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まちの広報にかかること。

前回の記事にアップした祭りはまだいいが、もっと人を呼びにくい、
でもあの田舎ならでは感はぜひ来てもらいたい、でも来すぎると困る、
そんなイベントなんかが農村には多数ある。

本当にいいものなので、広報に手間をかければ必ず人が集まる。
はずなんだけど、そのゴールが明確になってないので、手間をかけるのに二の足を踏む。
そもそも費用対効果の効果が明らかでなければ本来は広報できない。
もしかしたらそのゴールには広報が不要である可能性も十二分にある。

でも制作プロセスの中で効果の部分を一緒に考えて、
皆さんに少しずつでも効果の部分、
つまり暮らしがどんな風に変わるかを少しでもイメージしてもらえるということは有用。
それもひとつのモノガタリのきっかけである。
町としてのゴールはみんなで決めること。ゆっくりでいいから、まとまってくといいな。

最近はようやくそういう意識が広がり始めていて、
いろんな動きが重なりつつあるからなんだか嬉しい。

そんなふうに、そないたいそうなもんやのうてかまへんから、やってえなという類の仕事を
いかにスピーディーかつハイクオリティーに仕上げるか、というのがしばらくの命題だ。
(例えば前回の記事に載せたチラシは依頼から提案まで2時間余りという、
本来の仕事では出せない(というかしない)スピード感。
車の通行を止めて酒を飲み散らしながら生活空間を闊歩する田舎の祭りは、
外から見ればたとえばちょっとしたドラマなり映画なりを見ているような感じ。
ということでドラマ感がコンセプト。)

そのためには経験に基づくボキャブラリーと確立された思考過程が必要。
だから、いつも鍛練し続けてなきゃ、はまってしまう。
これまで、ゴールの定まらない地域の依頼は進んで引き受けてこなかったが、
まちの広報にかかることに、うだうだ論理を並べ立てる前に修行だと思って手を動かす最近。
地域の依頼だろうとなんだろうと、軸がぶれていなければ、事務所として力があれば、一緒。

あと最近と言えば、事務所にウツボカズラが仲間入りしました。
苔玉を初めてつくったのですが、はまりそう。
歳を重ねるに従って、身の回りのものに手を入れる精神性を眺めているだけでなく、
自らの日々にも宿したいと思うようになってきた。

かわええなぁと、ながめていたら、かっこいい秋の来客。
かまきり

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