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Treehouse Blog of cott

DEBUT

10/24本日、EAT LOCAL KOBEでデビューするおうごん米。
「淡河米-1GP(コメワングランプリ)」の「お米甲子園」で優勝した、うちの町で一番おいしいと太鼓判を押されたお米です。
私は残念ながら行けませんが、気合い入れて夜な夜なパッケージングしましたので、ぜひお買い求め下さい。
売れなかったら私が全部買い取りたいぐらい出すのが惜しいのが正直な気持ちです。
おうごん米
消しゴムスタンプ
納期がない、予算も無い、ロットが小さい。でもどうしても金を表現したい…ということで、ひとつひとつ、お手製スタンプで。

Japanese Autumn Festival

三木大宮大宮八幡宮秋祭り2015
行政区は異なれど、文化圏は同じ東播州、三木市の祭りへ。仕事場からは車で15分程度だ。

農村の祭りは米が無事に収穫できた慰労会のような意味合いが強いため、祭りを催す側の人が多い。カメラを向けてもデジタル一眼レフのカメラマンばかりが写りこんでしまう観光客の多い祭りとは違い、とても賑やかで、熱気が渦巻く。町の人たちの性格もよく出るので、その土地らしさもよく出る。
こういう地の人が楽しむのが主として催されるイベントは情報発信もぶっきらぼうなぐらいがちょうど良いように思う。そういうものは世界に誇れる文化だし、発信したいと思うのが行政的な考え方かもしれないが、もともとが自分たちが楽しむことが主であったものが、いつの間にか観光業にシフトし、何のためにやっているのかという目的が変わわってしまうと、その土地への誇りや愛着等が薄れ、イベントの精神性を失う。それが無くなれば、地域が力を失うと言ってしまえるほど、昔からの祭りには老いも若きもを束ねる求心力がある。

狭く報じる。小さく告げる。

だから我々の役目も都市部の広報とは異なる方法論が必要ではないかと考えている。具体的にはもともとあったものを損なわないよう、広く知らせすぎないことも大事だと思う。言うならば狭く報じる、「狭報」。あるいは小さく告げる、「小告」だろうか。地域にデザインを、と昨今はよく言われているが、まちでイメージされるような、いわゆるグラフィックデザインに用はないことも多いと思う。(用がなければないほど良いと思う。)

祭りの話からはじまったが、地域産業についても同様の考えでいる。ものが売れてがっぽり儲かって、新しく職人が増え、事業所が増えれば良いわけでなく、地産商品を全国規模に展開し、大量生産の方法論を導入すれば、その仕事の本質を忘れてしまいがちだ。職人芸のようなことも必要なくなり、技を持った人が育ちにくくなるかもしれない。むやみに手作業を礼讃する訳ではないが、結局はロボットが職人に敵わなかったという話もよく聞く。何事もバランスである。
儲からずとも全うな対価を得られる生業としての産業が、そして受け継がれて来た物事や考え方がまた次世代に大切に受け継がれ、長く続いて行くためには流行りにしたり媚を売りすぎず、儲けさせすぎないことも必要だと思っている。

デザインの役割は、ものともの、ものと人、人と人をよりよい関係性(Win x Win)で結びつけることである。グラフィックスは基本的にはすでに関係性で結びついたウチの人にはほとんど必要なく、主にソトの人たちのもので、それを使うことで、ソトから訪れた人に未知のルールをわかりやすく可視化して見せることができ、未知の人を集めてものを売ったり、移住者を増やすことにも寄与することができうる。そのため、地域活性化にグラフィックスは不可欠なものだと思われがちだが、ウチとソトがWin x Winであることを考えると必ずしもそうではないように思う。一番の地域活性化は、その土地の名産物が売れることでなく、人口が増えることでなく、その土地に咲いてた笑顔がより美しく咲くことなのだと思う。だから、地域活性化の助成金でわれわれグラフィックデザイナーを駆り出す前に、つながない選択に少しでも思いを巡らせてほしい。(もちろん駆り出した後に一緒に議論しても良い。)

