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Treehouse Blog of cott

nouvelle cuisine of DESIGN

やっぱり素材がいいと、過度に手を加えなくともいいものができますね。
がまぐち展
まだまだ暫定板なのに思わずアップしてしまった…
またちゃんと掲載します。

曽祖父の肖像

最近は行政に関する書類と接する機会が多いんですが、どうもしっくりこないものが多い。
地域が良くなるために行政の書類独特の言い回しに踊らされながら書類書いていたら気づいたらいつの間にやら地域に寄与することなど忘れてしまった感覚。

目的のために手段に踊らされていつの間にやら目的をわすれて本末転倒という構図。
世の中にたくさん。
なんでそんな曲がってくのでしょう。
一番怖いのはそれに慣れて当たり前になって気づかなくなること。

そんなねじまがったものがどうしようもなくてなるようにしかならないことにイラつきながら最近の癒しは饒舌なじいちゃんの昔話。草刈りとか昔飼っていた牛とかどっかのおっさんおばはんの話。
家族から曽祖父によく似ているといわれるのでその話を聞きながら頭の中に曽祖父の肖像を描くのが特に好き。

爺「なんや公会堂のほうでやかまし言いよる思たらうちの親父や。朝まで酒のんでやかまし言うて喧嘩や。ほんまかなんぞ~。ハメ(マムシ)見つけたら皮はいで丸呑みはするわ、酒はよう飲むわでの。酒のんでむちゃむちゃに乳絞るさかい牛が痛い言うて怒んねや。
まあせやけど殴ったりせえへんだけなんぼかましやったの。弱い人にはやさしかったしの。」

婆「じいちゃん孫にええ話教えたりよんのう。」

爺「そんなええことなんかあれへんで。そんな話なんか聞いても分からんの。だれかて自分が経験して初めてこれはこうやってしたらええねんてわかんのやでの。」
…(続く)

曽祖父のおかげでこんな仕事でも家族は認めてくれるんだろうなと頭の中のひいじいちゃんに感謝。うちの家系のパイオニアでシュールレアリスト。いまでこそ日本中でポピュラ−になった某農業器具の発明家で筋金入りの田舎のおっさん。

おかげさまで毎日が勉強です。
核家族化が進んできて農村地域においても確実に減りつつある大家族制度。それゆえ変化するコミュニティ感覚。
大家族制度が標準的な村社会では個人の都合が通らなくなることもあるけど、日々たくさんの人に囲まれて過ごせば何かと安心で、そこから世代間や近所の繋がりができて周りと共有できることも増えて子供も地域で面倒見られるようになって…

「いい地域ってそんな延長線上にあると思うが、それを今に置き換えるとどういった解があるんだろうか」なんて考えるが考えても始まらないのでまずは寄り添って少しずつ動いて少しずつ融合させてみることにする。

豊かさというのは個人の希望や都合が何でもまかり通ることではない。
個人の都合がなんでもまかり通るようになることが社会活動の目的ではない。
社会の基本原理は世の中を豊かにすること。風景と人の心を豊かにすること。

社会人ならそれだけは常に頭に置いておきたいものです。

時には地域、共同体の都合に従う必要の生じる環境に身を置いてそれに従うこと。
地域に彩を。
田舎の盆踊り

START DRAWINGS

ロットリングインクがうずうずしているようなので
またそろそろはじめようか。
ツリーハウスのスケッチ

When You Wish Upon a Star

最近星が綺麗だと 思うことがなかったのは
単に私の目が曇っていたのか
月がまぶしすぎたのか
見上げることが少なかったのか
はたまた光ばっかりを見ているからなのかは定かではありませんが
今日家に帰ってくると最高の星空が出迎えてくれました

都市の描く幻想に踊らされないで
一歩ずつゆこうとおもいました。
夏の夜空
どうかその光があなたを照らすひとつの点とならんことを。
Anything your heart desires will come to you.

TO U

何か重大な局面に面した際にいつも手紙を読み返します。

部屋を整理する折にふと出てきて
その手触りやぬくもりがいつまでも残った紙を手にとり
その当時の記憶を頭の中に躍らせる。

電子メールは10年後残っているかと言われれば疑問だけれど
手紙はある程度積み重なって死ぬまで残っていく。
手間だけれどもだからこそそれなりの動機がなければ書けないもので
このちいさな紙にそのときの想いや情景が新鮮なまま宿り続けていて、
それはちょっとした存在証明証のようなものでもある。
たとえば棺桶の中でたくさんの手紙に埋もれてこの世を去りたいなと思うのです。

20年後、その人の部屋の片隅に埋もれてたらいいなと思って
ある人を思い浮かべながらペンを走らせ
また今日もポストに向かうのです。

流通する紙媒体は大抵が商業的意図のもとに成立していますが、もしそれを除くことができるのならば
それがグラフィックデザインの原点なのだと思います。

紙だからこそ伝わるぬくもりや質感はどうにか生かしてデザインしたい。
そんなことを思いながら数千種類の紙見本を手にぐるぐると思考をめぐらせます。
何をするにおいてもプリミティブな目的だけはしっかり頭に留めておきたいものです。

