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Tweets -はてしないたわごと- Archive

Original Sources

蜂の巣
たとえばハニカム構造を知っているデザイナーは多いとして、
ハニカム(=蜂の巣)そのものをじっくり見たくなってしまうのです。

発想の源はできるだけプリミティブなところに。
大前提がいとも簡単にに覆される時代だからよりいっそう。

There are many designers who knows honeycomb structure.
When I knew it, I had no choice but to observe honeycomb itself.

A lot of design systems are based on the natural world.
That’s why I work here close to laws of nature.

yasufuku

おくりびと

何人を迎え、何人を送って来たのだろう。

つぎのいのちを迎えるのは
神のみぞ知る、といきたいところだが、そういうわけにもいかなかったりする。
だけど神になろうとしてはイケナイ。
埃をかぶった古民家の梁

キンタロウかいっ

I’m sure that the house have hosted quite a few people. But now, an elderly man lives in here alone. I wonder when the next resident will live in.

This movie was shot at the ceremony for the completion of Kayabuki roof. The song elderly man singing is Kintaro.

ワガママ息子とガンコ親父

今日は農村のリアルな話をひとつ。

上の世代が幅をきかせて下の世代が言うことを聞く。そうやってさまざまなものが受け継がれてきた。しかしそれが破綻をきたしている。あくまで、うちの地域で暮らす実感に基づいての話だが。

長年、少人数の中で一緒に過ごしてきた横の糸はある程度堅固に保たれているが、近頃は縦の糸がどうも弱い。どうにかその縦の糸をつないでやりたいのだが、下が上を嫌がって、上が下を嫌がる。上にどやされれば、下はミサイルをボタンひとつで発射するかのように、出て行くという究極の選択肢を容易に出せる。上も下のことを思ってそれを望むケースも多くある。私自身も万が一、何か重大なへまをしでかしてバツが悪くなったら何が何でもこの地域に食らいつく自信は正直あまりなかったりする。(もちろんここで仕事するにあたってそういった細かな配慮をすることは責任なので、日々細心の注意を払っている。)その傾向は特に仕事をするようになって、中途半端に力がついた私たちの世代において顕著だ。

誤解を恐れず言ってしまえば、そんなふうに農村地域の若い世代がひと世代、ふた世代前よりもわがままなのは事実だ。それに対して上の世代が優しくなりすぎているのも事実。選択肢が広がれば広がるほど、世界の均質化が進めば進むほど、農村のこれまでどおりの受け継がれ方が適さなくなるのは間違いない。

だが、それはもう止められない。自分はその恩恵に預かって比較的理想的なスタイルで仕事をしているので選択肢が広がることは何も悪いこととは思わないし、ありがたい。だが、その自己実現と血縁の呪縛の狭間でたくさんの同世代が迷っていたりするのを目の当たりにしている。仕事終わり、事務所にふらっとやってきて相談会が夜な夜な繰り広げられることもしばしばだ。

そこではさまざまな選択肢を提示しながらも、その選択肢にできるだけ地域であることを含ませてやる、というのが私個人での現状でのスタンスだ。あとは自然に知り合えるようなゆるやかな場づくり。私自身が伝統行事に積極的に参加することで同世代にも来てもらいやすくするのもそのひとつ。新たな場をさらに設けるのもそのひとつ。
あとは、たとえばそのような血にある程度固執し続けても破綻しない仕組みと同時に、受け継ぐのに相応しい心構えの者へともつなぐ新しい窓口を小さくでも開いていくことだと思っている。

June

この時期、田んぼに水が張りだす。
そっけない街灯の光がゆらゆらと水面に映る。
闇の中にこだまするカエルの声をBGMに、車の窓を全開にして、すこし湿気を含んだ初夏のかぜを受ける。
おまけに上を見上げれば煌めく光の粒。

深夜に疲れて帰宅したときに感じるそのひとときに、今日いちばんの安堵を感じる。
昨日はさらにホタルまで出迎えてくれた。今年初観測。
淡河のホタル
(写真中央下〜右下の光のスジがソレです)

ホタルといえば、蛍雪の功とはよく言ったもの。
白い壁紙の勉強部屋であかあかとした蛍光灯の光で勉強するのでなく、
電気代がもったいなくて、電気をつけさせてくれないほど貧乏でもいいからホタルの光で勉強したい。

苦労は買ってでも…というわけではない。
ほしくないものを与えられたっていらない。
手に入れようがなくてもどうしてもほしいものは自分の手で必ずつかみとる。
戦うのならがけっぷち。
決闘するなら巌流島でないと。

たぶんその状況に興奮しているところもあるのでしょう。
ほら、なんとなくクレーンゲームをやってなかなかとれなくて
持ち前の負けず嫌いを発揮して景品ゲットするまで2000円もかかったときだったり、
それほどほしくなかったものも苦労して手に入れたらなんだかいとおしいような気になるでしょう。
ずっとほしかったって錯覚かもしれないけどそれはそれでいいと思うのだ。

