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2010-01

Searching for some Local Stories

金、情報、近代技術、中央集権、大量消費、大量生産。大きな流れの上に成り立つ世の中では力を持った大きなものにまかれ画一化していくしかない。

いま地方ではもう土地とふれあうことをあきらめてしまったかのようにあらゆる人が自動車に乗って往来し、無駄な工事はせっせと自然と人間のつながり を破壊、分断する。平成の無味無臭の風、匂いは情報技術により全国各地の地方まで蔓延する。エコという一種の流行にも似た現象は今私たちが暮らしている二 十一世紀の時間に追われる世界の上に成り立っているが、人間の暮らしは実はもともとそんな次元にはなく、消費行動が少ないゆえに生産性も低い世の中では、 衣食中足りれば人は遊んでいるかのような悠長な時間の中に身を置くことが出来たのである。場や事柄とは弔われたものたちの記憶によって、時に目の前に存在 しているもの以上により強く匂い立つ。わけがわからないけど、なんとなく。ただ、手を合わせるだけでいい。じめっとした小さな物語を探すべし。

さむい冬のホットカフェオレ。

そんな人でありたい。

水槽がお好き

水槽

いま一時的にお世話になっている仕事先の新年会にて。

ひたすら食べる。喋る。

早朝ドライブ

夜明けは青がいい。
夜明けにけだるい音楽をぼうっと聞き流しながらの長距離ドライブが好き

とんど

少し前の話ですがとんど焼きをしました。

とんど焼き

火のチカラで体の芯からあたたまり、また

こうやってみんなで火を囲んでぼうっと火を見つめながら過ごすことで

ココロの秦からもあたたまりますね

とんど焼き

あの日から15年

傷痕もほとんどみられなくなり、あれからまちもすっかり変わりました

朝から消防団の訓練で祈りをささげてきました

明日もまたいつもの1日でしょう

だけど決して忘れない、生かされている感謝を。

ハイチも心配ですね。

Flash Back

淡河のまちづくりについての打ち合わせをしていて久しぶりにツリーハウスについて説明する機会があった

もう海馬の奥に埋もれてしまっているのではと感じるほど近頃口にしていないことが口からすべり落ちるようにでてきたことは私にとっても少しばかり驚きであった

こういうのをフラッシュバックというのでしょうか

そらと猫

それにしても寛平さんめちゃくちゃ格好いい。ばりばり働いたらご褒美として還暦を境にマラソンとはいかずとも、自転車ぐらいで地球縦断はしてみたいものです。

触れられる距離

世間は成人式。まだ4年程しか経っていないのに遥か昔のことのように感じるのは4年間でそれだけいろいろ経験できたということでしょうか。

そんな華々しい新成人たちの日常への帰路にお邪魔してきました。

少し逢えただけで なんともいえないあたたかい気分にさせてくれる人たちがいます

そんな人達がいるって本当にステキなことで本当に感謝すべきことだなあとまた改めて。

どんなに顔の見えない情報によるコミュニケーションが進んだとしても、人と人が目の前に対峙し合うコミュニケーションは廃れないでしょう。

いやいや、信頼性の最も高い新聞というメディアの存続が世界中で危ぶまれるほど情報技術が進歩してしまった時代だからこそ触れられる距離にいるということ そこに”ある”ということ それが他の何にも代えられないことをまた認識させてくれると思います。