日本郵政株式会社の宣伝ではありません。
友人がベタな間違い方をしたハンコをおしたラー油にそえて送ってくれたので。
食べるラー油
少し前に世間を騒がせた食べるラー油。
食についての流行には無頓着なほうなのではじめて食べたんですが、
こんなおいしいもんだったのか…。調味料は好きです。

なすびでも送り返そうかと思います。

ブログシステムメンテナンスのお知らせ

7月8日午前1時~9時までブログシステムのメンテナンスを行います。
それに伴い、トップページ以外のブログコンテンツが表示されなくなりますが、ご理解のほど、よろしくおねがい致します。

今日のヒットワードは「Mod-Rewrite」
WEB専門用語ですが、「ちょっとモッドリライトしとくわ。」てなふうに
なんだか口に出して言ってみたいぐらい響きがとてもかっこいい。

追記:メンテナンス終了しました。

TRANSITION

昨年の淡河そら祭りぶりに触れる苫編み(とまあみ)。
苫編みワークショップ
苫編みとは農村地域に古くより伝わる百姓の業。

苫を瓦屋根の上にかぶせることで瓦への日射を防ぎ、屋根面から室内への伝導熱および内壁よりの放射熱を低減させる。瓦の劣化にも効果的。言うなれば草のちょっとしたカーテンウォールのようなもの。

夏涼しいというのは日本家屋にとっては極めて重要で以下のようにも言われている。
「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。」吉田兼好『徒然草』
えらく単純な文であるが、それが逆に昔の人の経験則のようなものにしっかりと裏付けられているような実感のこもった印象を受けさせる。もちろん鎌倉時代の冷暖房のない家の場合であるが。
さて室内温度はどれくらい下がるだろうか。

たぶん冬はわらを外して肥料にでもしてまた来年もとまとまするのでしょう。
基準法的には瓦屋根に草が乗っているようなもので、いつでも取り外せるから防火上問題なしという解釈でよいのでしょう。
棟には真っ赤なダリアを植えたいそうだが…

しかしながら伝統的な価値を現代に変換していくために楽しみながらでもいろいろ試していくことは大事。
瓦屋根の上に茅葺き屋根

う〜んいい風景だ。
くさかんむり相良邸にて。

くさかんむりの苫が今年度も動き出しました。

↓去年のくさかんむりWORKSのひとつ。画像たっぷりなので苫葺きがイメージしやすいはず。
神戸市埋蔵文化財センターその道の達人に学ぶ体験講座「竪穴住居をつくろう」

今日のアート

こんなところにこんなものが
駅でアート
2席あけて仲良く並んで座ってたら
間にやってきたおばちゃんが思わず話しかけてこられました。
アートってそんなコミュニケーションをもたらしうるのがおもしろい。

電車待ちの間しばらく観察していたところ、誰もブロッコリーをのけて自分が座ろうとまではしませんでした。

自分が座りたいけど人さまのものかもしれないという葛藤。

よくみれば彫刻にも見紛うほどの量感と質感で
もはや立派な緑のオブジェと化していました。

摩訶不思議な連鎖で
どこかで自分の意図しない物語が生まれています。
そんな物語の種をたくさんまきたいですね。

どこかの買い物帰りのおばちゃんに感謝

stay tuned

今日はちょっとした電子機器礼讃。

2010年3月15日よりウェブブラウザでラジオを聴けるサービス「radiko」の試験配信がスタートした。ノイズも全く気になるレベルではなく、快適。今のところ、東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、大阪府、京都府、兵庫県、奈良県限定だそうだが、配信局もエリアも拡大してくれればうれしい。ラジオのメディアとしての力が見直されそうだ。
日本では白黒テレビよりも約30年前、1924年頃に登場した音の出るメディアの起源であり、情報技術の起源。洗濯機、冷蔵庫、蓄音機よりも前に登場し、現在の東芝より発表された当時は革命に近い出来事だったのではと思う。戦時にはさぞ活躍したことだろう。ラジオを聞く習慣がない人も、興味があればぜひ聞いてみてほしい。

昔からラジオが好きで、雑音と格闘しながらチューニングを必死に合わせて夜更かしをして聞いていたのが懐かしい。学校で話題にのぼるのはめっきり流行の音楽やファッション、芸能人などテレビベースの話で、ラジオは一切話題にされない。
誰にも邪魔されない。ささやかなひとりの時間。
家でこっそり聞きながら、空想にふけった。
好きな音楽がかかりそうな瞬間を見計らって録音ボタンを押して、テープやMDで繰り返し聞いた。
どうしても聞けない時間の番組は、予約をして通学中に聞いた。

友人といつものお決まりの場所に隠れてタバコを吸っていた昼休みでもなく、
ちょっと背伸びをして原付を乗り回して徹夜麻雀に向かっていた夜でもなく、
アルバイトに精を出していた放課後でもなく、
私にとってはそんなゆったりとした時間が
たとえば尾崎豊で言う「自由になれた気がした十五の夜」だったのかもしれない。

