい。
どうなることやら乞うご期待。
さらに核心をついたものへ。
この際いけるとこまでいってみよ。

Yasufuku

農村における誌面の効用

いつもお会いするたびに、原発や有機農法などの情報が掲載された誌面の汚いコピー数枚が折り曲げられたものをくれるおっちゃんが町内にいる。自身で情報を取捨選択し、ちょっとしたZINEのようなものを編み上げる。ある意味編集者である。それは私が欲しい情報かということは置いておいて。
私は普段仕事に関係のある資料以外では綺麗な印刷物をできるだけ刷り上がった状態のままストックしていて、他はゴミ箱行き。そのおっちゃんのZINEは例外なのでそのおっちゃん用ファイルを作って大切にしまっている。そのおっちゃんにもらわなければ確実にゴミ箱行きである。いやいや、ちゃんと読んでます、感謝していますということが言いたいのです。

また、あるおっちゃんは、私が頑張って作ったチラシをひととおり説明させていただきながら読まれた後は、目の前で小さく畳んでポケットにしまってしまう。特別な意図のない限り小さく畳むということは、仕事柄私の中ではゴミ箱行きに近いことを意味するものなのでそれを目の前でやってのけられるのはある意味事件なのだ。もちろんそれを目の当たりにしても顔の筋肉をひとつも動かさないぐらいの経験値は獲得しているし、そもそも自分が作ったものにはあまり執着しないので一向に構わないのだが。

しかしそれらの一連のことについてよく考えてみると農村の皆は情報の欲しい部分をうまくつかみとる術に長けている気がする。その人にとってレイアウトのデザインなんてなんでもない。比較的文字をよく読んで、消費を喚起する派手な様相や綺麗な見た目に惑わされず、自分に必要な情報を選び、再編集する。(どちらかといえば今風のシンプルで綺麗とされるレイアウトよりも、スーパーのチラシのような直感的に消費を喚起する派手なものの方が効果があるだろう。)

かいかぶりすぎかもしれないが。
ただ、「知っていること」は美ではないのである。

その紙は通り過ぎて火を焚くときなどの種になる。
近頃は両面ともに印刷されたチラシばかりなので子供が落書きする様子が見られないのが少々寂しい。

それはきっとそういうことなんだろう。

本当に見つめるべきは他にあるということ。
そういうことを思いながらグラフィックデザイナーとしては、それでも枠の中でじたばたする他ないのだけれど。
いや、しかし時には、それ以外の業も見せつつ、田舎のオッサンに変身しつつ、少し枠の外でもじたばたしてみようぞ。

Yasufuku

ギャル&子供神輿プロジェクト

淡河八幡宮秋季例大祭
ギャル神輿プロジェクト

時間

10:00 集合
10:00〜12:00 太鼓、神輿練り
12:00〜12:30 浦安の舞
12:30〜13:30 昼休憩
13:30〜16:00 御旅神事
16:00 終了

申込み

子供神輿のみ参加可能です。参加資格は幼稚園〜小学校3年生ぐらいまで。申込みは不要。当日は第一部10時まで、第二部13時半までに淡河八幡宮境内にお集まり下さい。ただし、人数が定員を大幅に上回る場合、交代制となりますので譲り合ってね。

注意事項

ちいさなこども神輿とはいえ重いので、なめてかかると大けがをします。坂道や狭い道もあり、危険な所もあります。
サンダルやミュール等、足下が不安定な靴では参加することができません。
小学生未満のお子様にはできるだけ親御さんがついてあげて下さい。
怪我にだけ注意ができたら、皆で地域の祭りを楽しもう。

人と農村とグラフィックデザインと

淡河人物名鑑
今日はひとつのライフワークをご紹介。
町内の同世代の若者を集めて名鑑を作っている。

まちづくり研究会の視察研修のレジュメにオマケとして添付。
理論で攻めて共感させるのでなく、切り口を変えて視覚的に訴える。繋がりを示す。

JAの帽子なのに無駄にモデル並みの写りをする奴がいたり、酔っぱらって調子に乗ってわけわからんことを書く奴がいたり。。
何より感じるのは、やっぱり人を相手にすると面白いということ。ひとまず目標は総人口の1/10である300人。
ほとんど夜にBBQがてら撮ったので白バックですが、ほんとは豊かな各地の風景バックにして昼に撮りたい。

AGAIN & AGAIN

ラフデザイン
某コンペで相当悔しい思いをした。そこでいただいたご意見をもとに夜な夜な案をブラッシュアップをしました。(上画像は黒ペンで書いた初期ラフの一部分。ブラッシュアップ案は都合上、いまここでは載せられないので代わりに。)

