ほっとステーションぽてとパンフレット



・大胆な色彩を用いることで活発さや意欲などを演出
・ご年配の方にも読みやすいように配慮して余裕を持ったレイアウトで背景とのコントラストを確保し,さらに文字サイズを大きくすることで可読性や視認性を考慮
・キャッチコピーには「〜したい」のように希望を表すようにし,利用者の前向きな意思を喚起するように配慮
・オフィスにあるプリンタの印刷可能範囲から生じる余白をうまく生かすようにデザイン。(どうしても普通紙だと裏面が透けてしまうのでもう少し厚い紙を使える予算が出たら良いのですが。)
とんど
少し前の話ですがとんど焼きをしました。

火のチカラで体の芯からあたたまり、また
こうやってみんなで火を囲んでぼうっと火を見つめながら過ごすことで
ココロの秦からもあたたまりますね

あの日から15年
傷痕もほとんどみられなくなり、あれからまちもすっかり変わりました
朝から消防団の訓練で祈りをささげてきました
明日もまたいつもの1日でしょう
だけど決して忘れない、生かされている感謝を。
ハイチも心配ですね。
Flash Back
淡河のまちづくりについての打ち合わせをしていて久しぶりにツリーハウスについて説明する機会があった
もう海馬の奥に埋もれてしまっているのではと感じるほど近頃口にしていないことが口からすべり落ちるようにでてきたことは私にとっても少しばかり驚きであった
こういうのをフラッシュバックというのでしょうか

それにしても寛平さんめちゃくちゃ格好いい。ばりばり働いたらご褒美として還暦を境にマラソンとはいかずとも、自転車ぐらいで地球縦断はしてみたいものです。
触れられる距離
世間は成人式。まだ4年程しか経っていないのに遥か昔のことのように感じるのは4年間でそれだけいろいろ経験できたということでしょうか。
そんな華々しい新成人たちの日常への帰路にお邪魔してきました。
少し逢えただけで なんともいえないあたたかい気分にさせてくれる人たちがいます
そんな人達がいるって本当にステキなことで本当に感謝すべきことだなあとまた改めて。
どんなに顔の見えない情報によるコミュニケーションが進んだとしても、人と人が目の前に対峙し合うコミュニケーションは廃れないでしょう。
いやいや、信頼性の最も高い新聞というメディアの存続が世界中で危ぶまれるほど情報技術が進歩してしまった時代だからこそ触れられる距離にいるということ そこに”ある”ということ それが他の何にも代えられないことをまた認識させてくれると思います。

雑記
比較的国民ひとりひとりの生活水準が高い日本では経済性と機能が優先された製品が大衆に多く出回る。機能があってその機能を満足するためにできるだけ採算がとれるものを考えるのはごく自然なことであるし,身近な素材を利用して生活していた昔の田舎にはそういった考え方のところにも形態美があった。
しかし最近の若者にとってどうも田舎の実家はダサいの一言である。
そう思っても使えるものは使う精神の田舎ではあまり何もされないのが現状だが、いいものを見極めてうまく見せるようにすれば大規模にリフォームなどせずともきっとよくなる。
近年、収納や生活感の出るものは徹底的に隠してシンプルでミニマル、その上で成り立つスタイリッシュなデザインが好まれているが,個人的にはものが多い日本で無理して隠さずいろいろと見せた方が使い勝手がよく,個性やあたたかさが宿るので好みです。見せるためには見せるものたちを整理してそれらを分類ごとにひとつのデザインコードでくくります。
それぞれに宿る世界観を出せるようなそんな空間づくりのお手伝いがしたいですね〜

例えば,見せる収納のコツとして,ごちゃごちゃを面,テクスチャーとして捉え,他はきちんとメリハリをつけてきれいにしているときれいにまとまり独特な雰囲気を出せたりするのでオススメである。本の高さと背の色をそろえて並べていたりする几帳面なデザイナーさんの話も聞くが,それは流石に使いづらいような...。

近頃はWEBの案件をいろいろとこなしています。
は〜旅行に行きたい。WEBの案件はケーブル一つつなげばどこでもできますしね。学生時代に行けなかった卒業旅行とかというこじつけで。
外国の安宿の軒先で往来をながめながらゆっくりと本を読みたいです。

↑さぞかし優雅なもんやなぁこのやろうと言いたい。笑
学生さん、ぜひ時間がたっぷりある今しかできないことをやってください!
そしてわたしは真面目に働きます。
THANX
大掃除をしました
ぱたぱたぱた
とんとんとん
キュッキュッキュッ
シュッシュッ
ガラガラガラ
ゴトゴトゴト
ドン
一年間おつかれさま
来年もよろしく
大掃除は積もった塵を拭き取りながら
積もり積もった感謝の気持ちや思い出たちと共に
さぁ〜 身辺整理 心辺整理
今日は火事がありました。幸い燃え広がることもなく駆けつけた時にはほぼ鎮火していました。
風が強く乾燥しているのでもし何か燃やされる場合等は十分に注意して下さいね。

多くの方々に支えられてまた1年この仕事を続けられました。
今年もまたいろんな出逢いがありました。
大学いって賢い頭持っておもろない会社に就職してお陀仏するぐらいならギター片手にホームレスをする方がましだ
何するにもマニュアル、how toにしばられて、はじめっから凝り固まった中にあるなんて御免だ
悟ったフリしてぱりっとしたスーツ着て利口そうに座ってる奴いたら椅子をひっくり返してやる
あの賢人がこう言うからこうするなんて御免だ
右向け右で右ばっか向いてんじゃねえよ
目が覚めて辺り一面火の海ならとりあえずタバコに火をつけて狼煙をあげろ
死ぬ気で行けよ 死なないから
そんな気持ちにさせてくれる友人がいます
地位や権力という鎧をつけてる者に丸腰で 体はって自分の旗をかかげてどんくさくても正面からつきっきるエネルギーにはいつも頭が下がります
そんな出逢いに感謝しながら、また気持ちを入れ替えていきたいと思います。
いよいよ除夜の鐘が鳴っています。木製天板の古びた机でペンを持ちながら過ごすこととします。
では来年もさらに素晴らしい年にしましょう。
来年もどうぞよろしくお願いします。

