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2009-11

桃源郷

出張先でひとり、景気付けとして人力屋台のラーメンを食べた。

おっちゃんは慣れた手つきで、かつひとつひとつ丁寧に

秘伝のラーメンをこしらえていく。

儲かりは決してしないけれどもひっそりとやってるのがいいんだと

苦笑いを浮かべながらどこか得意げに話す。

その話し方や雰囲気にはたくさんの苦労に耐え抜いて来たからこそ

醸し出せる優しさがにじみ出ていた。

十年以上もこうやって5時間かけて仕込んだスープをひっさげ

毎日重い屋台をひいて1キロ以上の道を深夜、早朝に往復して

メニューひとつその身ひとつでこれが俺だって構える。

寒空の下、誇らしげにお客さんからもらったビール片手にどこか控えめで雄弁に語る姿を見て

まだまだ日本も捨てたモンじゃあないと思った。

屋台は味以上に、人柄だ。

それは決して公の場に出て行列ができてはならないし

全く人が寄り付かなくなってもいけない。

苦労を笑い飛ばしてみんなの桃源郷をつくりだす。退廃しきった心を迎え,優しくただそこにいてくれる。

職こそは違えど,おそらく目指す所はそんなおっちゃんなんだなろうなと思った。

自分はまだまだひよっこだ。汚いけれど、手の汗と涙がしみこんだ、愛着ある屋台が構えられるのはいつの日のことだろうか。

今日も今ごろおっちゃんは誰かの心を癒していることでしょう。

また逢いにいこう。

明日は茅葺きシンポジウム。「都市と農村の協働する茅葺き民家」について話を伺ってきます。

PORTFOLIO

ポートフォリオ表紙

製作中。

かたちのあるなしに関わらず、成果物を時間をおいてからまた改めて振り返ってみることは、脇目も振らず新たな制作物に向かうということよりも重要な作業である。

それぐらいの余裕をうまくコントロールできるようになるのが理想だ。

暗黙の了解

ぐるぐるぐる

まわるまわるぐるぐるまわる

200号ぐらいにもなるお手製のキャンバスに去年硬い鉛筆で描いた線は

びしょびしょに濡れてしまったせいでにじんでいた

その下書きの上にはこれまでに使ったことのないパステルで淡く塗り重ねられていて

無機質で硬い雰囲気の絵にあたたかみや曖昧さが加わっていた

その共同制作の作品づくりにはこれといって特別な打合せはなくて

だけどなんだかそれは当時私が無意識的に行ってきていたテンペラ画の色の重ね方にも似た新たな様を呈していた

あと三年ほどはちょくちょくと手を入れさせてもらって

そしたら大きな振り子時計のある古い家のだだっぴろい廊下に控えめに飾らせてもらおう

この絵の完成形は予想がつかない

というよりも完成形というかたちがあるのかどうかも定かでない

でもだからこそ手を入れて行く価値をわたしたちは見出し合う

その先を見たいわけではない

明るい未来がそこに見えるわけではない

素晴らしい作品をつくりたいわけではない

私たちを繋ぎ止める何かが欲しいわけでもない

いまそのままでいい

結局そこかと罵られても仕方ないが

ただなんとなく、そこに向かえと

もうひとりの私が言っている気がするのである

分かりやすい丁寧な解説つきの見方を強要される絵で納得されるより

アノニマスでありながらその画面一つで心を打つことができる何かを探す

それが私たちの旅するもの同士の暗黙の了解である

アノニマスな風景

饒舌な脳味噌

11月1日の淡河そら祭りにご来場頂いた皆様、本当にありがとうございました。

当日はあいにくの天気でしたが、多くの方にご来場頂き、好評の声もいただけ、やってよかったなと心から思えるものになりました。また企画が持ち上がったときはお知らせするのでお時間あればぜひ足を運んで頂けたら幸いです。今後ともOGOGOGO PROJECT実行委員会をどうぞよろしくお願いします。OGOGOGO PROJECT 実行委員会 代表 安福友祐

