Home

Treehouse Blog of cott

Unite

ふるさと祭り淡河
ふるさと祭り淡河
2009年の「淡河そら祭り」の際に地元の大工さんに作ってもらった舞台を村の自治協議会に寄付させていただき、2年に一度の町内全域の夏祭りで使っていただくようになりました。あの頃のみんなの村への思いが村人みんなとひとつになったようで、とても感慨深い。

Fantasy

いつでもどこでも仕事ができるという幻想

いつでもどこでも仕事ができるよねというのは自分にとってはまだ幻想である。1年間海外ノマドをしておいていきなり何を言うのかと思うかもしれないが、今回のそれは10年間、神戸という拠点に根ざしcottとしてデザインの仕事を続けてこなければ、成し得なかったものだ。海外で何の仕事をしていたかと言うと、「アレをいつものアノ感じで頼みます」というので通じてしまうような、もはや顔を合わせずやれてしまう定期的案件がほとんどである。(正確に言えば、現地に納品する新しい案件などもしていたのだが、それは少なくイレギュラーなのでとりあえず数えないでおく。)直接顔を合わせずに新規案件を受けると満足に仕事を遂行できない恐れがあると考え、すべての新規案件は断ると予告し、話が来ても断った。そうすることでその他の時間を目一杯デザイン行脚にあてることができた。つまり自分がノマドスタイルで仕事をできたのはクライアントのおかげであり積み重ねてきた信頼関係があってこそだった。

定期の仕事とはいえ成果品の納品以外にサポートは必要なので、体制を整備しておき、仕事時間にしている日本時間の平日9時から18時の間は事務所の電話にかけても携帯電話にかけても誰かが出られるようにしたし、ファックスもe-Mailで届くようにした。仕事量は日本で通常営業している時の半分ほどだっただろうか。もし頼まれたことをこなしてお金を稼ぐことが仕事であると言うのなら、いつでもどこでも仕事をするということは実現したと言って良いだろう。収入面でも少なくとも、ノマドワークでよくイメージされるクラウドソーシングによる仕事やバスキングなどに比べて十分稼いだだろうと思う。ただ、自分にとってはこれでは仕事をしているとは言いがたかった。なぜなら自分にとっての仕事はそれだけのものではないからだ。自分の仕事の一番の喜びは、クライアントと膝を突き合わせてああでもないこうでもないというプロセスを踏みながら、新しいかたちや、関係性を生み出していくことにあり、それが欠けているのであれば仕事と呼ぶのに不十分だった。(もちろん定期案件にその要素が無いわけではく、定期案件だから面白くないというわけでない。ただ、膝を突き合わせる場面は新規案件に比べて減る傾向がある。)そのプロセスを外注すれば新たな案件自体をこなしていくことはできるのだが、そこは外注してしまえば自分にとっては仕事でなくなってしまう。そのように、自分にとっては「いつでもどこでもお金を稼ぐ」は実現できるが「いつでもどこでも仕事をする」は幻想だったのだ。

拠点があると出会いが増え、楽しくなる

帰ってきて半年以上が経ち、ようやく新しいプロジェクトが増えてきて実感しているのは、特定の場所に自分がいるということの大切さだ。よく考えてみると仕事中誰とも顔を合わせず会話をしない日はほどんどない。たとえ1日デスクワークをしている日だとしても、たまたまコンビニで知り合いと出会ったり、電話で連絡事項を伝えると、たまたま近くにいるからと寄って下さったりと、案外いろいろあるものだ。たまたま街中で出会うことだったり、プロジェクトで直接顔を合わせることだったり、食事ついでに仕事の相談をすることだったりが仕事に繋がったりと、日常を暮らす中での偶発的なコミュニケーションもとても重要なのだ。ノマドワーク中もそういう出会いはあるが、いつもの日本のチームと仕事をしている限り、ほとんどの偶発的な出会いは仕事に繋がらない。知り合いがいない街で仕事をするためには、よっぽど自分を売り込まないといけないが、それにはその街でやるんだという意思と相応の労力が必要で、偶発的とは言いがたいしそもそもノマド的なスタイルから少し離れる。拠点があると、売り込みをせずともいい仕事をするとそれがまた繋がりやすい。そしてそういう出会いがまた仕事を面白くしていく。古くさいかもしれないが、仕事は人と一緒に、人のためにするもので直接顔を合わせることはとても大事というか、好きなのだ。

