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コンビニのない町

セブイレという名で親しまれた、わがまち唯一のコンビニが閉店して1カ月余りが過ぎた。神戸市北区淡河町の面積は37.69km2。神戸市の面積が552.3km2なので神戸市の6.8%もの広さだ。仮に神戸市内にコンビニが100店舗しかなかったとすれば、7店舗があってもおかしくない広さの場所に、0店舗になってしまった。(正確には、山陽自動車道のサービスエリア内にあるが。ちなみに淡河町は神戸市北区と西区以外のどの区よりも広い。)

コンビニひとつで変わる暮らし

なくなってから約1カ月、私の暮らしは変わった。
まず、財布の中身が減らない。ものを買わないので当たり前である。ついで買いしていたジュースやコーヒーは家で煮出したお茶に変わり、間食もしなくなった。ついでにタバコもほぼ辞めた。確かに不便は不便なのだが、食べ物やちょっとしたものが置いてある個人商店なども近隣にはあるし、大型スーパーへも10分で辿り着き、生活に必要となりそうなものは基本的にそこでちゃんと仕入れておく。案外その不便さが心地よい。というか、これまでの便利さは不要な便利さだったのかもしれないと感じた。ちょっと買いができなくても、買い物にポイントがつかなくても、困らないのだ。
近所にコンビニのあるなしで暮らし方が大きく変わり、人間は思っている以上に環境に依存して暮らしているのだということを思い知らされ目の覚める思いだった。たかがコンビニひとつだが、暮らし方を改めるひとつのきっかけとして、自分にとっては大きな事件となった。

定点観測してきた風景の変化

今日、コンビニに1度も立ち寄らなかった人はどれほどいるだろう。そんな言い方もできるほどにコンビニは身近な存在となった。
この町にコンビニができる15年ほど前、まだ世の中に登場して間もないものが今、多くの人の暮らし方に大きく影響を与えていることを誰が想像できたであろう。当時、町内ではどこからもだいたい徒歩圏内に個人商店があったが、コンビニができる前後のタイミングで、その数はみるみるうちに減っていったような記憶がある。少子高齢化や人口減少、生活者のニーズの変化などさまざまな要素が重なって、風景は変わっていった。遠足前に300円をにぎりしめて友人と自転車を走らせた駄菓子屋は消え、おばあちゃんたちの社交の場ともなっていた個人商店や、大きな声で呼ばないと人が出て来ない文房具店も次々と消えた。車に乗って生活する層には休むことなく闇を煌々と照らす大手フランチャイズの看板の安心感が受け入れられたのだ。
そんなふうに、世の中に広まっているものを受け入れ、その場所ならではの風景や暮らし方が変わっていく様を目の当たりにした。「どこに行っても同じ風景」が受け入れられるし、自分もいつの間にかそういうものに頼ってしまっているけど、少し寂しい気持ちでそんな風景の変わり方を見てきた。

もちろん寂しいからといって、古いものをそのまま続けていくことは不可能だし、新しいものを受け入れるのをやめることはできない。ただ、流れに身を任せるばかりではまちの魅力が「便利」に奪われてしまうのではないか。
「便利だけど、なければ困るけれども、別になくても良い。よくよく考えてみると、無い方が心地よいかもしれない。」昨今はそういうものが身の回りに増えているように思う。
何かに依存しすぎない暮らし方を考える人が増えてきた時代だからこそ、いまどきほとんどないであろう「コンビニがない町」を誇ってみるのもありかもしれない。

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