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Treehouse Blog of cott

SESSION

神戸ハーバーランドを少し西に行ったところに、とてもコアな場所があります。
見てのとおりシャッター街。でも人はとても気さくで魅力的。
I’maさん
先週末はそんなディープな場所で、グラフィックデザインまわりの人たちが集まるイベント。
おしかりスナックあきこ-神戸出張-

自分の仕事を自身で完結することなく、賞讃のみならず批判こそどんどん受けていかねばならない。
そして、本気で楽しんで作られたものにはかなわないという趣旨のもと、
デザイナー、ディレクター、ライター、スタイリスト。
みんな本気で楽しみました。
ご参加いただいたみなさま、そして一緒につくることを楽しんだみなさん、
ありがとうございました!
私個人的な話に限れば、すばらしいプロフェッショナルたちに囲まれて、
今回は瞬発力という方面において自分自身の能力以上を発揮できたかと思います。

この話はものづくりをしている人に限らず、そうだと思います。
みなさんもどうか、楽しんで。
ここでお知らせできないものもありますが、ひととの関わりの中で
そんな場をゆるゆる興していけたら。

y.y.

The Ultimate Principle

田んぼを耕す
先日、田んぼに水がはりだす、と書いたが、当然ながら勝手に張られるわけじゃない。
私自身もそのはる作業に関わっている。
休日は父と農作業だ。

田んぼをしはじめてデザインが変わったというK県の某有名デザイナーSさん。
豊かな関係性に支えられたものづくりとでも言えばいいのだろうか。
どう変わったのか、また機会があれば伺ってみたい。
しかしまぁ本当に田んぼでデザインがかわるのか。

私にとっては小さい頃から間近で接し続けてきた現象のひとつだからよくわからない。
たぶん変わってないと思う。

まぁ米づくりは心身のリズムをうまく整えるための時間だったりはする。
わざわざジムに行ったりせずとも自然に体力がつき、体の調子が整う。
太陽の出ている時間帯に体を使い、なんやかんや疲れるので夜は寝ずにはいられない。
という、意外に単純な話だったりするが。

ひとりひろい田んぼの真ん中でぼーっとしながら
水を入れた田んぼをトラクターで全面なぞって水田に仕立て上げる。
田んぼの真ん中をがに股でエンジン音を轟かせながら走ると
住処を追い出された虫がぶわ〜っとたくさん飛んできて
土の中にいたミミズが水面に浮かび上がってくるからか、カラスやツバメがえさを求めてやってくる。
そんな虫や鳥が営む風景の中に自分も営みとして存在しているのだなと感じる瞬間だ。
自然の摂理を身に宿す。それ以上でも以下でもない。単純な話。

「ぼーっとしながら」、といってもトラクターはレバーが多く、なかなかせわしない。
特に田んぼの端まで耕せ、折り返す時には忙しい。トラクターの後ろについた耕すパーツを上に上げてクラッチをふんでバックに切り替える。左カーブをするときは左のブレーキを踏まなきゃうまく曲がらない。
ギアは1つではないのでうまくギア比を切り替えてトラクターの挙動とギアを経験的に体に染み付かせなきゃならない。
まぁ、メカが好きな男の子の遊び道具みたいなものだ。飛行機のパイロットは無理だから、トラクターやコンバインで我慢。
男はいつまでたっても子供だということか。
意外に単純な話。

そう単純な話。
単純なものの道理の中に本質が潜んでいたりするのだ。
世の複雑な挙動は単純な原理の積層で成る。
デザインの対象がこの世界のどういった位置にあるのか。
単純な原理でものごとを思考すると、そんな根本的なマトは外さない。
それが耕すデザイナーだろうか。(、、とはいっても生活の9割はデザイン、農は1割にも満たないのだが。。)

便利だということで省略してしまってはならないものの道理の中に身を委ねよう。
田んぼと沈む太陽
水面に映る群青色のそら。この風景も人工物だ。
ひとと自然がうまくかかわりあっていて、言い換えれば風景が生きている。
営みとしての風景はいつも心に焼き付く。農村、都市と関係なしに。
生きた風景に寄与しようぞ。
y.y.