ぐるっと回って行き着いた理想の創作環境

ただ、新たなインプットをやめるつもりはない。新しいものを作る冒険をするために、新しいものに直接触れる冒険をするのだ。拠点ありきで、期間をしぼったノマド。自分の中での理想的な創作環境はそういう感じだなと、わざわざ文字にしなくても当たり前のようにみんながやっていることかもしれところに、ぐるっと回って行き着いた。
淡河の風景
この時期、明るい時間に帰れたなら、
ちょっと進路変更して農道を経由する。
この写真の撮影場所の字は空山と言うが、名付け親を讃えたくなる。
ぐるっと回ることは好きだ。
たとえ同じ結論に行き着いたとしても、そっちの方が楽しいのだ。

Fate

腕時計の電池交換
ブエノスアイレスの日曜市で買ってきた腕時計が止まったので電池交換をした。電池式の時計は電池が切れると街の便利屋さんに行って交換してもらうのが面倒でいつも放置してしまいがちだったが、お気に入りだったのでわざわざ工具を買って、ついでに棚の肥やしとなっていた時計もまとめて電池を入れ替えた。工具が手元にあれば放置もしなくなるだろう。
その時計は洗練されたデザインであるわけではないし安物だけれど、手作りでお気に入り。赤は好きではないのでいつもは赤を選ぶことはないのだが、そのときに気に入ったデザインのベルトはなぜか赤色で、気に入ったデザインの文字盤と付け替えてもらった。そこでしか手に入れられなかったものをそこでしか出会えなかった人から相談しながら買ったため愛着を感じている。
お気に入りの腕時計を身に着け始めて、時間を見るために手首をちらっと見る行為に比べると、ポケットをごそごそしていた自分の行為をださかったなと思い、手を洗うときにはわざわざ時計を外す仕草すらもいいなと思いはじめた。偶然の出会いがそう思わせてくれたのだと思ったらなんだか素敵な気がする。その出会いがその人の日々の中に溶け込むだけでなく、思想の中に入り込んでいって未来を少しだけ変えたかもしれないのだ。もちろん時代を越えて引き継がれるデザインが優れたプロダクトも好きなのだが、そうやって手にしたものを結局長く大事に使っている。
これも縁だな。最近はそういう道を選んでいる。
自分も時代も、消費の仕方が大きく変わったものだと実感する。

For Our Beautiful Landscapes

本日2018年上半期の農繁期休業が終了しました。村の営農組合の皆で約6町のキヌヒカリと30町の山田錦を植えることができました。(1町=約1万平米)あとは少しずつの片付けと、維持管理。昨年は参加できなかったものの、自分たちの身の回りの風景は自分たちで守りたいので、cottではかつての学校や会社のように農繁期休業を実施しています。Act Locally, Think Grobally. これから少しの間、農村の鏡張りの風景をお楽しみ下さい。ご理解頂きありがとうございます!
田植え終了

棚卸し

cottの最近の紙媒体のデザイン
これまでつくったものをひとつずつファイルに入れていったり、余裕がある時にはポートフォリオを更新したりしながら、定期的に自身の仕事を振り返ることをいつからか「仕事の棚卸し」と呼んでいる。いつどのようにそう呼び始めたのかは思い出せず、そもそもそういう言葉があったりするのか定かでないが、とてもイメージしやすい呼び方だと思っている。今宵はデザインの仕事が落ち着き、明日から農繁期休業ということで、その仕事の棚卸しをしていた。というのも、アメリカ大陸をデザイン行脚していた頃と、そのしばらく前の分を合算してみると、丸2,3年分もの仕事を棚卸しできていなかったのだ。何事においても反省して次に生かすことは当然とても大切だが、それを怠っていたのだから最悪である。

