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Anecdote about Design -業界の小話- Archive
White Ink
- 2023-08-11 (金)
- Anecdote about Design -業界の小話-
独立当初から約15年間メインで使って来たプリンタがいよいよ壊れてしまったので、現行機種に買い替えました。白が刷れるプリンタです。濃色の紙に刷れるのはもちろん、透明フィルムに刷れたりし、パッケージデザインの出力も外注いらず。

DATE: 2023.06
CATEGORY: Graphic Design
CL: 株式会社満月堂
AD/D: Yusuke YASUFUKU
デザイン事務所のプリンタ事情
以下、デザイン事務所のプリンタについての少し専門的な小話を書いてみる。これまで使っていたのはデザイン事務所向けのレーザープリンタで、OKI社のMicroline Pro 9800PS-Xという機種。デザイン事務所ではデザイン用ソフトのポストスクリプトという言語を読めるプリンタが好んで使われる。色や形の再現性が印刷物の多くを占めるオフセット印刷機で刷った仕上がりと近い出力が可能だ。さらにA3ノビというA3より大きなサイズで出力でき、A4見開きのページものをつくるときにデザインを端まで配置できるので大変重宝していた。
A3ノビ、ポストスクリプト、レーザーの呪縛からの離脱を試みる
デザイン事務所ならレーザー、ポストスクリプト、A3ノビと信じて独立当初に思い切って導入し、今までやって来たのだが、買い替えのタイミングで今も果たしてその条件は必要なのだろうかと考えた。というのも、それは、大きく重く、高価なのだ。
昨今は資料をデータで送り、データでの校正、あるいはデータのみの納品なども増え、安くて良いプリンターも出ている。どうしても必要なときはセブンイレブンのプリンタはそこそこ正確に色が出るのでコンビニでも割と足りる。
さらにどういうわけかA3ノビとポストスクリプトという条件を入れると現行機種ではほとんど出ておらず、出ていても発売からかなり経っているものばかり。前のモデルまでA3ノビのサイズに対応していたけど新機種はA3までというものもあった。単純にデザインをするのにそこまでの設備を必要とする人がいなくなってきたのだろうか。
そう考えて選択肢を広げて調べてみると、確かに、A3ノビでポストスクリプト互換言語(ポストスクリプトではない)が読めるインクジェットプリンターだと、今使っているランクのプリンタより一桁値段が安くなる。そんなにも値段が違うならと試しにEPSON PX-S7110Pを使ってみる事にした。
さすがにデザイン向けのスペックとなっているだけあって色はそこそこ正確に出て来てくれる。ただ、普通紙に出力したときのインクのにじみや使用できる紙種などがどうしてもこれまで使って来たものより劣り、印刷物としても出力見本としても中途半端に思った。
やはりまだ慣れ親しんだスペックがいい。
だましだまし数ヶ月使ったが、出力見本としてそこそこしか使えないのはデザイン作業をしていてとてもストレスだし、クライアントさんや印刷屋さんに迷惑がかかるかもしれないと思い、やはりこれまで使っていたプリンタの現行機種、MICROLINE VINCI C941dnを購入することにした。今度は今までの特徴に加え、白やクリアインクまで印刷できるらしい。クリアはともかく、白は憧れのインク。年々使う道具が厳選されてきてあまり新しい道具を手にする事はなくなってきていたが、久しぶりに道具を手にしてわくわくした。
白インクはどこに使われているか
白インクはパッケージでよく使われている。ペットボトルのフィルム等をめくって裏側からみると、白インクで刷られているのがよくわかる。というのも、そうしないと印刷が透けてしまって書いてあることが読みづらくなってしまうのだ。ふつうのよく見るポテチなどのスナック菓子なども、銀色の入れ物にまず白を印刷しないとギラギラしてしまうので、一度白を刷ってから印刷してあったりする。同じように透明フィルムに印刷するとパッケージのサンプルが簡単に作れてしまう。