June

この時期、田んぼに水が張りだす。
そっけない街灯の光がゆらゆらと水面に映る。
闇の中にこだまするカエルの声をBGMに、車の窓を全開にして、すこし湿気を含んだ初夏のかぜを受ける。
おまけに上を見上げれば煌めく光の粒。

深夜に疲れて帰宅したときに感じるそのひとときに、今日いちばんの安堵を感じる。
昨日はさらにホタルまで出迎えてくれた。今年初観測。
淡河のホタル
(写真中央下〜右下の光のスジがソレです)

ホタルといえば、蛍雪の功とはよく言ったもの。
白い壁紙の勉強部屋であかあかとした蛍光灯の光で勉強するのでなく、
電気代がもったいなくて、電気をつけさせてくれないほど貧乏でもいいからホタルの光で勉強したい。

苦労は買ってでも…というわけではない。
ほしくないものを与えられたっていらない。
手に入れようがなくてもどうしてもほしいものは自分の手で必ずつかみとる。
戦うのならがけっぷち。
決闘するなら巌流島でないと。

たぶんその状況に興奮しているところもあるのでしょう。
ほら、なんとなくクレーンゲームをやってなかなかとれなくて
持ち前の負けず嫌いを発揮して景品ゲットするまで2000円もかかったときだったり、
それほどほしくなかったものも苦労して手に入れたらなんだかいとおしいような気になるでしょう。
ずっとほしかったって錯覚かもしれないけどそれはそれでいいと思うのだ。

本気で心の底から欲しいものなんて、ほんのひとにぎりだけ。
それをぎゅっと握っていられたらそれでいいのだ。
夕方の駅のホーム
すっかり日が長くなりました。

さあまた明日もがんばろう。

y.y.

obediently

みんな持ってるコンパクトデジタルカメラ。通称コンデジ。
世帯普及率は2012年で75%を超えるそうだ。
今使っているものも長い。3年ぐらいの付き合いだろうか。
夏も近いし、ということで新調してみた。

われわれの職業柄、撮った画像は後でなんとでも加工できるため、
できるだけ特殊なデジタルエフェクトがかけられていない、生のままのデータをこれまで撮ってきた。
エフェクトをかけたものをかける前の状態に戻すのは至難の技なのだ。
だが、折角なので使うことないだろうなと思った
トイカメラモードだったりミニチュアモードも
○○風はきらいだとか、本城直樹さんが消費されているとかぶつくさ言わず、
意外に楽しいものだなと、素直に受け入れてみることにした。
(ひとまず開封後1時間ほど楽しんだ)
cott事務所

実は小さいデジカメはおそらくこれで8代目。
小さいとすぐになくすので小さいのも考えものなのだ。
つまり半数は、なくした。

もう半数は、時代に取り残された。
5年もすれば時代遅れになってしまうので恐ろしい。
カメラ付き携帯にその機能を凌駕されてなくなってしまうかもしれない。

今回のものは水中でも撮影できるので無くす確率が上がるが、
自分がコンデジに求める必要十分な機能が備わっているため小回りがききそうだ。
末永いお付き合いをお願いしたいと思う。
夕焼け

ツムテンカク準備中
ディープな新世界がもっとディープに!金土日と開催!
ツムテンカク

yasufuku

Strawberry with U

いちご

ありきたりなはなしだが、
好きな誰かと一緒に食べるものが
いちばんおいしいなぁ。

それが
もらいもので、畑で採れたてを洗わずにそのままだったりすると
もっとおいしいなぁ。

うん。おいしい。

Brushes

筆
今は時代も進んで、パソコンの画面に直接ペンで、書けます。
そのときに使う道具がペンタブレット、通称タブレット、またはペンタブと呼ばれるもの。
鉛筆風の線だったり水彩風の線だったりも筆圧に応じた太さで自由自在。
ほぼ手描きに近い感覚をデジタルで処理できます。
デジタル処理だと一度書いた線の色やかたちを自由に変えられたりして便利なので
cottでも適材適所でお世話になっていたりしますが、
だけどそれでもやっぱりペンタブレットは筆や鉛筆に取って代わり得ないなと思います。

筆を洗いながら今日書いた線について振り返ることだったり
絵の具の粘り気から欲しい絵に必要な粘度にするために必要な水の量を察知する感覚だったり、
それぞれの筆についた絵の具が語る物語だったり、
柄の長さ、細さ。毛の材質、つき方。使う顔料の成分。紙による色の定着具合の違い。