大学に入り、一人暮らしをはじめてから家にいる時間が少なくなり、いつの間にか聞かなくなった。
家にいない4年間のうちに音楽プレーヤーも進化し、mp3プレーヤーで好きな音楽を好きな順番に並べて聞くようになって、ラジオを再生するオーディオ機器は倉庫へお蔵入り。さらにラジオからは離れていた。

mp3プレーヤーでは当然のことながら自分の持ってない曲でいい曲は知り得ない。そんな閉鎖性が好きでなかった。
そんなときの朗報。インターネットでいつも聞いていた局のラジオが聞ける。
かなり嬉しい出来事だった。

そんな青春時代に聞いたものは今の自分を形成する一部になってるのだろうかなんて思いながら
坂本教授の渋い声と音楽を耳のお供にデスクに向かう、蒸し暑い夜。
職人と山
口でなく背中で語るために。

梅雨と図書館

神戸市立中央図書館へ。
某資格試験の勉強をしにいった以来なので約2年ぶり。

そのときは純粋に勉強だけでじっくり本たちとたわむれてなかったからなのか
もっと昔だったのではという印象。

つい安藤忠雄の連戦連敗がサイン入りでないか確認してしまったり
篠山紀信の写真集で市立図書館的に大丈夫な露出度はどこまでかチェックをしてしまったりと
適度に娯楽要素があるので息がつまらず

朝から晩まで缶詰めで勉強する人。
本が集まったときに醸し出す独特のにおい。
静かな空間に響く腰につけたキーケースと共に揺れる鈴の音。
ただの暇つぶしにふらっときてやったぜ感全開の家ばきでロビーにて堂々と新聞を読むおやじ。

皆それだけが目的でないにしても、これだけ人が活字を求めて集まる空間ってなかなかいいもんだ。
図書館を初めに考えた人は最高だ。

なんてどうでもいいようなことを思いながら
特に何も借りるつもりはなかったけど
わざわざカード作って
ここぞとばかりにデザイン素材集を大人借り。

必要なときに棚に置いてあってさっと取り出せなければイラッとしてしまうほうで、
いつも本にしてもCDにしてもほしくなったら即決で買ってしまうたちなのだが
借りようという気になったのは
たまにはみんなで共有する財産を求めてわざわざ1時間近くかけて図書館へ足を運ぶのもいいものだなんて思わせられたから。

結局図書館で見つけてどうしても手元にほしくなった一冊だけはすでにアマゾンでぽちっといってしまいましたが。
カスタマイズしたデスクトップ
気分転換にWinのほうのデスクトップまわりを変えてみました。PCアイコンとゴミ箱アイコンをもう少し大きくする方法が知りたいです。
ではでは、明日も図書館で朝から真面目に勉強するひとたちに負けぬよう、もうひとふんばり。。

sound of silence

いつも音楽を流して仕事をし、車で移動し、休息する。
毎日24時間のうち半分以上の時間を音楽と共に過ごすのだが、
時には音楽を聴かないこともある。

静寂を聞く。

実はそれは静寂ではなくて
実はいろんな音がある。

シャーシャー、シュー、ジージージー、ドドドドド、ゴォー、ヒュー、ガガガガガ、ウォーーーン、ポリポリポリ、カチャ、ギイー、ジュル、シャッ、カサカサカサ、…….

電子機器の音、虫の音、鳥の声、雫の音、雨がいろんなものに当たって出るいろんな音。車の音、風が木の葉っぱをこする音。鉛筆が紙をこする音、頭をかく音、皮膚と皮膚のこすれる音、椅子がきしむ音、書類をめくる音。

普通に生活していれば、本当の無音と出会う機会はそうはない。

我々が普段出会う無は大抵何もないことを意味しているのではない
それを勝手に無であると認識しているだけである

無であると思っていたものの行間を読み取る

そうすればもう治らないと思っていた目の霞みが晴れて
目をいくら凝らして見ようとしても見えなかったものが
不思議とよく見えてくるようになった
暗闇に目が霞む
そうやってジョンケージの4′33″のようなことを思わせる、湿った空気と梅雨のAMBIENT TIME。

染み付いたもの

「ことしもうアライグマ2匹捕まえたでな。ほんまかわいい顔しとんねんけど、農協持って行ったら裏のガス室連れてってレンジでチンやわ。かわいそうに。」
「せやけどもともとおったアライグマからしたら迷惑な話やなあ。もともとそこに住んどったのに人間が開発してなぁ。」
「ほんまや。そんなもん先住んどったもんからしたら迷惑な話やで。」
「そらインディアンといっしょや。」
「普天間と一緒やな。」
「わっはっはー。」
農作業
農村地域の体にしみついた文化コードから生まれる会話って面白いもんです。
自然を守ろうって過剰な意識がなくても自然とそういう哲学が身に染み付いています。
それがその場所に寄り添って生きるってことなんでしょう。

金土日と、楽しくなりそうです。準備準備。

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