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OGOGOGO! -地域活性への道- Archive

ムラのあれこれ

ギャル神輿が終わり、今年の太鼓の担ぎ手や歌い手などをしていた同世代と二次会。
ムラの制度についての話になった。
伝統を守るべきか、祭りを続けるべきか
新しさをどこまで受け入れるべきか、古きを生かすべきか
古い考えの人に感謝をするか、排除をするか
豊かなムラはどんな村か、
これからどういうムラであればいいか、

同級生の1/5ほどが集まって
そんな話が意外に熱くできたのは、きっと皆当事者だからだろう。

伝統も受け入れる必要もないが、古い考えに何も言わず従う必要のある地区が未だ残っている。そういうものがはびこっている地区は若い者には生活しづらい。別に若造の意見が通ることを期待していないし、希望しないが、バックグラウンドが知れた者同士、話ぐらいは聞いてくれてもよいのではないか。それで回っていたのは世代間交流の場がさらに多かったから。そういう場として祭りが必要だと判断する脳味噌ぐらい若造にもある。

また、ムラの良さは少なからずテーマコミュニティのみによって成立しない。
農村は自分以外の他を尊重し、関係性を編集しながら濃密に関わって生きられるところ。
自分と異質なものを寛容に受け入れるおおらかな心が必要で、
自身を優れているとする驕りと他の上に立とうとする慢心を持つ者が気持ちよく生きられる「夢の国」ではないのだ。

いろいろ話の次元が上下左右していたのだけれど、まとめるとそういうことだったのだろう。
そういう意識を共有できて嬉しい。そしてたまに集まって飲んだときに話す機会があればまた話そう。
そうやって感覚を補正する。

どこまでも自然でいる。
最近は播州弁がよく出るようになってきたことが楽しい。

来年はうちの村も当番やさかいに太鼓かかなあかんねやわ〜。
あれほんま重たいからごっつ肩痛なるねん。
淡河八幡宮秋季例大祭 御旅神事
いちばんうしろで顔ひとつ飛び出たじいさんがポイント。
がいよ見えるとこおってやねや。

巫女さん

淡河八幡宮御旅神事

淡河八幡宮秋季例大祭 ギャル神輿

ギャル神輿
10/3読売新聞朝刊 神戸新聞朝刊に載ってたようですが、先日の淡河八幡宮秋季例大祭で初お披露目のギャル神輿。
江戸時代から続くまつりに華やかに彩りを添えてくれました!

さてさて、明日からY氏が出勤。

チームが広がるのは、やはり楽しい。
どうなることやら乞うご期待。
さらに核心をついたものへ。
この際いけるとこまでいってみよ。

Yasufuku


ギャル&子供神輿プロジェクト

淡河八幡宮秋季例大祭
ギャル神輿プロジェクト

時間

10:00 集合
10:00〜12:00 太鼓、神輿練り
12:00〜12:30 浦安の舞
12:30〜13:30 昼休憩
13:30〜16:00 御旅神事
16:00 終了

申込み

子供神輿のみ参加可能です。参加資格は幼稚園〜小学校3年生ぐらいまで。申込みは不要。当日は第一部10時まで、第二部13時半までに淡河八幡宮境内にお集まり下さい。ただし、人数が定員を大幅に上回る場合、交代制となりますので譲り合ってね。

注意事項

ちいさなこども神輿とはいえ重いので、なめてかかると大けがをします。坂道や狭い道もあり、危険な所もあります。
サンダルやミュール等、足下が不安定な靴では参加することができません。
小学生未満のお子様にはできるだけ親御さんがついてあげて下さい。
怪我にだけ注意ができたら、皆で地域の祭りを楽しもう。


人と農村とグラフィックデザインと

淡河人物名鑑
今日はひとつのライフワークをご紹介。
町内の同世代の若者を集めて名鑑を作っている。

まちづくり研究会の視察研修のレジュメにオマケとして添付。
理論で攻めて共感させるのでなく、切り口を変えて視覚的に訴える。繋がりを示す。

JAの帽子なのに無駄にモデル並みの写りをする奴がいたり、酔っぱらって調子に乗ってわけわからんことを書く奴がいたり。。
何より感じるのは、やっぱり人を相手にすると面白いということ。ひとまず目標は総人口の1/10である300人。
ほとんど夜にBBQがてら撮ったので白バックですが、ほんとは豊かな各地の風景バックにして昼に撮りたい。