モンドリアンのパソコンではささっと書けてしまうような絵も
あれだけ分厚くキャンバスに塗り重ねられているから意味があるように思うのです。

他のどんな分野でもひとの手に触れる日常空間にアウトプットされるものは、
制作過程においても純粋な身体感覚に基づいたほうが、
消えないモノの近くにいられるように思うのです。

ばあちゃんの味

たまごもち
あまいあまいたまごもち。
香川の祖母がおやつにといつも石油ストーブにアルミホイルをしいて、やいてくれた。
こどもたちはみな大好物。
事務所でたまたまもちをつく機会がありまして、初めて自分の手でつくった。
結果、まさにばあちゃんの味に。大成功。
インターネットに載らない味を受け継いでいくこと。
業や空気や知恵も一緒に、心に火を移すこと。
つばめの巣
つばめが減っているという先日のNHK NEWSをものともせず、
玄関にはうちのよりも上手な巣ぅしょってやと近所の奥様もお褒めの一品が工事中。
ツバメが減少 生息状況を全国調査

展示情報

マチオモイ帖展示風景
クリエイターがひとつのマチを責任編集。
「マチオモイ帖」が東京は六本木のミッドタウンから大阪に舞い戻ってきました。
メビック扇町とMARUZEN & ジュンク堂書店 梅田店で安福制作による「淡河帖」が展示されています。明日から!
お立ち寄りの方はぜひ。

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メビック扇町特別展
「my home town わたしのマチオモイ帖」

会期
2012年5月11日(金)〜6月10日(日)
会期中無休・入場無料
平日:11:00〜21:00
土日:11:00〜19:00

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5月11日(金)〜6月10日(日)
「わたしのマチオモイ帖文庫」in MARUZEN & ジュンク堂書店 梅田店

メビック扇町での『my home town~わたしのマチオモイ帖』会期中、梅田・茶屋町の大型書店、MARUZEN & ジュンク堂書店・5F芸術書コーナーに『わたしのマチオモイ帖文庫』が設置されます。全324作品のうち、25冊だけの展示となりますが、マチオモイ帖のエッセンスを感じていただける出張展示です。

MARUZEN & ジュンク堂書店 梅田店
大阪市北区茶屋町7-20 チャスカ茶屋町(5F 芸術書コーナー)
10:00~22:00 5月・6月無休
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5.12追記
トークセッションに顔を出してきた。

皆が自身のふるさとだったりに想いを馳せてアクションを起こせば
身近な人を大事に思うという点で、いちクリエイター以前に人として、自身にとっての意味になる。
あわよくば衰退して行く地域に目を向けさせることができる。
ということだった。
プレゼンを聞く限り某有名クリエイターのH氏やF氏もそうらしいが、自身の追体験としてマチオモイ帖をアウトプットし、その過程でさまざまなことを感じた出品者は多いだろう。

それは土地の文脈だとかが希薄になってきた現代において確かなこと。
H氏のトークの中では世界の文化が均質化しつつある中で
そこから到達しうる方法論、世界へ発信すべきコンセプトも見出しうるのではないかという話も挙がった。

だが評価軸がそのもの自体のクオリティというか、プロとしての職域みたいなところ以外にもあるところに、
甘えが出てしまうのではないか。ということも同時に考えていなきゃならない。

夜遅くにMacをたたくのはどこでも、誰にだってできる時代だからこそ。

地方でも、もう土地とふれあうことをあきらめてしまったかのように
あらゆる人が自動車に乗って往来し、
無駄な工事がせっせと自然と人間のつながりを
いまも現在進行形で分断している時代だからこそ。

ひとと空間

古民家改修計画-仮足場設置
今日は母屋のほうも。
床を貼る前に、ひとつ忘れておりました。
いざ、天井をぶち抜かん。ということで単管足場を設置。
単管は重くて丸い鉄パイプなのでむずかしいと思いきや、さっと教えただけでこのチームワーク。
そう。意外に簡単なのです。
例えるならイ○アの家具を組み立てるレベル。
おっさんのLEGOみたいな感じ。
もちろんその上で作業なりをするのでしっかり締め付けたとか手摺を付けるとか、筋交いをつけるとか、床板はがっちりしているかとか、それなりの注意は必要なり。

