cotocotoがはじまったきっかけ
近所の植木屋の応援をやっていた縁で、植木屋さんが管理する山のふもとにぽつんと建つ平屋の古民家を格安で借りることになった。敷地はとんでもなく広く、椎茸の原木が何百本も並んでおり、植樹された杉が山を覆い尽くしている。幹線道路から私道に入り、木々の間を抜けた先にある家は築40〜50年の小さく簡素な木造平屋建て。山の中の家を2年もほったらかしにしていただけあり木々はうっそうと茂り、家の際まで土が覆い草が生えていた。とはいえ人が住んでいたので設備はしっかり整っている。水は山の水をボーリングして吸い上げており、ポンプはまだ動くだろうとのことだ。割と新しい浄化槽もある。電気はすぐにでも通電できるし、ガスはプロパンを持ってくるだけ。インターネットは申請すれば1か月ほどで開通するだろう。実家から車で3分、幹線道路からも50mほど中に入って行くだけで割と立地も便利だ。内装は昭和のにおいがすると言えば良いだろうか。昔人が生活していた臭いがしみついていて、畳や押し入れは少しかびていた。6畳の部屋が3つ。床は断熱が入っていない。壁や天井も穴があいていたり、部材がはがれかかっていたり。気密テープでなんとか寒さを防いでいた痕跡があるが、今どきの人間が快適に暮らすためには、せめて床壁天井は張り替えて、きちんと断熱は入れておきたい。電気の配線も何度か増設した痕があり、できれば整理して見えないようにしたい。屋根もペンキを塗り直して、デッキをつくって…。建築士に大工に植木屋に忙しくなりそうだ。
そんなふうにいろいろ考え出すと開拓者精神が騒ぐのか、なんだか楽しくなって来た。家主は正月過ぎたら潰そうかと思っていた直前のタイミングだったこともあり、今こそ、いろいろ地域でやって来たことが回り巡っていいご縁がやってきたそのときなのかなぁと珍しく運命的なもの感じた。この11年、地域のまちづくりのサポートで書類作りやデザイン、写真屋さんもしたし、設計や大工もした。農業はもちろん必要とされれば近所のペンキ屋さんや植木屋さんの応援もしてきた。そんな風に地元の農村で地域の仕事に関わりながら、「ちょっと便利な田舎のおっさん」になりたいと思って頼まれたことを何でも楽しみながら10年以上やってきた今、「そういえば、そろそろ業(わざ)を100ぐらい持っているのではないか。」とふと思った。(厳密な語源はそうではないかもしれないが、百姓というのは仕事内容が多岐に渡り、100の業を持っているから百姓だと仲間内で話している)
これから住居兼事務所にする家は山の中の一軒家だから「住む」を一からつくることになる。その中ではこれまで習得して来たたくさんの業を使うだろう。ではそれをこの機会にそれをひとつづつ記録していってみるのはどうだろうか。そうやってcotocotoは始まった。
百姓の業には世界を良くするためのデザインのヒントがある
このウェブサイトに100 Jobs Archivesという副題をつけているが、100 Jobsというのは先述の通り、百姓の業である。その業をアーカイブしようと思ったのは、それらの中にデザイン、あるいは人間が暮らす中での大切なヒントがあるかもしれないという仮定のもとである。近年、デザインの業界でもソーシャルデザインというキーワードがあちらこちらで聞かれるようになり、消費をあおるようなデザインでなく、社会を良くしていくために本質的な問題を解決する意味のあるデザインが注目を浴びている。仕事も昔のように労働と捉えず、お金がもらえる仕事よりも意義を感じる仕事をしたいと思う人が増え、消費者としても意味のあるものにはきちんと対価を払う応援消費をする人も増えている。社会の価値観が変わっていく中で、それが何故百姓の話になるのだろう。