愚行四年目の所見

近頃はいろんなところに足を運びながら町内のヒアリングをしたりしながら作戦を練っている。地域に対して解法は地域ごとにゆっくりと導かれて行くもので、本当に地道な作業だ。

田舎に舞い戻ってデザインをはじめるという愚行

先日、ランドスケープアーキテクトの山崎亮氏が情熱大陸に取り上げられていたのも記憶に新しいが、地域に向けられる目はこれからますます大きくなってくるだろう。(自己紹介レベルで彼の魅力が伝わり切ってない放送には少し残念だったが、自分の周りでは好評だったのできっと日本中に大きな影響を与えたに違いないと思う。)きっと「私も田舎に帰って…」という若者たちもいるだろ。大変歓迎すべき流れであるが、誤解を恐れず言ってしまえば、20代30代そこらの若者がたとえば田舎に帰ってデザインで地域を盛り上げるなんてことは基本的には愚行だと思っている。専門家として派遣されるということと、そこに住んでということでは意味が違ってくるように感じている。まちの皆は、面白がって話を聞いてくれたり評価をしてくれるのだが、農村では新しい価値を提示して意味を理解してもらうまでに時間がかかるし手間もかかる。

汗をかいて人に会いに行かなければ批判ばかり出回る。「本当にいいものをいいと言いたいだけだから農産物のブランディングをやらせてくれ」といえば気違いだと思われる。ブランディングはどういうものなのか分からないので実際にそれをやった後、効果が目に見えなければ「怪しい商売してるあの家の息子」との視点は拭えない。都会で出回る農産物がどんなものか目にする機会もないので自分たちの育てるものがいいと本気で思っている人が実は少なかったりするかもしれない。失敗ができない。だから実力、そしてコミュニケーション能力を要する。なんだか理不尽な気もするがそこまで背負わなければならないと言っても言い過ぎではないケースも多いと思う。
そんじょそこらの覚悟ではそうすべきでないだろう。私の2倍、いや、3倍近くにもなる大先輩の方々が一生懸命村のことを考えてされている。

だから残念ながら今のところcottとしての多くのクライアントワークは田舎のものではない。もちろん少しずつそっちにシフトしていければとは思い続けているが、実際問題としてあまり需要がないので難しい。某携帯電話ショップである契約をつければ一緒にもらえるPCやPSPみたいなもので、あればいいけどなくてもいい。だからなかなか仕事として成立しない。
もう一歩踏み込んだ何らかのシステムを描かなければこの状況は10年やそこらで大きく変えることは難しい。それを描く自信はあるが、それを押し切る自信は全くない。農村は基本的に自己主張するところではないので、生活者が提案することと、外部の人間が提案することは全く性質が違う。失敗すれば、一族が村八分である。

だが本当に地域の価値や人、文化が代謝して行くためには生活者からの提案をベースとすべきだとの思いもある。だから少しずつ背中を押してやれるような仕掛けをさりげなく提案する。まちづくりは開発ではないのでこちらの都合で働きかけまくることではない。待つことも大事。待つづくり。

村の幸せとはなんだろう

携帯電話やインターネットなど、急激な情報化の影響を受けてか、農村地域の若者の視点も極めて現代的であるところも多いだろう。そのような場所における若者の田舎で幸せは、村の上の世代の幸せに一致しないところも多いのではないか。村にあまり関わる場所のない若者は基本的に意見を言う立場にない。だから出て行く。村の上の世代が村を回すのは田舎の基本原理として続いて来たもので、若者は本来田舎では村作りに対して頭を出さないし、出せないので、そもそも意見が通らない。それを通すことは実はタブーに触れることなのかもしれない。
「どうしたもんか。この溝は埋めるべきなのかどうなのだろうか。」としばらく頭を抱えた時期もあったが、村を家族の集合というレベルに落として考えてみれば、孫や子の幸せ=村の上の世代が幸せというのは間違いない。だから少しは埋めてもいいはずだ。

今思えば小さい頃、本当に住みやすく感じていた。次の子にも当たり前にそれを感じさせてやりたい。その想いひとつでまだもう少し、いけるのか。今年度は何度もそういった自問自答を繰り返すことになりそうだ。個人の想いが入るのでここに書くべきか迷ったが、以上が正直なところ。少し遅くなったが、愚行四年目に入っての所見である。