反省といえば、いつも納品が完了するかしないかの時に思うことはたくさんある。例えばもう0.05mm文字を太らせておきたかったとか、色数を抑えたかったとか、撮影の構図にもっと空を入れておきたかったとか。何なら校正を重ねすぎて提案した時のコンセプトがもはや消えてしまってるけどなぁと思うことだってある。そんなふうに毎回小さな反省をしたらそのままあるいは同時進行で次の仕事に向かう。大きな反省をしている時間はない。そしてそれを繰り返しているからか手応えを感じられず、自分も仕事に慣れてしまって、ちょっとずつこなすようになってきたのかなぁと思っていた。しかし、全部並べて改めてこうやってみて見ると、そうではないなと思い直すことができた。それぞれの仕事で手抜きをせず、きちんと考え抜いていたのだ。

例えばこの仕事は制約がきつくて何もクリエイティブなことができなかったなぁという仕事を見てみると、その制約の中をうまくくぐり抜けた上でクリエイティビティが見えるし、最後まできちんとコンセプトを通せたなという仕事はもちろん、超特急納期、あるいは激安の予算のため突貫で仕上げざるを得なかった仕事だって、よくここまで仕上げたなと思わず感心してしまった。月日を経て、いい意味で客観的に見られるようになったのだろうか。

いやいや感心している場合ではない。今いる位置を再確認して再起動だ。次の棚卸しはもう少し短いスパンで予定をしつつ、引き続き、手を抜かず、気を引き締めていきたい。

May

岡山県日生町
出張で岡山のある島へ。島を回って民宿に戻り、即日制作で合宿気分。夏はもうすぐそこ。

農繁期休業2018上半期

田植えのため、通常のカレンダー通りの休業に加え、以下の日程で8日間の臨時休業をいただきます。
6月1日(金)、4日(月)、8日(金)、11日(月)から15日(金)
なお、稲刈りの時期にも臨時休業をいただく予定です。ご迷惑をおかけしますが、ご理解のほどよろしくお願い致します。

Business Hours During the Rice-planting Season
Please note that we will be closed temporarily on June 1st, 4th, 8th, from 11th through 15th.

Lucky Humans

4月から神戸元町のワークスペースを契約し、2拠点にして都合の良い方で働いている。
週末は田舎で田んぼと大工仕事。
非定住型から定住型のノマドワーカーにとでも言えるだろうか。
新しい事務所が完成するまでのつもりだったが、
とても気持ち良くて、無期限でノマド暮らしは続きそうだ。

根を生やし、風にもなれる。
人間っていいな。
僕も帰ろう、おうちへ帰ろう。
yasufuku

March

色見本
長い間ノマドワークをすると、手元に色調整された大型モニタがあって、大量の資料があって、画材、色見本、トレース台、光回線などがある快適さに驚き、事務所で仕事をするのが好きになる。さすがに桜が各地で満開との知らせが届く中、事務所で桜の色見本を眺めていても花見している気にはなれないが、移動の合間に桜を見るだけで割と足りていたりする。とはいってもリフレッシュする時間は必要なので、花見に持ち寄る料理は何をつくろうか考えつつ、要は花より団子、団子より集まる理由、なのだろうなと思う。自然を理由に人が集まれる。日本に四季があってよかった。