では、紙が白いのに紙物をつくるグラフィックデザイナーはどこへ使うのか。紙は白ばかりでなく、濃い色の紙も結構あって、紙の質感を生かしてデザインしたい時に結構使えるのだ。それは単純に白を刷れて便利というだけではなく、白が刷れると感覚が広がるという点ですばらしいと思うのだ。
白を図として捉える
紙やデザイン作成ソフトの背景は白であることが多く、どうしても白い地に絵を描いていく、つまり図をつくる作業になるが、図は地があってこそ引き立つのであり、地を図として捉える事ができるようになると、余白をうまく使えたりする。デザインは絵を描く事ではなく、その場所の環境や背景を読み込む事こそが大切だったりするので、その地を生かす発想はとても重要だ。
だから今回新しいプリンターを手に入れたということより、白を図として捉えるという発想を手に入れたということにわくわくしている。白をデザインするという意識を常に持ち、精進を重ねたい。
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What we can do for Local Identities
- 2016-03-26 (土)
- Anecdote about Design -業界の小話-
普段農村で活動しているから、よっぽど自分の街が好きなのだろうと思われているかもしれないが、好きなのは自分のまちばかりでない。日本、あるいは世界のいろんなところを行脚し、地方都市独自の人や文化に触れるのが好きで、学生の頃から折りをみてさまざまなまちへ出掛ける。
この2月3月も西へ東へとうろうろしていたのだが、近年、地方に行って、美しいなと思うような光景は少なくなって来た。その中でグラフィックデザイン業界の人間として特に目に余ると感じるものが、看板の大きさやまぶしさである。(3年前、訪中の際にもそのことは書いたが)日本の地方でも看板は無駄にでかい。その理由の1つとして車での行動が基本だという点が考えられるだろう。車はスピードが速く、店に入ってもらうためには看板が十分遠くから認知でき、営業中であることを伝えなければならないため、規制にひっかからない範囲で看板はでかければでかいほど良いと思われているかもしれない。特に地方のチェーン店は本当、遠慮がない。
看板のデザインはグラフィックデザイナーたちの職能のひとつであり、看板を立てたい依頼主の依頼に基づいて主にその表面をしつらえる。すでに形やサイズが決まっていて、その中に絵を入れてほしいとの依頼も多い。その際にはクライアントはその絵だけを望んでいるため、その形やサイズに対して提案することは無駄な労力、あるいは失礼にあたることすらあるだろう。ただ、それでも他の選択肢を提示することを頭に入れておくことはできる。
他の選択肢というと、例えば遠くから認識できるのは店の名前でなくても良いはずだ。散髪屋であれば別に店名の大きな看板でなくとも例の赤青白のポールさえあれば良い。もしかすると、あえて小さい看板の店の方がうまそうに見えるかもしれない。カーナビ等の情報端末が進化し、巨大看板がなくとも希望に近い店に到達できる時代もそう遠くはないだろう。果たしてその大きさで良いのか、今その電飾は必要なのか。
そんな余分かもしれない提案から少しでも「まちらしい風景」について思いを巡らせてもらえれば良いなと思う。まちの風景とコミュニケーション(モノとコト)に資するためにできること、引き続き考えていきたい。
そこに暮らす人たちが自分たちのまちを誇れるように。
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In A Park
- 2013-03-26 (火)
- Anecdote about Design -業界の小話-
ランドスケープデザインという分野の最先端で活躍する学生の頃からの友人が上海にいる。その仕事ぶりを拝見しにいくというのが先日の訪中の目的のひとつでもあった。彼女は上海のデザイン事務所などクリエイティブな職種が集まる地区のオフィスで働く。ランドスケープデザインとはものすごくざっくりと言えば、公園などまちの公共空間を設計するお仕事。その友人の話では、中国の公園と日本の公園は全く異質なるものだそうで、同じように作ってもそこに集まる人が全く違うとのことだった。そういうわけで早速私もそんな公園使いの達人たちを観察すべく、パン屋でパンとコーヒー(のような飲み物)を買って、よく本を片手に公園で休憩時間を過ごしに行った。