Peace

米の兼業農家にとって、長期休業時は農作業の繁忙期。
ゴールデンウィークは種まき。(米の苗づくり)
シルバーウィークは草刈りと稲刈り。
みんながバカンス気分なときに遠出ができないけれど、
今日も平和だと思える日常は何よりも贅沢。
農作業の一休み

昨日はそばの花が満開だという話を聞き、草刈り終わりの足で素材撮影。
プロモーションの仕事をしながら農村の仕事をするようになってから、
農村風景は人の手が入ってこそ美しいことをよりいっそう実感している。
いい風景には、いい関係性がある。
いいデザインにも、いい関係性がある。

普段の生活をきちっと生きているかは仕事にも何にでもにじみ出るものだ。
だからまずは毎日の暮らしから。
これからも農村風景の中の住人で居続けられたら。
そばの花の撮影

実り

おおきな革命をおこすよりも、
ちいさな革命を何度も起こしていけば、それでいい。
ちいさな革命の連鎖こそがおおきな革命につながる。
そう思ってずっとその道を歩き続けて来たし、
今でもその思いは持ち続けているからこその実りをいただいている。
だけど、その甘い果実に甘んじていないで、
ときどきそこらに生えている野の花を食べてみたくもなる。
そんな気分に任せて考え事をするのも悪くない、秋の夜半かな。
外は涼しいけれど、まだ少し熱い、夜中の室内撮影をしながら。
夜中の撮影

コンビニのない町

セブイレという名で親しまれた、わがまち唯一のコンビニが閉店して1カ月余りが過ぎた。神戸市北区淡河町の面積は37.69km2。神戸市の面積が552.3km2なので神戸市の6.8%もの広さだ。仮に神戸市内にコンビニが100店舗しかなかったとすれば、7店舗があってもおかしくない広さの場所に、0店舗になってしまった。(正確には、山陽自動車道のサービスエリア内にあるが。ちなみに淡河町は神戸市北区と西区以外のどの区よりも広い。)

コンビニひとつで変わる暮らし

なくなってから約1カ月、私の暮らしは変わった。
まず、財布の中身が減らない。ものを買わないので当たり前である。ついで買いしていたジュースやコーヒーは家で煮出したお茶に変わり、間食もしなくなった。ついでにタバコもほぼ辞めた。確かに不便は不便なのだが、食べ物やちょっとしたものが置いてある個人商店なども近隣にはあるし、大型スーパーへも10分で辿り着き、生活に必要となりそうなものは基本的にそこでちゃんと仕入れておく。案外その不便さが心地よい。というか、これまでの便利さは不要な便利さだったのかもしれないと感じた。ちょっと買いができなくても、買い物にポイントがつかなくても、困らないのだ。
近所にコンビニのあるなしで暮らし方が大きく変わり、人間は思っている以上に環境に依存して暮らしているのだということを思い知らされ目の覚める思いだった。たかがコンビニひとつだが、暮らし方を改めるひとつのきっかけとして、自分にとっては大きな事件となった。

定点観測してきた風景の変化

今日、コンビニに1度も立ち寄らなかった人はどれほどいるだろう。そんな言い方もできるほどにコンビニは身近な存在となった。
この町にコンビニができる15年ほど前、まだ世の中に登場して間もないものが今、多くの人の暮らし方に大きく影響を与えていることを誰が想像できたであろう。当時、町内ではどこからもだいたい徒歩圏内に個人商店があったが、コンビニができる前後のタイミングで、その数はみるみるうちに減っていったような記憶がある。少子高齢化や人口減少、生活者のニーズの変化などさまざまな要素が重なって、風景は変わっていった。遠足前に300円をにぎりしめて友人と自転車を走らせた駄菓子屋は消え、おばあちゃんたちの社交の場ともなっていた個人商店や、大きな声で呼ばないと人が出て来ない文房具店も次々と消えた。車に乗って生活する層には休むことなく闇を煌々と照らす大手フランチャイズの看板の安心感が受け入れられたのだ。
そんなふうに、世の中に広まっているものを受け入れ、その場所ならではの風景や暮らし方が変わっていく様を目の当たりにした。「どこに行っても同じ風景」が受け入れられるし、自分もいつの間にかそういうものに頼ってしまっているけど、少し寂しい気持ちでそんな風景の変わり方を見てきた。