本気で心の底から欲しいものなんて、ほんのひとにぎりだけ。
それをぎゅっと握っていられたらそれでいいのだ。
夕方の駅のホーム
すっかり日が長くなりました。

さあまた明日もがんばろう。

y.y.

obediently

みんな持ってるコンパクトデジタルカメラ。通称コンデジ。
世帯普及率は2012年で75%を超えるそうだ。
今使っているものも長い。3年ぐらいの付き合いだろうか。
夏も近いし、ということで新調してみた。

われわれの職業柄、撮った画像は後でなんとでも加工できるため、
できるだけ特殊なデジタルエフェクトがかけられていない、生のままのデータをこれまで撮ってきた。
エフェクトをかけたものをかける前の状態に戻すのは至難の技なのだ。
だが、折角なので使うことないだろうなと思った
トイカメラモードだったりミニチュアモードも
○○風はきらいだとか、本城直樹さんが消費されているとかぶつくさ言わず、
意外に楽しいものだなと、素直に受け入れてみることにした。
(ひとまず開封後1時間ほど楽しんだ)
cott事務所

実は小さいデジカメはおそらくこれで8代目。
小さいとすぐになくすので小さいのも考えものなのだ。
つまり半数は、なくした。

もう半数は、時代に取り残された。
5年もすれば時代遅れになってしまうので恐ろしい。
カメラ付き携帯にその機能を凌駕されてなくなってしまうかもしれない。

今回のものは水中でも撮影できるので無くす確率が上がるが、
自分がコンデジに求める必要十分な機能が備わっているため小回りがききそうだ。
末永いお付き合いをお願いしたいと思う。
夕焼け

ツムテンカク準備中
ディープな新世界がもっとディープに!金土日と開催!
ツムテンカク

yasufuku

Strawberry with U

いちご

ありきたりなはなしだが、
好きな誰かと一緒に食べるものが
いちばんおいしいなぁ。

それが
もらいもので、畑で採れたてを洗わずにそのままだったりすると
もっとおいしいなぁ。

うん。おいしい。

ばあちゃんの味

たまごもち
あまいあまいたまごもち。
香川の祖母がおやつにといつも石油ストーブにアルミホイルをしいて、やいてくれた。
こどもたちはみな大好物。
事務所でたまたまもちをつく機会がありまして、初めて自分の手でつくった。
結果、まさにばあちゃんの味に。大成功。
インターネットに載らない味を受け継いでいくこと。
業や空気や知恵も一緒に、心に火を移すこと。
つばめの巣
つばめが減っているという先日のNHK NEWSをものともせず、
玄関にはうちのよりも上手な巣ぅしょってやと近所の奥様もお褒めの一品が工事中。
ツバメが減少 生息状況を全国調査

三ツ星をめぐる価値観

例えば三ツ星(の評価を受けた老舗)の味を 守ってさえいけばいいと考える日本人と 三ツ星の味はどんどん新しいことをしていかなければ 守ってはいけないと考えるアメリカ人。 その差は絶望的なまでに大きい。
さっき歯医者さんで世間話をしていたら
奥さん帰国子女でした。
日本に来ての印象を
実感のこもった語り口で。

文化とか伝統について、そういう切り口もあるのだな。と。

yy

Spring Has Come

先日カンザワも書いてくれましたが、出会いと別れの春。たくさんの新たな門出のお知らせに胸が躍る春です。みなさま、どんな一歩を踏み出しますか。今年度はどんな一年にしますか。
5年目を迎えたcottは、4年間耕した土にようやくタネを撒くことができそうです。それに少しずつ水をやって、丁寧に育てていければと思っています。ぜひその水やりに関わってもらえたら嬉しく思います。
そして、春のたくさんの決断、想いに触発されて、cottのテーマでなく、個人的な今年度のテーマをたててみました。「後悔ないよう、楽しくやろう。ご一緒に。」が今年度のテーマ。つまらんことをうだうだ言ってないで、自然に自分も楽しく、少しずつそこに関わっていければと思います。やる前にうだうだと頭の中でブレーキをひくのをやめて、人の輪が広がることで出る良さをポジティブなエネルギーに変換していきます。

そしてぼちぼちあったかくなってきたのでカンザワも毎度毎度言ってるように、ぜひお気軽に遊びに来ちゃって下さい。特に目的がなくともふらっと来て自然に親しむも良し。デザインの作業環境を偵察しにくるもよし。自然はもちろん、人の心も本当にいいところですよ。
この地域に潜むデザインはこちらですよー、と声高に言われている部分はないのですが、
どこにでもその要素を発見することができます。
デザインは本来黙っていてこそで、デザインに浸りたい人が祭り上げるものではないのでそれでいいのです。

