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陰翳を宿す

昨年末の話。
自宅から車で1,2分のところに寺がある。山の方に向かって少し坂を登り、一番奥にある建物が寺だ。村中の家が見渡せ、一休さんの話に出てくるようなTHE寺とも言うべき寺である。以前私がその寺を訪れたのはおそらく20年近く前だったと思う。
そこで除夜の鐘をついてきた。

鐘を撞くといっても撞くだけの人はいない。何をするかと言えば、甘酒を飲んで鐘を何度かつけば後は特に何もしない。灯りと言えばお寺の蛍光灯が少しついているのと、たき火のあかりぐらい。そんな暗闇の中で火を囲い、温かい甘酒をすすりながら年末年始の談笑。何でもない話だ。火のぼうっとした薄明かりで暗闇の中に皆の顔が赤く浮き上がる。人々は代わる代わる鐘の前に向かい、大きくふりかぶって鐘を打ち鳴らす。皆、その闇に広がる鐘の残響音に聴き入る。
永春寺で除夜の鐘を撞く
普段は人も歩いていないような夜中にただ人が集まって、108回目の鐘の音を聞けばいそいそと帰路につく。今思えばあの感じは今の時代には非常に希有で、子供の頃に体験していればひとつの心象風景となっているだろうと思う。残念ながら、私は子供の頃に除夜の鐘を撞きに来たことがないのでその記憶はない。確認はしていないが、おそらく「夜更かしが許される唯一の日に起きておこうとしたが、普段慣れていないためどうしても眠ってしまい、年が変わって起こされて、眠い目をこすりながら家で神様に挨拶をし、またすぐに眠った」というパターンを毎年繰り返していたはずだ。というのも、お寺での他のイベントはよく覚えている。いや、正確に言えばイベントの内容は覚えていない。紙芝居、人形劇の内容は一切覚えていないが、お寺の本堂の広い空間に響く音や奥まった部屋の薄暗さ、裏庭のすこし肌にまとまりつくようなじめっとした感覚やそこから一望できる村の風景の爽快さなどは感覚として焼き付いていた。除夜の鐘の残響音と暗闇の中で、風景が走馬灯のように脳内を駆け巡った。

日本人が大切にし続けてきた風景の生まれ方。

こうして直接的出来事としては覚えていないが、なぜか音や匂い、肌に感じる感覚として心の中に焼き付いている。所謂心象風景というものだろう。経験から心の中に広がる淡い風景。それはきっと日本人が大切にし続けてきた風景だったのだろう。詩的で、曖昧で、朧げで、はかなげで、日本的で美しい。昨今のように陰翳を消すのでなく、陰翳を愛でることで日本古来の感覚が磨かれてきた。自然に親しみ、その場所特有の湿気の多さや季節の移り変わりを認め、巧みに生活と自身の感覚の中に取り込んだ。

目を瞑れば闇の中からふつふつと湧き出てくる。そういう故郷の心を宿らせた風景はその土地の文脈を継いでいくための仕組みとしても重要な役割を果たしてきたのだろう。日に日に農村地域の生活に潜在する哲学に感服する日々。そういった闇や湿気を愛でる作法は今の日本にどれほど残っているのだろう。この場所にそれがまだまだ残っていたのは私にとっても新たな発見となった。というのも、うちの集落の全世帯が同じ宗教で(近年は一部違う家もあるそう)、その寺の檀家さんだそうだ。まだそういうものがかたちのみならず、思想として残っているのだ。そういうところを考えると、まだ新規住民が入って融和するというのも少し難しいところもあるかもしれないが、ひとまずその議論は今は置いておこう。

陰翳を自身の中に。

もちろんそのような日本人が生きてきた風景をむやみに肯定するつもりはないが、私個人としてはその地域の文化コードを引き継いでいくという意味で大切にしたいと誓った年明けだった。きっとそれは論理で語る高尚な方法論よりも優れたものであり続けうると思っている。コミュニケーションの対流を生み出すために、頭を使うのではなく、寄り添うのだ。ひとまず寺子屋などと呼ばれていた頃のように、もっと生活の身近な所に取り込みたいと思った。陰翳を礼讃しているだけでなく、陰翳を日々に宿そうと思った。年始に和尚様の奥様と少しお話させていただいた際、お寺にはいつでもぼ~っとしにきてほしいとのことだったので後日ぼ〜っとしに行った。そうすると、ご丁寧に寺中の所蔵している歴史的なものから建物まで全てご案内いただき、おまけにお茶までよばれてしまった。
今度、月一回細々と開催している写経の会に混ぜてもらうことにした。次はぼ〜っとできるのだろうか。(いま写経に来られている村の方々は饒舌な方ばかりだそうで…。)

座禅や写経、精進料理などが流行っているようだが、観光でなく、できるだけ日常として体験して欲しい。
ぼ〜っとしている時間を優雅と捉えるか、退屈と捉えるか。(決してスローライフという意味ではない。)
そんなところにいろんな問題をほどく結び目があるような気がしている。

淡河町勝雄の風景
神戸ルミナリエ
神戸イルミナージュ

余談だが、神戸市中央区では「神戸ルミナリエ」、神戸市北区のフルーツフラワーパークでは「神戸イルミナージュ」なるイベントが開催されているが、「ヤミナリエ」なんてものをお寺でしてみたいな、なんて思っている。
yasufuku
永春寺からの風景

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