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Rocal Design Life -農村デザインの日常- Archive

Anonymous Design

粉末生姜
古民家を掃除しながら、インターネットや本でも見たことの無いグラフィックデザイナーの仕事を目にする。
そういえば昔はデザインはアノニマスなもので、どちらかと言えば労働の世界。今のように作家性がどうかなんて言われてなかったと思う。誤解を恐れず言えば、私にはそっちの世界がきっと心地よいのだと思う。記録に残らなくてもいい仕事をしたい。名もなき良い仕事に触れると、純粋にそういう気分を思い起こさせる。これはどんな仕事にも通ずることだ。

戦前のビール瓶も発見。昔は一流デザイナーの世界にも手の跡があって、今とても身近に感じるなぁ。
昔のアサヒビール

残すものと捨てるもの

洗濯機の水はすすで真っ黒
消防の半纏を洗濯
所属する消防団の半纏(はんてん)を捨ててしまうと言うのでいただいて帰ってきた。(というより捨てたという事後報告だったのでごみを漁った。)イベントのユニフォームによさげではないだろうか。とりあえず洗濯機に放り込むとたちまち水が真っ暗に。何十年もの間火災現場で活躍してきてススが溜まりにたまっていたのだろう。(昔の田舎の男たちの集まりには洗濯という発想がきっとない。)
時代の変化とともに使われなくなったものはただの置物なので、残すべきものを判断するのが難しいが、多くの家にはこどもや孫に見せてやりたいものという基準で置いてあるものがあり、私も同じような基準はしっかり受け継ぎたいと思う。

そんなわけでまずはなるべくものを残しながら古民家掃除中。今、ものは一度どこかが壊れると捨てられてしまうが、昔ながらのプリミティブな道具は直して使うものだったので、一見壊れたり錆びたりしているものもちょっとした修理、メンテナンス方法を知っていれば十分に使える。おかげで私はそんなもの捨ててしまえと言われてしまうタイプの人間だが、貧乏臭いのでなく、MOTTAINAIとか以前に、道具はそうやって大事にして手になじんでこそ道具だと思うのだ。そういえば、以前古民家改修をしていたとき捨てていたものや捨てるのが面倒で邪魔だったものたちは、樹脂製の工業製品や、どこかがダメになると一気に使えなくなる電子制御の機械ものだった。近代に農村へやってきた製品たちは時間の経過に弱く、すぐに粗大ごみになり、どこかの処分場へ行く。そのまま埋め立てられているのか、分解されてどの程度再利用されているのかはわからない。ブラックボックスに吸い込まれると、一気に「自分ごと」でなくなってしまう。
毎日モノやコトを買って捨ててを繰り返して生きる現代で、そういう不自然なブラックボックスを消していくことをいかに自然に実践できるかは今、必ず考えるべき問題だと思う。農村の暮らしにはそういったブラックボックスが少なく、昔のものたちに普段から触れていると、あったら便利だけど本当は必要のない機能や不自然に安い価格など、「アレ?」と思うことが多くなる。そんな環境の中、目先のものにとらわれず、本当は必要のないものを必要であるかのように思わせる仕事でなく、本当に必要なものを必要としている人に届ける仕事ができることがcottとして理想だ。

今皆で掃除している建物は約400年前に新築され、約100年以上前に大部分が建て替えられたもともと宿屋の建物で、樹脂製の現代的な生活用品などがほとんど見当たらない。おかげでいろいろなものが捨てられず、大変だ。
まずはお掃除をはじめました。興味ある方はお声掛けください。

古民家掃除

Japanese Autumn Festival

三木大宮大宮八幡宮秋祭り2015
行政区は異なれど、文化圏は同じ東播州、三木市の祭りへ。仕事場からは車で15分程度だ。

農村の祭りは米が無事に収穫できた慰労会のような意味合いが強いため、祭りを催す側の人が多い。カメラを向けてもデジタル一眼レフのカメラマンばかりが写りこんでしまう観光客の多い祭りとは違い、とても賑やかで、熱気が渦巻く。町の人たちの性格もよく出るので、その土地らしさもよく出る。
こういう地の人が楽しむのが主として催されるイベントは情報発信もぶっきらぼうなぐらいがちょうど良いように思う。そういうものは世界に誇れる文化だし、発信したいと思うのが行政的な考え方かもしれないが、もともとが自分たちが楽しむことが主であったものが、いつの間にか観光業にシフトし、何のためにやっているのかという目的が変わわってしまうと、その土地への誇りや愛着等が薄れ、イベントの精神性を失う。それが無くなれば、地域が力を失うと言ってしまえるほど、昔からの祭りには老いも若きもを束ねる求心力がある。