桃源郷
出張先でひとり、景気付けとして人力屋台のラーメンを食べた。
おっちゃんは慣れた手つきで、かつひとつひとつ丁寧に
秘伝のラーメンをこしらえていく。
儲かりは決してしないけれどもひっそりとやってるのがいいんだと
苦笑いを浮かべながらどこか得意げに話す。
その話し方や雰囲気にはたくさんの苦労に耐え抜いて来たからこそ
醸し出せる優しさがにじみ出ていた。
十年以上もこうやって5時間かけて仕込んだスープをひっさげ
毎日重い屋台をひいて1キロ以上の道を深夜、早朝に往復して
メニューひとつその身ひとつでこれが俺だって構える。
寒空の下、誇らしげにお客さんからもらったビール片手にどこか控えめで雄弁に語る姿を見て
まだまだ日本も捨てたモンじゃあないと思った。
屋台は味以上に、人柄だ。
それは決して公の場に出て行列ができてはならないし
全く人が寄り付かなくなってもいけない。
苦労を笑い飛ばしてみんなの桃源郷をつくりだす。退廃しきった心を迎え,優しくただそこにいてくれる。
職こそは違えど,おそらく目指す所はそんなおっちゃんなんだなろうなと思った。
自分はまだまだひよっこだ。汚いけれど、手の汗と涙がしみこんだ、愛着ある屋台が構えられるのはいつの日のことだろうか。
今日も今ごろおっちゃんは誰かの心を癒していることでしょう。
また逢いにいこう。


↑出張中に制作したメニューや撮影したドリンク。ライティングや演出は奥が深い。まだまだ未熟だ。
明日は茅葺きシンポジウム。「都市と農村の協働する茅葺き民家」について話を伺ってきます。
暗黙の了解
ぐるぐるぐる
まわるまわるぐるぐるまわる
200号ぐらいにもなるお手製のキャンバスに去年硬い鉛筆で描いた線は
びしょびしょに濡れてしまったせいでにじんでいた
その下書きの上にはこれまでに使ったことのないパステルで淡く塗り重ねられていて
無機質で硬い雰囲気の絵にあたたかみや曖昧さが加わっていた
その共同制作の作品づくりにはこれといって特別な打合せはなくて
だけどなんだかそれは当時私が無意識的に行ってきていたテンペラ画の色の重ね方にも似た新たな様を呈していた
あと三年ほどはちょくちょくと手を入れさせてもらって
そしたら大きな振り子時計のある古い家のだだっぴろい廊下に控えめに飾らせてもらおう
この絵の完成形は予想がつかない
というよりも完成形というかたちがあるのかどうかも定かでない
でもだからこそ手を入れて行く価値をわたしたちは見出し合う
その先を見たいわけではない
明るい未来がそこに見えるわけではない
素晴らしい作品をつくりたいわけではない
私たちを繋ぎ止める何かが欲しいわけでもない
いまそのままでいい
結局そこかと罵られても仕方ないが
ただなんとなく、そこに向かえと
もうひとりの私が言っている気がするのである
分かりやすい丁寧な解説つきの見方を強要される絵で納得されるより
アノニマスでありながらその画面一つで心を打つことができる何かを探す
それが私たちの旅するもの同士の暗黙の了解である

実りと代償



柿やキウイを収穫。といっても、食べないとカラスの餌になるだけです。一人暮らし時代、町の方の青果店では柿が一個100円と書いてあるのを見てとてもカルチャーショックを受けたことを思い出します。小学校の通学中にそんな高価なものをかじっていたのかと。いまのうちは持ってけ泥棒です。
あと、町内の方から大きな松茸をいただきました。うちの裏山でも腐る程できていたのですが、山陽自動車道ができてからできなくなってきました。何かを得るということは何かを捨てること、ということで実りが減る分利便性は得られたのは事実ですが、この代償は大きいのかどうなのか、まだまだ未熟者の私にはどうなのかは分かりません。
コンビニはあればいいけど、なくてもいい。
高速道路は過剰になくてもいいけど、あればいい。
経済性優先の原理を外して、生活の中での必要十分条件をたまには考えてみるのも有用かもしれません。
本当に必要なものは何だと思いますか?



さあさあ明日から日常の中の、非日常。建築素材合宿が始まります。
その模様はまたレポートしますね〜
淡河そら祭りの新しいフライヤーできました!
たくさん刷ったので欲しい方お配りできますよ〜!
風景を創る要素

姫路の現場でガスバーナーを使い、実際に外壁に使われる杉板を焼きました。
密閉された部屋で熱気と二酸化炭素とほこりのたちこめる中、5000枚は焼いたでしょうか?残り半分強。まだまだ焼きます。
施主さんにも焼いてもらいます。
これも家を愛するために必要なプロセスというか、儀式のようなもの。
帰宅すると大勢の若者たちがお出迎え。8年ぶりの再会や、嫁入り前の恩師も。
皆様をツリーハウスにご招待。
ゆるりと自由に時を過ごしました。

後でふと思ったこと。
求心性のある空間に集まって、輪になって座って、それぞれが自由に過ごしている様子...
これぞまさに、ツリーハウスにとりかかる前、いまから約2年前に描いた光景でした。
こうやって本気で妄想することでそれを想い続ければそのうちカタチになることがまたひとつ体現された夜でした。
素人がつくるかプロがつくるかは関係なく、病的なまでの何かに対する信仰心というか執念のようなものが人を動かし、今後も残っていくもの、風景をつくるのではないか。
どんな文化遺産もかたちが美しいから美しいのでなく、愛されて来たから美しくいられ続ける。
その人の手の入り方、ものと人の間に営まれる関係性が美しいのだと思う。
(もちろん形が美しいということはたいていそれだけ人の手が入っているので愛される要素であるが。)
この淡河町は歴史があって、重要な文化財が残っていて、安土桃山時代に豊臣秀吉がどうしてなんて、聞き飽きた。
今の村の風景や営みは伝統や文化財などが創り出しているのか?
いやいやそれ以上に、今の人間の営みが今の風景を創り出しているのでしょう。

ということで、0歳から100歳オーバーまで。今の村の風景をつくる人達を載せます。村の外からでも淡河を知る人なら大歓迎。淡河そら祭りに向けて、淡河人物名鑑2009製作中。
ちょっとそこまで
竹を取りに行って先日流しそうめんをしてみました。
その竹を今度はひたすら割いています。何に使われるかはお楽しみで。