中国の街中ではどんな公園にもたくさんの人がいて、公園使いが非常に多様だ。ある公園ではカードゲームや麻雀、体操に社交ダンス、バドミントン、太極拳、カラオケ大会などさまざまなグループによりさまざまな催しが開催されている。日本ではあれやこれやと公共空間に趣向を凝らし、どうにかコミュニケーションを誘発する仕掛けをと考えるものの、そんな悩みはなんだったのだろうかと言わんばかりに彼らは公園をフル活用してくれる。失礼な例えだが、7年ほど前、初めて中国に来た頃は 日本人の私にとっては公園がまるで動物園かのように感じたのを思い出した。中国のコミュニケーションに慣れた今なら皆、屋外を楽しむ術に長けていると言えるが。
本当に所謂普通の公園なのだが、実に活気がある。かといって、それらを眺めながらのんびりすごせないわけでもないし、少しかしましいと感じれば適度な距離感を保って遠巻きに眺めればいい。デザインにおいて重要なキーワードであるコミュニケーションについてぼんやりと思考をめぐらせていたものの、観察しながら特に何かが見えたというわけではない。ただ、多様なコミュニケーションが営まれているのは間違いなかった。人と環境がいい具合に作用して生まれるコミュニケーション、というよりは座る所や影になっているようなところすらなくてもちょっと広くなっているようなところさえあれば起こるような類のコミュニケーションだったのであまり日本でのデザインワークではあまり参考にならないと友人が言ったとおりだったが。
日本では皆それなりにすることがあって、逆にないのをわろしとするような文化。公園には中国のように長期間滞在する人はあまり見られない。このような公園使いをするのは桜が植えられている公園の花見の時期ぐらいだ。あえてちょっとノスタルジックにコメントをするのならば、こんなふうにのんびり過ごす事を忘れてしまっているような気もするとでも言えるだろうか。
いずれにせよのんびり過ごせたのは確かだったので忙しく働くその友人に、自分たちの設計した公共空間で現地の人たちと同じように時を過ごしてみることをぜひ勧めてみたいと思った。仕事熱心な彼女のことだから、きっと設計で関わったところには竣工後、実際に足を運んでいるに違いないが、あくまで日本人としてである。もっと現地人のように過ごしてみてはと提案したところで、断られるのは目に見えているのだが。
そんなふうに人と環境のコミュニケーションについて考えていた。その中で私が特に考えなければならないのは、ビジュアルコミュニケーション。先日の訪中で一番好きだった看板はこちら。
非常に機能的であることが求められ、その機能をシンプルに満たしている。
もちろん他にも中国にはたくさんの看板があったのだが、どれもイマイチ。といってもビジュアルの絵がどれもこれもイマイチというわけでなく、そのビジュアルの存在の仕方が特にイマイチだった。例えばの山をダイナミックに切り拓いてつくられた高速道路なんかを走っていると、たくさんの巨大な企業広告が建てられているのを目にする。内容はマンション250万元〜というような広告だったり、ヨーグルト飲料オイシーという類のものだ。その看板の脚下を見てみると田んぼのど真ん中にそのコンクリートの基礎をよけて農作物が栽培されていたりする。確かにその商品のことを知ることができるが、外国人の私からすれば伝わるのは明らかにマイナスイメージである。(仕事柄の視点だろうが。)
そういえば、日本でも同じような光景を目にする。たとえば神聖な神社でさえも、○○禁止だとか、の看板が目立っていたり。そんなに禁止しなくても、考えて動くだろうと。「まちをきれいにしましょう」というような錆びた看板自身が景観を乱しているなんて事態も。(ま、企業でなく自治体が建てる看板は仕方ないのかもしれないが。)