それでもぜひUターンして正面切って、村を興したい愚弄者は、心から歓迎する。心豊かな生活ができる農村であり続けるために。

野の花Cafe
↑すこしセンスが上の年代ではあるが、町内で一番おしゃれな野の花Cafe。倉をどう活用するか、楽しみ。
蛍
↑事務所で夜な夜な作戦会議をしていたら飛んできた蛍。そういえばもうそんな季節。田植えもはじまっています。

追記 11/06/06 ——————————————

経験論的なここだけの話

先日、Uターンして村を興そうと思うなら骨をうずめるつもりで戻ってきて本気でやれと書いた。真面目な話をすればそうだが、さらにリアルな本音の所を恐れず書いてしまおうと思う。

田舎の男たちのコミュニケーションの基盤は昔から酒、女、たばこ。それらの周りに村の男たちが群がる。農村地域の魂である米から生まれる神様のしずくである酒に、新たな時代を託すべき子供を産む聖なる女。権威の象徴であるたばこに火をつけ狼煙をあげる。共通話題と言えばそういったものたちや近所の噂話、今年の天気、田んぼの水、いのしし、マムシの話など。自然界のご機嫌について語りながら嗜好が全く違う村人たちをまとめあげる。

最近は表面的にきれいなものばかりを見ようとする現代のシステムによる大きな規制の波が村にもやってきている。おかげで、そんな農村の魂を隠してしまったかのようにやさしい親父が多い。親父の求心力が弱くなって来ているせいか、若者は家を出て行くし変に真面目すぎてぱっとしない。田舎で何かしでかしてやろうというこんな愚弄者も出てくる。そしてまだそれを怪訝そうに見つめ影で叩く元気のある親父たちもいることに感謝している自分もいるかもしれない。

私たちが中学生の頃ぐらい。そう、2000年に入るか入らないかぐらいまでは原付を改造して大きな音を立てながら猛スピードで暗い田舎道を派手に照らして走るやんちゃな坊主がたくさんいたのだが、近頃はうるさい音といえば夜中に走る大型トラックの音ぐらいなものだ。親父に力があればあるほど反発するエネルギーも湧くだろう。でも結局は最大の敵である親父にはかなわないことを知っているのでそのうち丸くなる。息子がグレたら親父もどうこうせずにどっしり構えていればいい。治安がどうだという話は別にして、若い頃はそれぐらいやんちゃでもいいと思うのだが。

まぁ神様とか現代のシステムへの危惧の話をすれば胡散臭いしそんな昔話はどうでもいいのだが、要するに農村を回し続けて来た原理は高尚ところと繋がってはいれども、高尚な所にはないということだ。だから本来の農村として限界集落を救うのであれば、それは実は高尚な理論ではないと思う。だから最近流行りの「コミュニティ」を「デザイン」と言ってしまうのは都市計画的なレベルの話で農村においてはまだ少し疑問が残る。

自然の恵みに感謝し、身近な素材をうまく利用し、様々な所に宿る神々についてを話題にしながら、身近な人と日々を営む。
自然という大きな関係性の中に身を置き、今日の米の中にある真理を見つめる。
文字を重ねてしまえば安っぽくなってしまうが、これぞ、農村地域の伝承され続けてきた心なのだ。

酒女タバコの話に戻るが、まちづくりにも煩悩が必要だ。村に地デジよりもデザインよりもエコよりもエロを!

内の人が農村本来のコミュニティを内から盛り上げるのならそうではないか。そんな提案ができるのはUターン者、または地元育ちであるからこそ。親父たちが真面目に徹するのなら僕らは楽しくやる。まちとむらもつなぐ。Iターン者がのびのびやれるようになればいい。経験論的であほ丸出しの下衆な話であるが、あながち間違ってはいないと思っている。高尚な世界と、俗世の狭間で一歩ずつ。

安福


田舎あそび2

農作業最盛期
竹を運ぶ
竹デッキ
ゆがふ舎展
田舎の上質なインテリア
縁側にて
そうめん流し
現場肌の自身を再確認。竹をどんどん使いましょ。農作業の休憩のための簡素なデッキ。青竹踏み。人の肌色に映える竹の色、そして緑。色素。村がデザインを必要としているか否か。都市に売り渡してはならぬ魂とは。フィールドワーク。
土偶ディスプレー