果たしてここには何もないのか、何でもあるのか、どちらでもないのか。

まぁその答えは人それぞれでしょう。
今日は小中高と一緒に通った友人がお盆の帰省ということで突然遊びにきてくれました。5年ぶりとかでしょうか?それだけ久しぶりでも少人数の自然に囲まれた学校で幼少期を共にした淡河の友人たちは昔とあまり変わらず、気軽に話せる人たちです。あまり変わらない...いやいや、お綺麗になられていました。たまたまブログを発見してくれて見てくれているみたいで、嬉しい限りです。研究に就職活動に、がんばって!
さぁさぁ皆に負けじと、今夜もひと踏ん張り!なんだか歯車がまたひとつ噛み合った感覚。

PENTAX K20D, 1/20, F5.6, 10mm, ISO400, MF, smc PENTAX-DA FISH-EYE 10-17mmF3.5-4.5ED
cott RURAL CULTURE DESIGN LAB.
光の濡れ具合と、散らかり具合が美しく見えたので...笑

GR DIGITAL, 1/10, f/2.4, 5.9mm, ISO-AUTO, AWB, GR LENS
グラフィック、ウェブ、写真、映像、建築、いろんなものがここから生まれます。cottツリーハウスデザイン研究所。農村文化発信基地。OGOGOGO PROJECT事務局。cott DESIGN LAB.。はい休憩おわり〜
ART LIFE
昔所属していたアートイベント団体の人たちと久しぶりに会ってきた。
いなかスイッチという雑誌の表紙に載っていたり(サインをもらう)
PHaT PHOTOという写真誌の特集に載っていたり
地方新聞に載っていたりと
いろんな道の先端に立って活躍されているようで非常に嬉しく思います。
久しぶりに若いアートのエキスたちに刺激を受けたので余裕ができたら
越後妻有アートトリエンナーレ 大地の芸術祭2009にふらっといこうかという気分。もしくはインドに?笑
「人間は自然に内包される」
まさにそのとおりだと思います。
行ったら、彫刻とかインスタレーションがやりたくなってしまいそうなのが怖い...。笑

PENTAX K100D, 1/15, f/1.8, 55mm, ISO400, MF, Surper-Takumar 55mm f/1.8
最近買った数十年前のすべてマニュアルで露出を合わせるねじ込み式単焦点レンズですが、なんだか不思議な映り方をしてくれます。あるはずのないものが見えるレンズ。フィルターのせいなのか...?
A letter to ...

手紙を書いた。
と、いっても用事のついでに、さっとメモを添えた程度だが。
粗雑なつくりだとしてもやはり手書きはいい。
よっぽど有名なデザイナーによるDMなんかよりも、人を動かすもの。
メールや印刷物、同じかたちの複製品ばかりの時代だからこそ、より、伝わる。
その字をまじまじと見ていると、書いているときの感情まで伝わってくるかのようだ。
これは今後も機械なんかに替われないし、替わらせない。
見た目がどうこうという話ではなく、本質はどこにあるかを見極めたい。

PENTAX K20D, 1/90, f/5.6, 300mm, Auto-ISO(400), MF, smc PENTAX-F 100-300mm f/4.5-5.6
事務所から外を見れば車のアンテナに仲良し夫婦が2匹。
背景が綺麗な緑の田んぼのおかげでより鳥たちが引き立ってくれる。
まちで仕事をしていないからこそわざわざ出かけなくても撮れる日常の一枚。
記憶
写真の整理をしていたら6年前のスケッチがでてきた。
いまの自分はこのときの自分の意志に勝っているだろうかなんてありきたりのことを考える。
そんなひょんなことがきっかけで突然頭の中の黒い世界を白字でゴシック体の文字がつぎつぎと巡る。
ときどきやってくるこういった瞬間をストックしたくなる衝動はどこからやってくるのだろうか。
ストックしたところで死ぬまでその意味を悟ることは例えば確率にして1%にも満たないだろうと思うのに。結局その根源的衝動に従うことで無意識への探求の過程を自身で楽しんでいるのだろうか。
いずれにせよ、こういったものをまとめてまた自主制作をしてみようと思う。
記憶ーーーそれは水のようにあいまいでつかみどころがなく静かで、何かの要素が重なって時に暴力的に変化する。
日々暮らす毎日が透明化している
目の前を横切るものがいまここになく映像のようにつかみどころがない遥かむこうの世界であるようで
しまいには目の前に存在するもの全てが自身とは無関係であるような感覚にしばしば襲われる
果たしてそれを疎外感と呼ぶのが適当であるかは私には分からない
そんなことをひたすら難解な文字を並べ立てて論じるのは白い口ひげを蓄えたどこかの哲学者に任せておいて
いますぐ都心のビルの屋上から大きな筆で
空を真っ黒に塗りつぶして目を閉じ飛び降りる
闇に支配された静寂の世界をゆっくりと沈んでいく
暗闇から伸びる細く伸びるうっすらと光を纏った白い糸をするするとたぐり寄せる
その先にうっすらと見えてきた強い光を見る
何もかもを放り投げて必死に足をばたつかせて
(〜以下略)
またそのうち映像になるか絵になるか写真になるか文字のままなのかいろんな分野が合体するのかはわかりませんが、まとめて発表するので続きはお楽しみということで。
以下、ファッションデザイナーの友人の受け売りですが、
商業戦略にやられて右向け右で石ころさえ宝石に見える頭にさようならを
協調性は適当にやっていればだれでも身につけられる
意思はよろしくやってるだけではそうはいかない。
ニッポンの夏
カメラを背負って事務所から自転車で坂を下ること約30秒。近所のまつり、勝雄天神祭へ。

f1.8/55mmの新しいレンズで試し撮り。
新しい、といってもオートフォーカスもくそもない数十年前のねじ込み式マニュアルレンズですが。
レンズの明るさに感動。しかしピント、合わず...。要練習。
夜の撮影やハコでのライブなどで役立ってくれそうです。
これから3台体制で気合い入れてこうと思います。
ヨーデル食べ放題、生で初めて聞きました!
こころ動かすひと
事務所へフェアトレードのコーヒーを売るお姉さんがやってきてコーヒーを購入。

