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受難者

アナログテレビの山
近頃日本の地方都市のあちこちでアナログテレビの山を目にする。
文字どおり、ちょっとした山である。海と言ってもいい。
建築もそうだが、そのものの寿命と言うよりも社会構造の変化で急に不要になったものたちは大変多い。(住宅の平均寿命 – アメリカ約44年、イギリス約75年、日本約26年。『国土交通省建築白書 1996』)近頃は原発もそれに近いだろう。

日本の社会が向かうアポリアを示唆する風景をまるのまんま垣間見たかのような感覚。
そしてそれを日本の片隅の景色として処理し、日常戻るときに感じる違和感。夢から覚めたときに似たあきらめのようなものを感じる瞬間である。

なぜ維持しようとする者、やさしいこころの持ち主は、いつも受難者となるのか。どうにもその種の問題は複雑で、それを紐解く論理は学者にでも聞いてくれと思うのだが、ひとつの単純理論で応急処置するのならば、たとえば大数の法則をあてはめてみよう。個人レベルではどうしようもない大数の法則が作用し、多くのあきらめが発生する。電車で1人の老人に席は譲れても、10人には譲れない。やさしい人ほどそれに対して心を痛めるが、いつもいつも痛めてはいられないから防衛機能が働くのは仕方のないことだ。うまく働かせられなければ闇の牢に捕まる。

農村は小さな流れで動く経済活動、社会活動がベースにあり、そういった世の諸問題が個人レベルで管轄可能なところが多い。そこに大数の法則による甘い汁をむやみに吸わせないで欲しい。日本はもちろん、世界レベルの話でもある。

yasufuku

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