Home > アーカイブ > 2008-07

2008-07

I’m here saying nothing

今日は地元のお祭りに行ってきました。

超マイナー演歌歌手の歌声とそれを囲みながら浴衣で踊る近所のおばちゃんたちを見ながらビールを片手にカレーにたこやきにかき氷をただ食いただ飲 み。「ああ、あそこの息子さんか〜、おっきなったなぁ」と。だれともわからないおじさんおばちゃんとしゃべりながらなんとなく踊る婦人たちを見る。古き良 き日本の夏。まだここにある。

昔からこの祭りはかわらない。

かわらないもの、かわりゆくもの

目まぐるしくかわりゆく中でかわらないもの。大切に。

これからも一生大切にしたいと思う。

かわらないものばかりにも踊らされないように。

繰り返される潮の満ち干きの中の

風のように

波のように。

今日はcottの創作の原点を垣間見た。

I’m here saying nothing

いつもここにいます。

たまにどこかにいますが。笑

夏祭り

少し落ち着いたらこの祭りの運営側にまわりたい。

あ、あともうひとつ。

cottの新たな展開のための第一歩を今日踏み出しました。勢いで。ちゃんとつまってきたらまた報告しますのでどうぞよろしく。

時代を考える

1週間の出張を終えて、先程帰宅。

今回の出張は神戸→大阪→奈良→滋賀→京都→大阪→神戸と、関西に小さな輪を描いた。

いろんな方と会って、その分いろいろ感じた。

人と会うほどに自分の甘さを痛感する

人間の奥底に巣食う闇が露呈する

のっぺらぼうたちが笑う

そんなときはまず闇を直視する

自分が前に進んでないとぼくは先を見失い

ぼくは僕が見えなくて僕しか見れなくなる

だからぼくは限られた世界で必死にもがく

たまに誰かが遊びにきてくれる

それぐらいでちょうどいい

人に会いすぎたので、消化作業にいそしみます。でないとどこか宙に浮いたような感覚に襲われる。というわけで今日はちょっとおもしろくない雑談を。

人間誰もが誰もを信頼できる世の中、これは一見コトバヅラは理想に思えるが、どうもそうは思えない。どうあがいても人間の同士には理解しあえないと ころは全くぬぐえないから、誰もが誰もと仲良くなれない。血が出ようとも、血がでまいとも。その延長のようなものが性に合わなければ戦争する。だからもし かしたら今が自然で平和な世界そのものなのかもしれない。国民の意思の統合同士が喧嘩をする。性格、つまり気候風土の違いなどからくる宗教、文化や習慣な どの価値観が違う。だから無責任にSMILE、PEACEなどと叫べない。主体的にたくさん募金等もしないし、酒を飲んでCDや本を買ってこれだけ十分に 余暇活動を満喫しているのだから。慈善活動を慈善活動と思ってやっている時点でもしかしたらその資格はないのかもしれない。

秋葉原で起こった加藤の事件も同じようなことなのかもしれない。こんなことがなぜ起こってしまったのかと言われるが、私には起こるべくして起こった ように思えて仕方がない。むしろよく今まで起こらなかったなと思う。

今回の事件の特質は、容疑者の気持ちがわかるという者が大勢いることだ。私自身も全く理解できないことはない。 にもかかわらず読売新聞のコラムとして長年の実績と信頼を誇る「編集手帳」のこの事件に関する記事の中に「世の中が嫌になったのならば自分ひとりが世を去 ればいいものを」という見過ごすことの出来ない論調があったらしい。写真家の藤原新也のサイトにそのような記述があった。年々、自殺者は増加しているとい う統計にも見られるように、加藤予備軍がかなり大勢いると推測することは容易であるにもかかわらず、彼らに一人で死ねと言っているのである。 世を洞察する大メディアの頂点はしょせんそのようなところにしかないのだろうか。情報が膨大にあふれるこの世で信頼できる情報は数少ない。この事件は情報 ネットワーク上での血の流れない戦争のごく一部から血が流れた、ただそれだけのような気がする。他の冷戦を戦争化させるひきがねにもなったかどうかは今後 の動向を見守ることとする。