豊助饅頭

豊助饅頭
先日D&DEPARTMENT OSAKAのNIPPON VISION4に持参した淡河町の名物豊助饅頭。超薄皮のこしあんは1882年から120年以上守り育み続けられてきたスタイル。
木の皮をはいだだけという簡素なつくりにもかかわらず、ひとつひとつ異なった表情を見せ、風味を閉じ込めるエコロジーな包み。
そして一個60円という価格もまた魅力的。
豊助饅頭
地域の産物をPRするのは全国各地に散らばる地デザイナーたちの義務。そして全国各地から年に一度、地域の商品とそれにまつわるデザインを展示、プレゼンなんてやってみたら楽しいかも。


淡河そら祭り2009

2009年11月1日に開催された淡河そら祭りの模様を事業成果報告用として8分程度の映像にまとめたので、ここでも公開。(雨天のおかげで機材をしまってしまい、一部資料がなくて残念なところもあるが…。)編集していて、本当にいろんな人のおかげでできたイベントだなあと心から思った。改めて。
(高解像度で楽しめますので、ブロードバンドのPCの方はぜひ再生中にタイムライン右側に出てくる「360p」を「480p」や「720p」に変更して右下の全画面表示ボタンをクリックしてお楽しみ下さい)

というわけで、そろそろ次回の計画始めますか!?


禊の儀
2月10日に執り行われた禊(みそぎ)の儀。耐える男たち。
御弓神事という鎌倉時代より続く伝統行事の一幕。本番が2月11日午前十時で、彼らにより天と地が繋がれます。特別に信仰心を持つわけでもない、地元の普通の青年たちです。
淡河八幡神社の大鳥居に架けられた直径2mの的に矢を放ち、悪霊を射抜き、五穀豊穣と厄災解除を祈願します。中学生の頃に真ん中に当てて飛び交った歓声が気持ちよかったのを思い出しながら取材をしていました。

追記 2/11
雪模様の中、御弓神事無事終了。
御弓神事
しめはもちほり。みんな必死。1年でおばあちゃんが最も俊敏になる瞬間。食に貪欲な田舎の皆さんはとても健全です。音楽ライブよりもちほり。
もちほり


第二回淡河町まちづくりシンポジウム開催のお知らせ

日時: 2月20日(日) 13:30〜16:50
会場: 神戸市立淡河中学校体育館 (神戸市北区淡河町行原字中沢179-2)
テーマ: 「魅力ある10年後の淡河町のまちづくりを語る
         – 若者に魅力のある農業・6次産業の推進 -」
プログラム:
第一部: 基調講演 13:45〜15:00
近畿農政局 次長 磯部 義治さん
第二部: パネルディスカッション 15:10〜16:40
コーディネーター 細尾 勝博さん (淡河町まちづくりアドバイザー)
パネラー(予定) 常深 輝夫さん (神戸市アグリマイスター)
藤原 一哉さん (花卉専業農家)
辻﨑 まさゑさん (道の駅淡河「淡竹」会長)
森本 聖子さん (中山市民農園オーナー)
ささやかではございますが、プログラム終了後に懇親会を予定しています。

駐車場: 淡河中学校ロータリーおよびグラウンドをご利用下さい。

住所、氏名、電話番号、電子メールアドレス、ご所属、参加人数、懇親会参加/不参加の旨をご記入の上、下記連絡先までメールまたはファックスにてご連絡下さい。
申し込み〆切: 2/18(金)
お問い合わせ: 淡河町まちづくり研究会

〒651-1615
神戸市北区淡河町荻原830-10
(北区役所 淡河連絡所向かい)
TEL: 078-220-8095 
FAX: 078-220-8068
E-MAIL: info@ogo-machiken.com


流すその水はどこへ行く

地球環境問題
地域コミュニティ
労働問題
ニート
自殺率の増加
虐待
その他倫理や道徳に欠ける凶悪犯罪

現代的な社会問題の多くは煙や水の流れる先に関して無関心であることが大きな原因となっているように思う。

自分の都合のいい情報を得るインターネット。大変有用であるが、自分の望まない不要な情報は入って来ない。目の前の風景の意味が薄れ、たとえば究極の話、「隣の住人が死んだ」すらも不要な情報だということも多いにあり得るのが恐ろしい。