Decade

車に機材一式を積み込み、WiFi端末をかばんにつっこみ、遠方の友人にも会いに行って来た。
10年ぶりの再開でもあの頃に戻れるので全く何も変わっていないなと錯覚してしまいそうになる。しかし、皆ふわふわ浮いていた足はぴたっと地につけて、それでいて自由なステップさばきで歩いているのだ。当たり前のことであるが、それぞれが皆、時を重ねている。
忘れていた10年前のエピソードで笑っていたら当時の気持ちが意欲も同時によみがえってきた。
たまには昔話もいいもんだ。
1年間のノマドチャレンジの良いしめくくりとなり、10周年はもうすぐそこ。
腰を下ろして持ち帰ったものをアウトプットしに帰ろう。
それぞれでチャレンジして、また10年後に同じ人たちと同じ話をしよう。

なお、仕事を始めたのはちょうど10年前だったので10周年は3月頭だとずっと思っていたのだが、開業届を出した日を今調べたところ、4月14日だったのでその日がうちの周年記念日のようです。

January

この1年間のノマドワークの経験を糧に、日本でも少しうろうろしてみた。海や街もいいものだ。

海を見る

Back in Japan


正月ぎりぎりに駆け込みで日本に帰国した。いま、ロスから羽田行きのロングフライトの中、このブログを書いている。史上最長期間日本から離れ、いろいろ感傷に浸るのかなと思っていたがそんな間もなく、タスクに追われていたら羽田に到着しそうだ。どこにいようと年末はせわしない。

実は今年はほとんどの時間をアメリカ大陸で過ごした。1年丸ごとほぼ日本にいないというのは初めてのことだったが、多くの方の協力のもと、なんとかリモートワークで仕事をこなし続けることができた。おかげでとても多くの新しい経験をし、多くの異なる環境で暮らす人と話し、現在進行形の文化や価値に触れ、多くのことを考え実践することができた。

アメリカ大陸にある国の多くは多民族国家で、インディアン系、ヒスパニック系、白人系、黒人系、たくさんの人種がそれぞれの文化を尊重しながら共存して新たな文化を作り上げていた。それはもちろん単一民族国家に住むいち日本人としてとても新鮮だったのだが、チャレンジしたいという欲求を抑え、日々こなす感覚で過ごしがちだった自分にはさらに印象的に映った。チャレンジしようという欲求の中に主張は存在していて、何かを主張することは誰かに新しい気付きをもたらすかもしれないが、一方で逆の何かに取り組む人を傷つけることになるかもしれない。誰かを傷つけまいとするあまりに、いつの間にかなるべく主張をしないようにと思っていたのだが、そういう感覚はこの1年の間にいつの間にか消えていた。ナイフに例えるなら、ナイフってよく切れるから危ないよねという当たり前のことに気付き、鞘に収めたまま使ってみたり、背で切ろうとしてみたりしてみたが、やはり切れないと料理ができないのでナイフに刃は必要だよなということに気付くようなものだろうか。当たり前のことに気付くのにずいぶん遠回りしたのだが、何も近道ばかり走ることもない。おかげで近道を通っては得られない知見を得られた。

そして今は、積極的に自身からの発信を広げ、人と恊働し、何かをつくることで完成までのプロセスを楽しむことと質を高めることをしていけるといいなと思っている。きちんとひとつひとつ納得しきり、責任を持ってこれだってものを胸を張って出し続ける。そこからまた新しい輪の広がりを楽しむこと。独立当初に考えていたようなこととあまり変わらないが、それを改めてきっちりできる1年に、そして10年にしたいと思った。そう、実はcottの10周年まであと2ヶ月。この1年間は定期的にもらう仕事のみで新しい仕事を受けてこなかったので、独立当初に肩を並べて切磋琢磨していたデザイナーたちは遥か高みまでいるかのように見えかけていたが、彼らの元にきちんと戻れるよう、1年間みっちりインプットしてきたのだ。ちょうど10年の記念日からは少しずれるかもしれないが、これを期にあることを企画しているので、一皮むけたcottをまた楽しみにしておいてほしい。

久しぶりに楽しみにしておいてほしい、という言葉を使った。今年の流行語はお楽しみに、にしたい。

Home

Recent Articles
Backnumber

Return to page top