私は先祖代々田畑を耕し続けてきた家に生まれた。場所は神戸市北区淡河(おうご)町という農村地域で、米の価格の下落により皆兼業になってしまったが近所の人もほとんどが田畑を持ち、仕事から帰ってきて農業をしている。神戸市内ではあるが、神戸市になる約60年前まで美嚢(みのう)郡淡河村という地名で、今もまだ村と呼んだ方がしっくりくる田舎である。家族で田んぼに出て農作業をする大人たちを横目に、弟と田んぼの畦を走り回っていた記憶は私の脳裏にもしっかりと焼き付いている。父は公務員で調理師を40年以上もしているが、住まいに関わるたくさんの業を持ち、何でも自分でしてしまう。家の床が沈んでくれば、床をめくって補修し、張り直すし、蟻が出ると家の周りに防蟻材をまき、お盆や正月の前には三脚梯子を立ててカチャカチャとリズム良く両手ばさみをにぎる。先日もキッチンの水栓の調子が悪いと夜に話していて、翌日に私が仕事から帰るといつの間にか新品に交換されていた。本も読まないし新聞もテレビ欄しか見ないし旅行にもほとんど行かないのでたくさんのことを知っているわけではないのだが、仕事以外の時間は太陽の下で自然界に囲まれて過ごしているから、ものの成り立ちや自然界の循環のことをよく知っている。家の設備そのものというより、自然界の原理をよく知っていて、どういうふうに降ってきた水を流して雨を防ぎ、熱をさえぎり、地震に耐え、外敵から身を守れるかについての対策をすぐ実行していて、ちょうど鳥が巣を作るのと同じように、暮らしに手を入れてより快適な環境を実現している、と言う言い方が的を得ているかもしれない。世界の成り立ちひいては人生の極意すらも知っているのではないかと勘ぐってみたくなってしまうほどに知っているのだ。知っていると言っても知識としてではなく体で知っている、つまり業を持っているのでそれを口で人にプレゼンはできないのだが、それが逆にすごい。
池の水を流して稲を育て、収穫し、そのわらは畑の作物を作る時に使ったり、正月飾りになったり。米は食べる前に精米し、その際に出たぬかで漬物をつくったり、肥料にしたり。昨今の常識ではいけないのだが、ゴミを燃やすと土に還り、灰になり、それがまた新しい土になる。生き物たちや自然の循環の中にある暮らしが体にしみついている。あるいはひとが生まれて死ぬまでのサイクルさえも…、と思ってしまう。
ところが街に出ると蛇口をひねると水が出て、水に流しておしまい。ゴミはゴミステーションに持って行けば誰かがどこかに処分してくれるし、誰かが殺した牛や鳥のおいしい部分だけをいただける。お金を払えば何でも手に入るから、なかなか普段の生活の中で万物の循環やものの成り立ちなどを意識することは難しい。何でもお金で手に入るから、とても便利で良い。反面、お金に依存してしまうので、例えば国債が暴落してハイパーインフレを起こし、スーパーでキャベツ1個が1万円、ペットボトル1本の水が1万円になったら街では生きていけないかもしれない。私も街中で暮らしていた頃があり、その頃は物の成り立ちに対する意識が希薄だったと思う。ベネズエラのようなニュースが日々目に飛び込んでくると、お金を稼いでも食いっぱぐれるかもしれないというような漠然とした不安を時々感じた。
ただ、しみついた百姓感覚からかどこかむずがゆい気持ちを常々感じていて、自然界の循環の中に生きている彼らの思想を持てば、時代に左右されずに命は保証されているかもしれないと思うこともあったが、それを口に出せばデザインという仕事柄、業界の人たちと同じように仕事ができないだろうと思って目立った行動にせずにいた。しかし今、大衆の意識が一昔前とは大きく変わり、従来型の広告、あるいは暮らし方、社会の仕組みまでもが疑問視される中、私の肌感覚ではそういう大切なことを突き詰めていっても良いのだと思うようになった。大事なことはきっと人として暮らして行く上での基礎のところ、百姓が日々業を発揮しているあたりのところにあるのではないだろうか。そういう暮らしを極端に突き詰めていくとデザインの仕事で大事な社会性が欠けてしまい、世捨て人のようになってしまう(しそもそも我々の地域にそういう人はほとんどいない)のでそうするつもりはないが、世の中を良くするデザインを考えていくための大事なヒントが暮らしを良くする百姓の業の中にあると思ったのだ。
