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2011-07
SKETCH TO IMAGE
- 2011-07-19 (火)
- Anecdote about Design -業界の小話-
過去のデザイン物の中から一部ピックアップして、初期スケッチと最終イメージを並べてみた。初期スケッチがどれほど力をもつかを考えてみる。
I compare the difference between an initial sketch and the final image. How much power does initial sketch have?
こんなふうに、初期スケッチが最後まで力を持つことも多々あって、我々はこれらに対してなかなかの信頼を置いて考えています。初期スケッチにはあとでいろいろ付いて来てしまう余分な情報が適度にそぎ落とされているから、ある意味大事なことが見えたもの。もちろんその余分なものたちを様々な事情で無視できないときなど、デザインプロセスを経ながら全く違う形になっていくことも多々あるけれど、後で見返して考えると「あっ」と思わせてくれる。だから最初に書きまくったスケッチやダイアグラムは最後までとても大事にしています。併せて、これらを寄せ集めてこの段階でチーム内の意志共有を図ります。言わば冒険の地図みたいなものですね。プロジェクトの成否は、この地図がしっかり描けて、共有できているかに掛かっているといってもいいでしょう。雑なのは気にせず、ささっとスピード重視で描けるものたちをかき集めてプロジェクトごとにアウトラインを描きます。媒体に関わらず、team cottがデザインプロセスの中で最も大事にしている作業です。
そして初期スケッチを最終イメージまで一気通貫かませると、とても気持ちいい。そんな瞬間に出会うのを夢見て、できるだけたくさんの牌をツモります。アイデアは後からぺたぺた付け足すのでなくて、はじめのうちにぐるぐると巡らせるのです。
さて今日から田舎のおっちゃんたちを見習ってサマータイム。おてんとさまのおとなしいうちに仕事を済ませようというエコな考え方。一応の業務時間に変更はありませんが。あと、英語にて同時通訳的になるフレーズを挟むことも時々あるかもしれませんが、どうかお気になさらず。喜ばしきオンリーイングリッシュなお仕事は書類が手強い。文語は、どうも苦手だ。もっとお勉強。
If you couldn’t understand from my poor English, please feel free to ask me details. (also from my poor Japanese)
Thanks.
Yusuke Yasufuku
タオ
- 2011-07-13 (水)
- Tweets -はてしないたわごと-
断片の集合と文脈
気付けば一ヶ月以上記事を書いていなかった。ツイート用付箋をデスクトップに配置して気付いたことをぽんぽん書いていくようにしていたのだが、半年間で溜まった未ツイートメモは13,000字を超えていた。携帯電話のメモも含めればゆうにその倍はあると思う。新しい情報ツールを半年余り。感じたのが「意見を言う、あるいは議論をするプラットフォームとしてはあまりにも断片的で貧弱すぎる。」ということ。私の場合は飛び道具になってしまいうる言葉を精査するせいかツイートの腰が重くなり、結局うまく使えない。また、何かに感動している時や人と何かをしているときに携帯電話に手を伸ばせるほど器用でもない。そういった点から考えると、どうも合わないようだ。本来はそういったことを考える以前の道具でにこにこつぶやいていればいいのだが、情報を商売道具とする者としてそうはいかない。初期感情をそのままむやみに四方拡散するという大衆的であり昨今のマスコミ的でもある行為はツイート対象とされた者たちの安易な選択を煽り、見るべき方向を見失わせる。そのため、不特定多数の皆が報道等で知っていることに関して一個人では裏の取れぬ情報を発信するのであれば特に注意が必要だ。
たとえば分かりやすいので政治を例にする。初期感情の集合による世論が即座に国中に広まるので世の中の気分を見るのはいいが、それによる決断がなされてしまうようになると、政治が木を見て森を見ずな方向に進むだろう。(これは農村にあるデザイン事務所ウェブログで政治的なことや意見はあまり書くつもりはないので具体的なことは書かないが、)能力の有る人や士気のある人たちが批判も恐れず奮起して何か変えてやろうとの熱意で勢い余ってタブーに少しでも触れてしまった結果、叩かれて引きずり下ろされる事態も起きている。結果、腫れ物に触る術に長けてはいるが肝心の能力のない、言わば単なる良い子たちが生き残る。今後も政局では大切なことを差し置いたまま誰はふさわしいふさわしくないと人事に関する議論ばかりに経費がさかれ、首相が代わり、政権が代わり続けるということが起こりうる。世の中の気分を代弁するばかりでは結局すぐに捨てられてしまうのはデザインに関してもそうだ。個人の意見が瞬時に遠くまで届くのは良かれども、ゲームではないのだから多方に情報を飛ばす力のある者ほどそれ相応の情報倫理が求められるべき道具だ。
