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Sword of Justice

月1更新のノルマを達成すべく、滑り込みの更新。いつの間にか4月は終わり、山道を走ると藤の紫の花がきれいに咲く様になってきた。明日からは米の苗づくり、所謂種まきだ。
4月の大きな出来事と言えば、多くの方が熊本の震災だと答えるだろう。もう2週間が経ったがまだまだそれは毎日テレビや新聞のメイントピックで、SNSでは震災関連でアクションを起こされている素晴らしい方々の情報が次々と流れてくる。沢山の人が、早々に支援に乗り出しており、本当に日本は素晴らしい国だと思った。

一方で、その流れてくる情報に疲れている人もいるのではないだろうか。アクションを起こしている方の情報を目にした時、自分が何も動かず普通に暮らしてしまっていることに、どこか罪悪のような気持ちを感じてしまうこともあるだろう。だが今、自分がアクションを起こせていなかったり、心の底で自分には関係ないと思っても、罪悪感にかられる必要はないし、何人もそれを責めることはできない。そんなふうに心のどこかに罪悪を抱えてしまっている人がもしいるのならば、同じ国の人が苦しんでいるのに支援活動をしている自分に協力しないなんてありえない、と思う人がもしいるのならば、さまざまな存在を肯定することを進言してみたい。震災に対してアクションを起こせなくても、一家の大黒柱として、生みの親として、自分の手の届く人たちを懸命に守り続けているのも素晴らしいことに違いない。その幸せは、安心して守っていていい。自分や家族の暮らしを守りながら、他のものも守りたいと思うのなら、そのエリアを自然に増やして行けば良い。

困っている人を見たら、助けるべきだ、というのは正しいことだ。だが、実際には震災のたびに支援をして、世界の各地で苦しむ難民、病と戦い懸命に生きる方々あるいは心臓病の赤ん坊など、皆を助けることなんていつもできる人はいないだろう。正しさは大きな物事を進めるにあたってのひとつの指針となるが、正しいことだけで世の中が回っているわけではない。毎日真面目に働きながらも、時には酔っぱらって自身を縛り付ける日常の全て忘れてはしゃぎたくなったりするように、人は大小正しくないことも抱えて生きている。情報化が進んだ資本主義社会の中、正しさを貫き通し続けられる人はきっといない。宝くじで1億円当たったらそのままそれらを世界中の恵まれない境遇の方々へ寄付することができる人がいるだろうか。

だから、相手に異なる意見を述べることはあっても、その正しさを強要してはならないように思う。そうする時、相手の意見を否定するのみならず、いつの間にか人格までもを否定しているといったことが起きる。正しいものは時に人を責め立て、正しいと正しいがぶつかると戦争だって起こるのだ。特に、誰も悪くないことが原因で人格を否定し合っているのを見るのは本当にむず痒い。

相手の正しさを認める事ができなくても良いが、相手も自分も肯定し、存在を認めること。
天災など、誰のせいでもないことが起こった時こそ、善意で動く方々同士、傷つけ合わないために、意識していたいなと思う。
そしてなるべく正しさという剣は鞘に納めたままいたいな、と桜吹雪の中無邪気に遊ぶ子どもたちの笑顔を見て思った4月だった。
桜並木とこどもたち

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Eri 16-08-05 (金) 23:56