特に、商業性を持った看板について、その在り方から再考していかなければならない時代にきている。マス広告の力は弱くなったと言われて久しいが、以前のような広告手法にしがみついていると決してうまくいかないだろう。自分が欲しいものは自分で選ぶ時代。ただ相手を欲しいという気持ちにさせ、購入に導かせられればいいわけじゃない。
グラフィックデザインはサーフェスだけのものじゃない。ふさわしいにぎわいを作り出し、ふさわしいコミュニケーションを導く、そんなグラフィックス。具体的に言えば、商品と消費者双方の幸せを生むような、人と風景とをつなぐ架け橋となるようなデザインを実践していければと。
Shenzhen Bao’an International Airport-Expantion T3
Massimiliano and Doriana Fuksas
そういえば、噂の深圳宝安国際空港をちら見。外観は完成したように見える。内観も見たかったのですが、残念ながらオープンは2013年8月の予定だそう。(情報源 http://www.businesstraveller.com/)ということまた行かねば。空港が、お好き。いつのまにかcottも5周年。6年目も超ドメスティックながら、グローバルに動ければ。
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蛍光の所以
- 2012-12-15 (土)
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ちいきの話題ばかりだったのですこしデザインの話を。
今のcottの名刺はつるっとした蛍光黄緑。
蛍光色は自然界にはない色。
まちにいけば歓楽街であかあかと光るネオンにかき消されてしまいますが、
農村景観の中ではぐっと映えます。
と、思いきやありました。自然界の蛍光色。
他にもあやしげな虫や植物がいて、おそらく威嚇のためというのが多いのでしょうか。
私たちは威嚇するつもりはありませんが。。
ホタルもそうですね。
むしろ「蛍光」→「ホタルが光る」ですしね。
派手には光らないから暗い所でしかわからないけど、
ふかいふかい漆黒の闇に一筋の光を導く。
そんな蛍の光のような存在でありたい。
そういうわけで蛍光黄緑なのです。
真面目な蛍光色。
いわゆるふつうの印刷ではCMYKの4色の掛け合わせ、
フルカラー印刷ですべての色を表現するのですが、
たとえばそれで表現できない色を使いたいときなんかは
「特別な色」→「特色」のインクを使って印刷するわけです。
特色同士の掛け合わせなんかで変わった効果を演出したりもできます。
アイデアを実現するために、こんな色を使ってみたい、という逆提案もお気軽にどうぞ。
ただ、特色を使いたいから、だけじゃなくて、何を実現するための特色かってところがだいじ。
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Idle Talk About Photograph
- 2012-01-12 (木)
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独立当初からほぼ丸4年間。いつもお世話になっている飲食店へ出張撮影に行ってきました。たまには都会に出没しています。だいたいこんな感じでセットを組んでから微調整していきます。(この写真はまだセッティング途中。。)
普段あまり意識されないのが普通だと思いますが、ものを見るアングル、ものの質感や色、背景などによって、ものの見え方は常に変化しています。例えば金属など、いろんな光の反射が起こりますよね。それを読み取るのはとても大切で、撮影のときに「撮影対象物の皆の頭にある共通イメージ」のディテールがどうなっているか、基本を抑えておかなくてはなりません。慣れてくれば日常生活においても、どの角度から見たときに、どこの部分にどの光がどこからどのように入射しているかが見え、どういう光を当てるとそのものらしい絵が撮れるのかがわかるようになってきます。別のものを撮影するとき、アングルを変えるときなど、何かをちょっと変えるだけでもセッティングをいろいろいじっているのはそのためなのです。
撮影道具紹介
今日は撮影の道具を少し紹介しましょう。
まず今回の撮影で一番活躍した秘密兵器はこちら。何かわかりますか?