狭く報じる。小さく告げる。

だから我々の役目も都市部の広報とは異なる方法論が必要ではないかと考えている。具体的にはもともとあったものを損なわないよう、広く知らせすぎないことも大事だと思う。言うならば狭く報じる、「狭報」。あるいは小さく告げる、「小告」だろうか。地域にデザインを、と昨今はよく言われているが、まちでイメージされるような、いわゆるグラフィックデザインに用はないことも多いと思う。(用がなければないほど良いと思う。)

祭りの話からはじまったが、地域産業についても同様の考えでいる。ものが売れてがっぽり儲かって、新しく職人が増え、事業所が増えれば良いわけでなく、地産商品を全国規模に展開し、大量生産の方法論を導入すれば、その仕事の本質を忘れてしまいがちだ。職人芸のようなことも必要なくなり、技を持った人が育ちにくくなるかもしれない。むやみに手作業を礼讃する訳ではないが、結局はロボットが職人に敵わなかったという話もよく聞く。何事もバランスである。
儲からずとも全うな対価を得られる生業としての産業が、そして受け継がれて来た物事や考え方がまた次世代に大切に受け継がれ、長く続いて行くためには流行りにしたり媚を売りすぎず、儲けさせすぎないことも必要だと思っている。

デザインの役割は、ものともの、ものと人、人と人をよりよい関係性(Win x Win)で結びつけることである。グラフィックスは基本的にはすでに関係性で結びついたウチの人にはほとんど必要なく、主にソトの人たちのもので、それを使うことで、ソトから訪れた人に未知のルールをわかりやすく可視化して見せることができ、未知の人を集めてものを売ったり、移住者を増やすことにも寄与することができうる。そのため、地域活性化にグラフィックスは不可欠なものだと思われがちだが、ウチとソトがWin x Winであることを考えると必ずしもそうではないように思う。一番の地域活性化は、その土地の名産物が売れることでなく、人口が増えることでなく、その土地に咲いてた笑顔がより美しく咲くことなのだと思う。だから、地域活性化の助成金でわれわれグラフィックデザイナーを駆り出す前に、つながない選択に少しでも思いを巡らせてほしい。(もちろん駆り出した後に一緒に議論しても良い。)

Peace

米の兼業農家にとって、長期休業時は農作業の繁忙期。
ゴールデンウィークは種まき。(米の苗づくり)
シルバーウィークは草刈りと稲刈り。
みんながバカンス気分なときに遠出ができないけれど、
今日も平和だと思える日常は何よりも贅沢。
農作業の一休み

昨日はそばの花が満開だという話を聞き、草刈り終わりの足で素材撮影。
プロモーションの仕事をしながら農村の仕事をするようになってから、
農村風景は人の手が入ってこそ美しいことをよりいっそう実感している。
いい風景には、いい関係性がある。
いいデザインにも、いい関係性がある。

普段の生活をきちっと生きているかは仕事にも何にでもにじみ出るものだ。
だからまずは毎日の暮らしから。
これからも農村風景の中の住人で居続けられたら。
そばの花の撮影

実り

おおきな革命をおこすよりも、
ちいさな革命を何度も起こしていけば、それでいい。
ちいさな革命の連鎖こそがおおきな革命につながる。
そう思ってずっとその道を歩き続けて来たし、
今でもその思いは持ち続けているからこその実りをいただいている。
だけど、その甘い果実に甘んじていないで、
ときどきそこらに生えている野の花を食べてみたくもなる。
そんな気分に任せて考え事をするのも悪くない、秋の夜半かな。
外は涼しいけれど、まだ少し熱い、夜中の室内撮影をしながら。
夜中の撮影

T-Shirt at Night

転写シートに面付け
転写シートをはがす

お盆は休日返上でおとなしく働いていたので、
ワインボトルをおろして気持ちよく飲んでいたときに
二つ返事で引き受けたTシャツを
もくもくとつくって気分転換。
カスタマイズできるよう、おまけもたくさん面つけて。

さて、あの娘は喜んでくれるかなぁ。

Beauty Beside Me

デスク横のテッポウユリ
淡河町のテッポウユリの農家さんたちが忙しくなってきているようで、彼らを見るとユリの季節だなぁと思う。地元産業は季節の感じ方がちょっと変だ。

こどもの頃はそこら中の田畑に生えていたので米と同じような感覚で意識せずに見ていたけれど、いま改めて見ると、純潔無垢な色と、肉厚で形の美しい花弁が上を向いて咲く姿は美しい。
花が大きいのであまり短く仕立てるとバランスがとりにくいのか、ほとんど見たことがないのだが、今年は短く切って、机まわりに添えてみた。(毎年、売り物にならないユリたちのお裾分けをいただくので、本当にありがたい。)そうすると機械ばかりの無機質な空間に生命力が宿りはじめる。例えるなら砂漠の中のオアシスのように。次は他の花とも一緒に仕立ててみよう。身近なものを美しいと思える感性は年々磨き続けていたい。

