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2010-07

nouvelle cuisine of DESIGN

やっぱり素材がいいと、過度に手を加えなくともいいものができますね。
がまぐち展
まだまだ暫定板なのに思わずアップしてしまった…
またちゃんと掲載します。

曽祖父の肖像

最近は行政に関する書類と接する機会が多いんですが、どうもしっくりこないものが多い。
地域が良くなるために行政の書類独特の言い回しに踊らされながら書類書いていたら気づいたらいつの間にやら地域に寄与することなど忘れてしまった感覚。

目的のために手段に踊らされていつの間にやら目的をわすれて本末転倒という構図。
世の中にたくさん。
なんでそんな曲がってくのでしょう。
一番怖いのはそれに慣れて当たり前になって気づかなくなること。

そんなねじまがったものがどうしようもなくてなるようにしかならないことにイラつきながら最近の癒しは饒舌なじいちゃんの昔話。草刈りとか昔飼っていた牛とかどっかのおっさんおばはんの話。
家族から曽祖父によく似ているといわれるのでその話を聞きながら頭の中に曽祖父の肖像を描くのが特に好き。

爺「なんや公会堂のほうでやかまし言いよる思たらうちの親父や。朝まで酒のんでやかまし言うて喧嘩や。ほんまかなんぞ~。ハメ(マムシ)見つけたら皮はいで丸呑みはするわ、酒はよう飲むわでの。酒のんでむちゃむちゃに乳絞るさかい牛が痛い言うて怒んねや。
まあせやけど殴ったりせえへんだけなんぼかましやったの。弱い人にはやさしかったしの。」

婆「じいちゃん孫にええ話教えたりよんのう。」

爺「そんなええことなんかあれへんで。そんな話なんか聞いても分からんの。だれかて自分が経験して初めてこれはこうやってしたらええねんてわかんのやでの。」
…(続く)

曽祖父のおかげでこんな仕事でも家族は認めてくれるんだろうなと頭の中のひいじいちゃんに感謝。うちの家系のパイオニアでシュールレアリスト。いまでこそ日本中でポピュラ−になった某農業器具の発明家で筋金入りの田舎のおっさん。

おかげさまで毎日が勉強です。
核家族化が進んできて農村地域においても確実に減りつつある大家族制度。それゆえ変化するコミュニティ感覚。
大家族制度が標準的な村社会では個人の都合が通らなくなることもあるけど、日々たくさんの人に囲まれて過ごせば何かと安心で、そこから世代間や近所の繋がりができて周りと共有できることも増えて子供も地域で面倒見られるようになって…

「いい地域ってそんな延長線上にあると思うが、それを今に置き換えるとどういった解があるんだろうか」なんて考えるが考えても始まらないのでまずは寄り添って少しずつ動いて少しずつ融合させてみることにする。

豊かさというのは個人の希望や都合が何でもまかり通ることではない。
個人の都合がなんでもまかり通るようになることが社会活動の目的ではない。
社会の基本原理は世の中を豊かにすること。風景と人の心を豊かにすること。

社会人ならそれだけは常に頭に置いておきたいものです。

時には地域、共同体の都合に従う必要の生じる環境に身を置いてそれに従うこと。
地域に彩を。
田舎の盆踊り

START DRAWINGS

ロットリングインクがうずうずしているようなので
またそろそろはじめようか。
ツリーハウスのスケッチ

When You Wish Upon a Star

最近星が綺麗だと 思うことがなかったのは
単に私の目が曇っていたのか
月がまぶしすぎたのか
見上げることが少なかったのか
はたまた光ばっかりを見ているからなのかは定かではありませんが
今日家に帰ってくると最高の星空が出迎えてくれました

都市の描く幻想に踊らされないで
一歩ずつゆこうとおもいました。
夏の夜空
どうかその光があなたを照らすひとつの点とならんことを。
Anything your heart desires will come to you.