もちろん寂しいからといって、古いものをそのまま続けていくことは不可能だし、新しいものを受け入れるのをやめることはできない。ただ、流れに身を任せるばかりではまちの魅力が「便利」に奪われてしまうのではないか。
「便利だけど、なければ困るけれども、別になくても良い。よくよく考えてみると、無い方が心地よいかもしれない。」昨今はそういうものが身の回りに増えているように思う。
何かに依存しすぎない暮らし方を考える人が増えてきた時代だからこそ、いまどきほとんどないであろう「コンビニがない町」を誇ってみるのもありかもしれない。

T-Shirt at Night

転写シートに面付け
転写シートをはがす

お盆は休日返上でおとなしく働いていたので、
ワインボトルをおろして気持ちよく飲んでいたときに
二つ返事で引き受けたTシャツを
もくもくとつくって気分転換。
カスタマイズできるよう、おまけもたくさん面つけて。

さて、あの娘は喜んでくれるかなぁ。

Beauty Beside Me

デスク横のテッポウユリ
淡河町のテッポウユリの農家さんたちが忙しくなってきているようで、彼らを見るとユリの季節だなぁと思う。地元産業は季節の感じ方がちょっと変だ。

こどもの頃はそこら中の田畑に生えていたので米と同じような感覚で意識せずに見ていたけれど、いま改めて見ると、純潔無垢な色と、肉厚で形の美しい花弁が上を向いて咲く姿は美しい。
花が大きいのであまり短く仕立てるとバランスがとりにくいのか、ほとんど見たことがないのだが、今年は短く切って、机まわりに添えてみた。(毎年、売り物にならないユリたちのお裾分けをいただくので、本当にありがたい。)そうすると機械ばかりの無機質な空間に生命力が宿りはじめる。例えるなら砂漠の中のオアシスのように。次は他の花とも一緒に仕立ててみよう。身近なものを美しいと思える感性は年々磨き続けていたい。

山の日

神戸市ではいろんな道路が寸断となっていました。みなさまのところで台風は大丈夫でしたか。こちらでは消防車で巡回した限りは昨年程大きな被害はなさそうだと安心していたものの、一夜明けてみたら家の田んぼの法面が擁壁ごといってしまって、修繕費のために何年米をつくれば良いのだろうと意気消沈。まぁ、自然はそのそも人間の都合どおりいかないものなのでどうしようもない。土地やその他から圧倒的に自由になった現代では、都合の悪いもの、見たくないものはいとも簡単に切り捨てられるが、そうでなく、すべて繋がっていることを自然から学ぶのだ。話が逸れるので詳しく書かないが、そういう思考は多くの現代が抱える問題をぬぐい去るカギとなりうるように思っている。
今日は庭掃除と草刈り、明日は祝日でcottもお休み、草刈り。海の日だが、山の日とでも言った方が良いかも知れない。文字にすると地味な暮らしだが、夏の炎天下、長袖長ズボンで草の中を一日中駆けずり回った後の達成感は徹夜明けのうまくいったプレゼンテーションに匹敵するし、腰の筋肉が鍛えられてデスクワークの腰痛ともおさらば、ジムいらず。そして今週を乗り越えるとみなさんお楽しみ、村の夏祭り。