そういう意味で、田舎はとてもいい。不要な情報がたくさん入ってくる。
うちの集落にも3羽ガラスなるものがいて、バイクで村を走り回り、地域の情報を瞬時に伝達する。その正体は、ただの世間話が好きなおばちゃんなのだが。内容は特におもしろみのある内容ではない。(これは悪口ではない。礼讃だ。)自分の興味ある内容について語られることはあまりないが、それは決して否定すべきものでなく、地域に潤いをもたらしている肯定的な存在である。(そう思えないと、地域に溶け込むことは難しいかもしれない。)

田舎が閉鎖的だと言われる所以は、日常生活において常に関わってくる濃密な関係性にある。その土地を守り続ける定住者として地域を常に監視しているから、何かコトを起こそうにも起こしにくい。監視されているという言い方は悪いかもしれない。見てくれているのだ。子供だって見てくれている。美しく言うならば関心を持って関係性を保ちながら支え合って生きていると言えばいいだろうか。

身の回りの風景についての情報を多く共有することにより、一体感が生まれる。(その反面、外から見て閉鎖性を感じさせることになる。)自分が流す水や煙がどこでどうなるか、理解を深めることができる。
おかげで、火をたくときに煙の行く先を気にしたり、ゴミの出し方を守ったり、庭の体裁を気にかけたり、生活態度を改めたりしようと思うことができたりする。無駄なしがらみや動きが増えただけではない。便利であること、自分の都合がまかり通らないことも地域を守り育んでいくために大切なこと。それは相手を思いやることの延長だ。最近はエコと叫ぶよりも、当たり前に社会とつながり、相手を思いやることの方が地球環境問題に対して有用な気がしている。

身近なひととの繋がりや地域の風景と自分との関わりが増えること、それこそ豊かな社会と自身の暮らしを築くカギだ。

先月食べたへそもち。餅米に米を混ぜてつくる。
へそもち
いわゆるとんど焼き。年々規模が小さくなってきてはいるが、これはおそらく生まれてから二十数年毎年当たり前のように続いている。書き初めを燃やして高く舞い上がれば字が上達するそうな。当たり前にこんなイベントが日常にある毎日に感謝。
来年はもう少し人を巻き込んで規模を少しずつ戻していければ楽しいだろうなぁ。

安福


農村地域に対してクリエーティブには何が可能か。

説明も何もなしに、昨年末のWEBサイトリニューアル時に掲げさせていただいたコピー「農村地域に対してクリエーティブには何が可能か。」。
今日はそれに対しての考えを書こうと思う。

長くなりそうなのでまず結論から言うが、何だって可能かもしれないし、何もできることはないかもしれない。それは依然として疑問符で、あえてそれをそのまま掲げた。

デザインはいま、社会の需要に適合するもの。

だからといってデザインに対して迷いがあるわけではない。それはそれ。これはこれだ。潜在的ニーズを探り、飛躍的な発想で生活を豊かにするデザイン。
その力を信じていながらも、信じているからこそそこに適用できるかどうかを考えるのだ。つまり、「デザインでこう状況を変えることができると確信していること」と、「そこにそのデザインが必要か」どうかというのは別問題である。
デザインは必要とされなければ用をなさないし、多くは実行と他者が伴うものなのでダビンチやアインシュタインのそれのように100年後には理解されるだろうと先手を講じることは難しい。

そういうわけで「田舎はださい。だから地域にデザインを。もっとブランディングや情報の風通しを良くしていこう」と声高に言いたい訳ではない。
別に夢の田舎にするつもりはない。本当に必要とされていないところにこちらの価値を押し付けるのは乱暴だ。
例えるならばボクシング部員にバイオリンの弾き方を教えるようなもの。

よい地域とはどういう地域か。

デザインで地域の見え方を良くすることで、地域が経済的な発展を遂げるための方法論は至って明快だ。村の総意を問い、顧客の声と照らし合わせながら、そのゴールに向かうブランディングの方法を確立する。
しかしあくまでもそれは地域が経済的発展を遂げるための方法論である。

地域が経済的な発展を切望するあまり、地域の心がおいてけぼりとなってしまうのでは地域が地域たる意味がない。地域に訪れる人が増え、成功に見える事例も、実際には地域の自然や安全なコミュニティが犠牲にされていたりする。それはその土地に生きる者が望んだことでもないだろう。
ものごとには全て一長一短があり、それらは表裏一体である。