正解は湯気発生機。つくられた湯気です。でも嘘ではありません。実際にあったか料理のできたては湯気を発生させているのですから。料理が完成したその瞬間にバシッと一発で撮れればいいのですが、なかなかそういうわけにもいかないため、こういう道具を使います。こういう道具は写真用に売っていることはあまりないので、自分たちで情報を入手しつつ、試行錯誤していかねばなりません。それがまたおもしろかったりするのです。
写真の基本的な考えとしては現実をそのまま写すというよりも、少し大げさに写します。というのも、脳はある程度風景やものごとを誇張して記憶しています。色に関しての誇張された記憶を記憶色といいます。
演出は脳内にある記憶や経験に近づけてやるためにもある程度必要だったりするのです。フィルムも多くはそう作られています。もちろん、そのままの色で撮れるようなフィルムもあります。
近頃はシャッターさえ押せば、誰でもある程度の写真が撮れる時代。だからこそこういうことはしっかりと押さえておかないと。
これは電源部。
ストロボのバッテリーで、ジェネレーターといいます。通称ゼネ。瞬間に大量の電気をチャージし、一気に放出する撮影に使います。大光量の発光ができるようになります。
そんなこんなでデザイン事務所の割にいろんな撮影機材がそろうcottですが、その中でも特にお気に入りの機材はこちら。
スタジオデラックス。通称スタデラ。入射光式露出計です。スタジオ撮影では使えないくせに、スタジオデラックス。適正露出といって、簡単に言えば綺麗な写真を撮るためのシャッタースピードと絞りを測ることができるものですが、デジタルでバシバシ撮ってその場で確認できる今の時代、ほとんど使わなくなりました。ですが、露出計のついていないマニュアルカメラでは必須アイテムです。半世紀以上前からいま現行で発売されているものまで基本的には設計が変わらず、電池不要のエコ仕様。
そして何よりこのデザインがなんともお気に入りなのです。首から下げておきたい。
写真からデザインまで、それなりに頑張っています。
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AGAIN & AGAIN
- 2011-09-15 (木)
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某コンペで相当悔しい思いをした。そこでいただいたご意見をもとに夜な夜な案をブラッシュアップをしました。(上画像は黒ペンで書いた初期ラフの一部分。ブラッシュアップ案は都合上、いまここでは載せられないので代わりに。)
世に出ることはなくともブラッシュアップする習慣の始まりは学生の頃。その当時、毎週先生方にアドバイスをいただきながら設計を進め、最後に諸先生方の前でプレゼンテーションをするという授業があった。先生方も大変熱心で、昼から3時間の授業が倍以上も長引いていつの間にか外は真っ暗ということもざらだった。私は特に優等生でもなかったので、その熱気の渦の中からはじき出されて最終的にしょうもない案を提出することもあった。そのたびにそんなしょうもない案のいいところをうまく引き出し、悪い所も的確に指導してくれる先生方の器量の大きさに感動しながらいつも反省していた。その先生方の偉大な言葉はたくさんあったのだが、その中でもひときわぐっと来たことこそが「課題を提出したときよりももっと大事なのは、それをどこまでリライトしてくるかだ」ということだった。きっとそのときの情けない心情の中まで届いた唯一の光だったのだろう。
それから競争した結果、負けてしまった案などは世に出る訳じゃなくとも、できるだけリライトすることを心がけるようになったのだ。だめならだめで、放ったらかさずにものにする。(もちろん仕事でそれが世に出るようになると、そんなことしてられないし、ブラッシュアップされきったものを提示するのが責任なのでそんなことはあり得ないですが。)
そんなこんなで今日はこうやって外の目に触れるオープンなフィールドでフェアに競い合い、ああだこうだとオープンに意見を戦わせる場を継続して設けることの大切さをまた改めて実感している。もっとこの輪を広げた告知が近々できそうですので楽しみにしていて下さい。