そういう理由で、ツイートは溜まりに溜まった。それらの断片的にまとめられたメモの集合を利用することはできまいかとも思って置いておいたのだが、変にまとまっているので、何かを考えるときどうもそこから拡張しづらくて結局お蔵入り。掘り下げられぬまま放っておかれたごみのような戯れ言はかりが溜まる一方だ。短くまとまっていることもいいのだが、文脈を理解し、行間を読み取ることも実社会の中では相当大事なこと。ある意味自分の都合を話してばかりで、文脈を無視した否定すら大きな力を持つ世界はどうも危険だ。たとえばその究極が京ことばというもので、それらは恐ろしいほどに裏の意味を含み、そういうものの重なりが気品を生み出していた。訪問先で「おぶういかがどすか」と食事やお茶を勧められたらもう帰ってくれということを意味していたり、「よう勉強したはりますなぁ」という相づちは、興味がないので話題を変えてくれていうことを意味していたりする。その社会で生きるためにはそのルールや文脈を前提としなければ成立しない。それがいいというのでなく、日常にはそういう世界も重なっているという話。光の当たっている断片を捉えた議論ばかりでなく、きちっと闇の部分にも向き合っていかなければどうも先が見えない。そもそも「奥ゆかしい」とか、「しつらえ」、「間」などの概念に見られるように、日本は気品に満ちた文脈にあるのです。多くを語らねども隅々まで行き届いた配慮を認識させる。ある意味デザインの考え方とも近いそういう日本的美意識は世界に誇れるものだと思うのだが、今日はなかなかそういったものが出てこない。そこらの日本人のアイデンティティーがもう少し生きる情報技術のかたちというものがきっとあるのではないかと思うのですが。
風に吹かれてゆらりゆらりと
まぁそういうわけで今後はツイッターをもう少しゆるりとコミュニケーションツール、あるいはあえて飛び道具として利用したい。ある意味一部の断片の集合をタイムリーに閲覧できるのもコンセプトとしてはおもしろいがそれが全てでない。そんなに声高に言いたいことが別にあるわけでもないのに、1日1回何か言っておいた方が良いのではないかという脅迫にも似たシチュエーションの不自然さに気付くのが遅かったか…。わざわざぶつぶつ言おうとしなくていい。またブログにおいても、物事に対する知見は控えようと思う。文章という手段で世の事象について人様の前で物申せるほど優れた人間でもないので戯言はノートの片隅にでもそっとしまっておいて、農村デザインの日々についてもう少しゆるりとして書いていければいい。言いたいことの本質でなく字面の片っ端を拾い上げてどうだこうだと言う人もいて、文字列はとんでくので意見は直接に。そしてしっかりと文脈に生きる。少し前からそんなことも思いつつ、ギアをニュートラルに戻し、何事ももう少しナチュラルに、アナログベースで考えるように戻した。
そのせいか、仕事でもそうでなくても人に会うことは少し多くなった気がする。
後輩たちに会い、希望がある奴ほどスパルタにケツを叩く。また違う後輩には自分の教えたことがしみ込んでいることに嬉しさを覚える。先輩に会い、馬鹿な話9割5分、アドバイス5分をいただく。近所のおやじに会い、日々、自然界のご機嫌について話す。じゃがいもをもらう。村の重鎮に会い、夢を伺う。友人に会い、現状についてあれやこれやを話す。あるいは特に話さず、その場の心地よさに身を委ねる。同士に会い、手の内全部見せて向かいあう。大学の教授に会い、ありがたいお言葉をいただく。何か始めようとしている、あるいは何かを始めた仲間たちに会い、勇気をもらう。ああでもないこうでもないと馬鹿なことをいいながら真剣に取り組んで来た時間というのは、今になってもにおいたち、力を与えてくれる。
水にたゆたうクラゲのように
はなれ、またいつの間にやら集まって来る。
そんな時をまた重ねていきたい。
ああ、もらってばかりです。
今日もありがとう。
少しでも還せますよう、もう少し。
そして、少し先ですが、秋冬、春先に楽しいお知らせができそうです。
蝉が鳴く声を聞きながら、もうすぐ夜明け。
何せ今日のたわごとを要約すれば、トイレは少し臭いぐらいでちょうどよいということ。
美しいものには人の心を救う力がある。
いや、むしろ人の心を救う力を持つものを美しいと思う。
今日もそう信じ、皆の幸せを願う。
夜明けに窓を開けて農道を走ればどこかにそのまま飛んでいけそうな気がする。
だったら白い入道雲に乗っかって夢を探しにゆこう。
タオ。無為自然スタイルで。
トマト、キュウリ、なすび、かぼちゃ。
夏野菜が食卓を彩るようになりました。
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