- 2012-06-13 (水) 10:27
- Rocal Design Life -農村デザインの日常-
先日、田んぼに水がはりだす、と書いたが、当然ながら勝手に張られるわけじゃない。
私自身もそのはる作業に関わっている。
休日は父と農作業だ。
田んぼをしはじめてデザインが変わったというK県の某有名デザイナーSさん。
豊かな関係性に支えられたものづくりとでも言えばいいのだろうか。
どう変わったのか、また機会があれば伺ってみたい。
しかしまぁ本当に田んぼでデザインがかわるのか。
私にとっては小さい頃から間近で接し続けてきた現象のひとつだからよくわからない。
たぶん変わってないと思う。
まぁ米づくりは心身のリズムをうまく整えるための時間だったりはする。
わざわざジムに行ったりせずとも自然に体力がつき、体の調子が整う。
太陽の出ている時間帯に体を使い、なんやかんや疲れるので夜は寝ずにはいられない。
という、意外に単純な話だったりするが。
ひとりひろい田んぼの真ん中でぼーっとしながら
水を入れた田んぼをトラクターで全面なぞって水田に仕立て上げる。
田んぼの真ん中をがに股でエンジン音を轟かせながら走ると
住処を追い出された虫がぶわ〜っとたくさん飛んできて
土の中にいたミミズが水面に浮かび上がってくるからか、カラスやツバメがえさを求めてやってくる。
そんな虫や鳥が営む風景の中に自分も営みとして存在しているのだなと感じる瞬間だ。
自然の摂理を身に宿す。それ以上でも以下でもない。単純な話。
「ぼーっとしながら」、といってもトラクターはレバーが多く、なかなかせわしない。
特に田んぼの端まで耕せ、折り返す時には忙しい。トラクターの後ろについた耕すパーツを上に上げてクラッチをふんでバックに切り替える。左カーブをするときは左のブレーキを踏まなきゃうまく曲がらない。
ギアは1つではないのでうまくギア比を切り替えてトラクターの挙動とギアを経験的に体に染み付かせなきゃならない。
まぁ、メカが好きな男の子の遊び道具みたいなものだ。飛行機のパイロットは無理だから、トラクターやコンバインで我慢。
男はいつまでたっても子供だということか。
意外に単純な話。
そう単純な話。
単純なものの道理の中に本質が潜んでいたりするのだ。
世の複雑な挙動は単純な原理の積層で成る。
デザインの対象がこの世界のどういった位置にあるのか。
単純な原理でものごとを思考すると、そんな根本的なマトは外さない。
それが耕すデザイナーだろうか。(、、とはいっても生活の9割はデザイン、農は1割にも満たないのだが。。)
便利だということで省略してしまってはならないものの道理の中に身を委ねよう。
水面に映る群青色のそら。この風景も人工物だ。
ひとと自然がうまくかかわりあっていて、言い換えれば風景が生きている。
営みとしての風景はいつも心に焼き付く。農村、都市と関係なしに。
生きた風景に寄与しようぞ。
y.y.
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