さらにそれが終わったら、cottでぼちぼちながらデザイン塾を始めようと思う。
「ローカルならではの仕事をしてみたいけど、そんなクライアントいない」という方へ、同じ土俵で提案して通れば仕事をお渡しするという内容にする予定。本物の仕事なので当然、実現予定の依頼。無記名でのデザイン提出による選考、審査員(=クライアント)によるオリエンテーションなど、不公平のないよう配慮して正々堂々戦い、結果発表&好評会をして、高めあえれば。ローカルでもニッポンに誇れる仕事が続けられる仕組みを。
第一回のテーマは米袋?参加希望や内容、スケジュールをこうしてほしいなどの声あればコメント、メール、その他でぜひご一報を。
cottの庭
ばらの花とかえる
村の夏祭り

humidity countermeasures

じめじめした日々が続きます。うちでの梅雨の出来事といえば、防湿庫。
撮影機材の管理が面倒になってきて、いよいよ防湿庫で管理することにしました。
ずさんな管理状態のまま何カ月も放置し続けるとレンズのコーティングなどを栄養にしてカビが繁殖してしまうことがあります。レンズの内側にカビさせるともう一貫の終わりで、修理費にウン万円、防湿庫が買えてしまいます。

防湿庫だから絶対カビが生えないわけではないし、頻繁に機材を使ってやれるならその方がよっぽどカビ対策になるのですが、
気付けば数ヵ月使わないレンズがあったり、除湿剤による湿度管理が面倒だったりする方にはあると良いかもしれませんよ。
防湿庫

知識と体験

夏、食卓には色鮮やかな野菜が並ぶようになりました。

夏といえばかんかん照りの太陽のもと、ざるいっぱいのとれたて野菜を水路で冷やしておいて、冷えたところをそのままかじるジブリアニメのワンシーンが真っ先に頭をよぎります。たぶん100回は見ました。
恥ずかしながらこんな田舎で生まれ育っておきながらとれたてとうもろこしを生で食べたのはごく最近で、
皮をめくったときの一粒一粒の輝き、ぷりっとしてみずみずしい実、やさしい甘さは実際に体験してみた人にしかわかりません。頭では知っていても驚きがあるのが、わざわざ現地に足を運んでとれたてを味わう体験の素晴らしさだと思います。神戸市北区大沢町はわがまち淡河町にも隣接していて、アウトレットから最寄りの農園だと1km程度ですので、ついでに買い物にも行けるのも素敵。

広報をお手伝いさせていただいたとうもろこし狩り、オススメです。ホンモノのとうもろこしを味わってみてください。
大沢町のとうもろこし狩り
大沢町のとうもろこし狩り詳細

It happens

近くに用事があったため、泉北高速鉄道線の光明池駅前商業施設内に6月13日、オープンしたばかりの山芋お好み焼「銀多郎」に客として、抜き打ちで行ってきました。作ったものがどのように使われているのか、改善点などはないかを見るためですが、まさかのお休み。まぁ、思いつきで動くとそんなこともあります。休みの日だったからこその発見もあったのでその意味では良かったのですが、日にちの確認は大事。本当はこの玄関にお好み焼き屋としてはちょっと変わったロゴののれんが飾られるのですが、その写真はまたの機会に…。
お好み焼き銀太郎

続きの風景

農村の初夏の朝焼け
大阪からの仕事帰り、居眠り運転はしまいとコンビニで一番高価な栄養ドリンクを飲んで、なんとか帰ってくると見える農村の初夏の朝焼け。思わずブログを更新してしまうほど気分がすっとしたのは、自身もこの風景のつくり手だとようやく胸を張って言えるようになったと感じているからなのだろうか。農村はこの時期の風景がいちばんすてきだと思う。ニッポンのカガミバリ。さて、今年の田植えはもうひといき。
その土地の方法で当たり前に田畑を耕す。そのうえでローカルを、そしてニッポンの未来を考えたい。

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