ご協力いただいた諸先輩方、本当にありがとうございました。お眼鏡に叶うような、いや、お眼鏡を割ってしまうようなものを作れるよう精進しますので、これからも厳しいながらもあたたかいお言葉をいただけましたら幸いです。
そして同志たち。今後ともどうぞよろしくお願いします。
今日のブログは自分のデザインは駄目でもっとすごい奴らが山ほどいると公言するようなものなのでここに載せるのはどうかと思ったが、この気持ちを大事にさらに進んでいけたらということでここに今の想いを記しておくことにした。
今年はたくさん悔しい想いをしている。そして次に繋げるために決意を新たにする。
さあ明日は東京。
Yasufuku
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美の寿命
- 2011-08-19 (金)
- Anecdote about Design -業界の小話-
先日、80~90年代の女優やアイドルの写真集を100冊程譲り受けた。「そんなエロ本ばっかりどないすんねや」と言われたが、これも一応資料だ。すべて本棚に収める前に一応チェックしたのだが、そのうち装丁が魅力的だと思ったものは90年代の2冊。どちらも鈴木成一デザイン室だった。(ちなみに撮影は篠山紀信氏のものと宮澤正明氏のもの。)何十年も先に残るデザインを追求していくことばかりがデザインとも思わないが、15年先ですら廃れない感性でものをつくることの難しさを感じた日常のひとこま。
当たり前ながら時代や文脈で美しいとされる価値は変わる。
(その中でも女性のヌードは大抵の文脈において美しい、神聖であるとされるが、その美しいとされる姿は変わる。ここ25年を見てもエロティシズムを感じる様の違いが多く垣間見られたのだから。自然や所謂神に近いものが美しいとされる考えが最も普遍的だ。)
デザイナーという職業として大切な感覚というか最低限持ち合わせておくべき感覚はどちらかと言えば「いま、美しく見えるということ」であるが、そこで終わらせることなく恒久的な美しさも追求したいと思うことも大切であるはずだ。特に、それが100年先も使われうるCIなどは流行に甘んじてばかりいられない。
そこで、美の寿命ということを考えてみた。
今この目の前にあるものは今このエリアでどの程度美しいと思われていて、このままのかたちであれば美しいと思われるのが何年なのだろう。来年には、再来年には…。X軸に時間、Y軸に美をおいてそれらを時間について微積分してみたら新しい評価軸ができるのでは。それを、「いま、この媒体はどの程度の美しさを求められるべきだからどういうふうにデザインし、XX曲線型のどういう数値を表すようにしました。」というようにプレゼンテーションに生かしていく。
なんていう研究者的妄想。また美大にでも行く機会があればそんな研究をしてみたい。(興味あれば誰か挑戦してみては。)その前に美を量るという無謀な課題があるし、数字、理性だけで解ける分野でもないので、あまり論点を広げすぎると最後はぐるぐるしてしまいそうですが。
そんなことを考えつつも、美を判断する感覚にできるだけ敏感であるために、美術や風土はできるだけいろんなものを見ておくのだ。もちろん、ただ単に美しいと多くの人が感じるものをつくることがデザインでもないが。
今日も旅をしよう。
Y
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SKETCH TO IMAGE
- 2011-07-19 (火)
- Anecdote about Design -業界の小話-
過去のデザイン物の中から一部ピックアップして、初期スケッチと最終イメージを並べてみた。初期スケッチがどれほど力をもつかを考えてみる。
I compare the difference between an initial sketch and the final image. How much power does initial sketch have?