そして何より無条件に気持ちがいい。
朝日が差す頃に深呼吸してすぅ〜っと入ってくる空気。そうしながらふと見上げると広がる空。
少し個人的精神論が入りますが、ここだったらいろんな枠から飛び出して、どこまでも自由な気がするのです。
もちろん枠の中から飛び出すことは、ときにリタイアを意味することになるので注意がいるのですが。

で、近頃画像はほぼ事務所改修写真か仕事写真ぐらいで画像ネタがないので、今日はカンザワ氏のなかなかの昔に書いた作品をご紹介。
テングイラスト塾大賞受賞作品
左下の大賞のイラストが受賞作。素敵なイラストはイラストなんですが、問題はその掲載コーナー。
知る人ぞ知る、私もチェックしていた某ファッション雑誌の隠れた名コーナーです。

ということでまたお会いされた際にでもつっこんであげて下さい。

そうそう。春には事務所前の畦にたくさんのつくしが生えるそうです。

Yasufuku

陰翳を宿す

昨年末の話。
自宅から車で1,2分のところに寺がある。山の方に向かって少し坂を登り、一番奥にある建物が寺だ。村中の家が見渡せ、一休さんの話に出てくるようなTHE寺とも言うべき寺である。以前私がその寺を訪れたのはおそらく20年近く前だったと思う。
そこで除夜の鐘をついてきた。

鐘を撞くといっても撞くだけの人はいない。何をするかと言えば、甘酒を飲んで鐘を何度かつけば後は特に何もしない。灯りと言えばお寺の蛍光灯が少しついているのと、たき火のあかりぐらい。そんな暗闇の中で火を囲い、温かい甘酒をすすりながら年末年始の談笑。何でもない話だ。火のぼうっとした薄明かりで暗闇の中に皆の顔が赤く浮き上がる。人々は代わる代わる鐘の前に向かい、大きくふりかぶって鐘を打ち鳴らす。皆、その闇に広がる鐘の残響音に聴き入る。
永春寺で除夜の鐘を撞く
普段は人も歩いていないような夜中にただ人が集まって、108回目の鐘の音を聞けばいそいそと帰路につく。今思えばあの感じは今の時代には非常に希有で、子供の頃に体験していればひとつの心象風景となっているだろうと思う。残念ながら、私は子供の頃に除夜の鐘を撞きに来たことがないのでその記憶はない。確認はしていないが、おそらく「夜更かしが許される唯一の日に起きておこうとしたが、普段慣れていないためどうしても眠ってしまい、年が変わって起こされて、眠い目をこすりながら家で神様に挨拶をし、またすぐに眠った」というパターンを毎年繰り返していたはずだ。というのも、お寺での他のイベントはよく覚えている。いや、正確に言えばイベントの内容は覚えていない。紙芝居、人形劇の内容は一切覚えていないが、お寺の本堂の広い空間に響く音や奥まった部屋の薄暗さ、裏庭のすこし肌にまとまりつくようなじめっとした感覚やそこから一望できる村の風景の爽快さなどは感覚として焼き付いていた。除夜の鐘の残響音と暗闇の中で、風景が走馬灯のように脳内を駆け巡った。

日本人が大切にし続けてきた風景の生まれ方。

こうして直接的出来事としては覚えていないが、なぜか音や匂い、肌に感じる感覚として心の中に焼き付いている。所謂心象風景というものだろう。経験から心の中に広がる淡い風景。それはきっと日本人が大切にし続けてきた風景だったのだろう。詩的で、曖昧で、朧げで、はかなげで、日本的で美しい。昨今のように陰翳を消すのでなく、陰翳を愛でることで日本古来の感覚が磨かれてきた。自然に親しみ、その場所特有の湿気の多さや季節の移り変わりを認め、巧みに生活と自身の感覚の中に取り込んだ。

目を瞑れば闇の中からふつふつと湧き出てくる。そういう故郷の心を宿らせた風景はその土地の文脈を継いでいくための仕組みとしても重要な役割を果たしてきたのだろう。日に日に農村地域の生活に潜在する哲学に感服する日々。そういった闇や湿気を愛でる作法は今の日本にどれほど残っているのだろう。この場所にそれがまだまだ残っていたのは私にとっても新たな発見となった。というのも、うちの集落の全世帯が同じ宗教で(近年は一部違う家もあるそう)、その寺の檀家さんだそうだ。まだそういうものがかたちのみならず、思想として残っているのだ。そういうところを考えると、まだ新規住民が入って融和するというのも少し難しいところもあるかもしれないが、ひとまずその議論は今は置いておこう。