人間模様や人の個性が文化や伝統をつくっていく
また、自分も生活者として豊かな暮らしを実現したいという個人的な思いもある。
主にこの10年(先ほど11年と書いたが、海外に1年ほど出ていた)は故郷の農村に何ができるのかを常に考えながら、地域に関わってデザインの仕事をしてきた。まちづくりの仕事は地域で暮らす人をサポートするので、言わば裏方の仕事で、デザインも売りたい商品を売れるようにサポートする裏方の仕事だ。
その環境で10年働いてきて思ったのは端的に言えば、「文化や伝統というものは案外適当にできている」ということだった。例えば、なぜそう言うしきたりなのか誰も知らないが、そういうものだと何年もやっている祭りを紐解いていけば、単純にご先祖様がみんなで楽しいことをしたいからと始めたことだったり、何百年と続いている老舗の名物の大福は太郎さんが好きな味付けで作ったからたろさん大福だったり。デザインという仕事はそういう裏側の理由とか伝統とかを大事にしながら新しい関係性を生み出していくのだが、そのものがあるところには人の暮らしがあって、人と人の関係性があって物語があるのだと想像したとき、文化や伝統を神格化しすぎる必要もないのだと思った。なぜなら今もここに人が生きていて、それはそれだけで尊いのだから。日常生活の中で毎日を重ね、人と生きて行く。そのなかにたくさんの物語が生まれ、そういう人間模様やその人の個性がまた新たな文化や伝統を作っていく。
百姓の業は基本的に暮らしをよくするために、そこにある素材に直接手を触れてそこにあるものを組み合わせて何かを作るクリエイティブなもので、人と豊かに暮らしていくために私もそういう業を使って、文化を育んでいくきたいと思った。どちらかと言えば物語を応援してきたこれまでだったが、これからはそういう地域に根ざした暮らしの日々の中からここにしかない自分たちの物語を生み出す担い手になっていきたい。
そうやって始まったのがこのウェブサイトだ。農村の暮らしの中で培った業をアーカイブしながら日々の暮らしを発信して行くのだが、現代の百姓はプログラミングだってデザインだってできても良いだろうから、そういうものも含めて百姓の業を組み合わせて理想的な環境を実現して行く。そういう業をものづくりのヒントとして、あるいは人として豊かに暮らしていくためのヒントとして書きためていきたい。まずは100の業を目指して、ことこと鍋を煮込むように、農村のたくさんの関係性の中での日々を重ね、そしてそれが文化となっていく過程を発信できればと思う。日本の片隅の農村地域で営まれる物語の片鱗をここに記しておきたい。
なお、ローカルな活動を行いながらもグローバルに考えられるよう、直接足を運んでいいものをこの目で見ることを心がけている。特に、海外に渡航している際には各地で見つけてきたデザインを1日1つtocotocoWEBにアップしているので、長らくcotocotoWEBが更新されていない時はそちらを参照していただきたい。
2019.01.31
安福友祐
1985年生まれ。2008年に地元である神戸市北区淡河町に戻り、デザイン事務所cottを立ち上げ、主にグラフィックデザインを生業としている。「ちょっと便利な田舎のおっさん」を目指し、メインの仕事の合間にはまちづくりサポーター、カメラマン、農家、建築士、大工、植木屋、電気屋など、地域で求められたあらゆる仕事をしてきた。趣味は割と長期の海外放浪。