山の日

神戸市ではいろんな道路が寸断となっていました。みなさまのところで台風は大丈夫でしたか。こちらでは消防車で巡回した限りは昨年程大きな被害はなさそうだと安心していたものの、一夜明けてみたら家の田んぼの法面が擁壁ごといってしまって、修繕費のために何年米をつくれば良いのだろうと意気消沈。まぁ、自然はそのそも人間の都合どおりいかないものなのでどうしようもない。土地やその他から圧倒的に自由になった現代では、都合の悪いもの、見たくないものはいとも簡単に切り捨てられるが、そうでなく、すべて繋がっていることを自然から学ぶのだ。話が逸れるので詳しく書かないが、そういう思考は多くの現代が抱える問題をぬぐい去るカギとなりうるように思っている。
今日は庭掃除と草刈り、明日は祝日でcottもお休み、草刈り。海の日だが、山の日とでも言った方が良いかも知れない。文字にすると地味な暮らしだが、夏の炎天下、長袖長ズボンで草の中を一日中駆けずり回った後の達成感は徹夜明けのうまくいったプレゼンテーションに匹敵するし、腰の筋肉が鍛えられてデスクワークの腰痛ともおさらば、ジムいらず。そして今週を乗り越えるとみなさんお楽しみ、村の夏祭り。

さらにそれが終わったら、cottでぼちぼちながらデザイン塾を始めようと思う。
「ローカルならではの仕事をしてみたいけど、そんなクライアントいない」という方へ、同じ土俵で提案して通れば仕事をお渡しするという内容にする予定。本物の仕事なので当然、実現予定の依頼。無記名でのデザイン提出による選考、審査員(=クライアント)によるオリエンテーションなど、不公平のないよう配慮して正々堂々戦い、結果発表&好評会をして、高めあえれば。ローカルでもニッポンに誇れる仕事が続けられる仕組みを。
第一回のテーマは米袋?参加希望や内容、スケジュールをこうしてほしいなどの声あればコメント、メール、その他でぜひご一報を。
cottの庭
ばらの花とかえる
村の夏祭り

humidity countermeasures

じめじめした日々が続きます。うちでの梅雨の出来事といえば、防湿庫。
撮影機材の管理が面倒になってきて、いよいよ防湿庫で管理することにしました。
ずさんな管理状態のまま何カ月も放置し続けるとレンズのコーティングなどを栄養にしてカビが繁殖してしまうことがあります。レンズの内側にカビさせるともう一貫の終わりで、修理費にウン万円、防湿庫が買えてしまいます。

防湿庫だから絶対カビが生えないわけではないし、頻繁に機材を使ってやれるならその方がよっぽどカビ対策になるのですが、
気付けば数ヵ月使わないレンズがあったり、除湿剤による湿度管理が面倒だったりする方にはあると良いかもしれませんよ。
防湿庫

May 2015

苗づくり
世間ではゴールデンウィークもあり、楽しいイメージがあるかもしれない5月。cottでは毎年魔の5月となる。うちは一応表向きにはGWはカレンダー通り休みなのだが、毎年休み明けにあげておいて欲しい仕事がGW前にどっときて、それが月末まで尾をひきつつ、休みの日は田んぼというのが、代表の5月なのだ。という1カ月ブログを放置した言い訳まがいの前置きから5月に滑り込みのブログを書き始めてみよう。
撮影の様子
さて、良い天気が続き、蛍も飛び始め、カエルの合唱も始まり、季節はもうすっかり夏。今日の撮影も汗だくだ。
今日の撮影はポスターに使う素材写真の撮影で、まずは事前に下見をして、その時に仮で撮影しておいた写真を使ってデザインにあたりを付け、おおまかな絵や構図を決め、ベストな絵が撮れる光の状態をシミュレーションしておく。そして条件に合う季節や時間が良いタイミングを見計らって、スピーディーに撮影を済ませる。屋外での撮影は天気が勝負で、仕事先が近場だからこそ、やりやすくてありがたい。そんな、田舎のデザイン事務所の、なんでもない一日。
(忙しいときは外部スタッフとも連携して作業を進めますので、そんな5月でももちろん、喜んでお仕事受け付けていますよ。)

Paper Sample

紙見本棚
デジタルデバイスの時代とはいえ、グラフィックデザインは「紙」に落とし込むことがまだまだ多いです。その際にはこの棚に並ぶ数千種の紙の中から目的を達成するのに最適な紙を選びます。紙好きにはきっとたまらない時間でしょう。