繰り返すが、発展とは人が増えることでも産業が発達することでも文化財が保存されていることでもない。本質としてあるのはそこにいる人が安心して幸福に暮らし続けられる地域であるということ。(たとえば3世代以上の定住率だとか離村率というような指標で近似的に量ってみてはどうか。)その一要素として産業、雇用、(未来を感じられる程度の)人口、安心なコミュニティ、健康、医療保障、教育、などがあるわけだ。「それらはどういったバランスを保てるのが一番良いのか」という問題に対しては地域の数だけ解がある。

そういう考え方で、例えば地域が閉鎖的だからもっと情報の流れをオープンにすれば地域が良くなるのかを考えてみるとどうだろう。ある部分ではそれは必要で、ある部分では必要ないかもしれない。ああしたらこうなるから、こうしようという単純な議論でなく、ケースバイケースで少し掘り下げて多角的に議論してみるといい。

活性化とは何が潤うことか。

地域活性化という単語がよく使われているが、何をもって活性化と言うのかはケースバイケースであるにも関わらず、乱用され、結局のところ何を目指しているのかわからないまま何かしらのイベントなりが行われているようなケースも少なくない。
本当によい地域とはどういう地域でありどういう地域を目指すのかをその地域ごとに設定し、落とし込むこと。この大切な議論がなされぬままでは何の意味もない。

もちろんその議論すら持ち込めない地域も多くあるし、そういう局面になるであろうと誰もが予想できるような状況であっても結局のところ直面して本当に困ってからでないと動かないケースも多いし、困ってからはお手上げ状態でこのまま終わるしかないというような状況になってしまうケースも多いだろう。
そこに地域ブランディングの難しさがある。

寄り添い、地域の一員として日々暮らすこと。

cottとしての農村への意識としては村を変えて行くというよりは、そこにあるんだからそれは良いほうがいい。という意識だ。
もちろん個人的にはもう少し先進的な試みなどを推し進めていけばいいのではと常日頃から思っているが、自治会の役員クラスのじいちゃんならまだしも、こんな若造が声を大にしたところで皆ついてきてくれるはずもない。田舎では自分の考えは自分がそれ相応の役職について並の生き方をしていなければ通らない。並の生き方とは、妻子を持ち、正社員で長年勤め、真っ当な収入を持ち、村の付き合いに参加することで、かなりの時間と労力がかかるのである。並以上だと村の付き合いに参加しにくいほど忙しいだろうし、並以下だとはなから信用されない。村は自己実現する環境からはほど遠い。

ただし常にデザインやブランディングという観点から先進的な提案の用意はしておく。提案をしてはみるが、それが必要とされていなければする必要もない。その隙間を縫って進み続けるだけ。そういう意味で、可能であり不可能と述べた。
茅葺き軽トラバー

地域の事情

誤解を恐れず述べるのならば、古き良きの奨励だとか自然だとかそんなことはもはやどうだっていい。もちろんそれらは農村地域の資源として有効に活用すべきだが、当たり前に、そこで生活し続けてきたものを外からああだこうだと言われたところで急に何の話かと思う。

ブームでこられたのでは地域に溶け込みにくいのは目に見えている。
浅はかな考えで来られたのでは、来られる側もいちいち構えてしまう。
地域には暗黙の了解的なことが多くあり、それらを教えるだけでもかなりの時間を要する。だからそこに骨をうずめるほどの気持ちで来てもらわないと困る。
骨をうずめる意思(家を買う、土地を買う、妻子を持つ、などを通して見る)が見えないと「どうせよそもん」と、意見に力を失う。地域に意見を伝えても受け取ってくれないことが多い。

都市住民の事情

とはいえ、いきなり骨をうずめる覚悟で来いと言われても、実際田舎の生活や付き合いがどれほどのものかもわからず、いきなりそこで一生暮らす覚悟など普通は持てるものではない。田舎で付き合いが必要というのもわかる。来てみたら意外に付き合いが想像していたほどではないという話もあるし、やっぱり合わないというケースもある。都市、農村と関係なく皆が幸せに暮らすことの出来る糸口は少しずつ探っていかなければわからない。