TO U

何か重大な局面に面した際にいつも手紙を読み返します。

部屋を整理する折にふと出てきて
その手触りやぬくもりがいつまでも残った紙を手にとり
その当時の記憶を頭の中に躍らせる。

電子メールは10年後残っているかと言われれば疑問だけれど
手紙はある程度積み重なって死ぬまで残っていく。
手間だけれどもだからこそそれなりの動機がなければ書けないもので
このちいさな紙にそのときの想いや情景が新鮮なまま宿り続けていて、
それはちょっとした存在証明証のようなものでもある。
たとえば棺桶の中でたくさんの手紙に埋もれてこの世を去りたいなと思うのです。

20年後、その人の部屋の片隅に埋もれてたらいいなと思って
ある人を思い浮かべながらペンを走らせ
また今日もポストに向かうのです。

流通する紙媒体は大抵が商業的意図のもとに成立していますが、もしそれを除くことができるのならば
それがグラフィックデザインの原点なのだと思います。

紙だからこそ伝わるぬくもりや質感はどうにか生かしてデザインしたい。
そんなことを思いながら数千種類の紙見本を手にぐるぐると思考をめぐらせます。
何をするにおいてもプリミティブな目的だけはしっかり頭に留めておきたいものです。

日本郵政株式会社の宣伝ではありません。
友人がベタな間違い方をしたハンコをおしたラー油にそえて送ってくれたので。
食べるラー油
少し前に世間を騒がせた食べるラー油。
食についての流行には無頓着なほうなのではじめて食べたんですが、
こんなおいしいもんだったのか…。調味料は好きです。

なすびでも送り返そうかと思います。

ブログシステムメンテナンスのお知らせ

7月8日午前1時~9時までブログシステムのメンテナンスを行います。
それに伴い、トップページ以外のブログコンテンツが表示されなくなりますが、ご理解のほど、よろしくおねがい致します。

今日のヒットワードは「Mod-Rewrite」
WEB専門用語ですが、「ちょっとモッドリライトしとくわ。」てなふうに
なんだか口に出して言ってみたいぐらい響きがとてもかっこいい。

追記:メンテナンス終了しました。

TRANSITION

昨年の淡河そら祭りぶりに触れる苫編み(とまあみ)。
苫編みワークショップ
苫編みとは農村地域に古くより伝わる百姓の業。

苫を瓦屋根の上にかぶせることで瓦への日射を防ぎ、屋根面から室内への伝導熱および内壁よりの放射熱を低減させる。瓦の劣化にも効果的。言うなれば草のちょっとしたカーテンウォールのようなもの。

夏涼しいというのは日本家屋にとっては極めて重要で以下のようにも言われている。
「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。」吉田兼好『徒然草』
えらく単純な文であるが、それが逆に昔の人の経験則のようなものにしっかりと裏付けられているような実感のこもった印象を受けさせる。もちろん鎌倉時代の冷暖房のない家の場合であるが。
さて室内温度はどれくらい下がるだろうか。

たぶん冬はわらを外して肥料にでもしてまた来年もとまとまするのでしょう。
基準法的には瓦屋根に草が乗っているようなもので、いつでも取り外せるから防火上問題なしという解釈でよいのでしょう。
棟には真っ赤なダリアを植えたいそうだが…

しかしながら伝統的な価値を現代に変換していくために楽しみながらでもいろいろ試していくことは大事。
瓦屋根の上に茅葺き屋根

う〜んいい風景だ。
くさかんむり相良邸にて。

くさかんむりの苫が今年度も動き出しました。

↓去年のくさかんむりWORKSのひとつ。画像たっぷりなので苫葺きがイメージしやすいはず。
神戸市埋蔵文化財センターその道の達人に学ぶ体験講座「竪穴住居をつくろう」

今日のアート

こんなところにこんなものが
駅でアート
2席あけて仲良く並んで座ってたら
間にやってきたおばちゃんが思わず話しかけてこられました。
アートってそんなコミュニケーションをもたらしうるのがおもしろい。

電車待ちの間しばらく観察していたところ、誰もブロッコリーをのけて自分が座ろうとまではしませんでした。

自分が座りたいけど人さまのものかもしれないという葛藤。

よくみれば彫刻にも見紛うほどの量感と質感で
もはや立派な緑のオブジェと化していました。

摩訶不思議な連鎖で
どこかで自分の意図しない物語が生まれています。
そんな物語の種をたくさんまきたいですね。

どこかの買い物帰りのおばちゃんに感謝

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