表情にやさしさがあふれ、いきいきした、素敵なお姉さんでした。
少し顔を合わせただけで人をあたたかい気持ちにさせる。
そんな人がこうやって途上国支援のために東奔西走しながら資金を集めている。
3秒で即購入を決めました。
デザイナーなんかであるよりも、そんなまっすぐで全身から優しさや生き方がにじみ出るような人でありたいなぁと思わさせてくれました。
ただの募金でなく物品を購入しているので募金という感覚にならないのがいい。
ウガンダでいろいろと肌で感じてきてまたぜひ私たちに伝えて下さいね。
最近あまり遊びで街にでないので募金していませんでした。
まぁそれにあまり自責を感じてはいないのですが。例えば打ち合わせに遅れそうですごく急いでいるときに○○ちゃんの心臓手術のためにご協力をと言われたところで立ち止まらないし、だからといってもしあなたが心臓病になったら急いでいるといういる理由で見捨てられてもいいのかという質問をされたところで、見捨てられない方がいいと答えるしかない。世の中のその種の質問全てに付き合えるはずがないので。
ひとりの先進国の心臓病の幼い命を救う額で途上国の命をいくつ救うことができるだろうかという愚かな費用対効果をなんとなく計算してみるなんてこともしない。いのちは等価であると普通に考えれば、そんな額で心臓病のひとりのいのちを救うくらいなら途上国のいのちを多く救うべきだという結論になるが、いのちの価値を論じること、比べることなどできない。なぜなら人はみないのちを持ち、それを失うからだ。あいつは死ぬべきだと多数決で殺されてはひとたまりもない。人間の価値を比較することは人間にはできない。
ただし、信号待ちやゆっくり歩いているときなどではそれが倫理に反したものでないと判断できる限り何であろうとほぼ必ず募金する。ただし、極めて小額だが。
金額ではなく若者が募金をする姿に意味がある。
人は常識や習慣といったものに自分たちで思っている以上に縛られているので、通常、何か行動を起こす時にその行動が正常である指針を認識してから行動する。若者により顕著な傾向だろう。
だからこうやってお金を募金することが正常だとそこに居合わせた人に示すのだ。
そんなことを考えて募金する人など、ただのおかしな人かもしれないが。
それ以外は、顔の見える相手にはよく募金する。
物乞いにはこっそりお金もあげてきた。
それが目の前で具体的にどう役に立つか見えるからだ。
具体的に途上国で自分の寄付金が具体的に○○くんの予防接種に使われたなど、どうなったかわかれば支援ももう少し増えるのではないのでしょうか?
写真はインドブッダガヤにあるニランジャナスクールという孤児院のまわりの風景。

話がそれたが、言いたかったのはデザイナーとしてつくったものがどうとかではなく、その姿勢、立ち居振る舞いから心動かす人でありたいなと思わされたという話。
事務所がいい香りに包まれています。
こんな日は穏やかに。
青柳拓次
"たであい"
闇に舞う光のしらべ

最近星が綺麗だと 思うことがなかったのは
単に私の目が曇っていたのか
月がまぶしすぎたのか
見上げることが少なかったのか
はたまた光ばっかりを見ているからなのかは定かではありませんが
今日家に帰ってくると最高の星空が出迎えてくれました
都市の描く幻想に踊らされないで
一歩ずつ。






リセット完了。明日は地鎮祭。
ブログのシステムメンテナンス終わりました!
TODAY'S DISC
pupa
"ploating pupa"
霧晴れて

きっと延期だと思いつつも京都からの帰路で徐々に雨上がり、今年も中学校にあつまってソフトボール大会。

1年間でここでしか顔を合わせない人もいますが、とてもいい世代間交流の場です。
いつでもどこでもな時代において薄れ行く、こういう共同体に属しているという感覚は、今後の時代をつくる鍵となるのでは。
昼下がりにはこれでもかというぐらい快晴。
筋肉痛とひねった足が痛い。

まちとむらを繋ぐ活動をするにあたって最近考えていること。
それぞれ自分の生まれ育った環境に感謝し、還元していくこと。
まず一番身近にあるものを大切にすること。
その意味で沖縄に移住してゆっくり暮らすなどということはあまり快く思わない。
もちろんそれが悪いというわけではなく、なんだかまるで逃げているようだから。
ただそうやっても生活が成り立つ。
そういう意味では非常に豊かになったなぁと感ぜざるを得ない。
身近な環境をいかに意識させ
いかに豊かさを感じさせ
モチベートさせるか
いかに豊かなコミュニケーションを誘発させるか
いかにさりげなく無意識に訴えるメッセージを込めるか
デザインはそこらに訴えるチカラを持つ。
そういえばこないだホタルも発見。
さ〜仕事仕事!
今日の音楽はしっとりな気分です。
ogurusu norihide
"modern"
当たり前に目の前にあるものから学べ

今日は近所で菖蒲と蓬をおばあさんが取ってきていました。これを風呂に付けて菖蒲湯を楽しみ、それとは別に家族それぞれがこれらを枕にしいて眠ります。ああ、もうそんな季節だなぁと。
我が家では旧暦に習ってなのか、ひと月遅れの6月5日に端午の節句をします。
季節を細やかに味わい、自然から経験的に学んだことが多く反映された暦。
自然のサイクルが当たり前に生活の中にあること。
検索すれば出てくるものでなく生の経験的知恵をいま、受け継がないといけません。
まだまだ学ぶことは多いです。知ったつもりでいることは一番怖い。
そんなはたで今日も近代的なことをしていました。
モノブロックストロボを導入したので試運転。
自分撮りですみません...
被写体がいなかったのです...
と、思ったけどテスト撮影の割にはちゃんと撮れたのでちゃっかりこの写真採用しときます...
さあさあ今夜は意思を貫きます。
どこにいたって、何をしたって、どう感じ、どう動くかは全部自分次第。若いうちは「死ぬ気でやれよ、死なないから」で走ります。
今夜の音楽
Ryuichi Sakamoto
"/05"
当たり前に目の前にあるものから学べ

今日は近所で菖蒲と蓬をおばあさんが取ってきていました。これを風呂に付けて菖蒲湯を楽しみ、それとは別に家族それぞれがこれらを枕にしいて眠ります。ああ、もうそんな季節だなぁと。
我が家では旧暦に習ってなのか、ひと月遅れの6月5日に端午の節句をします。
季節を細やかに味わい、自然から経験的に学んだことが多く反映された暦。
自然のサイクルが当たり前に生活の中にあること。
検索すれば出てくるものでなく生の経験的知恵をいま、受け継がないといけません。
まだまだ学ぶことは多いです。知ったつもりでいることは一番怖い。
そんなはたで今日も近代的なことをしていました。
モノブロックストロボを導入したので試運転。
自分撮りですみません...
被写体がいなかったのです...
積み重ねて