地域は誰がつくるか。

地域は結局のところ当たり前ながら住民がつくる。先進的なことを言う人がつくるのでなく、みんなでつくる。だから都市的で先進的な価値観も必要であり、農村特有の古くからの価値観も必要だ。
茅ティピ
地域に貢献するのは慈善活動ではない。というか、慈善活動とは思っていない。自然にその場所で育った者の習慣をそのまま遂行しているだけだ。

私たちの小さい頃、育ったその場所を魅力的に感じさせてもらった恩を当たり前のように次の世代にも感じてもらうような地域づくりをする義務がある。ただその義務を果たすだけで、村を変えるだとかそんな大それたことをしようとするつもりはない。義務というか、昔からそう続いてきた。そういうものである。どういう風に自分はなりたいとか、自己実現めいたことを考えているわけでもない。

たとえば、別に仕事内容だって田舎のものやオーガニック、ナチュラルなものにこだわっているわけではない。都会のデパートの商品のブランディングだってするし、都会のクラブで一晩中大音量の音楽のもとVJだってする。深夜にラーメンだって食うし、酒だって飲む。田舎の自然や家でとれる野菜などももちろん好きだが、それをエコやロハスというような概念で捉えたことはなく、当たり前のようにあるだけ。むしろここで一緒に育ってきた仲間が好きで近所の人や家族が好きで、たまたま仕事がデザインというちょっとハイカラな仕事だったというだけ。田舎がない人に言わせてみればそれはずるい言葉なのかもしれないが。

最後はデザインの話でなくなってきてしまったが、その地域にそれぞれが寄り添い、一員として日々暮らすこと。そのプロセスに冒頭で挙げた疑問の解を求めよう。あなたの好きな地域でなく、あなたのルーツの地域で自分らしく生きる術を授からんことを切に願おう。

2/4 追記
ちなみに難しく書いたが、移住組はなんとなくでも飛び込んでみたらいいし、迎える側は意外と何も考えてない。たぶんこの文章をよんで感じるよりもすんなり入れる。揃えるべきところでしっかりと足並みを揃え、こちらが心を開きさえすれば興味を示していろいろ聞いてくれる。ややこしい人というレッテルさえはられなければ農村生活はまず安泰であるはず。汗をかくこと。人に会うこと。


はしる茅葺き

2009年11月に開催した淡河そら祭りのワンシーン。
日本初、いや、世界初、走る茅葺きです。
とっても素敵な風景を肴に、
茅葺き職人 相良育弥との数分のドライブをお楽しみ下さい。

補足ですが、4トントラックなので3.8m以内なら積載可能です。一応道交法には適合しています。

実は立派な機材で撮影してもらったものの、家庭用と同じようにはPCに取り込めず、遅くなりましたが映像がやっと届きましたので少しずつ公開していければと思います。
あまり当時の記憶が鮮明ではなく、自分が話をしている場面もなんだか他人のよう。
それほど必死だったということだろうか。
記憶が蘇ってきて思わず笑ってしまう場面も。

畳む茅葺きや歩く茅葺きもありますのでお楽しみに!


REASON

Twitterでもつぶやきましたが、今日は婦人会、自治会、まちづくり研究会、わかくさ、老人会のみなさんに先日撮影した集合写真を100枚近く配布してきました。

しがらみがあって、変わたことをしていたら影でぐちぐち言われてすぐ叩かれる。それが素晴らしいデザインで地域貢献に意味のあるものだとしても誰か一人の理解が得られないために「振り出しに戻る」なんてざら。しゃれたデザインからはかけ離れた環境で、クリエイティブだけに集中できる環境かといわれればそうでない。
関係性が色濃くて、人が鬱陶しい。では、いいところは「自然」かと言えば一番にはそうではなく、何より「人」がいい。この一枚で伝わるでしょうか。それがREASON。
淡河町文化祭にて
さてさて、こっそりと新事務所計画中。ということで配置するものから、必要なデザインや広さを割り出します。まだデザインは確定じゃないので全貌は明かせませんが、ちょっぴり公開。
cott新事務所構想
住まい手の要求に応じていくためにもちろんセルフビルドでやります。お手伝い歓迎。また告知します。coming soon…。