陰翳を自身の中に。

もちろんそのような日本人が生きてきた風景をむやみに肯定するつもりはないが、私個人としてはその地域の文化コードを引き継いでいくという意味で大切にしたいと誓った年明けだった。きっとそれは論理で語る高尚な方法論よりも優れたものであり続けうると思っている。コミュニケーションの対流を生み出すために、頭を使うのではなく、寄り添うのだ。ひとまず寺子屋などと呼ばれていた頃のように、もっと生活の身近な所に取り込みたいと思った。陰翳を礼讃しているだけでなく、陰翳を日々に宿そうと思った。年始に和尚様の奥様と少しお話させていただいた際、お寺にはいつでもぼ~っとしにきてほしいとのことだったので後日ぼ〜っとしに行った。そうすると、ご丁寧に寺中の所蔵している歴史的なものから建物まで全てご案内いただき、おまけにお茶までよばれてしまった。
今度、月一回細々と開催している写経の会に混ぜてもらうことにした。次はぼ〜っとできるのだろうか。(いま写経に来られている村の方々は饒舌な方ばかりだそうで…。)

座禅や写経、精進料理などが流行っているようだが、観光でなく、できるだけ日常として体験して欲しい。
ぼ〜っとしている時間を優雅と捉えるか、退屈と捉えるか。(決してスローライフという意味ではない。)
そんなところにいろんな問題をほどく結び目があるような気がしている。

淡河町勝雄の風景
神戸ルミナリエ
神戸イルミナージュ

余談だが、神戸市中央区では「神戸ルミナリエ」、神戸市北区のフルーツフラワーパークでは「神戸イルミナージュ」なるイベントが開催されているが、「ヤミナリエ」なんてものをお寺でしてみたいな、なんて思っている。
yasufuku
永春寺からの風景

わらしべ感覚

むか〜し、むかし。学生の頃の話。

旅行が好きで日本へ海外へとふらふらしていた頃。

いろんな旅行で取り溜めた写真群にそのとき感じていたメッセージなんかを載せて
ミニ写真集に仕立て上げて学園祭などで販売していたことがある。
デザイン性もくそもない、いまとなっては恥ずかしい代物なのだが、それについて忘れた頃に
久しぶりに再会する友人や購入していただいた方などからメッセージをいただく。

あのときはそれなりに真剣に考えていたものだから
その度にいろいろと思うところがあって
そんな小さな繋がりとまた先を見る意欲を生み出すきっかけをくれた
当時の自分とそのまわりの人たちに感謝である。

100均でファイルを5万円分購入してひたすらカッターで断裁してファイルに入れこんでいくあの果てしない作業。手伝ってくれた友人にはきっと一生感謝をする。

仕入れ値が105円、印刷代がほぼ0円(学生の特権をフル活用)、売値が確か300円。
人件費もくそもない仕事。
だけどその売り上げをきちんと貯金して
型落ちで安くなったエントリー機種のデジタル一眼レフを買った。

自分の力で社会にアプローチし、お金を生み出し、それが仕事の糧となる道具に換わった。
もっともプリミティブな人間とお金の関係を体現した瞬間だった。
いわば、わらしべ長者のような感覚だ。

よくも悪くもひとりでやってる間、その感覚はしばらく続いていて、
いまとなっては小さいなれども写真スタジオを持っている。

だから何だということもないが、
なんだかいろんなものやこと、ひとにいつも感謝をしている。
そうやって生きられている。
そういう意味で、これはまだまだ続く延長戦なんだろうなと。

朝もや

ここにわざわざ書くことでもないかもしれないし、
何でも感謝とかを口に出して済ませてしまう非論理はあまり好きではないのですが、たまには。

改めて考えると家の近所もドラマチックです。

今年はすこし早めに振り返って、いいスタートが切れそうな予感です。
yasufuku

How to draw a line

たとえば一本の線をどう引くか、もしくは引かないかという問題についてしばらく考えている。

白い紙にまっすぐな一本の線を引くとき、中途半端に濃い線をいきなり引けば曲がってしまうし消しにくい。その紙に極めて薄い下書きをして濃いまっすぐな一本の線を引く方がいい。

ただし、それは紙が白いという前提での話だ。
多くの場合、紙は白くない。特に農村地域において。

またその紙をじっくり観察して、薄い下書きをたくさん引くことからはじめようと思う。
そしていかに短く濃い線を引くかに徹する。
それがひとまずの結論。
神戸デザイン対談
神戸デザインエアポート2011終了しました。イベントにお越しいただいたみなさま、応援していただいた企業のみなさま、出品者のみなさま、厳しくも優しい諸先輩方、そして実行委員会のみなさま、本当にありがとうございました!
神戸デザインエアポート実行委員会
と、同時に淡河の文化祭。海と山のええとこ取りな週末でした。
淡河のおかあさん方の手料理
淡河町文化祭にて瓢箪を展示
瓢道綱領
飄々と謙虚にくびれよう。
yasufuku

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