こんなふうに、初期スケッチが最後まで力を持つことも多々あって、我々はこれらに対してなかなかの信頼を置いて考えています。初期スケッチにはあとでいろいろ付いて来てしまう余分な情報が適度にそぎ落とされているから、ある意味大事なことが見えたもの。もちろんその余分なものたちを様々な事情で無視できないときなど、デザインプロセスを経ながら全く違う形になっていくことも多々あるけれど、後で見返して考えると「あっ」と思わせてくれる。だから最初に書きまくったスケッチやダイアグラムは最後までとても大事にしています。併せて、これらを寄せ集めてこの段階でチーム内の意志共有を図ります。言わば冒険の地図みたいなものですね。プロジェクトの成否は、この地図がしっかり描けて、共有できているかに掛かっているといってもいいでしょう。雑なのは気にせず、ささっとスピード重視で描けるものたちをかき集めてプロジェクトごとにアウトラインを描きます。媒体に関わらず、team cottがデザインプロセスの中で最も大事にしている作業です。
そして初期スケッチを最終イメージまで一気通貫かませると、とても気持ちいい。そんな瞬間に出会うのを夢見て、できるだけたくさんの牌をツモります。アイデアは後からぺたぺた付け足すのでなくて、はじめのうちにぐるぐると巡らせるのです。
さて今日から田舎のおっちゃんたちを見習ってサマータイム。おてんとさまのおとなしいうちに仕事を済ませようというエコな考え方。一応の業務時間に変更はありませんが。あと、英語にて同時通訳的になるフレーズを挟むことも時々あるかもしれませんが、どうかお気になさらず。喜ばしきオンリーイングリッシュなお仕事は書類が手強い。文語は、どうも苦手だ。もっとお勉強。
If you couldn’t understand from my poor English, please feel free to ask me details. (also from my poor Japanese)
Thanks.
Yusuke Yasufuku
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凸版/活版印刷でいくのだ
- 2011-02-18 (金)
- Anecdote about Design -業界の小話-
MTGついでに仲間のデザイン事務所に亜鉛の腐食版を持ち込んで凸版体験をさせてもらった。
綺麗な空間の一角に酸化しきった油のような独特のノスタルジックな匂いが立ちこめる。インクをのせて、版をベースにセット。スイッチをいれるとベルトがまわり、ペダルを踏む。
がちゃこん。
左はインクをのせず、右はインクをのせて。
左は大成功、右は少し失敗か。
昔ながらの本来の活版印刷から言えば、紙を凹ませない方がいいのだが、近年紙を立体的に捉える動きがあって、強く圧をかけて紙を凹ませることもグラフィックデザインの常套手段となってきた。
実際に機械に触れてみると、ただ単に適当に圧をかけて機械を動かすだけではないことを知る。インクのノリや粘り気、圧力の掛け方、位置合わせなど、本当に細かな微調整が必要なのだ。インクのノリが悪いから圧を強くしたら余計なところにインクが付いたり、凹みすぎて裏が盛り上がったりと、本当に微妙。これも経験だ。デザインするものが現場を知ることはいいものをつくる上で必須。
がちゃこんしはじめたら止まらない。
紙は特Aクッション1mm。Bar cottのコースターに利用。
宣伝ですが、
トランクデザインさんはこれから活版印刷事業始めるための準備中。価格についても乞うご期待!