農村地域に根を下ろす問題などについてつらつらと。

私は地元の方によく見た感じ怪しいと思われるのでヒゲそって、髪を切って、もっとシャツとかを着たらとよく言われるが、それでもあえて自分の好きな格好をしている。

都市の情報が入ってきやすくなったために、今の田舎の若者の価値観は多様で、そうはいってもこれぐらいの見てくれは都市に出れば言わば普通である。

昼は仕事をしているので夜集まる。
車だっていまどきの車に乗りたいし、好きなことだって様々。
業種だって様々。仕事時間は太陽とともにというわけにはいかず、夜中まで残業もする必要があるときもある。
それで怪しいだとか文句を言われたところで多様な価値観やワークスタイルの今の時代にはナンセンスな発言である。

とどのつまり、その地域で極めてナチュラルに育った若者が受け入れられない地域かそうでないかは地域を図るバロメーターだと思うからあえて自分の好きな格好なのだ。(もちろん最低限のTPOはわきまえる。)

原因を人に押し付けて、自分に問題があるとは誰も考えていない。

若者が集まるとろくなことはないという価値観のもと、口では若い人を増やすとか言っておきながら、実は拒否していたりしないだろうか。数字では増えてほしいと願っていても、いざ自分の生活のそばに若者がいると別に何も話すことはないし、影でうさんくさく思う人は少なくないように思う。

私的経験論から、若者が出て行く問題の根はそういうところにあると思う。
「昔からこうや」的な発言は必要なときもあれば邪魔なときもある。
村に情報技術が整備されて全国どこからの情報も得ることができるようになっているのにいつまでも昔ながらの価値に基づいて年功序列で足並みを揃えているのでは若者は村を出て行く一方で、村の循環はうまくいかない。
とはいってもたとえば実力主義の時代だから若者に実権を握らせろというほど極端な話でなく、今は昔とは違った足並みの揃え方なんてことを考えるべきでないかと思う。

「いまどきの若者は」「たかが若造がなんぼのもんじゃい」などと印象で言ってしまってはいけない。大事なのは表面的なイメージに関わらず、本質的な部分を見てもらうこと。格好はどうかというよりも村のことを考えて動いている。そこを見てほしい。

やっぱり動こうと思うのは、希望的観測から。

今は知らないだけではなく、知る必要がある。今後の地域のことを考えていくならば、時代に即して情報の風通しをよくすることが必要。ということで、地域で素敵な活動をしている「人」にクローズアップして、ぱっと見たら変わったことをしているけれども思いがあってしているということを理解してもらうため、また都市への情報発信のために情報誌を発行しようと計画している。

田舎で頭を出せばすぐ叩かれる。
情報が独自の伝わり方(ある意味インターネットよりも伝わる速度が早い口コミ)をして影でいろいろ言われたりする。
自分だけの問題だったらいいけど、それが家族のイメージにも繋がったりする。
それが嫌で出て行きたいと思ってしまう若者は少なくないだろう。
だから多くの人は叩かれないようにしようと思う。
それでも何度も頭を出そうと思うのは
田舎に深く根を下ろす問題が本当にどうしようもないことではなく、まちづくり研究会の皆さんとエネルギーを費やして接することを通して時間と少しずつでも変えていける糸口が見えるから。
それはネガティブな側面でもありながら、それほど自分だけで完結しない濃密な関係性は、少なからず安心なコミュニティや豊かな文化等、共同体でひとつの風景をつくっていくために大事なところであると思うから。

直接ひとりひとりと向き合って、コミュニケーションをすること。
そこに寄り添って、誠実に一歩ずつ。
淡河町歳田祭り
歳田祭りの太鼓屋台


おうごびと、いらっしゃ〜い

最近は淡河の新しい動きを発掘するフリーペーパー企画を自主的にはじめていて、その中で淡河の素敵な人たちを紹介しちゃいますというコーナーを作りました。淡河町の魅力は何といっても人だと思うからです。豊かな自然に育まれた心豊かな人たちがたくさん育っている。なのにそんな人たちが埋もれてちゃあもったいない!ということで企画にしてみました。予算がつけば道の駅淡河などで配布したいと思います。
村上昌弘
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じいちゃんとかを取材して昔話とかもしてもらいたいなあ。

淡河のすてきびと、多少の目処はついてはいますが、淡河そら祭りを開催したときの仲間たちなどどうも偏りがちになってしまうと思いますので、まだまだ淡河に関係のある(在住でなくてもOK)魅力的な人たちを募集しています。「我こそは!」「あの人はどうだろう?」などの情報、お待ちしております。取材にお伺いさせてもらうかもしれません。


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