淡河そら祭り 走る茅葺き

淡河そら祭り 走る茅葺き

そして昨日やっと淡河そら祭りの事後作業等が一段落。

いろいろとなくしたものもありましたが、それ以上に得たものがありました。

捕獲者は目には見えないから、それをつかめないとも知りながら近づいてみたいので、できる限りの間接的な描写を記しておきたいと思う。

先頭に立っていろんな人と関わって何かものをつくることで自分の未熟すぎる点や気質がよくわかりました。いや、よくわかった気がしたという程度に言っておこう。当然のことながら失敗は失敗と認識して生かして、次に繋げる。やりきったことは、そう思えたことは、宝箱にしまっておく。

あと、せっかくつくったパンフレットなのでここに公開しておく。淡河そら祭り2009パンフレット<pdf/3.22MB>

心に焼き付いて離れないことたち。

満ちて来た月の薄明かりのもと、似た者同士な茅葺き職人と2人徹夜でステージ設営突貫工事の高揚感。

冷えきったカラダにきいたチャイ屋のあさやんのラムチャイと濃い顔の中に伺える慈悲の心。

頼もしくかわいい後輩たちが引き受けてくれた裏神戸コレクションで友達の両親がメイクアップし終わって対面した時の恥ずかしがり合う顔。

ドレスアップした格好で水の道をつくって相変わらず困った皆を助けてやろうと無心に水の溝をつくる父親。

他にもたくさん。

祭りだけで関わった人達は私のマイカーは軽トラやと思っていることでしょう。あれだけ体を酷使しても筋肉痛がやってこなかった(さすがに孤独にグラウンド整備、テント搬出、資材大量搬出をしたときは右腕が少し痛くくなったのと手の皮がぼろぼろになった)職人気質の私。

心身ともにぎりぎりの状態でしたが、前日当日と、いろんな背負っているものも全部含めて心から楽しかった。運営上の反省点、至らなかった点などは数え切れないほど多くあるが、ご来場頂いたお客様の声などを聞くとやってよかったという思いしか残らないから、これは本当に歓迎すべきことだ。なぜか祭りが終わってからしばらく紙に向かっては見るものの気の利いた言葉が全く見あたらなかったのは、たぶんそういうことだったのだろう。川と川が交差する淡河でいろんなものが混ざったのではと思う。(淡河の語源はアイヌ語で交わることをou-kotと言い、川と川が交わる場所を意味する。それがなまってオウゴとなったそうだ。)

淡河そら祭り ステージ制作中

淡河そら祭り ステージ製作中

ほとんど全てを終えた一昨日の昼下がり、しばらく離れていた活字を欲して何でもいいと手に取った本は三島由紀夫の仮面の告白。縁側に置かれたソファに寝転んで庭の木々をとおしてやさしく頬をなでてくれる心地よい木漏れ日に包まれてうとうとしながらしばらく心の平穏を楽しむ。

はっと眠ってしまったと焦って目を覚ますが、特に何かあるわけでもない休日だということを悟るまでに数十秒。常に緊張状態にあったのだろう。そういえばちょっとうとうとすると携帯電話の着信音が夢の中まで聞こえて来てはっと目を覚ましたら携帯など鳴っていなかったというもよくあった。これも今は別に面白くもないが素敵な笑い話だ。痩せた老けたやつれたと何度言われたことか。

いつの間にか縁側に座って寒い空気をおしのけてやってくる日の光を楽しんでいたおじいさんを横目にまた眠ることにする。 数年前から描きため続けていた夢は別に何個だと数えたわけじゃないけれどおもしろいぐらいに全部流れ星になってそらから綺麗に落ちていった。また夢を見られるときが来るのかどうかは定かではないが、とりあえず明日から身辺整理を始めるつもりだ。頭の中の山脈を平原に戻してまた夜空を仰いでみよう。それまでしばし脳味噌を黙らせておいて目の前のことをただ淡々とこなすことにしてみる。しかし口とは裏腹に無駄に饒舌な脳味噌は、ふわふわとしていて決してつかめないものと知りながらも、つかみたい欲求に刈られてまたこうやって夜空を仰いで星を打ち上げるのでしょう、きっと。困ったものだ。

あるく

夕暮れ

淡河町で生きる人たちのつくるリズム、息づかいなど少しは感じて頂けたでしょうか。あなたの生まれた町はどうでしょうか。今度はぜひお邪魔させていただけたらと思っています。

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