これから日々の積み重ねを画像にして更新して行こうと思います。どんなに忙しくても外出時でも時間をとってそのとき思いつくコトバや絵、など殴り書きでもいいので書き貯めます。
きっちりやるときはやる、やらないときはやらない。基本的だけれども大事。
忙しいという言い訳をしない。
正直に、誠実に。
背伸びをせず、ちぢこまらず、等身大で。
背伸びなんかしなくても、そこに意思があれば大丈夫
いまやるときめたら今、やる。
次は頑張るなんて未来系のことばなんか吐いている暇があれば
確かな今、目の前に向き合って。
久しぶりの更新ですが、そんなことを思う最近でした。
最近は姫路の住宅の実施設計や、近所の確認申請、飲食店のメニュー、グッズのグラフィックデザインなどをしています。
下の画像はだいぶ前に制作した映像『REBORN』のラフのサムネールたち

目の前に徹底的に向き合っているばかりだと途中から何をやってるのかわからなくなりそうなときもありますが、たまに振り返ってみるとちゃんと積み上げてるんやなぁと思います。
きっちりやるときはやると決めたものの、もう雀の声が聞こえてきました。
言い訳はしません。いくら偽っても変えられないのは事実。
but it's All right.
Live for the moment, Boys!
ハナムケノコトバ
遊びを消費するよりも遊びを生み出せ

そして信じろ
2006年3月バラナシにて。
3月のデリーへの最安航空券が往復35,500円でした。きてますね、円高。まあサーチャージが安くなるのは4月からみたいなのでその分の値下げでしょうか。
まだ学生してたなら絶対2日後にでもぽちっと飛んでましたね。
インドから仕事ないかな〜笑
まぁまず目の前のやつですね。
追記 ロンドンまで28,900円、シンガポール9,800円、定額給付金でいこうソウル3日間12,000円とかもありました。旅行会社がんばりすぎでしょう
高速道路が安くなるのはいち消費者、いち小規模事業主にとっては願ってもないことであるが経済の流れ方を大きく変えてしまうことを理解しフェリー会社など明らかに不利益をこうむる企業に対する保証なども十分に練った上で決定してほしかったものだ。国の政策によって東奔西走しなければならないなど馬鹿げたことである。お得だからと単に消費を喚起するのみではなくいいかたちでの経済の流れをつくってほしいものである。
住まいについて
今日は13日の金曜日。cottにも恐怖が襲いかかった。

そうこれが恐怖の壁量計算...
いえいえ、これも家が建つための重要なプロセスなのです。
丸一日数字と格闘していました。確定申告のときなんか比にならないぐらい電卓を叩きます。
他にもN値計算や採光換気排煙計算などなど...
また、建物の用途や地域、規模などによって必要な書類や手続きが異なったりもします。
それぐらいその場所に住まうということには重みがあるんですね。
「住まう」ということ、まだまだ見つめ足りないかもしれません。
人間を包み込む家とは何なのか...
学生時代に国内外いろいろと行って来た旅行で
自分と環境を隔てるための屋根があること、壁があることの安心感、柱1本だけでもそこにあることの力を思い知ったつもりでしたが、それでもまだまだ探求は足りません。それぐらい建築ってのは深い。
もう少し衣食住の「住」、住まうこと、意識してみましょう。人生をより豊かにするヒントがきっとそこに見つかります。
柱を垂直に立てるということができる唯一の生物、人間として。

ミタクオヤシン
この世に生まれる瞬間に世界の全てと契約を結び
この世から去る瞬間に世界の全てとの契約を破棄する
それが私たちの生きる世界だ
自分一つの選択は、自分以外に影響を及ぼすこと、しっかりと頭に入れて行動せねばならない。
ポジティブな出来事にも、ネガティブな出来事にも全てに感謝して。
I(私)=I以外全てのもの。
「ミタクオヤシン」とは、「わたしとつながるすべてのものへ」という意味でアメリカ先住民ラコタ族の言葉。
全て関わり合って、すべてつながっているという価値観から生まれるコトバ。
全てに意味があって、あるがまま、そのまま存在していること自体が美しいというふうに非常に肯定的にとることができる。
今日書類を整理して出てきた手紙にも何か意味があることだろう。
「変わらない今を嘆いてるより、変えられる明日に窓を開けよう」
高校時代に書いた手紙にそう書いてあった。
よくもまぁこんなキザな台詞書いたものだと思い返しながら、非常に感慨深い台詞だった。
過去の栄光にぶら下がらず、いまこの瞬間に全力で向き合う
当たり前だが、改めてcottに全力投球させていただこうと思う。

わたしとつながるすべてのものへ...
Have a happy valentine's day!
たびだちのうた
まだまだ まだまだ 未完成だけれど、
いろんな声に耳を傾けて
自分で頼りないロープを用意して
ここまできたんだから
それは それでいいんだって
未完成だって 頼りなくたって
渡ってけるんだって
そのロープ 太くするから誰かが渡って来ても
危なくないぐらいの太さのやつを かけわたしたい
だってわたしは
ほんのちいさなひとかけらだから
マニュアルなんか捨て去って
ちっぽけな夢をぽっけにつめて
行ってこいともいえないけど
そんな ほんとにちっぽけな
はかないものしか信じられないけど
信じること
ちっぽけな夢
信じなければ何もはじまらず
信じることから 全てがはじまる。
かずや、GOOD LUCK
Cha-ta
スマイルペインター世界へはばたく
http://ameblo.jp/chata0102/


日本一オフィスっぽくないオフィス
汚くてすみません。ただ使い勝手はものすごくよかです。2階には畳しいてます。
空間性の議論は別にして、こうやって空間を自分にジャストフィットさせる能力をみんなが引き出せたらおもしろいのにと思うんですけどね。
愛すべき無駄を
建築は機能的な実証を経て極めて合理的に成り立つものだが
はたからみたら全く無意味であるように見えることがすごく大切な意味を持っていたりする
はたから見たら全く無意味であるが
そこには物語がある
労力がある
それが生み出されるにはある程度の時間が必要である
そんなものがたくさんあればあるほどはたから見た人も当事者ほどではないにしろそれを豊かと感じる
そこからこの空間は豊かであるという認識に至る
豊かであるといっても、建築家にとって豊かであるという認識は無意味である
もっと下等な価値で空間を認識するのが普通であり、住宅ばかりを設計しているのにもっと高尚な空間認識を強要し、空間の形態ばかりを追求する建築家はあまり好まない
機能や形状至上主義、そこには落とし穴がある
小さな共同体で共通に認識されるものがたくさん可視化された環境で毎日を過ごすこと
これこそ自らの存在証明の証しであり幸福感ではなかろうか
そんなものを多く含んだ、そして多く含む可能性をはらんだ家をつくりたいと思う
その輪は単なる家の中で留まるのでなく。
そんなものを多く含んだ、もう少し大きな共同体、すなわち文化をつくりたい
そのためには建築のカタチ以外にも多くの考えるべきことがある
ある共同体のみで認知される一定のルールをうまく操作して共同体の在り方をうまくデザインしなければならないし、関係性をうまくひもといていく必要がある
それは図面や模型とにらめっこしているだけの普通のやり方ではできないし、
それが可能かと言えばあやしいかもしれない
だが、それを気に留めているか留めていないかでもかなりの差が生じると思う
幸い、クライアントさんにもめぐまれて、カタチ以上の部分にも踏み込ませていただいているし、ゼロではない
つまり、やってみること
Try Before you think.
Your wastes are not wastes for me.
愛すべき無駄を。

