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シンガポール雑記

今はシンガポールの図書館。気持ち悪いぐらい快適。
シンガポール。人は優しくマナーが良い。
街全体は綺麗に整備され、住宅、静かで快適な鉄道、バス、町中にはプール、テニスコート、競技場、バスケットコート、他、余暇を十分に消化することのできる施設が街の至る所に存在する。
また、さまざまな人種、宗教が混在する。
治安も比較的良い。
ここは、東洋、いや西洋が求めた楽園なのか。
しかし私はなぜか、まるで巨人が作った模型の中で人間達がままごとをさせられているように感じた。人々は快適な裕福な生活を、このマレー半島の先端に位置するこの島で得た。しかしどうもしっくりこない。

タイやラオス、カンボジアの田舎の方の本当意味でのの自然と共にある生活の方が、物の豊かさではなくて生活の豊かさという観点では勝っているように感じた。同じく島国である日本とも似ているが、やはり違う。その違いはどこからくる?

思うに、ひとつは島の大きさ。
ひとつは、宗教、人種の混在。

日本はすべてが近代都市風ではない。広いから、まだ田舎の方ではまた違った生活がある。しかし、シンガポールは淡路島程の大きさであり、多くの移民がそこにやってくる。その島は一つの国として独立し、島中が発達する。近代化の波はシンガポールという一つの小さな島国を覆い尽くした。
そしてこれほど様々な宗教、民族が混在している国もなかなか類をみることもできないだろう。他にもきっと様々な要因があるのだろうが、いまのところそういう解だ。

シンガポールはマーライオン。近年は、近代建築もおもしろいものが建っている。だがそれだけ?
マーライオンの前で、思い思いのポーズでただポートレート写真だけを撮っていく人々。撮って、ぷらっとして、はいさよなら。(その様子がとても滑稽で、そういったところに着眼した写真集も2007年に瀧本幹也SITESEEINGというタイトルで発売。有名写真家にしては着眼がありきたりであまり面白いものではないが。梅佳代的ユーモアもなければ、ページを繰るごとのドキドキもあまりない。)

これが観光地というものだろうか。巨人達の模型の中でうごめく人々。
人々は決められたルートを歩き、目玉とされるものたちを満喫したらはい、さよなら。
皆ハードの面を求め、ソフトの面などには気にも留めない。
先進国のにおいを持った、ただの観光客ばかりだった。

私にはシンガポールの石畳の照り返しはまぶしすぎた。
マーライオンが、水を吐き続けている仕草が空虚に見えた。

要するにシンガポールは今回の旅のテーマとは外れるってことした。各国の情勢に関して自分が無知なだけでした。(シンガポールが嫌いという意味では書いていないのでご容赦を。)

でもまぁ、ついにこの旅も終わりです。今夜の24時15分の便で北京を経由して日本へ向かいます。

旅の軌跡
日本→北京→バンコク→チェンマイ→パーイ→チェンコーン→フェイサイ→名も無き街→ルアンパバーン→バンビエン→ビエンチャン→フエ→ホイアン →ニャチャン→ホーチミン→プノンペン→シェムリアップ→バンコク→アユタヤをミスってサラブリって田舎→バンコク→バタワース→ペナン→クアラルンプール→マラッカ→ジョホールバル→シンガポール。
動きました。我ながら。

どこがよかったかというありきたりな質問に素直に答えるならば、ラオスとタイの北部の田舎ももちろん良かったのだが意外にもカンボジアが一番良かった。

近隣諸国の中では最も貧しい国で、つい最近(30年ぐらい前?)まで内戦があって、暗い歴史、明るさを取り戻しつつある現在。現在も残る地雷が生々しくその事実を物語る。

その一方で人が結構良くて、(もちろんマネーマネーもあるけど)子供たちが素直でかわいらしく、バイクタクシーの親父も気さく。田舎の方は自然とともにある人々の暮らしぶりがものすごく美しい。

そのギャップに非常に感じることが多かったのがカンボジアという国だった。

インド動物記

インドおよびネパールへ。

インド人は先進国と違い、すごく人間らしい生活をしていて、まさに動物として生きているというか、街中の建物を飛び回る猿など禽獣たちと人間がまったく同じに見えた。
みんなが自分勝手で鬱陶しいぐらいなのだが、それは自然なことで、まるのまんま、本能がまま生きていてそれでも社会が成り立っている。

ちょっと道を聞いたら親切にも間町中を案内してくれて、最後に法外なお金を要求する人。
手を出せと言われて差し出すといきなりハンドマッサージをされて10ルピーでどう?とか言い出してなかなか手を放さない人。
小さな子供によるいきなりのルピー、マネー、攻撃。
早朝、日の出と同時刻に見える神秘的な太陽を感謝して拝み、沐浴する人々。
電車でちょっと愛想を振りまけば、やたらバナナ、リンゴ、カレーみたいなおやつ、とてつもなく甘いお菓子を振舞ってくれ、何か芸をやれやれとの視線で凝視してくる家族。
駅でうずくまって痙攣している人を見てみぬふりの我々を含む人々。
怪我や無くなった腕を見せて金を出せというおじいさん。
ヤギの首切り。もがくヤギ。真っ赤な大量の血。ある意味日本の方がよっぽど残酷な風景。
1時間か30分ほど前にいた寺であったテロ。
24時間火が尽きない火葬場。
死の現場がこれほどまで近くにある。

人が動物として、人間らしくいられる。
影も光もまるごとそのまんま。全ての存在を受け入れてくれる肯定感のようなものがあって、きっとまた訪れてしまうのでしょう。

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