世に出ることはなくともブラッシュアップする習慣の始まりは学生の頃。その当時、毎週先生方にアドバイスをいただきながら設計を進め、最後に諸先生方の前でプレゼンテーションをするという授業があった。先生方も大変熱心で、昼から3時間の授業が倍以上も長引いていつの間にか外は真っ暗ということもざらだった。私は特に優等生でもなかったので、その熱気の渦の中からはじき出されて最終的にしょうもない案を提出することもあった。そのたびにそんなしょうもない案のいいところをうまく引き出し、悪い所も的確に指導してくれる先生方の器量の大きさに感動しながらいつも反省していた。その先生方の偉大な言葉はたくさんあったのだが、その中でもひときわぐっと来たことこそが「課題を提出したときよりももっと大事なのは、それをどこまでリライトしてくるかだ」ということだった。きっとそのときの情けない心情の中まで届いた唯一の光だったのだろう。

それから競争した結果、負けてしまった案などは世に出る訳じゃなくとも、できるだけリライトすることを心がけるようになったのだ。だめならだめで、放ったらかさずにものにする。(もちろん仕事でそれが世に出るようになると、そんなことしてられないし、ブラッシュアップされきったものを提示するのが責任なのでそんなことはあり得ないですが。)

そんなこんなで今日はこうやって外の目に触れるオープンなフィールドでフェアに競い合い、ああだこうだとオープンに意見を戦わせる場を継続して設けることの大切さをまた改めて実感している。もっとこの輪を広げた告知が近々できそうですので楽しみにしていて下さい。

ご協力いただいた諸先輩方、本当にありがとうございました。お眼鏡に叶うような、いや、お眼鏡を割ってしまうようなものを作れるよう精進しますので、これからも厳しいながらもあたたかいお言葉をいただけましたら幸いです。
そして同志たち。今後ともどうぞよろしくお願いします。

今日のブログは自分のデザインは駄目でもっとすごい奴らが山ほどいると公言するようなものなのでここに載せるのはどうかと思ったが、この気持ちを大事にさらに進んでいけたらということでここに今の想いを記しておくことにした。

今年はたくさん悔しい想いをしている。そして次に繋げるために決意を新たにする。

さあ明日は東京。

Yasufuku

On The Road

潔くて気持ちいい看板。
潔い看板
壁面緑化とアノニマスに潜むモダニズム
過去に潜むモダニズム
力の及ばぬところを知り、鬼を感じて生きること
鬼の食卓
@石川県小松市

空から見れば、美しき島国。だけれど情報が集中し、多くの人が生きるのは東京。しばらくを電脳世界で過ごしていると、そらから眺める日本にはっとした。そういうわけで、地方なのだ。
これからもいろいろ美しい地を歩きたい。そして育みたい。
空から眺める日本
あと5年ぐらいは黙っておこうと思いつつ、黙っておかせてくれない仲間たち。積み上がる今。いつの間にやら巨大なプロッターやポストスクリプトプリンタが居座っている。ずいぶん事務所が狭くなった。まだたったの3年半ぽっちだという驚き。ちょっとした節目に、ちいさく乾杯をする。

自休自足2011秋号

自然を感じながらの暮らしを提案するライフスタイルマガジン「自休自足」にcottツリーハウスのことが掲載されています。
当事務所のライフスタイルにご興味いただきお問い合わせ頂くこともあるのですが、そういった暮らしに近いところにスポットの当たった内容となっています。
ご興味ございます方是非、お手に取ってご覧下さい。9月3日発売。全国の書店にてご覧頂けます。

Masking!

営業車ペイント中
OFF DAYはIllustratorのTさんと一緒にPainting。
立体に描く円は難しいけれど、平面を扱うことが圧倒的に多いけれど、
その感覚は持っておきたい。

9.27 追記
car cott
休日利用で日々更新。ゆるり、ゆるり。

モトコー

モトコー
元町駅から西側、神戸駅まで連なる元町高架通商店街。通称モトコー。高校時代、学校帰りや休みの日によく立ち寄った。青春を育んでくれた商店街だ。
高校生の財布にも優しい激安品。明らかに高級ブランドのパチもの。怪しげな置物。汚いながら激ウマの中華。散髪屋。本、レコード。売っていないものなんてないのではなかろうかというぐらい、何だって売っている。観光客に勧めるのは北野やハーバーランド、南京町などのいわゆるTHE KOBE的な場所だが、モトコーの醸し出す特有の怪しさも神戸の人にとっては神戸らしいと感じるB面的存在かもしれない。

そんな世話になった商店街がロゴマークを募集していたので半日ほどさいて応募してみた。審査員が誰か分からず自由に作ったために駄目だったのだが、自分と商店街の思い出をなぞりながら、楽しく制作できたので、よし。