ややこしいこと言いましたが
要するに、どんなあほなことでも自分にとって意味あるんやったらそれでええやんということ
力んでいると感じた時は、大根に聞く
自信を持って思うように、やればいい。

ただそれだけをを言うべく土から出て来たとしか思えない、非常に力強い意思を感じられるこのかたち。
そう。法則なんてありません。よしと思えたそのときがGOです。
理論たらたらたれてみても、結局わたしたちは真理を知る神にはなれないので帰納的にしか生きられません。
自然界に身を委ねてみると、教わることばかりです。
予測不可能なものはおもしろい。
力んでいると感じた時は、猫に聞く
少し肌寒いぐらいの凛とした空気の中、絶えず降る注ぐ光が心地よくて長い間ベンチに座っていた
いつまでも孤独をかかえてこのままたたずんでいたいと思う夢のような瞬間
情熱的な太陽の光は冷たい空気と混じり合う
この光のもとでいつまでも思索にふけっていたい
そこらに生い茂る雑草でさえ愛しく思える。空を見上げ自然を感ずる
こんなにも穏やかな気持ちを私に与えてくれる自然
こんなにも多くの恵みを愚かなわたしたち人間に与えてくれる
これからも彼らと共に やさしく美しく強くたくましくたたずんでいよう
今日も猫がごとく スケッチブックと文庫を片手に 自由に世界を渡るのである

すみません、親バカです。
WISHES
あけましておめでとうございます。

本年度は本当にいろんなことがありました。
歳を重ねるごとにどんどんいろんなことが起こります。
目標をたてましたが、来年のことなんざ、全く予想がつきません。
明日のことすらわかりません。
見えないけれど見ようとする。
それもまたcottの原動力です。
LIFE GOER ON.
THANX FOR EVERYTIME.
THANX FOR EVERYTHING.
I WISH WE WERE TO HAVE A HAPPY NEW YEAR!!
ではでは本年度も、もっとよろしくおねがい申し上げます
2009新春 cott 安福友祐
修行


闇が世界を覆い尽くすとき
我は一点の光を見つめ
生きとし生けるものの定めを知る

灯油ストーブの火で炊いた湯で食べるラーメンは格別。

motivated people
真剣に、世の中に対して抱く想いを語り合える人がいる。
意見を共有し合い、考えを整理し、それに感謝し、またお互いが先を見て走り出す。
いい誕生日でした。
ありがとうございます。
今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

転ばない時代。
失敗を恐れるのはそもそもみんなが転ばないから。
転ばない社会はいいけれど、そもそも転ばないないのはなぜだか知らなければならない。
こんなにも転ばない靴が発明され、洗練されてくると非常に楽に毎日を過ごせる。
みんな楽をしようとは思ってはいなくても無意識的にはみんな楽をしたいし、人類の意思の統合である世界情勢は確実に人間の負担を軽減するために動いている。極端な話、重労働はロボットに全て任せられるようになり、「テーブル」と言えばテーブルが、「イス」と言えばイスが、「メシ」と言えばロボットが食事を運んで来て、人間の役割が脳みそから信号を出すことのみとなってしまうというようなことも単なるお伽草紙ではなくなってくる。それは真に豊かではないはずだ。
人間は神でないことを知り、人として真に豊かであるとはどういうことなのかを知らなければならない。
その答えとして、文化や手作り、人間同士の関係作りがくるのではなかろうか。
自分なりの空間を自分たちでカスタマイズする力をもつことで、文化(伝統的な意味でなく)を生み出すことはできまいかと、これから約1年間東奔西走する。
わだちのない道だから何度も転ぶだろうが、笑い飛ばせばいい。
1000回転んで1001回起き上がれ

自分の道を進む親友のひとり、SMILE PAINTER Cha-ta
12月に世界一周に旅立ちます。
GOOD LUCK !!
TRY BEFORE YOU THINK !!
昨日は飲食店のメニューの撮影でした。

そして個人的なこちらも。

「青のセカイ002...現実と虚構...」
SPECIAL SUNDAY
日曜日、いい天気だったので気分転換も兼ねてふらっとフリーマーケットへ。
特に何も買う予定はなかったけれど、カメラの望遠レンズを買ってしまいました。
野球選手が観覧席からアップで撮れるかなりでかいあいつ。
かなり遠くからカップルがいちゃつく様子が撮れて、報道関係者になった気分です。
青の背景に赤のランドマークが栄えます。

たまにはこんな平和な一日もいいもんです。
そんな神戸へもいらして下さいね。
秋、コスモス、戯言
やりたいことをやってそれで自分の望む最低限の生活が成り立つのなら
それは最高にしあわせなこと
改めておもう。

昔の友人の十場むぎちゃんが遊びにきてくれました。
ツリーハウスの近所で陶芸や料理教室で生計を建てられている十場天伸さんの妹さんで音楽で生計を立てようとがんばっているみたいです。
CD聞いた限り、かなりいい感じでなんだか嬉しくなってしまいました。
ぜひ一緒にぼちぼちやっていきましょうね。
よく収支のバランスを考えてとは言うけれど、
自分が支出したい金額と収入のバランスがとれていることも大事なのかなぁと
ただ、あるといいのかそれとも欲しいのかは明確にしておかないと
高価な時計やアクセサリー、バッグはあるといいけれども、欲しくはない。
議論の潤滑剤となる酒は欲しい。
コンビニはあればいいけど行ってしまうけど、いらないと思う。
もの、情報に溢れる時代なので、情報の判別はそれぞれがしなけれないけません。
そういった自分なりの価値観、判断基準は明確にもっておきたいものです。
もう一度、どんなふうな人に囲まれてどんなふうに生活をしたいのか考えるきっかけをいただきました。
ついでにお兄さん、奥さん、ちっちゃい子供さん3人に姪っ子さん、お父さん、お母さんも引き連れてきてくれて、かなり賑やかでほのぼのしました。
これからレンコンをこれからほりにいくって言うてましたが、でかい蓮根出てきましたか?
↓そんな我らが田舎の風景