さて、今日はそんな紙の打ち合わせ。今日も新しい見本を持って来て下さったのですが、棚がもういっぱいいっぱいで、若干見苦しい状態となっています。この紙見本、収まらない見本が横向きに並んでいるのは棚を増やせばすむ話なのですが、メーカーごとに高さや奥行きが大きく異なるので、棚にまとめておさめたとき、どうしても飛び出してしまったり。奥行きのある見本帳を基準にした棚を作って、入れる見本の奥行きに応じて棚に桟を打てば良いのでしょうが、どんどん増えるのでずぼらな私には難しく。。同業の皆さんはどうしているのだろう。使いやすくて見た目も良い、そんな方法あれば是非教えて下さい。

さて、紙屋さん、印刷屋さん、看板屋さん、他、いつも山奥まで、お越し頂きありがとうございます。三木、三田、神戸市北区の北の方は、ゴルフをされる方には案外ポピュラーな場所のようで、案外近かったと言っていただけるのが幸いです。よくよく考えてみると、大阪の会社出た瞬間からの時間を計れば1時間、三ノ宮の会社出た瞬間から30分だから、駅まで歩いて、電車を待って、また歩くかタクシーで、と比較して考えても、案外近いですよねという半分開き直りのような論理が私の文句のようになっています。山側の立場からすると実際に便利だという感覚ですが、町からストレスなく行き来してもらおうとなると、車がどうしても必須で、スミマセン。最寄り駅から歩いて来ようとした某携帯電話の飛び込み営業マンが駅から歩く道中で断念して帰られたこともありました。
3月はcott7年の歴史の中で、初めて一度も記事が更新できなかった月になってしまいましたので、汚名返上にと早速なんでもない記事をあげてみました。本年度はもっとWEBでお仕事ぶりを公開をしていければと思っています。

Mockup

耐久性やスケール感、施工方法など、頭で考えるだけではイメージしきれない時、あるいは伝えにくい部分がある時は、実寸大のモックアップが一番。

まずは図面を見ながら調達した材料を組み立てる。一枚の木の板を吊るすことで、情報の差し替えに簡単に対応するとともに、傾斜地でも常に垂直面を保持し、どんな状況でもある程度見やすくできるように設計してみた。部材の組み合わせ方にも配慮し、垂直荷重は垂直材に直に伝わるようになっていて、そっと腰掛ける程度は大丈夫。継ぎ目は木工用ボンドとダボ継ぎでビスなし。板面は風で揺れるが、揺れる方向にはそれなりに強く、割と合理的な構造にもなっている。揺れることで目を引く効果も若干期待。もちろん折りたたみや分解も工具いらずで一瞬。横殴りの雨でなければ、雨が降っても板面は濡れない。このように、見た目は普通ながら、文字に書き出してみると意外に考えて作られているらしいことがわかる。デザインは普通なものの中にも案外たくさん潜んでいたりするのだ。
ダボ継ぎ
ハタガネで固定
看板組み立て
さて、これでフレームは完成したので、あとは板面に情報を載せるのみ。カッティングマシンを使って事前に作っておいたデザインに切る。
カッティングマシンでカッティングシートを切る
看板はこのカッティングシートと呼ばれる、シールみたいなものを切って貼って作られているものが多いが、今回の材料は木なので、カッティングシートを貼ろうとすると、下地処理をしてツルっとした面にしなければ、はがれやすい。ただ、下地処理をすると木を使った良さが減るため、今回はカッティングシートの図でなく地の部分を使ってマスキングし、ステンシルの要領でペイントすることに。木には呼吸させてあげなきゃ。
ステンシルの要領で塗装
カッティングシートをはがす
そして大変なのがこのカスとりの作業。「o」や「e」や「a」などの文字の外形をなぞるだけでは表せない文字は、その中を取っていかなきゃならなくて、文字が多いともはや苦行の域。実ははじめにシートから文字を切り出した後に一回この作業をしているので、ペイント後のこの作業はなんと二回目。。この板に文字を入れる作業は業務外のことだったので、深夜0時ぐらいに作業を始めて、ちんたらやっていると気付けば朝6時。
猫とcottの看板
ご近所さんも早速仕上がりをチェックしに参上。早速体当たりをしたりとなかなか厳しいチェックながら、徹夜の甲斐あって評価は上々、「若干文字のにじみがあるが、それも愛嬌。まずまずの仕上がりやな。あとはヤスリをかけて屋外用塗料を塗って、経年劣化を引き続きチェックしよう。」とのことだそうだ。

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