元町高架通商店街ロゴ 応募案
一応文字は全て手描きから起こすオリジナル。

111010 追記
当選案を見たが、「B面の審査基準は難しい。」とだけ言っておこう。

軽トラBAR Straw Wings・改

「ゆるやかな場をつくる」ということへの興味からのトライアル。くさかんむりによりかなりの改良が加えられ、今年も出動。さすがの職人クオリティー。みんなでさらに改良を重ねましょう。アイデアをください。目標はカウンターや椅子も含め、ユニットを組んでトラックに固定するのに5分以内。現地到着後営業開始まで5分以内。
軽トラBAR 茅葺き屋根CLOSE時
軽トラBAR 茅葺き屋根OPEN時
軽トラBAR 茅葺き屋根営業時
小雨だったのですが、屋根の下は全く問題なしでした。渋谷のスクランブル交差点で信号待ちしてみたい。
今回1番人気だったメニューは、パーマカルチャーセンタージャパンの設楽さんとのコラボレーションで実現した、「生絞りグレープフルーツ酵素ジュースを使ったグレイハウンド」でした。

美の寿命

先日、80~90年代の女優やアイドルの写真集を100冊程譲り受けた。「そんなエロ本ばっかりどないすんねや」と言われたが、これも一応資料だ。すべて本棚に収める前に一応チェックしたのだが、そのうち装丁が魅力的だと思ったものは90年代の2冊。どちらも鈴木成一デザイン室だった。(ちなみに撮影は篠山紀信氏のものと宮澤正明氏のもの。)何十年も先に残るデザインを追求していくことばかりがデザインとも思わないが、15年先ですら廃れない感性でものをつくることの難しさを感じた日常のひとこま。

当たり前ながら時代や文脈で美しいとされる価値は変わる。
(その中でも女性のヌードは大抵の文脈において美しい、神聖であるとされるが、その美しいとされる姿は変わる。ここ25年を見てもエロティシズムを感じる様の違いが多く垣間見られたのだから。自然や所謂神に近いものが美しいとされる考えが最も普遍的だ。)

デザイナーという職業として大切な感覚というか最低限持ち合わせておくべき感覚はどちらかと言えば「いま、美しく見えるということ」であるが、そこで終わらせることなく恒久的な美しさも追求したいと思うことも大切であるはずだ。特に、それが100年先も使われうるCIなどは流行に甘んじてばかりいられない。

そこで、美の寿命ということを考えてみた。
今この目の前にあるものは今このエリアでどの程度美しいと思われていて、このままのかたちであれば美しいと思われるのが何年なのだろう。来年には、再来年には…。X軸に時間、Y軸に美をおいてそれらを時間について微積分してみたら新しい評価軸ができるのでは。それを、「いま、この媒体はどの程度の美しさを求められるべきだからどういうふうにデザインし、XX曲線型のどういう数値を表すようにしました。」というようにプレゼンテーションに生かしていく。
なんていう研究者的妄想。また美大にでも行く機会があればそんな研究をしてみたい。(興味あれば誰か挑戦してみては。)その前に美を量るという無謀な課題があるし、数字、理性だけで解ける分野でもないので、あまり論点を広げすぎると最後はぐるぐるしてしまいそうですが。

そんなことを考えつつも、美を判断する感覚にできるだけ敏感であるために、美術や風土はできるだけいろんなものを見ておくのだ。もちろん、ただ単に美しいと多くの人が感じるものをつくることがデザインでもないが。
今日も旅をしよう。
シンガポールの風景
ペナン島より
山と橋と人間と
カンボジアの遺跡
Y

DAWN

夜明け

2011年8月14日(日)
03:57

盆。丸い月がこうこうといつもより少しだけ涼しい夜をやさしく照らしている。
この灯りにまぎれて、ご先祖様たちが縁側でわいわいおしゃべりしているように思える。
私は所謂無宗教人間だが、頭の中で霊的な世界が踊っているなら大丈夫。
安心して夜は灯りを落とそう。
まぶしい朝日を拝むために。

丸い月をとりまくエピソードといえば
誰もが小さな頃、
いつまでもついてくる満月に
追いつこうとしてみたことがあると思う。

だがそれを今も追いかけてる人を知らない。
追いかけても追いかけてもいっこうに届かないことを知り、
あわよくばいつか追い付いて蹴飛ばしてやろうと
淡い期待を抱くことがいつの間にかなくなった

大人になってわたしたちは、満月はいつも見守ってくれているだけのもので、
蹴り飛ばすことなんて到底次元が違う話だと知っている。
だったらせめてできるだけ丁寧にいよう。

正しいとされることで
それを知らないこどもを 責め立てることなく、
立派なことで 自分自身を囲い込むでなく、
自身に潜む 一抹のファンタジーを取り出して
せっかくの機会だから ぷぅ〜っと息を吹き込んで
ふくらませてやろうではないか。

yasufuku

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