さて、屋根裏は相当埃などゴミがたまっていることが予想されます。ということでどんどんゴミを落とせるうちにぶち抜いてしまいます。
さすれば上を見上げれば茅葺き屋根の下地がお目見え。
風を通してやれば家の健康が保たれるし、囲炉裏の煙もばっちり抜けてくれます。

「家のつくりやうは、夏をむねとすべし」吉田兼好
なのだ。
日本独自の美意識は「生活の中にいかに自然をとりこむか」というところから生まれたのだ。
閉ざすでなく、開くべし。ゆるやかな境界が幾層にも重なり、奥へ行く程ゆるやかに薄暗く、内部と外部がグラジュアルにつながる。
そうすれば家は同じ屋根の下の家族をつつむのみならず、近隣を取り巻くモノガタリもつつみはじめます。

また、空間は、人がいてこそ成り立つ。
空き家はすぐに痛んでしまうという話を聞くように、
人が居ない空間はあっという間に朽ちて空間でなくなってゆく。
いや、空間といえば空間ではあるのだが、人がかかわることをやめた瞬間、
人体のスケールに基づいて構成された建築空間ではなくなってゆく。

どんな生き物も、巣はつくるし、重力に逆らって垂直に立っているのだが、
垂直な柱を立てるのは人間だけの特権なのだ。

人間が人間のために空間をつくるので
人間の作った空間は、人間がいてこそというのはある意味当たり前の話だが。
わたしひとりのための空間を嗜好するのでないのであれば、どうせなら空間が成るプロセスでも一緒に夢を広げましょう。
cottがお休みの土日祝を中心にのんびり作業を進めています。改修に参加してみたい方はやってる日、やってない日などありますので随時お問い合わせのほど、よろしくです。

yy

Silence

たとえば
ヘッドホンの音量を最大にして
2速から3速、3速から4速へ
つなぐクラッチのむずかしさ。
体に感じる加速度の変化や
エンジンのかすかな振動を
全身で感じ取り、
馬力の過不足を判断する
困難さを想像してみると
普段なにかをするとき
いかにたくさんの感覚に頼りきって
行動しているかを思い知らされる。

だからたまにはどこかの入力を不能にして
ふだんあたり前に思っていて気づかないいろいろを
想像してみるの。
目の前にいる誰かの気持ちを
想像してみるの。

yy

GWの営業

cottは大型連休中もカレンダー通りです。

また、30日は数人で改修しますので、ご興味あればぜひご連絡くださいませ。

私は休みのうちに普段できないことをしようかと。
ひとつは、普段じっくり読めない本を読もうかと。
複雑系とフッサール後期の現象学をもう一度。

(以下、雑談)
複雑系とは
一見、予測不可能なものを予測するための論理体系で、たとえばシマウマの縞や蝶の模様にある一定の法則が見出せるのであれば、ただのデッサンがあるリアリティを獲得する。加えて、進化発生生物学とも人間の知覚が結びつく。
グラフィックデザインの中にいかに根拠を探るか(そもそもそんなものを探るべきでないのかということも含め)ということについて考える機会があって、目指す所は小手先のビジュアルの大量生産でなく、積み重ねられて行くべき自然科学だと仮定したときによりどころとなるものがそれだったから。あるビジュアルによる効果を一定の根拠に基づいて多少なりとも予測することはできまいかという仮説。天気予報のごとく。仕事において重要な確実性や安定感を獲得できるのであればすがるべきものだろう。一方で、意味あるビジュアルが心を動かすビジュアルではないということはよくわかる。

現象学とは
無色透明な客観的世界は存在せず、あらゆる認識行為は主体による生活世界の主観的確信であるという前提に基づいている。その主観的認識をなしにして、意識を純粋な理性機能として取り出し得ないかというもの。これについては(自身も含め)認識という行為を紐解き解体することによって、より広いデザインの方法論を獲得できはしないだろうかということ。デザイン界で良く用いられる”AFFORDANCE”も認識の話だが、もう一歩踏み込んでみるとどうなんだろうというわけ。