来月1日十場さんのギャラリーにてイベントをされるみたいなので行こうと思います。
みなさんもいかがでしょうか?
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花咲く いなかっぺまつり
このたび、茅葺き屋根の民家を改装して、『きまま空間 いなかっぺ』をオープンします。
オープニングイベントとして、花咲くいなかっぺまつり を行いますので、ぜひ遊びにいらしてください。
11月1日(土)18時から
LIVE
十場むぎ
サマーディ(インド音楽)、美奈(三線)、熊村貴志雄(馬頭琴)、加納知之 ect............
EXHIBITION
『あかり 三人展』
つくも窯 十場天伸、あすか
細川秀章
★11月1日〜11日まで開催
FOOD
マクロビオティック カフェ一日オープン
場所
『きまま空間 いなかっぺ』
神戸市北区淡河町神影941−20
前売り 1000円 (ワンプレート軽食つき)
当日 1000円
前売りは、つくも窯で発売中
詳しくは、お電話で
090−3654−7003
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つくも窯
http://www.tsukumogama.com/
大津祭


祭の仮設性、伝統的感覚と現代性の入り交じった不思議な空気。入り交じる熱気。そして何よりコミュニケーションの場となること。好きですね。
みんなで一緒になって何かひとつのことをやること。続けること。
毎日が祭だったらいいのに。
いや、祭はたまにやるから祭ですね。
そして意外と祭がおわったあとの寂しさ、徐々に閑散としていく雰囲気も好きだったりする。

MAKE YOURSELF HAPPY
今日は某有名店舗、ディスプレー会社からオファーをいただき、打ち合わせに行ってきました
その会社が自由な社風である分、
チームでやるおもしろさとむずかしさ新人に任される業務の辛さなどがダイレクトに伝わってきて
プチ企業体験となった1日でした
会社はもっとスマートなものだと思っていたのですが、意外に学生時代の研究室の雰囲気と変わらなくて、
どこに属していても自分の意志でやってるやつはやっているしやっていないやつはやっていなくて
どんな環境、境遇にいたってそれを豊かにするか否かは自分次第
こんなにも自分の意志でやれていることに感謝
その分しっかりやらんとあかんなぁとまた今日も再確認したのでした

今日は他にもうれしいオファーが。
ひとりでやっていると人とやるときよりいっそう気合いが入ります
ひとりでいると人と会うわくわくがひろがります
くそ真面目でこそオオボケかが輝きを放ちます
正対するもの、どちらも必要なのです
コラボレーション、大好きです。
海の見える場所
海の見える場所に事務所を移して5日目
太陽が街をオレンジ色に染める夕暮れに南側の広い戸を開け放って海風にふかれながら聞くジブリsetはこの上なく心地いい
一番好きなのは、夜の灯りがつくかつかないかの風景の変わり目である18時ぐらい
私はいまどこにいてどこへむかっているのだろうかという感覚
海、山、異国情緒漂う街並み、騒音のない夜。
いい街です
ここに事務所を移すまでいろいろと捨ててきましたが、
何かを得ることは同時に何かを捨てること。
たくさんのものを捨ててたくさんのものを得て、しっかりとcottを固めていきたいと思います。
そんな深夜の決意表明。

強い剣のつくり方
いつも小難しく考えずに、たまには純粋な休みを。
たまにはおもいっきりあほになってこそ、真剣になれます
たまにはおもいっきりあほになってこそ、いい発想がやってきます
何度も熱して冷やして強い剣ができる
いつも厳しい師匠のめったにないやさしさが身にしみる
熱いサウナのあとは冷たいビールを。
甘いケーキは苦いコーヒーとご一緒に。
頭のいい馬鹿であれ



onion
学生時代の友人たちと久しぶりに会ってバーベキューをしました
いつものメンバーで笑い合っていつもの場所で集合して談笑して
本当にあの頃に戻ったかのようでした
それでもみんな別々のところで仕事、勉強をしていて
みんながそれぞれ悩みをかかえながらも
それぞれの環境の中で
それぞれが一生懸命に生きていて
またこうやって集まった場所でそれを分かち合って
そんな仲間たちが集まる空間ってすげえいいなぁと
中身も外見も含めてそんな空間をつくりたいなぁと
改めて思うわけです
たまには露出オーバーで。

