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流すその水はどこへ行く

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現代的な社会問題の多くは煙や水の流れる先に関して無関心であることが大きな原因となっているように思う。

自分の都合のいい情報を得るインターネット。大変有用であるが、自分の望まない不要な情報は入って来ない。目の前の風景の意味が薄れ、たとえば究極の話、「隣の住人が死んだ」すらも不要な情報だということも多いにあり得るのが恐ろしい。

そういう意味で、田舎はとてもいい。不要な情報がたくさん入ってくる。
うちの集落にも3羽ガラスなるものがいて、バイクで村を走り回り、地域の情報を瞬時に伝達する。その正体は、ただの世間話が好きなおばちゃんなのだが。内容は特におもしろみのある内容ではない。(これは悪口ではない。礼讃だ。)自分の興味ある内容について語られることはあまりないが、それは決して否定すべきものでなく、地域に潤いをもたらしている肯定的な存在である。(そう思えないと、地域に溶け込むことは難しいかもしれない。)

田舎が閉鎖的だと言われる所以は、日常生活において常に関わってくる濃密な関係性にある。その土地を守り続ける定住者として地域を常に監視しているから、何かコトを起こそうにも起こしにくい。監視されているという言い方は悪いかもしれない。見てくれているのだ。子供だって見てくれている。美しく言うならば関心を持って関係性を保ちながら支え合って生きていると言えばいいだろうか。

身の回りの風景についての情報を多く共有することにより、一体感が生まれる。(その反面、外から見て閉鎖性を感じさせることになる。)自分が流す水や煙がどこでどうなるか、理解を深めることができる。
おかげで、火をたくときに煙の行く先を気にしたり、ゴミの出し方を守ったり、庭の体裁を気にかけたり、生活態度を改めたりしようと思うことができたりする。無駄なしがらみや動きが増えただけではない。便利であること、自分の都合がまかり通らないことも地域を守り育んでいくために大切なこと。それは相手を思いやることの延長だ。最近はエコと叫ぶよりも、当たり前に社会とつながり、相手を思いやることの方が地球環境問題に対して有用な気がしている。

身近なひととの繋がりや地域の風景と自分との関わりが増えること、それこそ豊かな社会と自身の暮らしを築くカギだ。

先月食べたへそもち。餅米に米を混ぜてつくる。
へそもち
いわゆるとんど焼き。年々規模が小さくなってきてはいるが、これはおそらく生まれてから二十数年毎年当たり前のように続いている。書き初めを燃やして高く舞い上がれば字が上達するそうな。当たり前にこんなイベントが日常にある毎日に感謝。
来年はもう少し人を巻き込んで規模を少しずつ戻していければ楽しいだろうなぁ。

安福

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