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残すものと捨てるもの

洗濯機の水はすすで真っ黒
消防の半纏を洗濯
所属する消防団の半纏(はんてん)を捨ててしまうと言うのでいただいて帰ってきた。(というより捨てたという事後報告だったのでごみを漁った。)イベントのユニフォームによさげではないだろうか。とりあえず洗濯機に放り込むとたちまち水が真っ暗に。何十年もの間火災現場で活躍してきてススが溜まりにたまっていたのだろう。(昔の田舎の男たちの集まりには洗濯という発想がきっとない。)
時代の変化とともに使われなくなったものはただの置物なので、残すべきものを判断するのが難しいが、多くの家にはこどもや孫に見せてやりたいものという基準で置いてあるものがあり、私も同じような基準はしっかり受け継ぎたいと思う。

そんなわけでまずはなるべくものを残しながら古民家掃除中。今、ものは一度どこかが壊れると捨てられてしまうが、昔ながらのプリミティブな道具は直して使うものだったので、一見壊れたり錆びたりしているものもちょっとした修理、メンテナンス方法を知っていれば十分に使える。おかげで私はそんなもの捨ててしまえと言われてしまうタイプの人間だが、貧乏臭いのでなく、MOTTAINAIとか以前に、道具はそうやって大事にして手になじんでこそ道具だと思うのだ。そういえば、以前古民家改修をしていたとき捨てていたものや捨てるのが面倒で邪魔だったものたちは、樹脂製の工業製品や、どこかがダメになると一気に使えなくなる電子制御の機械ものだった。近代に農村へやってきた製品たちは時間の経過に弱く、すぐに粗大ごみになり、どこかの処分場へ行く。そのまま埋め立てられているのか、分解されてどの程度再利用されているのかはわからない。ブラックボックスに吸い込まれると、一気に「自分ごと」でなくなってしまう。
毎日モノやコトを買って捨ててを繰り返して生きる現代で、そういう不自然なブラックボックスを消していくことをいかに自然に実践できるかは今、必ず考えるべき問題だと思う。農村の暮らしにはそういったブラックボックスが少なく、昔のものたちに普段から触れていると、あったら便利だけど本当は必要のない機能や不自然に安い価格など、「アレ?」と思うことが多くなる。そんな環境の中、目先のものにとらわれず、本当は必要のないものを必要であるかのように思わせる仕事でなく、本当に必要なものを必要としている人に届ける仕事ができることがcottとして理想だ。

今皆で掃除している建物は約400年前に新築され、約100年以上前に大部分が建て替えられたもともと宿屋の建物で、樹脂製の現代的な生活用品などがほとんど見当たらない。おかげでいろいろなものが捨てられず、大変だ。
まずはお掃除をはじめました。興味ある方はお声掛けください。

古民家掃除

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