人の命は重い。この事件は人間が透明化しているこの時代に対して実はそれはとても簡単に奪われる軽いものだということを思い出さねばならないという 警鐘なのかもしれない。

自らの目とで見て体で感じて自らの頭で考える。その点で旅することは非常に有用である。

このような事件がもはや普通になりゆくかもしれない時代をどうすべきかに対する回答を、小さなネットワークで循環する文化やコミュニティをつくると いう帰納的な対策により提示しようと思う。まだその計画は水面下で進行中なので、実現が近くなってきたら具体的にここに書こうと思う。

ココロコメテ

出張6日目。月曜には神戸に帰ります。

そうそう。立命館大の卒業設計イヤーブックに掲載されます。発刊までまだもう少しかかりますが。

学内の卒業設計展では京都駅の設計で有名な原広司先生の票をかなりいただいて奨励賞を取ることができたので、最終選考に残ることができました。講評 会の議論の様子を文字化した講評会レポートにもツリーハウスに関しての講評が載ると思いますのでぜひ機会がありましたらご覧ください。

私のページはこんな感じで載ります。

ツリーハウスパンフレット

このツリーハウスのことがもう少しおわかりいただける内容になっているかと思うので、これもダウ ンロードコーナーに追加しておきました。

資料のダウンロードは以下のURLから。

http://www.cott.jp/about/download.html

原先生は世界的にも評価が高いかなり有名な先生です。その先生とは私がもともと属していた研究室の教授と関わりがあり、いち研究生としていろいろな 話をさせていただきました。人間的にすごく素敵な方でした。つくるものが素晴らしい優等生で人間的には全く魅力のない人よりも、つくるものが並々でも人間 的にすごく魅力のある人の方が好きです。つくるものが素晴らしく、人間性もすばらしい原広司先生はもっと大好きです。きっとツリーハウスを評価していただ けたのもデザイン性や革新性というよりも気持ちの部分だったと思います。人との関わりや、人間性を大切にしながら、心を込めていいものをつくろうと努力の できる人であろうと思います。

SUMMER

ツリーハウスづくりの後にまとめた図面や論文のダウンロードができるようにしました。

単純にいろんなところにちょっと変わった家が建ったらおもしろいなと思うからです。ただ、耐震偽造の事件もあり法律も厳しくなっているため,この資 料のものがどこにでもそのまま建つわけではないということについてはご了承下さい。くれぐれも資料として参考程度にご活用下さい。本気で木の上に家を建て てみたい方は一度cottにご連絡いただけましたらアドバイスさせていただきます。

「食事と住む所と少しの給料を提供するからうちの庭に作ってくれ」というようなFUNKYな依頼ももしかしたらお待ちしているのかもしれません。

今後も何かしら資料をアップしていくつもりですので要チェックです!

資料のダウンロードは以下のURLから。

http://www.cott.jp/about/download.html

summer

畑ではこんな風景が。夏ですね。

BEYOND THE BORDER

昨日やっとひとつ山を越えました。某国家資格の一次試験通過です。

そして今日たまってた領収証類を出納帳に記帳していくと、あれあれ。

勉強のために2週間仕事を減らしていたので当たり前っちゃあ当たり前。出納帳は正直者です。さあーて今月はとりあえず減給で、サボってた分とり返し ますかー!毎月固定の給料でなく、がんばった分だけの給料って物々交換の延長にある原初性を持っていておもしろいです。

木々は元気です。自然は強い。

OFFICE ON THE TREE

家にいること、人に会いにいくこと。

根ざすこと、訪問すること。

この両極があってこその根ざす意味、訪れる意味を思う最近。

ノマドスタイルでも仕事が成り立つこの仕事はとてもおもしろい。

I miss India…

INDIA

Home > アーカイブ > 2008-07

Recent Articles
Backnumber

Return to page top