建築系は高等教育機関出身者がほとんどだが、その他の分野のデザインはそうでない人も多い。その中でアカデミックに考えてみるのもひとつかと思いまして。学生時代にひととおり読んでいたはずなんですが読み直すと意外に忘れているものです…。

世の中に出て売れているものを見てみればそれと逆行する考え方でつくられたものも多いのはよくわかっているつもりだし、そんな形而上学考えてて手を動かさずにどうするんだということかもしれないが、ま、要するに勉強しなきゃと思ったということ。
あとは、形の文化会編の『形の文化誌』がなかなかおもしろい。
そういうわけでデザインをとりまく文法を強化するGWとなりそうです。
みなさまも素敵なGWをお楽しみ下さいませ。
cottのキッチン
キッチンに業務用冷蔵庫が入りました。
ちょろちょろといろんな方にお手伝いいただきながら、
ひととひとの関係性の中で徐々に空間が出来ていきます。
空間を創るプロセスの中にだれかのアイデアや夢を盛り込みます。
ツリーハウスのときよりもじっくりと時間をかけて。
yy

今日のヴァナキュラーに対峙して

今日はちょっとした仕事の話。

先日、田舎の仕事をご依頼いただいた。
お金は十二分に積んでくれるが、たとえば田舎の土壁でつくられた家の壁にクロスを貼ってくれという類の仕事。しかもその土壁はそんじょそこらの土壁とは一線を画すほどいい壁だったとする。たとえば。

本当にそこに住んでいる実感からすれば田舎の家は実際には寒くて使いづらい部分があるので、田舎の家が建て売り住宅のような家ばかりになっていくことはごく自然なこと。それが今日のヴァナキュラーの現実だ。
だけどいくら自然なこととはいえ、文明の利器がやってきて古き知恵や知識にふたをしてしまうには「時代の流れだから仕方ない」のひとことでどうしても済ませられないのです。
塗り重ねていくのならいいのですが。

あなたにぜひ頼みたいと依頼してくれている分、どうしても相手の希望に添えるよう努力したい。田舎だからよりいっそう。だけどそんなことよりもどうしてもそれはもったいないというか、そこにあるモノガタリが歪んでしまうという気持ちが先行してしまって、農村が農村の美しさを保持している所以だったりも含めてまっすぐ全て正直にお話しさせてもらいました。 

代案を提示してみたものの、もっといい代案は考えられなかったものかとか、ノスタルジカルに基づいている判断であると思われはしなかっただろうかとか、それはそもそもノスタルジカルであるということなのかとか、考えると辛さが残る。

とはいえ、一朝一夕で成る城を建てるような話でなく、
もっと息長く実践していくべき重要なテーマだろうかと思います。

伝統とかにメスを入れるっていうことはやっぱりそういうことだと思うのです。
大きなものに真っ正面から立ち向かうにはエネルギーが必要ですね。
今枝工務店ロゴ
田舎の仕事もたとえばこういうグラフィックスだと明快なんですが、物質を扱いだすと難しいものです。物質感。大事にしたい。

そんなふうに可能であるときは、できるだけ客観的にもっとよりよいかたちというか、それがもっと生きられる方法はないのか、というところからご提案させていただいています。しなくて良いときはしなくて良い。まちもいなかも関係ナシ。ご相談だけでもお気軽にどうぞ。

そうそう。
ツバメが巣をつくりはじめたので、ひとまず常に開放しているダイニング、閉めていますが、鍵は開けていますのでお気軽にどうぞ。
それにしても、うまいこと草や土を運んできて固め、どこにでも家を作るその様はまさに左官職人。マリの世界遺産、泥のモスクを彷彿させる。

みどりがきれいな季節になってきました。
(と、いうわけで…ということでもないのですが)事務所まわりでデザインソースを採集し、伝統的な柄や季節柄を用いた商品を展開する作業所の会報リニューアルに。ロゴも一緒にリニューアル。採集から配布まで1〜2日というタイムリーさもこれを採用した理由のひとつ。
伝統文様の大多数のモチーフは自然の中にあり。
マクロからミクロへ ミクロからマクロへ
森羅万象この世界はまことにフラクタルである
つながるつうしんつむぐ
そういえば、ひさびさにブログにWORKS載せた。

yy

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