玄関入って左の部屋の床はしっかりしていたのでそのままその上に床板を張ってしまおうとしていたのだが、床下にもぐってみると二重に張ってあった床板のうち下のベニヤ板が白かびだらけでぐすぐすになってしまってしまっていたので結局すべての部屋の床をはがしてしまい、断熱材を入れて新しく貼り直すことにした。玄関正面の部屋、右の部屋、左の部屋の高さがすべて異なっていたのだが、すべての高さをそろえて面一の床にするために左の部屋を17mm上げ、真ん中の部屋を9mm下げ、右の部屋を45mm上げることにした。左の部屋には既存の45mm角の床材の下にくる「根太」という部材の上に17mm厚の木を置き、右の部屋には既存の根太の上にさらに45mm角程度の根太を敷き、真ん中の部屋は根太に9mm欠き込みを入れることにした。
一番面倒なのは真ん中の部屋で、丸鋸で刃が9mm出るように調整し、溝にするところを何度も切り、鑿(のみ)でポキポキと切れていないところを飛ばして平にしていく。切り込んだところを下にして、「大引」と呼ばれる90mm角の部材の上にはめるとちょうど9mm下がる。こんなふうに欠き込みを入れたりして部材を組み合わせていくのが継ぎ手の基本技術であるが、これでは釘やボンドで止めてしまわないと横にずれてしまい、これはまだ継ぎ手とは言えない。いや、釘だろうが何だろうが仕口の加工をしていようがいまいが継ぎ手は継ぎ手なのだが、木造建築で言う継ぎ手はお互いに部材を加工してピタッとはまってしまうもので、いわゆる「釘を使わない日本建築」の基本である。たとえばこのとき、上に載る根太と下にくる大引を4.5mmずつ欠き込んではめると最も簡単な相欠きと呼ばれる継ぎ手となる。これまでに相欠きは何百回もやってきたので気楽なものだが、今回は気合いを入れて新しい継ぎ手にチャレンジした。
継ぎ手を作ってみる
継ぎ手を作ったのは押し入れがあった場所で、それほど重い物が載らないため大引が通っていなかったのでそこに大引を新設することにした。押し入れだった場所なので少し弱く作られていたが、ここには今の仕事場に平積みになっている大量の本を置くので強くなるように少し多めに入れておく。構造上重要な部材同士を継ぐ時には、継ぎ手の出番だ。このとき使った仕口は腰掛け蟻継ぎ。継ぎ手にはいろいろな種類の仕口があり、「腰入れ目違い鎌継ぎ」とか、「追掛け大栓継ぎ」とか、「台持ち継ぎ」とか、教科書で見ていた頃は呪文のようでなかなか覚え切れなかったのだが、例えば今回の「腰掛け蟻継ぎ」であれば出っ張った側の男木(おぎ)の台形のような出っ張りを「蟻」と言い、女木(めぎ)と呼ばれる彫った側の木に少し載せている様を「腰掛け」と言うので腰掛け蟻継ぎと呼び、分解すると覚えやすい。蟻だと引っぱりにも抵抗できるので、基礎に載った「土台」という部材と大引の接合に用いられたりしている。鉛筆とさしがねで寸法通り墨付けをし、1mmも狂わないようにのこぎりや鑿(のみ)で部材を加工していく。時間はかかるが、無心になれるし、本職の大工気分を味わえる好きな作業だ。加工が終わるとかけや(大きな木のハンマー)で左右を水平にしたまま少しずつたたいていく。写真で見ると簡単そうに見えるかもしれないが、1mmでも狂うとスポスポになったり、はまらなかったり、きつすぎると割れてしまったり。スポスポだと、強くするためのはずの継ぎ手が、逆に弱くなってしまうので、自信が無ければ金物に頼る方が無難かもしれない。写真は角が少し欠けているが、それも素人仕事のご愛嬌。実は本格的な継ぎ手加工は初めてだったのだが、そこそこうまくはまって一安心。まだまだ鑿の使い方には課題が残るが、これまでDIYをし続けて来た成果が発揮できたと思う。
力を伝達しあって、立体になる。
継ぎ手は建築図面には出てこないので設計をしていてあまり意識しないのだが、実際に一度組んでみると、接合部がどのように組み合わさっているかということがとても大切であることを知る。部材と部材が組み合わさってお互いに力を伝達し合うことで一体となった立体となるので接合部はあらゆる建築やプロダクトの要と言っても良いと思う。なぜ継ぎ手の仕口を作るのかと言えば、木造の場合、釘だけでは柱と梁が一体化するほど強く結合できず、力の伝達に耐えられないためだ。金物を使えば早くて良いし、人件費の事を考えると余分にコストがかかることもないのだが、それでも仕口を刻むのは、今回のリフォームは一部構造体を見せるように設計しているためだ。仕口を作って木を組み合わせてつくることで、地震で揺れながらも倒壊しない日本の風土に合った家になるという話もあるが、長くなるのでここではやめておく。
ただ、最近は技術の進歩により、一般の木造住宅の構造部材は現場に搬入される前に工場でほとんど自動で加工されてしまい、「刻み」と呼ばれる手作業での仕口づくりは大工さんですらあまりしなくなってきた。刻みは一流の大工さんだとしても時間がかかるので、ひとつひとつ手作業をしていると当然人件費がかかる。何事も経済性が最優先されるため、それは当然の流れであるとは思うが、何百年と大工から大工へと受け継がれて形作られてきた日本建築の要を宮大工にしかできなくなる時代というのも味気なく感じてしまう。そう思うのは単に「昔ながらが良いから」というわけでなく、刻みやかんながけこそが大工の腕を競い合うところなので、自分なら職能を存分に発揮できる場所が減るのは嫌だなぁと思うからだ。例えるなら、地元の草野球チームに助っ人で出場するが、バッターボックスに立っても全ての打席で敬遠されるプロ野球選手のようなものだろうか。とりあえず私はピッチャーがきちんと投げてくれるのでそれを懸命に打ち返すまで。貴重な勉強の機会だと思って引き続き継ぎ手の実践と学習を繰り返してみよう。
プランニング上邪魔な柱を切り、その両側の柱から梁を飛ばして受けるようにした。上にほぞ差ししてから横から3カ所同時に入っていくように少しずつ叩いていく。後でさらに補強はするので仕口をつくらなくても良いのだが、作った方が良いと言えば良いし、ピタッと決まるのはとても気持ちいいので、見えなくなるところもチャレンジ。