ふたりの影

KEEP CHANGING

最近のブログ記事を見返していて、ツリーハウスの様子がわかるような写真がないなと思い、アップします。

ツリーハウス内観

cottのツリーハウス内観 壁を見る

ツリーハウス内観 ベランダ側を見る

ツリーハウス外観 池方向から見る

ツリーハウス外観 ハンモックには人

ツリーハウス外観 東側より見る

ツリーハウス外観 夜景

ツリーハウス外観 夜景 池方向より

いつもそこにあるのであまり気にかけていなかったのですが、純粋な気持ちで本気で取り組んだものを振り返るとやっぱり原点回帰ができます。

何かがシフト、変化することは非常に感慨深いことです。かわらないと生まれない、前に進めない。かわりつづけること。

Power of Fire

ツリーハウスの冬といえば鍋

そういえば新年早々ツリーハウスで高校時代の友人と鍋をしましたよ〜。冬の花火もなかなか乙なものです。やっぱり最高です。

解体まであと2月余り。

それまでおもいっきり使ってやりたいと思います。ストーブもおいているので寒さはしのげました。みなさんもぜひ利用してくれたら嬉しいです。

火で暖を取り、火で調理し、火であかりをとる。その火が空間に中心をつくりだし、人がそれを囲んで集う。

今や全てがわざわざ電気エネルギーに変換されてしまっていますが,これこそ正しい風景なんじゃないかなんて思っています。電気に変換され中心を失った空間は人の集う理由を少しずつ奪いそれが空間の心地よさを失い、人の心すら疲弊させるひとつの要素だったりもするのではないかと。

かの巨匠建築家ルイスカーンのThe roomという概念にも中心を定める火という概念が出てきたりN=シュルツの空間論にも定位というキーワードが出てくる。

人間は環境の中にあって己自身を定位し、環境と己自身を同一化することができる時に、あるいは端的に人間が環境を有意味なものとして経験する時にはじめて住うのである。したがって、「住まい」とは単なるシェルター以上のものである。つまり生活が生起する空間とは文字どおり場所にほかならないということである。場所とは独自の性格を有する空間である。古代からゲニウス・ロキもしくは「場所の霊(スピリット)は、人間が直面し、日常生活において折り合いを付けなければならない具体的な現実として認知されてきた。建築することは、このゲニウス・ロキを目に見えるように視覚化することであり、建築家の務めは有意味な場所をつくり出すことであり、そうすることによって建築家は人間が住うことを助けるのである。

『ゲニウス・ロキ』クリスチャン・ノルベルグ=シュルツ 住まいの図書館出版局

CREATIVE OF NEWYEAR

あけましておめでとうございます。

今年は年賀状にオリジナルCDをつけてみました。

タイトルは”Adagio (アダージョ)”

Adagioとは、音楽用語で”ゆっくりとした速度で,静かに”といったことを意味します。

今年は少しゆっくりとした速度で一歩ずつ,満足のいくクオリティのものを作っていきたいなと思いこのタイトルにしました。ゆっくりとした速度といっても、ゆっくりものを作ってということではなく、集中する時は集中してスピーディーに。そこに全体を見回して考えられる余裕を忘れないということです。がむしゃらでなく確実に。最近やっと制作物のクオリティが発想の時点でより具体的に想像できるようになり、スピーディーがつクオリティの高いものをあげられるようになってきた(と思う。笑)cottのプロとしてのステップアップ。

もちろんこの年賀状も満足いく仕上がりになっています。

cottオリジナル年賀CD

cottオリジナル年賀CD 宛名面

曲も少しゆっくりめの落ち着いたものをセレクトしました。

日常に落ちたたくさんの音(気付き)を少しでも多く感じてもらえたらとの意図でinstを多く盛り込み、”歌”のみでなく”音”を楽しめるものにしています。ジャンルはオールジャンル、若干アンビエント寄り。和製のものが多いのでマニアックな選曲ではありますが、おそらく万人になじみやすいかとは思います。

めまぐるしく過ぎ行く毎日の中にそっととけ込ませてもらえたら幸いです。

これからメッセージをいれて明日送るので年賀状を送ってくれた友人の皆様、お楽しみに〜

ありがた迷惑にならないことを祈ります。

また、私的利用の範囲を超えるため仕事関係の方はCD付きではございません。あしからず。

来年もプライベート用はCD付きにしようか

今年の反響と、来た年賀状の枚数とその時のアイデア次第でしょうか。

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