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こころ動かすひと

事務所へフェアトレードのコーヒーを売るお姉さんがやってきてコーヒーを購入。

フェアトレードのコーヒー

表情にやさしさがあふれ、いきいきした、素敵なお姉さんでした。

少し顔を合わせただけで人をあたたかい気持ちにさせる。

そんな人がこうやって途上国支援のために東奔西走しながら資金を集めている。

3秒で即購入を決めました。

デザイナーなんかであるよりも、そんなまっすぐで全身から優しさや生き方がにじみ出るような人でありたいなぁと思わさせてくれました。

ただの募金でなく物品を購入しているので募金という感覚にならないのがいい。

ウガンダでいろいろと肌で感じてきてまたぜひ私たちに伝えて下さいね。

最近あまり遊びで街にでないので募金していませんでした。

まぁそれにあまり自責を感じてはいないのですが。例えば打ち合わせに遅れそうですごく急いでいるときに○○ちゃんの心臓手術のためにご協力をと言われたところで立ち止まらないし、だからといってもしあなたが心臓病になったら急いでいるといういる理由で見捨てられてもいいのかという質問をされたところで、見捨てられない方がいいと答えるしかない。世の中のその種の質問全てに付き合えるはずがないので。

ひとりの先進国の心臓病の幼い命を救う額で途上国の命をいくつ救うことができるだろうかという愚かな費用対効果をなんとなく計算してみるなんてこともしない。いのちは等価であると普通に考えれば、そんな額で心臓病のひとりのいのちを救うくらいなら途上国のいのちを多く救うべきだという結論になるが、いのちの価値を論じること、比べることなどできない。なぜなら人はみないのちを持ち、それを失うからだ。あいつは死ぬべきだと多数決で殺されてはひとたまりもない。人間の価値を比較することは人間にはできない。

ただし、信号待ちやゆっくり歩いているときなどではそれが倫理に反したものでないと判断できる限り何であろうとほぼ必ず募金する。ただし、極めて小額だが。

金額ではなく若者が募金をする姿に意味がある。

人は常識や習慣といったものに自分たちで思っている以上に縛られているので、通常、何か行動を起こす時にその行動が正常である指針を認識してから行動する。若者により顕著な傾向だろう。

だからこうやってお金を募金することが正常だとそこに居合わせた人に示すのだ。

そんなことを考えて募金する人など、ただのおかしな人かもしれないが。

それ以外は、顔の見える相手にはよく募金する。

物乞いにはこっそりお金もあげてきた。

それが目の前で具体的にどう役に立つか見えるからだ。

具体的に途上国で自分の寄付金が具体的に○○くんの予防接種に使われたなど、どうなったかわかれば支援ももう少し増えるのではないのでしょうか?

写真はインドブッダガヤにあるニランジャナスクールという孤児院のまわりの風景。

ブッダガヤの風景

話がそれたが、言いたかったのはデザイナーとしてつくったものがどうとかではなく、その姿勢、立ち居振る舞いから心動かす人でありたいなと思わされたという話。

事務所がいい香りに包まれています。

こんな日は穏やかに。

青柳拓次

“たであい”

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