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cott撮影現場の裏側
- 2010-12-10 (金)
- Anecdote about Design -業界の小話-
おまけ。
撮影の裏側を少しだけご紹介。農業用倉庫も兼ねているので撮影環境に抜群に適したかと言えばそうでもないのですが、それでもこのぐらいは十分に撮れるのです。
広い空間と大容量の電源容量、昼でも暗い空間を有効活用した例。
農村地域に資源はたくさんあるので発掘してクリエーティブと関連づけてどんどん利用していきたい。
なんでもかんでも新しいものばかりに飛びつく前に、地域の資源にしっかりと向き合いましょう。
ロケ中に、1台軽トラが通りがかる。脚立やアンブレラ、レフ板をセットしている様子を見て「なんや電波を受信しよるんか。」というおっちゃんのつっこみも素敵なコミュニケーション。
自社スタジオ兼農業倉庫での撮影風景。堀内氏、タイムスリップ中。
さて、明日は堀内康広の活版印刷ワークショップです。
個展は26日まで。
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Paper Design Show
12.6(月)18:00→12.26(日)
トランクデザインのアートディレクター堀内康広の初個展「Paper Design Show」
紙の手触りやあたたかさ、デザイナーの個性を活かしたアイテムを展示しています。
より一層紙が好きになる。そんな紙を集めましたので、ぜひお立ち寄りください。
12/11(土)活版印刷ワークショップ
東京とUSTREAMでつなぎ、みんなで作品をつくりあげていきます。
参加費:1500円(カレー、ドリンク、ワークショップ)
Cafe,Bar&Gallery en+(エンタス)
650-0012
兵庫県神戸市中央区北長狭通2丁目31-49
(阪急三宮駅西口より西へ徒歩2分、高架下北側)
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Mission of Creative
- 2010-11-11 (木)
- Anecdote about Design -業界の小話-
デザイナーたちで連れ立って某紙会社の展示会へ。
そして八尾の印刷工場へ。
最近の印刷技術は進んでいるもので、特殊印刷と呼ばれる技術を各社続々と採用されている。
写真を掲載できないのが残念だが、人工的な光で満たされたインキやその他よくわからない薬品のようなものなどが混ざった独特のにおいのする空間。その中に印刷機が電車の一車両ぐらいあるのではないかというほどの列を作ってぞろぞろと並んでいる。まるでターミネーターの世界にやってきたかのよう。
現場を知る。
デザインの分野全般において言えることだが、現場を知らずに本当にいいものをつくることはできない。最近出たmacbook Airだって、あれだけの薄さやかたちを実現できるのは、その中に入るハードの形を効率的に納めるためのデザイン部門と開発現場の執拗なまでのやり取りがあってこその賜物だ。会社経営だって現場を知らなければ部下がついてくるはずはない。複雑な原理の中にあるものほどコンピューターが勝手に動かしているようだが、要は人なのだ。
プロジェクトのミッションは何か。
ただ、印刷物の技法でインパクトを与えることを考えて、いつの間にか真新しい印刷技術を使うこと自体が目的になってしまうといったことはないようにしたい。クリエーティブは人のためにある。
選択肢は幅広く提示できる方が良いが、技術やクオリティばかりにとらわれないこと。ミッションのゴール、つまり(広い意味で)「人」に喜んでもらうことを見据えた上でいろんな選択肢の中から条件に合う最適の解を見つけること。
人が、人のために行うクリエーティブ。そんなことを思い、いいものといい人たちに出会った週始めでした。
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積み重なるクリエーティブ
- 2010-10-07 (木)
- Anecdote about Design -業界の小話-
広告のクリエーティブはクライアントさんの理解と仕事の規模、予算に大きく左右される。
例えばお堅い仕事であればあるほど実務的な文字情報をできるだけ盛り込みたがり、
美的感覚と想定される効果を理由にそれをそぎ落とすべきだと+αの絵を提案したところで
数十年と積み上げている事務所に比べて実績の少ない事務所の提案する画面の力は、文字の安心感にはなかなか敵わなかったりする。
ぱっと見た感じシンプルでソレっぽい画面をつくるのは簡単。
それに伝える力を持たせるのが難しい。
(広告である限り「伝える」が前提になければならないのでそれではそもそも発想が逆であるが。)
ただ、いつも力なさと積み上げてきたものの薄さに落胆しながら
力無いなりにも、少ない文字情報でそれを凌駕した力をしっかりと伝えられる画面づくりに常に挑戦し続けてきて、近頃は少しずつそれに近づいて来られている気もしている。
最先端で活躍する方々のシンプルで強さのあるデザインは
いいものを作ろうと常に思い続けてつくり続けてきたからこそできることだな、と今も広告を作りながら改めて思うのでした。
小さい仕事も大きい仕事も真摯に向き合い積み上げてみましょう。凛とした空気で。
6月のひとこま。
皆様で集まって去年から準備してきたイベントがついに来月です!
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