たまにはフラッシュで。

Life is like an onion.
You peel it off one layer at a time,
and sometimes you weep ...
受け売りですが、いいことば。
今日もたくさんのひとたちと、生きています
時代を考える
1週間の出張を終えて、先程帰宅。
今回の出張は神戸→大阪→奈良→滋賀→京都→大阪→神戸と、関西に小さな輪を描いた。
いろんな方と会って、その分いろいろ感じた。
人と会うほどに自分の甘さを痛感する
人間の奥底に巣食う闇が露呈する
のっぺらぼうたちが笑う
そんなときはまず闇を直視する
自分が前に進んでないとぼくは先を見失い
ぼくは僕が見えなくて僕しか見れなくなる
だからぼくは限られた世界で必死にもがく
たまに誰かが遊びにきてくれる
それぐらいでちょうどいい
人に会いすぎたので、消化作業にいそしみます。でないとどこか宙に浮いたような感覚に襲われる。というわけで今日はちょっとおもしろくない雑談を。
人間誰もが誰もを信頼できる世の中、これは一見コトバヅラは理想に思えるが、どうもそうは思えない。どうあがいても人間の同士には理解しあえないところは全くぬぐえないから、誰もが誰もと仲良くなれない。血が出ようとも、血がでまいとも。その延長のようなものが性に合わなければ戦争する。だからもしかしたら今が自然で平和な世界そのものなのかもしれない。国民の意思の統合同士が喧嘩をする。性格、つまり気候風土の違いなどからくる宗教、文化や習慣などの価値観が違う。だから無責任にSMILE、PEACEなどと叫べない。主体的にたくさん募金等もしないし、酒を飲んでCDや本を買ってこれだけ十分に余暇活動を満喫しているのだから。慈善活動を慈善活動と思ってやっている時点でもしかしたらその資格はないのかもしれない。
秋葉原で起こった加藤の事件も同じようなことなのかもしれない。こんなことがなぜ起こってしまったのかと言われるが、私には起こるべくして起こったように思えて仕方がない。むしろよく今まで起こらなかったなと思う。
今回の事件の特質は、容疑者の気持ちがわかるという者が大勢いることだ。私自身も全く理解できないことはない。 にもかかわらず読売新聞のコラムとして長年の実績と信頼を誇る「編集手帳」のこの事件に関する記事の中に「世の中が嫌になったのならば自分ひとりが世を去ればいいものを」という見過ごすことの出来ない論調があったらしい。写真家の藤原新也のサイトにそのような記述があった。年々、自殺者は増加しているという統計にも見られるように、加藤予備軍がかなり大勢いると推測することは容易であるにもかかわらず、彼らに一人で死ねと言っているのである。 世を洞察する大メディアの頂点はしょせんそのようなところにしかないのだろうか。情報が膨大にあふれるこの世で信頼できる情報は数少ない。この事件は情報ネットワーク上での血の流れない戦争のごく一部から血が流れた、ただそれだけのような気がする。他の冷戦を戦争化させるひきがねにもなったかどうかは今後の動向を見守ることとする。
人の命は重い。この事件は人間が透明化しているこの時代に対して実はそれはとても簡単に奪われる軽いものだということを思い出さねばならないという警鐘なのかもしれない。
自らの目とで見て体で感じて自らの頭で考える。その点で旅することは非常に有用である。
このような事件がもはや普通になりゆくかもしれない時代をどうすべきかに対する回答を、小さなネットワークで循環する文化やコミュニティをつくるという帰納的な対策により提示しようと思う。まだその計画は水面下で進行中なので、実現が近くなってきたら具体的にここに書こうと思う。
MUSIC HOUR
昨日やっとひとつ山を越えました。某国家資格の一次試験通過です。
そして今日たまってた領収証類を出納帳に記帳していくと、ちょっぴり赤字気味。
勉強のために2週間仕事を減らしてきたので当たり前っちゃあ当たり前。出納帳は正直者です。さあーて今月はとりあえず減給で、サボってた分とり返しますかー!毎月固定の給料でなく、がんばった分だけの給料って物々交換の延長にある原初性を持っていておもしろいです。
木々は元気です。自然は強い。

家にいること、人に会いにいくこと。
根ざすこと、訪問すること。
この両極があってこその根ざす意味、訪れる意味を思う最近。
ノマドスタイルでも仕事が成り立つこの仕事はとてもおもしろい。
I miss India...

3度目の朝焼け
ここのところ朝焼けを見る生活です。みんなの一日の始まりに一日が終わってしますのはよくないですよね。今日は大阪でアジアな服+音のイベントに友達が写真家として参加してたのでいってきました。やっぱり音、服、好きなことを再認識。
そのときにお店の方とお話しさせて頂きました。事務所を立ち上げた想いですとか、今後どんな風に生きてきたいかなどをお話しさせていただく上で、当初の気持ちを思い出すことができ、今の気持ちを再確認することができました。やっぱり人に話すことって大切です。改めて。たまにきていただける方などは非常に嬉しく思います。いまはひとりでやっているので仕事中はその環境がないことが難点ですが、cottが自分以外の人の生活を十分に保証できるぐらいにもってけたらパートナーと仕事ができればなと思います。今こそふんばらなければ。
そのお店の方は、絵を描いているけど、なんかみてもらいたいかもしれないけど、なんかよくわからない。そんな想いを受けて、いろんなアドバイスをさせていただきました。とりあえず、画像など送っていただけたらcottのホームページにのせますよー。応援します。
「絵を描いたよー、服をつくったよー、ケーキをつくったよー」というステキな皆様の作品たちを今後もじゃんじゃん載せていきますのでお気軽におっしゃってくださいね。皆の妄想を具現化する手助けがしたいです。
誰もがその体と心をもってものをつくることができて、それが特定の人に対してつくったものだったりすると、それはその人たちの中ではよくわからないピカソの絵だったり、エルメスのバッグよりも精神的価値が生じるのです(エルメスに自分の中での特別な価値を見出せている方に対しては別かもしれませんが)。普遍的価値よりも、この精神的価値に焦点をおいているのがcottです。バレンタインデーに好きな子からもらった10円チョコの包み紙を捨てるのをためらいませんか?
そのため結果的に仕事は小ロットのものが中心になっていますし、今後もそうしていくつもりです。
みんながいろんなものをカタチにできるという気持ちを持って、身近なものをかたちにする技術を少しでももつことができたらと考えると、最高に幸福な風景が私のまぶたの裏をよぎります。
まずはそれを私自身が体現していかなければなりません。「みんなでつくりましょう」「私もつくりますので」というスタンスでぼちぼちやっています。今はツリーハウスの次のプロジェクトを思案中です。

そして大阪遠征からの帰路にて久しぶりに見た夜景。空気が澄んでいて、大阪まで見えました。やっぱり神戸はいい。これらの光それぞれに物語があるんだなぁと思うとなんともいえない素敵な気分をいただきます。cottを訪れてくださった方はついでに夜景でも見に行ってみては?

安福友祐

- 基本情報
- cott代表
- 神戸市在住
- 1985年12月2日生まれ
- O型
- 立命館大学
建築都市デザイン学科卒業 - 専門分野
- 建築デザイン
- グラフィックデザイン
- ウェブデザイン
- 映像
- 所属
- cott
- OGOGOGO PROJECT
- eco -enjoy communication-
- 冨紗家企画室
- 神戸市北消防団員
- すきなもの
- 美術
- 本
- 音楽
- 友達
- 猫
- カメラ
- ファッション
- 絵
- すきなこと
- つくること、日曜大工
- さがすこと、問うこと
- みつけること、知ること
- 纏うこと
- 綴ること、切り取ること
- 食べること、飲むこと
- 人といること
- ひとりでいること
- 猫をおいかけること
- 空をながめること
- 好きな国,地域、場所
- バラナシ(インド)
- カトマンズ(ネパール)
- カンボジア
- バンビエン(ラオス)
- パーイ(タイ)
- 神戸
- ツリーハウスのベランダ
- 家の屋根の上
- 野望
- カフェ営業
- 村をつくる
- エベレスト登頂
- 世界旅行
- メッセージ
- おもしろそう、何か一緒にできそうだと思われた方、ピンときた方、お気軽にご連絡お待ちしております!
you@cott.jp



