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美の寿命

先日、80~90年代の女優やアイドルの写真集を100冊程譲り受けた。「そんなエロ本ばっかりどないすんねや」と言われたが、これも一応資料だ。すべて本棚に収める前に一応チェックしたのだが、そのうち装丁が魅力的だと思ったものは90年代の2冊。どちらも鈴木成一デザイン室だった。(ちなみに撮影は篠山紀信氏のものと宮澤正明氏のもの。)何十年も先に残るデザインを追求していくことばかりがデザインとも思わないが、15年先ですら廃れない感性でものをつくることの難しさを感じた日常のひとこま。

当たり前ながら時代や文脈で美しいとされる価値は変わる。
(その中でも女性のヌードは大抵の文脈において美しい、神聖であるとされるが、その美しいとされる姿は変わる。ここ25年を見てもエロティシズムを感じる様の違いが多く垣間見られたのだから。自然や所謂神に近いものが美しいとされる考えが最も普遍的だ。)

デザイナーという職業として大切な感覚というか最低限持ち合わせておくべき感覚はどちらかと言えば「いま、美しく見えるということ」であるが、そこで終わらせることなく恒久的な美しさも追求したいと思うことも大切であるはずだ。特に、それが100年先も使われうるCIなどは流行に甘んじてばかりいられない。

そこで、美の寿命ということを考えてみた。
今この目の前にあるものは今このエリアでどの程度美しいと思われていて、このままのかたちであれば美しいと思われるのが何年なのだろう。来年には、再来年には…。X軸に時間、Y軸に美をおいてそれらを時間について微積分してみたら新しい評価軸ができるのでは。それを、「いま、この媒体はどの程度の美しさを求められるべきだからどういうふうにデザインし、XX曲線型のどういう数値を表すようにしました。」というようにプレゼンテーションに生かしていく。
なんていう研究者的妄想。また美大にでも行く機会があればそんな研究をしてみたい。(興味あれば誰か挑戦してみては。)その前に美を量るという無謀な課題があるし、数字、理性だけで解ける分野でもないので、あまり論点を広げすぎると最後はぐるぐるしてしまいそうですが。

そんなことを考えつつも、美を判断する感覚にできるだけ敏感であるために、美術や風土はできるだけいろんなものを見ておくのだ。もちろん、ただ単に美しいと多くの人が感じるものをつくることがデザインでもないが。
今日も旅をしよう。
シンガポールの風景
ペナン島より
山と橋と人間と
カンボジアの遺跡
Y

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